Body Arts Laboratoryreport

ジェニファー・レイシーの「クラスクラス」の風景。オブジェを「ダンスのクラス」と見立てて観察する2人。


コーチング・プロジェクトとワークショップ

フェスティバル参加にあたり、事前に、受講したいワークショップを選ぶのは、なかなか大変な作業です。特にコーチング・プロジェクトは、プロジェクト毎に40 時間近くを現地で費やすことと選抜制のため、あとから変更できません。そのため、これだと思えるものに誰もが希望を出したいのですが、クラスタイトルと説明文だけでは、いまいち明確なクラス内容が把握しきれないことが多いので、講師の作品や履歴なども参考にしながら、絞り込んでいかなければなりません。

60 以上あるワークショップに至っては、勘や、人づてに聞いた話など、イチかバチかで選ぶことも少なくありません。どのワークショップを選択したかで、同じフェスティバルでも全く違う経験を、それぞれが持ち帰ることになります。カンパニーのレパートリークラスやテクニッククラスを肉体トレーニングとして集中的に受講する人もいれば、90時間近いリハーサルを通して振付家の新作を踊るという実践型のコースを選ぶ人もいます。またリサーチ・プロジェクトをメインに選んだ人は、振付やダンスを色々な視点から捉えなおす作業に取り組むことになります。

私は、2つのコーチング・プロジェクトと11のワークショップを受講することにしました。バランスよく選択したつもりだったのですが、結果、somatic practiceといわれる身体そのもの探求系のクラスか、コンポジション系のクラスに偏っていることに気づきました。今回のレポートでは、私が受講した 13のクラスの中から、印象に残ったクラスの内容の一部を紹介したいと思います。

1.

Trajal Harrell & Sarah Sze(トラジャル・ハレル、サラ・セー)
ビジュアルアートと振付、そのパフォーマンス演習

NY在住の振付家、トラジャルは自身の作品発表にとどまらず、Movement Research[*1]のフリーペーパー編集責任者や、キュレーター、アーティスト同士の対話の場を創造するオーガナイザーなど、様々な形でアートに貢献している活動的なアーティストです。サラ[*2]は、NY在住のビジュアルアーティストで、ヨーロッパを中心に、世界各地で精力的にプロジェクトを行っていて、日本でも2008年に、銀座のメゾンエルメスにて彼女のエキシビションが行われました。それぞれのアーティストに興味があったのは、もちろんのこと、「ビジュアルアート的視点から振付を捉えること」や「ビジュアルアートとパフォーミングアートの境界」など、自分が意識して踏み込んだことの無かったグレーゾーンに踏み込んでみたいという好奇心から、私は、このコーチング・プロジェクトに参加を希望しました。

第一日目に、トラジャルが、「振付をダンスから切り離して考えてみることができるのではないか」と提示したとき、私は早速の、パニックになりました。「えっ、振付ってダンスを創ることじゃないの? 振付とダンスを分けることなんて、ありうるの??」と、抵抗が先にきてしまい、慣れない考え方に、馴染めないでいました。60年代に、NYのジャドソングループを中心として起こった「ダンスの民主化(どんなことでもダンスになりうる、誰でもダンサーになりうる)」の動きを、80、90年代にフランスが再評価して温め、現在に至る「振付の民主化」が起きている、という流れをトラジャルがざっと説明してくれました。「振付の民主化」という影響力のある言葉に、思わずはっとさせられました。
その後、トラジャルとサラが提案した2つの演習を行いました。一つ目は、スタジオにある物をどんどん動かし、片隅に好きなように配置して最後には自分の身体もその中に置くというものでした。そして、2つ目は、自分のカバンの中に入っている物全てと身体を使って、観るもの(パフォーマンス的)、または見るもの(インスタレーション的)を創るというもので、実際に創るのも、他の人の作品をみるのも、すごく新鮮な経験でした。物をどう空間に配置するのか、背景にあるコンセプト、身体の役割など、振付のプロセスと思考回路が似ていて、静的な作品だとしても、インスタレーションなのか、パフォーマンスなのか、線を引きがたく、提示された作品の多くが、その中間にあるような感じがしました。

