Body Arts Laboratoryinterview

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創作のシステム 2

―世代間に対して、何か感じていることはありますか? 上の世代の方について特別な何かとか?

寺田 上の世代の人たちに対して、全然否定的ではなくて、逆に下の世代が頑張らなくてはいけないと思う。

―どうしてですか?

寺田 たとえば伊藤キムさんにしろ、かなりのこだわりを持っていると思う。私たちの世代――とくくっていいのかわからないけど――はそこまで行こうとしているのかなと。キムさんのような、ある振付家について、カンパニーで踊ることはあっても、自分がキムさんのポジションになると思っている人はいるのかなと。

―世の中、小さいコミュニティがたくさんあって、それぞれが流動的で、小粒って言い方で悪いんですが、それらが交流しあい活性化していくように感じています。それに対して場所なりサポートしていきたいと思っているのですが。

寺田 それでもいいんだけど。小劇場界にも言えることだけど、ダンス界はとくに、10分、20分の作品を創ることに集中はするのだけれど、細かく、些細なところで動いてる気がする。踊っていることや、作品を創ることに満足してしまって、セッションやSTなど発表する場所もあるから、それで終わってしまっている。その先のモチベーションを持てるシステムがあったら一番いい。それがなくても、社会的に影響力を持ちたいとまで思っている人はどれくらいいるのだろうと思う。

―それはシステムがないから? コンクール一辺倒の環境? それぞれの意志?

寺田 意志と環境ですね。そういう環境があれば、望みを持てるから、何かもっとできるかもしれない。モチベーションを上げられるシステムがないし、そのモチベーションが低いとは言わないけど、地味なところで動いてしまって、それがずっと平行線のままの感じ。

―坂田さんにとってのゴール、目的はなんですか?

坂田 自分の世界観の作品を創って認められたい。私はセッションハウスなどで発表してきましたが、限定された、いつも同じようなところで動いています。そうじゃないとこでもやってみたいし、できるだけいろいろな人に見てもらいたい。自分がここに存在してもいいんだということを認めてもらいたい。それは強くあります。もう、こんなことしていていいんだろうかと思う瞬間があるんです。でも少なくとも、自分の中での戦いだと思うし、自分の中の小さいきっかけを育てるのは、楽しい反面、辛い作業でもあるので、それをサポートしてくれる組織が少しでもあればいいと思う。

寺田 私は、今はダンスと芝居というツールでやっているけど、それを使うことにこだわっていなくて、もっと活動が多岐に渡っても全然いいと思う。でも、そのためには自分が何者であるか、何をする人なのかが提示されていないと、方向性が凄く薄れてしまうので、まずそこをはっきりとさせて、最終的に、舞台芸術の中の一つでありたい。自分の作品を創って観てもらいたいということはあるけど、ダンス、芝居だけではなく、人に観てもらう表現の中の一個として機能していたい。たとえば、それが他のものと融合していてもよくて、作家として、その中の一部でありたい。

―それはアーティストとして、社会に自分の発言ができ、アートが社会おいてもっと普遍的であってほしいということですか? 私はアーティストですと、はっきり言えること?

寺田 そうかもしれません。結局、私はこのツールで人と関わり合いたいんです。

―まったくそうです。

寺田 それはダンサーとして、役者として関わりたいというよりも、作家として関わり合いたい。そうなったら超楽しんだけどな~。

―社会との関わりおいて、サイトスぺシフィック・ダンスは、野外など特殊な場所で行なわれたりします。それについてはどうですか? 振付家として作品を創りたい、ダンサーで関わりたいなどありますか?

坂田 私は、外で踊ってみたいです。ときどきスタジオの中だけで踊ることに違和感を感じたりするので。白州[*1]も極端じゃないですか。もうちょっと中間のところがあったらいいな〜と。

―白州はトライするべきです。まったく違う環境だから。一方、大衆の匂いがする下町などはどうですか?

坂田 作品を考えると狭いとこではできないかな~。でもわざと狭いところや、人がいるところでやってみたい。

寺田 私は逆にそういう方が好きです。さっき言ったみたいに空間プロデュースが好きなんです。もちろん劇場でしかできないこともあるし、空間全体で提供できたらいいなと思います。

―何故ダンスを続けていますか?

坂田 嫌になる瞬間もかなり多いです。辞めようと思ったことはきりがない。吸収すれば吸収するほどなくなってしまう。たとえば技術的にわかってきても、記録として残るものではないから、どんどん消えていく、消化していくような、そういう儚い感じですね。絵画や映像に比べ、自分の学んだ知識がわかりにくいところにあり、そこに逆に興味があります。すっごく上手くなったとしても技術的にわかりにくい。アスリートやオリンピック選手ならまだしも、その差がわかりにくいところが逆に面白い。それと運動することが好きだからというのはあります。

