Body Arts Laboratoryinterview

prev 1 2 3

4.

NoismとBAL

[穣さんから我々に対してのインタビューからはじまる。]

金森 広太さんたちのやろうとしていることは、どうなるんでしょうかね?

山崎 僕のベースはニューヨークです。それで客観的に日本を見れるし、いかに日本のダンス環境がまずい状態であるかも把握できます。同時に、日本の現状に疑問を持っている人たちが出はじめていて、その突破口になればいいと思っています。それができるのは僕しかいないのではないかと。実際のところ、できるかどうかわからないですね。少しでも日本をよくするにはこの方法しかないのかな、と。

金森 実行委員は何人かいらっしゃるのですか?

山崎 それもほぼ少数の友人関係なのです(笑)。でもこの偶然性は必然に繋がる予感がします。通常、ほんの小さいところから何かが生まれ、それがエランビタルし、歴史が動くのかもしれません。理想は、フランスの国立のダンスセンターのようなものを目指しています。でも無理ですよね、この日本の現状じゃ!(笑)

金森 いやー無理だとは思わないよ! 広太さんのやろうとしていることとNoismのやろうとしていることは、ある意味対局にあって、それは文化や社会が成り立つうえで、必ず必要な対局であるわけですよ。ただ、Noismが唯一だということと、広太さんたちもはじめたばかりで、しかも日本のアーティストからの反応がないことを聞くと、前途は多難というか……。
可能性としては、Noismのようなカンパニーがいろいろな都市にあって、そうしたカンパニーの活動ではなく、もうちょっと単体で集まっていこうじゃないかというエネルギーがギュッて起こるとか。皆そうやって集まっているなかで、そうじゃないだろうと集まる単体が出てくるとか。またNoismのような劇場ができて、その人たちへのコミュニティのようなもので何かを考えるとか?

山崎 社会現象としてですか?

金森 社会現象として皆が集まる必要性はあると思うのです。

山崎 小劇場ブームのときは、誰もが役者になる夢を見て、そういうエナジーで、無秩序的に小さいカンパニーが立ち上がった。その現象そのものはいいと思うけれど、いまはそういう時代ではないです。

金森 1960年代に舞踏が出たときも、もちろん社会的背景が絶対的にあって、いま皆が単体ではじめようとしているエネルギーとは全然違います。いまの日本は、ブワーッとダンサー人口が増えているから、ダンサーをもっと切らないといけないと思う。これもまた波風立つのだけれど、もっと特権性やルール、システム、ヒエラルキーみたいなものをわざと作らなければいけない。それをしたら、またそれを壊そうとするエネルギーが生まれる。いま「何に対して」のことがなく、皆「自分」でしょ。現在、社会に対して意識し、ダンスとして表現している人はいますか?

山崎 僕が試みたいのは、いま活躍している方との対話を通して、お互いを知り、リスペクトし合える関係から新しい指針を生み出すこと。それから、まだ芽が出ていないアーティストに、どうしてダンスをしているのかなど根本的なことをもっと厳しく突き詰めさせ、なおかつ、いくつかの創作プロセス重視のプログラムを提供し、新しいアーティストを生み出すためのシステムを作ることです。

金森 同年代のダンサーで日本に帰ってきて活動している友達が、今後の展望についてすごくドライに話したことは、稽古場を開いて、いろんな人たちを教えて月謝で生計を立てて、年に一回、好きなことができればと。それを聞いたとき、すごく悲しかったし、怒ったのね。なぜかというと、それはそうだし、皆そうしなければいけないんだけど、自分の父親がそうでしたから。父親が稽古場を作って、そこではじめていますからね。家族が食べていくために、おばさんたちにエアロビレベルのジャズダンスや、小さい子供にバレエを教えたりする、そのなかに自分がいた。そうやって、生きていくために必要なことはあるのだけれど、でもそのことと、社会を変えるとか、文化レベルで活動するために本当に必要な人たちや必要なトレーニング、必要な場所とは全然違う。だからこれから必要なのは、行政もそれをタイアップすることです。僕自身の勝手な希望として、広太さんみたいに、勝手に集まる人が出てきたときに、集まった責任の所在として、しっかり選んでほしいということがあります。民主主義は来るとこまで来ちゃったということでしょ。