週の後半は、テキストを読んだり映像を見て、それに関連したディスカッションや、課題に対する作業・発表が行われました。クラスでは、スウェーデンのInpex(International Performance Exchange)[*3]によって最近出版された“The Swedish Dance History”(アーティストやアートジャーナリストが寄稿した記事で構成されているフリーブック)からのテキストが多く使われました。この本では、スウェーデンにとどまらず、まさに、現在の新しいダンスの流れを的確に反映している記事が多数扱われていて、とても無料とは思えない充実の内容です! まったく、いつになるかわからないけれど、私も是非、読破したいな、と思いました。ディスカッションでは、「身体は抽象になりうるのか」「コンセプチュアルアートの定義」「ダンスと振付の違い」「パブリックを巻き込むアートにおける美学」などが扱われ、一筋縄でいかないことを考えるのが苦手な私は、う~っと、うなりっぱなしでしたが、明確な答えを出すために考えるのではなく、その曖昧ゾーンに敢えて踏み込んで話すこと自体がエキサイティングでもあるし、何か新しい風を起こす原動力になるのではないか、というトラジャルの意見には、本当にそのとおりだと思いました。脳の中の、刺激されることのなかった部分が刺激されて、今まで見ていたものが、少し違ってみえてくる瞬間でした。
課題においても、ティノ・セーガル(ベルリン拠点のアーティスト。美術館、ギャラリーを中心に、パフォーマンスともインスタレーションとも区別されない、身体を巻き込んだ作品を世界各地で発表している)の作品《This Objective of that Object》を、自分の中の抽象の概念を入れて、脱構築–再構築するなど、その作品に対する自分の解釈が曖昧なままでは、どうにもならないのではないか、と不安になるものも出されました。少しでも、その作品に対する自分の理解を深めようと最初は時間を使ったのですが、友達に、「目がこの世を見ていないよ」といわれるほどの大苦戦で、結局、その曖昧な状態を無理やり形(作品)にしてみることの方が、逆に真実に近いのだと、後から気づきました。そして、トラジャルもそのことを提示してくれていたのではないか、と思いました。

このコーチング・プロジェクトでは、私と同じdanceWebber(レポート1を参照)やビジュアルアートのバックグラウンドを持つ受講生が圧倒的に多かったのですが、それぞれが悩みながらも、独自のスタンスで課題に挑み、1週間とは思えないほどの有意義な時間を過ごしました。そして、素晴らしいリーダーシップで、このコーチング・プロジェクトを引っ張ってくれたサラとトラジャルが 2010年に向けて共同制作しているというプロジェクトを見るのが、今からとても待ち遠しいです。

トラジャルとサラのコーチング・プロジェクトでの課題の作品例

2.

Maguy Marin(マギー・マラン)
場面に入る瞬間

「舞台にパフォーマーが入る直前の状態、その境界線を探る」という魅惑的なクラス内容と、昨年春に観た彼女の《Umwelt》という作品が私の中に残した強烈な印象から、このコーチング・プロジェクトへの興味を持ち、参加を希望しました。初日、アシスタントと共に現れたマギーは「今まで、このようなワークショップをしたことがあまりないので、何をすればよいのかわからないけれど、ベストを尽くしてみましょう」と気さくにフランス語で話し始めました。私はアシスタントの人が通訳をするのかな?と思って、なんとなく、聞き流していたところ、そんな気配はなく、フランス語が続きました。マギーはフランス語でも、大体みんな、内容はわかるだろう、と思ったようです。誰かが「イングリッシュ、プリーズ」というと、英語になるのですが、また熱中してくるとフランス語に戻ってしまうので、最初は、他の人に聞いたりしていたのですが、だんだん、そのペースに慣れてきて、なんだか、フランス語もマギーの世界の一部という気分になってきました。

