Body Arts Laboratoryreport

公演とイベントレポート Part 2

Boris Charmatz(ボリス・シャルマッツ)
ワークショップ公演《All Cunningham》

この作品は、Choreographers’ Ventureとよばれる2週間のワークショップの間に、受講生と共に創られたもので、マース・カニングハムの半生を多くのダンス写真とともに描いた本、”Merce Cunningham: 50 years”のイメージを使って短い期間で作品を創る、というボリスの実験的コンセプトを実現したものです。

このアイデアを使ったワークショップを、ボリスは、ベルリン(ドイツ)、セイント・ナザレ(フランス)でもすでに行い、大成功に終っているということ、また、ImPulsTanz フェスティバル開催中にマース・カニングハムが亡くなったこともあり、一体、作品としてどのようなものになるのか、多くの人の関心を集めていました。

公演がはじまって、まず目にとびこんできたのは、カラフルな総タイツに身をつつんだ、背格好バラバラのパフォーマー(=ワークショップ受講生たち)です。カニングハムのカンパニーといえば、たしかに、総タイツのイメージが強いのですが、アクセントで、豹柄の、レッグウォーマーを腕に巻く男の子がいたり、こんなに総タイツがポップになるのかと思うほど、かわいらしい光景でした。カニングハム・テクニックは特殊で、訓練されたダンサーがやるイメージですが、ダンスほぼ未経験者の参加者もいる中、そんなことはおかまいなしに、個性豊かなパフォーマーたちが、次々に舞台に飛び出しては消え、音楽もまるで、iPodのシャッフルを流しているかのようなランダムさで、予測不可能な分、最後まで勢いがおとろえない作品でした。ライトや音楽も含め、細かい部分での遊びにも、ユーモアを感じました。

このように、”Merce Cunningham: 50 years”という媒体を使用することで、ダンス・トレーニングの経験がなくとも、身体表現に興味のある人たちと質の高い作品を提示することを可能にしている、ボリスのこのプロジェクトは、今後も、世界各地で行われていくのではないかな、という予感がします。

Xavier Le Roy(グザヴィエ・ル・ロワ)
《Le Sacre du Printemps(春の祭典)》

ダンスにおける新しい価値、視点を非常に説得力のある作品で提示しつづけている、グザヴィエ・ル・ロワですが、今回私は、彼の秀逸な2作品を観ることができました。

まず、《春の祭典》は、お馴染みストラヴィンスキーの壮大な曲を使って行われるのですが、グザヴィエが何をするかというと、ひたすら、指揮をするのです。Sir Simon Rattleという有名な指揮者のコピーだそうです。客席には、ライトが当たり、私達にむかって、全身を使ってリアルに指揮をしてくるので、観客はオーケストラの一員になった気分になり、私は、チェロ辺りの位置かな、と棒を振られるたびに、そわそわしました。指揮者を間近でじっくり見たことがない私にとっては、純粋にダンスとしてみても、美しく、面白いなと思ったのですが、この作品のもつ、挑発性のようなものに、特にひきつけられました。観客は、受身でくつろいで、楽しくこの作品を観ることは許されないし、聞きなれている《春の祭典》も、今までと違った聞き方をしてみろ、と突きつけられているような気がしました。

終演後、作品の第2部のようなかたちで、アフタートークが設けられました。少数の観客しか残りませんでしたが、一般のお客さんの中には、素朴に、「指揮者のコピーをみるだけなら、私は、一体あなたの何をみに来たのか」と、不快感を表すコメントを投げる人もいました。それは、当然出るはずの意見で、そこを敢えて作品としてもってきているグザヴィエをすごいと思うのは、やっぱり一般的ではない少数派の意見なのかな~としみじみ考えてしまいました。観客は何を期待してダンス公演をみに来るのか、というコンテンポラリーアートの存在価値にもかかってくる重要な議論を、アーティストと観客が一緒に考えることとなった、有意義なアフタートークでした。

photo
Katrin Schoof
Special Thanks to
Bellyflop Magazine

グザヴィエ・ル・ロワ《Self-Unfinished》

《Self-Unfinished》

真っ白い空間に机を一つおいただけの、シンプルかつ無機的な空間で繰り広げられるグザヴィエのソロ。客入りですでに、椅子に座って淡々と時間をやり過ごしているザビエは、細身ですらっと背が高く、まるで事務所で座っている建築家か、デザイナーのような神経質な雰囲気も少しかもしだしているので、とてもダンスが始まる感じではありません。観客が席に着き終わり落ち着くと、グザヴィエは「シューシュー」と、ロボットのようなノイズを吐きながらガクガクと立ったり歩いたりの行為を始めます。クールダンディーな風貌のグザヴィエが、その行為をあまりにも自然に行うので、奇妙な行動にも関わらず、グザヴィエの日常生活を見ている気分にもなりました。その後、ザビエは着ている黒い伸縮性のある服を伸ばしたり、ずらしたりしながら、器用に、トランスフォームしていきます。目の錯覚で、何を見ているのか、だんだんわからなくなっていく中、ザビエの上半身は消え、股から下だけが部屋を歩きまわったり、今度は、その「股から下だけ人間」が2人になって押し合いをしたり、かと思うと、真っ裸のザビエがぽつんと、机の下にいたり、まるで、日常のささやかな風景といった具合に、無音の中、グザヴィエの静かな遊びがつづきます。身支度を整え、またクールダンディーの姿に戻ったグザヴィエは、帰り際、隅にあったラジカセをオンにすると、ダイアナ・ロスの”Upside Down”が軽快に流れ出し、爽やかな空気の中、作品が終ります。

私が観劇したこの夜は、大嵐のような暴風雨で、ほとんどの観客がずぶぬれになった服を劇場に干して、寒さにぶるぶる震えていましたが、そんな状況を忘れてしまうほど、夢中になれる作品でした。

[にしむら・みな|ダンサー・振付家]