山崎 日本は共産主義のような感じですよね。

金森 だから難しいですけど、ひとりではできない対話をして集まって、その人たちで本当に状況を変えるのであれば、その次の世代を考えたときに、すっごいフォーカスして選んだ子たちを絶対育ててあげるという責任を持って何かを費やして欲しい。その間口が広がれば広がるほど、結局、コンクールと同じというか。セゾンにしてもトヨタにしても――コンクール制度には疑問あるにせよ――ひとり振付家を出して、もし助成をするとしたら、もう20年単位で助成してよ!と言いたい。3年後に平等にするために、次の人、次の人と助成して、セゾンはいろいろな人たちに援助して満足かもしれないけど、3年で助成を打ち切られた人たちは、その後活動できなくなるわけでしょ。その責任はどう取るの?と言いたい。だから企業にしてもアーティストにしても行政の人にしても、人を選ぶポジションについた人は、責任を持ってちゃんと選ばないといけないし、嫌われても泣かせることになっても、はっきり選択していかなければ駄目じゃないかと。皆に平等にするためには、助成なんて誰も出さないし、予算は限られているわけでしょ。たとえばNoismにある予算で、皆食べられなくてもいいから30人のカンパニーにしようと思ったら、できるんですよ。皆がバイトしなくてもいいようにしたかったから、10人にしているんです。だからこそ、選ばれた人たちは頑張らないといけないし、自分も選んだ責任として厳しくしなければいけない。(沈黙)

振付作品に出演すること

西村 穣さんは、いまでも自分の作品で踊っていらっしゃるのですか?

金森 自分の作品では数年踊っていないです。2009年から、自分の作品に踊りだそうと思っています。

西村 やはりその辺は、ダンサーをされてきた方なので、自分がカンパニーのなかに入って、しかも一員として踊ることは難しいと感じますか?

金森 もちろん、カンパニーを作って自分も若いですから、同年代の人たちの集まりのなかで、ディレクター/振付家/ダンサーの三つの草鞋を履いていることは自分にとっても難しいし、皆にとっても難しい。それは一つの現実としてあります。でも自分の作品を踊ることに関して、自分がそもそも振付をはじめたときから、自己表現としての振付をはじめていないので。要するに、自分がこういう動きをやってみたいというふうにはじめていないのですよ。

西村・山崎 あー(西村・山崎、少し靄が掛かっていたものが消え、お互い納得)。

金森 だから振付というのは、その行為として、そのダンサーのために、そのダンサーと一緒に創るものだという意識が、18歳で振付をはじめたころからあります。日本に帰って来たころから、何で踊らないんだと何度も言われて、Noismを立ち上げたときも、嫌々踊ってたんですよ。

西村 あっ、そうなんですか。

金森 自分が出ちゃうと客観性がないし、日本でよくあるケースで、自分が振り付けて一番いいところで自分が登場なんて、それがすごく嫌で、違和感があった。それで一回、もう自分の作品には出ないと退いたんです。自分はそのために創っていない。そうしていま、今年から踊りはじめようと思っている理由は、もちろん、ダンサーとして踊れるうちに踊りたいこともあるんだけど、皆に対して、踊ることで教えてあげることがまだ山ほどあると思うからです。自分が踊らないで、もっとこう、もっとこうと、してあげられることをしてきたんだけど、どうしてもその一線を超えていないような気がする。それで、さっきの同じスタートラインでゴーと言ったときに、言葉じゃなく、舞台上で自分が教えてあげられることは必ずある気がする。それを皆に教えてあげたい。と同時に、自作自演って何だろうということを考えたいなと思いはじめた。自分に自分を振り付けることは、どういうことなのだろう。それをしてきていない。振付を自作自演からはじめるのとはベクトルが逆なんですよね。

西村 面白いですね。それで客観的に自分が見られるのでしょうね。

金森 いやー、自作自演になったらわからないですよ。その客観性がどこまで保てるかわからなくて、自分で良しとしてしまうか、自分がやりたくてやっているのか、どう見えているかとか……。そのプロセスがどうなるのか未知の部分で、チャレンジとして今年からやりたいなと。

西村 楽しみですね。

山崎 振付家が出ていると、お客さんは振付家を追ってしまう。僕はそこが嫌ですね。

金森 振付家が動きを創るときに、その動きは自分の身体から出ているわけだから、もちろん自分が一番わかっているに決まっている。振付をそういうふうに捉えたくない。その動き=身体を、単に自分が振り付けて踊ることで創るのではなくて、創ることは見ることでもあるので、見て、こうして、こうして、という試行錯誤のなかで、その身体が一番光り輝く美しい状態にもっていく動きや、それをもっとも表現できる方法論を考えることが振付家の仕事だと思う。同時に、演出家の仕事だと思う。

山崎 創るプロセスはムーブメントが最初ですか、それともコンセプトが最初ですか?