約20人ほどの受講生にまず出された課題は、10分間何もしないで人の前に立つ、ということでした。「何もしない」とは、とても曖昧な表現で、何もしないといっても、前に座っている全員の目がじっと10分間自分を見ている、という状況では、「何もしないを演じる」に近い状況に、自分が追い込まれます。10分間は、意外に長くて、その手持ち無沙汰から、あえて、「何もしていない」感を出すために、日常的にふらっと動いてみる人や、見られているエネルギーを過敏に受け取りすぎてしまって感情が噴き出してしまう人など、その解釈や反応は様々で、一見、シンプルに見える課題の中に、いろいろなドラマがありました。また、どうしても、何かしようとしてしまいがちな受講生に、マギーが、存在を浮き彫りにするための不在の強調や、人前に立つというドラマチックな状況がうむエネルギーを帯びた身体の状態などを、時間をかけて説明する場面も幾度もありました。この課題は、一人ずつ行われるので、自分がやる10分間を除いては、じっと他の受講者を観る時間になります。マギーのコメントが間に入るので、課題が終わるのに約6時間近くかかりました。私の集中力は、最後の方、かなりしぼんでしまっていましたが、観ながら、身体の中と外の空間やエネルギーがはっきりと区別されていて、尚且つ、その関係性が微妙に変わりながらも、緊張感のバランスがとれているような身体の在り方に、より魅きつけられると感じました。
この課題のバリエーションのような形でマギーが持ってきた、お姫様、老人、貴族などキャラクターの衣装を、観客が見てる前で着用して変身後、その変化をみる、という演習も行いました。キャラクタースタディーというわけではなく、衣装を身に着けたことで自身に起きる変化を観察するというものでした。衣装がもつキャラクターのイメージを身体が無意識になぞってしまわないようにするのは、思った以上に難しいことでした。

舞台にパフォーマーが入るその瞬間や、役者が別の人格を演じる際に超える、個の境界線など、そのわずか一瞬の間の状態を徹底的に拡大して研究するという、マギーのコーチング・プロジェクトでの試みは、まさに、今回フェスティバルで観ることができた数々の彼女の作品に反映されていると思いました。それぞれの演習で、一秒も目をそらさず、食い入るように、前に立つ受講生を見つめる姿や、納得のいくまで、時間も気にせず受講生と話し合いや演習を重ねるマギーの姿がとても印象的でした。この週は、7時間のコーチング・プロジェクトに加え、夜もマギーの作品の舞台やダンス映画を観たりと、彼女の哲学や世界を色々な角度から学ぶことができました。

マギー(中央)と記念の一枚

3.

室伏鴻
舞踏

室伏鴻さんは、ImPulsTanzでは、すっかりお馴染みの講師の一人です。第1回当初から、ImPulsTanzに関わってきている鴻さんは、お洒落でユーモアがあり、親しみやすいのにどこかミステリアスな雰囲気で、ワークショップを受けた受講生に感想を聞くと、まず、第一声は、大体、“Ko is so cooooooool!!”と返ってきます。2週間にわたって行われた鴻さんのワークショップの、第2週目に私は参加しました。

クラスでは、鴻さんの身体から発せられる独特のオーラが、受講生との間に、いい緊張感を生み出していました。その緊張感が、自身の身体へ向かう意識と集中力を高めてくれ、日常を逸脱した時間が流れます。呼吸と背骨を連動させて使うエキササイズは、身体の各部分を独立して使うエキササイズと共に、ワークショップを通して反復して行われ、刃物を研ぐかのように、身体に鋭敏さを帯びさせていきます。私にとって、このワークショップが貴重だった点は、日を追うごとに自分の身体感覚の変化が感じられたところです。最初は、身体の一部を過度に硬直させたり、そのまま倒れたりなど、見よう見まねで、鴻さんの動きをトライし、思いきり、筋肉痛になりましたが、徐々に、そのエッセンスがしみわたってきて、身体が自らの感覚に基づいて、自発的にそれを行うようになりました。また最初は体力的にきつかった反復運動も、やればやるほど身体が軽くなりチューニングされていくような感覚を味わいました。客観的な身体認識や、身体の実際の機能や構造に基づく欧米流のクラスが多数を占めるImPulsTanzでは、ある意味主観的な、身体感覚を掘り下げていく鴻さんのクラスは、特殊な存在であり、大変貴重なものだと思いました。
最終日には、3人ずつの即興を行いました。それまで、自分の身体に意識を集中していた反動なのか、即興では、自身の身体感覚に耳を澄ませつつ、その場所を共有するお互いの存在をより確かめようとする姿勢がそれぞれから感じとれました。思わず笑ってしまうようなユーモラスな関係や、空間に消えていきそうな幻想的な光景、詩的で繊細な身体などが広いスタジオに現れ、広がりを感じるワークショップの締め括りとなりました。鴻さんには、日本人同士、ワークショップの合間に、ほっとなごむ会話をしていただいたので、終わってしまうのが、さみしい気持ちもありましたが、充実した達成感が身体に残りました。

4.

