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Centre national de dance contemporaine Angers

1978年に設立されたアンジェのフランス国立現代舞踊センター(CNDC)は、70年代後半、フランスの国策として文化の地方化(デサントラリザシオン)が図られ、その一環として各地に作られることになる地方振付センターの一つとして発足し、ヌーヴェル・ダンス発祥の地の一つとなる。

CNDC は,Theatre Le Quaiの一部で、劇場、Open Arts(音楽、サーカス、ヴィジュアルアート、インスタレーションをプログラム)、NTA-CDN(国立演劇センター)と同じ建物内にある。19ある CCN(国立振付センター)のうち、レジデンス施設だけでなく教育機関(Formation)があるのはCNDCだけである。元は1968年にフランス文化省によって作られたカンパニーで、音楽家、画家などとのコラボレーションによるモダンな振付を目的としたBallet Theatre Contemporainの建物だった。後にナンシーに移るが短い期間で終わっている。現在の建物は2002年の文化プロジェクトにより構想され、07年に完成したものである。劇場自体は市が運営しているが、CNDCは主に文化省の助成により成り立っている。レジデンス、教育機関の他に市の学校との交流、アトリエ(オープンレッスン)などのコミュニティワークや、芸術監督の作品を主に扱うプロダクション機関もある。

CNDCの資料を調べているGerard Mayen(ジェラール・マイヤン)氏に話を伺ったので、それをもとに歴史をまとめてみた。


1978−1981D: Alwin Nikolais

1978年フランス文化大臣の招聘を受け、Alwin Nikolais(アルヴィン・ニコライ)がディレクターに就任する。ニコライは、元無声映画音楽のオルガニストで振付家、作曲家、舞台装飾家、衣装デザイナー全てを兼ねる。現在もカンパニーがあるので作品を見ることが出来るが、音楽、照明、美術、ダンサーの身体をオブジェ化する衣装を統合し、抽象表現主義的な作品が創られた。その当時フランスにはレジーナ・ショピノ、モーリス・ベジャール、ローラン・プティらがおり、ニコライのカンパニーにいたカロリン・カールソンが1974年にパリ・オペラ座ディレクターに振付家として招かれ、翌年シアター研究グループ(GRTOP)のディレクターになっている。マース・カニングハムなどアメリカからのポスト・モダンダンスがフランスに取り入れられている。またベジャールはマギー・マラン、アンヌテレサ・ドゥ・ケースマイケル、ナチョ・ドゥアドなどを輩出したダンス学校ムードラをブリュッセル(70年)、ダカール(77年)に創立している。CNDCの生徒として有名なフィリップ・ドゥクフレは、実際のところ15日間だけ学生であったが、すぐニコライに引き抜かれカンパニーに入り、一年間在籍した。その後NYに渡りカニングハムのカンパニーに入っている。今年formation d’artiste choregraphique(FAC、二年制ダンサーコース)に《S, E, S, A》を振付したAlain Buffard(アラン・ビュファー)は1978年CNDCに入学しニコライのもと学んでいる。また、1978年にバニョレ振付コンクールでユーモア賞を受賞したドミニク・ボワヴァンもニコライに学んでいる。ニコライが3年間しか務めなかったのは、ステージでショーすることよりも実験的なことを重視したため、文化省と意見が食い違ったといわれている。


1981−1984D: Viola Farber

マース・カニングハムのカンパニーの創立メンバーであったViola Farber(ヴィオラ・ファーバー)がディレクターになる。ユダヤ系ドイツ人で7歳の時アメリカに移住し、1953年から65年までカニングハムのカンパニーに所属し、68年に自分のカンパニーを作っている。後にはロンドン・コンテンポラリーダンス学校で教え、NY Sarah lawrence College in Bronxvilleのディレクターになっている。マチルダ・モニエは、心理学を学んだ後CNDCでダンスをはじめ、ヴィオラに教えを受けている(マチルダがヴィオラにインタビューしている映像がある)。
1981年はミッテラン大統領の社会党政権に代わった年であり、産業国有化がさらにすすめられた。1981年から86年、88年から93年まで文化大臣を務めたジャック・ラングは文化省予算を倍増し、国家主導型の芸術支援を行なった重要人物で、元シャイヨー宮劇場監督でナンシー世界演劇祭設立者であった。1981年はマギー・マランがCNDCで《MayB》を創作し、初演した年でもある。ブラジルのパノラマ・フェスティバルの創立者であるリア・ロドリゲスはこれにダンサーとして参加している。
ヴィオラは学校、カンパニーの作品制作に追われ、長く続かなかった。そしてフランスにニュームーブメントが興る中で、アメリカンテクニックが少しオールド・ファッションになってきていた。


1984−1987|D: Michel Reilhac

フランス人でアメリカとも繋がりのあったMichel Reilhac(ミシェル・レイアック)が就任する。現在Arte france cinemaの社長、製作代表、監督、プロデューサーで、ダンス映画の生産を体系化し、また一般にダンスを広めるためBal Moderne(モダンフォークダンス)を考えた人物である。以前はニコライ、ヴィオラ自身が指導にあたり、アメリカンテクニックが主流であったが、彼自身はダンサーとしてのキャリアがあまりなかったため、学校とアーティスト用のレジデンスの要素がはっきりと分けられた。3箇所あるCNDCの施設の中で一番古い校舎Bodinier(3つのスタジオとレジデンスアーティストの宿泊施設)はこの時建てられた。
Formationはどんなダンスにも適応出来るようテクニックが重視され、2〜3か月のレジデンスプログラムにより、振付家、カンパニーにとってCNDCは重要な場所となった。トリシャ・ブラウン、マギー・マラン、レジーナ・ショピノ、オディール・デュボック、ドミニク・バグエ、エドゥアール・ロック、エルベ・ロブ、ヴィム・ヴァンデケイビュスなどが訪れた。また1986年にはダニエル・ラリューのダンスビデオ《waterproof》がここで製作された。ジェローム・ベルは1984年から1 年間学んでおり、ドゥクフレがアルベールビル冬季オリンピックを演出した際、アシスタントを務めている。