金森 場合によりけりですね。自分で全部振り付るときもあるし、システムを与えて皆で創ってもらうときもあるので、いろいろゴチャマゼですね。

西村・山崎 すごいですねー、いやーしゃべるなー(笑)。

山崎 本当に良かったです。いままで何人かの振付家と会っているのですが、皆さんの考え方が違うことを認識することが楽しく、そして皆さんからエナジーがもらえます。お世辞でもなんでもなく、生きていることが素晴しいと感じるときです。ありがとうございました。
[2009.1.8/りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館にて]

構成=山崎広太/西村未奈


金森穣Jo Kanamori

舞踊家、演出振付家。りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館舞踊部門芸術監督/Noism08芸術監督。劇場専属舞踊芸術集団Noismを率いる。ルードラ・ベジャール・ローザンヌにて、モーリス・ベジャールらに師事。ネザーランド・ダンス・シアターII、リヨン・オペラ座バレエ、ヨーテボリ・バレエを経て帰国。自らの豊富な海外経験を活かし、革新的なクリエイティビティに満ちたカンパニー活動を次々に打ち出し、そのハイクオリティな企画力に対する評価も高い。2003年朝日舞台芸術賞、平成19年度芸術選奨文部科学大臣賞、平成20年度新潟日報文化賞ほか受賞歴多数。

http://www.jokanamori.com


インタビュー後記

インタビュー前、金森穣さんといえば、私のなかでは、厳しい人、孤高の人、という強い印象がありました。広太さんと穣さんが、一体どんなふうに会話をするのか、想像しがたく、二人のインタビューに立ち会うことは、怖いものみたさに似たスリルがありました。広太さんが新潟県出身の一方で、譲さんは新潟を拠点に活動されていたり、広太さんのカンパニーで踊っていたダンサーが、穣さんのNoismでも踊っていたりと、アーティストとしての方向性は、ほぼ対局ながら、不思議なつながりがある二人だなと感じました。そして実際、穣さんにお会いしてみて、とにかく、その切れと、情熱と、エネルギーに引き込まれました。頭を刈られていたせいもあるのですが、責任と覚悟をもって大きな集団を率いている人しか持ちえない、戦国武将オーラが全身から放たれていました。作品を創る振付家であると同時に、新潟市の劇場専属カンパニーの芸術監督として、率先して行政に加わり、状況を自発的に動かしていく、その確固たる行動と同じく、穣さんから溢れ出る言葉は、どれも迷いのないものでした。

また、インタビュー後、Noismのリハーサルを見学させていただきました。貴重な機会に広太さん共々、大興奮でした。二人一組になってのコンタクトの稽古中でしたが、穣さんとミストレスの井関佐和子さんが、一組ずつ、丁寧に、何度も何度も納得のいくまで指導を続けていました。広太さんは、隣で感嘆の声をときどきあげながら、「僕ももうちょっと徹底して練習しなきゃだめですね~」ともらしていました。自分たちが指導を受けていないときでも、ダンサーたちは自主練習や、研修生への指導をおこなっていて、研修生の存在が、よりいっそう、リハーサルの緊張感を保たせているような印象を受けました。「動」のエネルギーがリハーサル室いっぱいにみなぎっていて、穣さんが引き受けた責任を、ダンサーたちも一緒に背負っていくという気迫を感じました。スタジオを後にしたときには、「すごかったね~、かっこよかったね~」と、小学生のような感想を連発してしまいました。

インタビューに立ち会って、穣さんがNoismで、広太さんがBALでそれぞれやろうとしていることは、ほとんど対局にあることを認識しつつも、両方の真摯な言葉と姿勢に心の底から共感している自分がいました。穣さんも少し触れられていたように、これは文化のなかで、絶対に必要な対局なんだな~と。それと、今まで、ちょっと遠い存在だったNoismなのですが、譲さんの志を知った今、次の機会は絶対に、新潟のりゅーとぴあまで、Noismの公演を観に行きたいな、と思いました。(西村未奈)


りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館の藤原由貴氏にご協力いただきました。
ここに記して感謝いたします。

prev 1 2 3