Jennifer Lacey(ジェニファー・レイシー)
クラスクラス

NY 出身でヨーロッパを中心に活躍する振付家、ジェニファー・レイシーのワークショップは全く予想外のものでした。3時間×1週間の彼女のクラス内容の説明が、なぜか、フェスティバルのサイトから抜け落ちてしまっていたので、私を含め、ほとんどの受講生は「クラスクラス」というクラスタイトル以外の情報を一切知らずに、ワークショップに臨みました。初日に、ジェニファーが、「このクラスでは、クラスをアート作品として捉える試みをします」と、宣言したとき、一同、大きなクエスチョンマークを隠すことができませんでした。そして、いきなり、壁に貼ってあった、赤ちゃんのポスター、兵隊のポスター、裸のお姉さん達の写真を順番に見るように指示され、「今から、それぞれの絵をクラスの枠組みと設定して3部構成のクラスを行います」と、半ば、無茶苦茶なクラスが始まりました。
15分ほどの、ジェニファーのクラスの後、今度はそれぞれ、少人数のグループに分かれて、個々が提案したクラスを教えあいました。私のいたグループでは、地図、建築、新聞、お金などを使ったクラスが提案されました。?マークは残りつつも、このどこまで本気なのかわからないテンションに、だんだんはまっていきました。その日のクラスは、「Found Class(見つけた物を何でもクラスにしてしまう)」がテーマだったようです。
2 日目には、他のスタジオにクラスを見学しにいき、「空間に起きる現象としてクラスを観るクラス」をジェニファーは提案しました。それ以後は、毎回、少人数グループに分かれての、自己実践型のワークショップが、出入り自由な雰囲気の中、進められました。このワークショップの醍醐味は、いかに、いいクラスを考案するかではなく、あくまでアート作品としてのクラス、というところにあるので、グループで誰かが提案したクラスを試していても、いつのまにか、その行為自体がパフォーマンスになっていたり、誰が教える側で誰が受ける側かが全く区別つかない状態になったり、クラスとして機能しなかったりと、刺激的な混乱が毎日つづきました。

最終日のプロジェクトとして、私のいたグループでは、「ヒエラルキーをくつがえすクラス(誰が指導者かをどんどん曖昧にしていく)」「ピンクで身体を認識するクラス(ピンクの服を身に着けて、鏡のある狭い部屋に一人ずつ入り、自分の身体がどうピンクで影響されるか実験)」「鏡を使ったセルフティーチング(鏡にうんと近づき、インストラクターの指示で、自己暗示をかけながら奥深くに眠る自己愛を動きに変換していく)」「架空の歴史を体験するクラス(建物をツアーしながらマイクを渡された人が即興で、その場所の嘘の歴史を語る)」が行われました。私は、「クラスを観るコンポジションクラス」というのを提案し、次のようなルールを設けて、他のクラスを観ながらデッサンを行い、後にそれを組み立てて絵を描く、というクラスを教えました。ルールは、たとえば、鏡を☆マークに置き換える、講師が言ったGoodの回数だけ矢印上向きを置く、Yesの数だけ花を置く、クラスのフォーマットをラインで描く、使っている音楽を動物に例える、クラス全体の雰囲気を人物に例える、などです。傍からみると、完全に笑ってしまうようなことをやっているのですが、それを真剣に取り組みフィードバックを行うので、楽しくてしょうがありませんでした。このような突拍子もないところから、アートって始まるのだな~ということを身にしみて学んだクラスでした。

次回レポートでは、ImPulsTanzで気になった公演や事柄を、まとめとして、報告したいと思います!

[にしむら・みな|ダンサー・振付家]

ジェニファー(中央)と受講生

  1. Movement ResearchBackNY、ジャドソンチャーチでのパフォーマンスシリーズ、ワークショップシリーズMeltなどを組織している。http://www.movementresearch.org/
  2. サラ・セー Sarah SzeBackhttp://www.sarahsze.com/
  3. InpexBackhttp://www.inpex.se/