―生活としては、バイトと両立させるために、毎晩帰りが深夜近くで。

坂田 何でこんなことしてるのだろうと思います。

寺田 単純に体に向きあうのが楽しいということはあります。自分の頭の中に想像したものと違うものが出てくるのが好きです。頭で理解できないことを、体で教えてもらうことが多い。絵を描いていて全然違う方向に行くのと同じように、踊っていても、ボキャブラリーを発見したり、そういうことが楽しい。私に知らない自分がいたみたいな。逆に、それから逃れられないときは、超苦しい。その繰り返し。レッスンに関しては、発見ですね。こんな感覚があったとか、体ってこんなふうな感じになるんだというのが楽しくて、どんどん知りたい。

―そのようなことを、どうしてそこに至ったかなど、自分で探ることも必要に思います。

寺田 C.I.co.や、勝部ちこさんがやっているコンタクト・インプロヴィゼーションは、楽しいのですが、自分が踊ったことを忘れちゃう。それをフィードバックしていくことが大切。インプロだから、あまり考えてはないけど、もう一度見返す行為で見えてくるものがある。

―基本的にインプロは、たくさんの方向ありますが、瞬時に自分で法則性を作り、それに従っていると思うんです。たくさんの自分の中から生まれる法則性を、もっと見つめ直し、研究をすると、自分のオリジナルな方向性が見えてくるのではないかと思います。

寺田 自分は作品の構成は見えてくるんですけど、ムーブメントとしてメソッドがない。だからきっとどこかでやったような振りをしているし……。

―フォーサイスの「インプロヴィゼーション・テクノロジーズ」ではないけれど、それは既に自分で創っていると思う。それをもっと明確に探れば、自分のダンスの世界は広がるかもしれない。または他人と一緒にやったら、リフレクトすることによって見えてくることもあるかもしれない。自分のダンスを、何かの媒体を使ってでも説明し、人に伝えるプロジェクトをやろうと思っているんですよ。そしたら、その先に発展することが可能かもしれないけど、その先生、キツイよね。またBALの宣伝と先生的ですみません(笑)。ただ、振付家になるために、そういうことを促してやるシステムも土壌も、日本にはないです。

寺田 そうです。創って終わって、創って終わっての繰り返しで終わっちゃう。

―この前、室伏鴻さんのインタビューで感じたことは、彼の昔と今の方向性は変わっていないんです(笑)。人間そんなに考えを変えることはない、それを、永遠にやっているんだと。同じことをずっと追及している。また、室伏さんほど強固な信念があるからだと思う。

野和田恵里花さんについて

―故、野和田恵里花[*2]さんの話がでたので、思い出などお聞きしたいと思います。亡くなられたときは、悲しくて。

寺田 そうですね。

―恵里花さんは、包容力のある人だったのですか?

坂田 結構厳しいひとでした。

寺田 確固たる厳しさがあったから、オールマイティな感じでした。余裕だったよね。なあなあ、曖昧になることを何でもアリと言っているわけでもなくて、すごくちゃんとビジョンがあって、そしてつねに発展的だった。彼女は既に完成されている感じに見えたけど、つねに彼女の中を巡っているものがあったと思う。それがすごく魅力的だった。

―教え方も、少しずつ変わっていった。

坂田 そうですね。毎回ちょっとずつ違っていた。で、彼女が面白いと思ったことは、すぐワークショップをやる。たとえばそうやって取り入れたストレッチがあったじゃん。

寺田 何よりも、ポジティヴだった。

坂田 誰でも受け入れる感じがした。

寺田 結構コンテンポラリーの方は、鬱々とするじゃないですか。もちろん考えているのだけれど、そんなに考えすぎないでみたいな感じでバーンとして、たいしたことだけど、たいしたことないみたいな。こだわらなければいけないことを持つ必要性と、自由でなければいけないことの両方を持っていた。そして、絶対否定はしなかった。

坂田 厳しかったことは厳しかった。体の使い方から「どう踊るのか?」と精神的なことにも。「なぜ出口のない動きをするのかな~」と言われたりしたのを覚えてます。プライベートな相談をしても、普通に乗ってくれました。

寺田 何よりもダンスが楽しいものだということを、教えてくれる。

坂田 ダンサーとして、すごく楽しそう。でも、駆け出しのころは大変だったと言っていたけど。

寺田 インプロもすごく好きだったんだけど、久々に振付したと言って踊っていた作品も、それはそれは素晴らしくて。自由ってことが厭味でないというか。

坂田 踊っている恵里花さんが好きだった。教え方も、ありったけ教えようとするから、よく時間がなくなって、時間配分を気にしているけど、できない恵里花さんだった。

寺田 恵里花さんが、亡くなったときに、周りからすごく聞かれたのは、恵里花さんみたいなバレエ教える人、知らないかと。そう言われて、まったく思いつかなかった。恵里花さんからバレエを教わった人は、バレエに対する認識が全然違っていた。体の中のムーブメントを大切にする。彼女の教えは、「呼吸して呼吸して!」そういう感じだった。

―モダン系のバレエを教えることは重要です。

坂田 ストレッチとバーとセンターとピルエットくらいで、時間が足らなくなって終わってしまいました。だけど、センターはほとんど、コンテのような。こんなに体捩じって使うの?という感じだった。
―ちょっとフォーサイスっぽい?