1988−1992D: Nadia Croquet

シアター出身のNadia Croquet(ナディア・コケット)が就任する。ミシェルに続きマネージャーとしての役割を務める。この人に関する情報はあまり語られず、創作して公演することと、学校で教える内容にいつも矛盾があり、彼女までの歴代のディレクターは長く在籍しなかったと聞いた。


1993−2003D: Joelle Bouvier, Regis Obadia

Joelle Bouvier(ジョエル・ブーヴィエ)とRegis Obadia(レジ・オバディア)が就任する。80年代フランス・ヌーヴェルダンスの旗手と言われたカンパニーレスキスの振付家で、この頃のCNDCを CNDC l’Esquisse と呼んでいた。ちなみにl’Esquisseとはスケッチという意味。日本でも公演され《Welcome to paradise》《La chambre》《The heaven before the eyes》など紹介されている。ピナ・バウシュの影響を受けたとも言われ、演劇的、表現主義、ファッションの豪華さなどがその特徴として挙げられている。これまでと大きく異なり、彼らはカンパニーの芸術監督としての役割のみ果たし、ジョエルの先生であったMarie-Frauce Delieuvin(マリーフラウス・ドリュバン)が学校の責任者だった。ジョエルとレジは学校に関心を持たず、生徒をたまに選んでカンパニーに使うくらいだったと聞く。学校は、コンセルヴァトワールのようにダンサーとして働くための訓練の場として機能し、クラシック、モダン、その時の芸術に必要なムーヴメントが教えられた。フランスのコンテンポラリーダンスも世界的に有名になり、CNDCも大きく知られるようになっていた。他には1995年にベルギーに P.a.r.t.sがアンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルによって創立されている。レスキスは二人が別れたためにカンパニーもなくなったが、二人とも振付家として活動している。


2004−D: Emmanuelle Huynh

現在の芸術監督 Emmanuelle Huynh(エマニュエル・ユイン)が芸術監督に就任する。今まで監督不在で一年間空いてた期間は管理者が代理を務めていたと聞く。彼女が立候補した時には他にも候補者がいたらしい。エマニュエルは、振付、既存のダンスに対する批評的洞察力、哲学的思想、コンセプチュアル、実験性を合わせ持つなどレスキス時とは全く違う方向性を示し、今までになかったEssais(Experiments)という振付コースを作っている。
ムードラを出た後ドミニク・バグエ、トリシャ・ブラウンなどの振付家のもとで踊り、エルヴェ・ロブ、オディール・デュボックなどと共同作業を行なった。特にオディール・デュボックのTrois bolerosの中のボリス・シャルマッツとのデュオは、1996年から14年間踊っている。ボルドー美術館、ヴェラスケス美術館、ポンピドゥーなど美術館でもパフォーマンスを行ない、造形作家や音楽家などとの共同制作も多数行なっている。2001年にはフランス政府派遣アーティストとして京都に滞在、京都芸術センター「第1回クリエーターズ・ミーティング」に参加。2008年より京都のカンパニー、モノクロームサーカスとの「怪物」プロジェクト、09年秋にはCNDCにて日本人華道家石草流師範、奥平清鳳と華道の花型法「立花」をテーマにコラボレーション作品を発表する。ヴェトナム系フランス人であるが大の日本贔屓である。
現在CNDCのダンサーコース(2007年より名称がCursus initialからFormation d’artiste choregraphiqueに変わる)は2年間、振付コースは1年間である。ダンサーコースの募集は、基本18歳~24歳までで4、5月がオーディション、10月に始まり2年後の6月に終わる。振付コースの募集は24歳~30歳までで、募集は不定期で2年に1度であるが、今後カリキュラム自体が変わる可能性がある。年齢制限も変わる可能性もあり、オーバーしていても入学している。毎年30人前後が入学し、31年間で約580人が卒業した。振付コースは研修生か学生か選べるが、留学生はビザのため学生を選ぶことが大半である。現在CNDCに近い実験的な学校は、モンペリエのマチルダ・モニエによる ex.e.r.ceかマギー・マランのCCN de Rillieux-la-papeとUniversite lumierelyon2によるFormation du danseur: de l’interprete a l’auteurである。現在フランスのカンパニーは600から800あると言われている。





後記

ここに掲載したCNDCの歴史は、私を送りだしてくれた人達、情報を得たいと考えてる人達に対して自分が出来ることは、CNDCについて伝えることではないかと思い、書かれたものです。そしてCNDCと私は同い年でもあるのでこの先どうなるのか気になるところでもあります。これはジェラールさんにインタビューした後私が調べたのもあり、完成形ではありません。読んだ方が、ご存知の情報や、間違ってる箇所があれば今後の方のために書き足して欲しいと思います。

〈次回予告〉
現在私が在籍しているEssais(振付コース)について、芸術監督のエマニュエル・ユインさんのインタビューも含めてレポートを書く予定でいます。入学を考えている方、オーディションは来年の春頃だと思いますので、それまでには情報をお届けします。

[おおとし・めり|ダンサー・振付家]


Centre national de dance contemporaine Angers
http://www.cndc.fr/

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