坂田 そうですね。極端な感じです。

寺田 だから、大人になってバレエを始めた人は救われたんじゃないかな? 踊り手は、こうでなくてはいけないことを取っ払ってくれる。

坂田 しばらくクラスに行っていなくても受け入れてくれる。いままでの人はそうじゃなかったから、逆に新鮮だった。

―恵里花さんのことについて、他に何かありますか?

坂田 いろんなところにいそうな気がするんです。結構ニヤニヤしながら遠くで見ているような気がする。恵里花さんが観ても、眉間に皺をよせないような作品を創りたい(笑)。コメントに困るのではなくて、面白かったよと言われるような。やっぱり、彼女くらい真剣に人と接したい。自分の好きな人に対してもそうだし、関わる人に対して。やれたらいいなと思うんですけど、全然やれてない感じです。

寺田 ちょっと踊らせてもらったこともあって、また楽しく踊りましょうって感じです。初めての単独公演で、恵里花さんがゲネを観にきてくれて、すごく好意的だったんですけど、ラストシーンに、もうちょっと何かあったんじゃないかと言われたんですよ。それがクリアできないまま、恵里花さんは亡くなったんです。この作品を再演するときに、いつもラストシーンを考えながら、公演を行う。誰かに何かを納得してもらうわけではないけど、私は何なのかなと考えながら。正解、不正解は観た人によるからわからないけど、そこでいつも考えることを忘れない。素敵な人でした。

―どうもありがとうございました。

[2009.2.8/田町にて]

構成=山崎広太/印牧雅子


坂田有妃子Yukiko Sakata

22歳よりモダンダンス、バレエ、コンテンポラリーダンスをトレーニングにとりいれつつ、羊屋白玉主宰「指輪ホテル」に参加。2005-06年指輪ホテル《CANDIES》に参加。06年CANDIS girlish hardcore EUツアー、同年9月、北米ツアーに参加。03年よりソロ・デュオ作品を創りはじめる。近年の作品に《瘡蓋》(共演:藤田能里子、「ダンス花vol.6」 SESSION HOUSE)など。


寺田未来Mina Terada

高校卒業時よりダンスと演劇の活動を並行して行なう。
演劇…「東京タンバリン」「指輪ホテル」「はえぎわ」「ピンズ・ログ」等小劇場への参加多数。
ダンス…バレエ、胴体トレーニング、コンタクトインプロ、コンテンポラリーを学び、これまでに「C.I.co.」「カブダリベラ」の活動に参加。「Dance Place」(藤田裕美)や「金魚×10」(鈴木ユキオ)の作品に参加。
創作…「シアター21フェス」「Dance Seed」「ダンスが見たい!」などで小品発表。セッションハウス企画の「D ZONE」にて初の単独公演を行ない、その後も会場を劇場に限定せず自主公演を展開している。

http://blog.goo.ne.jp/yumemigokochi


インタビュー後記

坂田さんとの出会いは、僕が2002年ごろ、アーキタンツで教えていたときでした。彼女は、器用に踊るわけではないんだけど、果敢に挑戦してくるタイプで、だから、ムーブメントが間違っていても、周りと何も引けをとらない。そして数年後、コンポジションのクラスで、とても特殊な雰囲気のムーブメントを提示し、彼女は何かありそうだと予感していました。インタビューに、坂田さんが友達の寺田さんを連れてきてくれました。今の厳しい日本の状況に、彼女たちが踊りでどう挑んでいくんだろうという個人的な興味と、リサーチを兼ねてインタビューを敢行しました。僕は寺田さんの作品を観たことがないのですが、彼女が考えている言葉と身体の関係などがとても興味あるものだったので、機会があれば是非、作品を観たいと思いました。坂田さんは、女性のヒステリックかつ陰な感じでありつつも、ノスタルジアを併せもつような、僕にとって、今までにあまり見たことがないムーブメントを提示するだろうと期待します。指輪ホテルを辞めて、自分でこれから活動していくという二人。振付家を目指す彼女たちは、どういう道を今後たどっていくのでしょうか。二人は、お亡くなりになった野和田恵理花さんの生徒です。当時の話を聞いていると、恵理花さんがふっと現れて、話に加わってくれるんじゃないかという気がしました。コンテンポラリーダンス界において、とても惜しい方を亡くしました。ご冥福をお祈りします。

今回のインタビューで、光の見えないコンテンポラリーダンスの状況など、初めて現場の声を聞くことができました。そして不幸にも僕の想像していたことがまったく現実であったことを改めて痛感しました。BALは、このような状況を打破すべく、その活動が、少しでもいい環境に繋がることを目指したいと思います。そのために一番最初に取り掛からなければいけないことは、このインタビューもそうですが、アーティスト同士の対話だと考えています。このような環境になったことのリサーチも必要だと感じています。このインタビューを読まれた方々からも、多くの意見、要望をお聞きできれば幸いです。(山崎広太)

  1. ダンス白州。山梨県北杜市白州町にて行なわれるダンス・フェスティバル(主催:ダンス白州実行委員会、共催:舞踊資源研究所)。Back
  2. 野和田恵里花Back(のわだ・えりか)振付家・ダンサー。2007年逝去。
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