Body Arts Laboratoryinterview

盆踊りの仲間たちとコミュニティ

福留 それにしても、コソ練部、凄くたくさんの方がいらっしゃってるじゃないですか(公民館港区には各エリアに『いきいきプラザ』という名前の元社会福祉会館があって、町会や老人会だけでなく、趣味のサークルの人たちが部屋を借りられるようになっているので、様々な練習会や教室が開かれています。その体育室のようなところに、60~70名くらいの方が集まっていました)。どうやって集まるんですか?
 
北島 あれは、定期的な開催が決まっていて[*1] 口コミよ。

福留 すごいですね。

北島 あれに関してはね、私が婦人部長になって15年近いんだけど、後半10年くらいはやってるよ。最初は、毎月1回ってほどでもなかった。もう少し、盆踊りの時期だけというか、盆踊りが終わったら少しお休みして、1月2月にまた始めましょうっていう感じだったけど、通年になったのは、人がいっぱい来始めて、「また来月やってくださいよ」っていわれたりして。「そうか、やろう」って。

福留 4月とかでも、めちゃくちゃいっぱいいて。本当に口コミだけであんなに?!

北島 そうだよ。あと、盆踊りの近くになると、町会の掲示板にポスターは貼る。でも町会だけ。あと多分、ブログとかで書いてくれるんだと思う。SNSの力は大きいから。

福留 けっこう、振り付けの細かい説明とかせずにダーーッと踊るじゃないですか。あれもすごいスタイルだな、と思って。

北島 そう、説明をするよりも、見てよ。っていうのがあるの。

福留 いろいろな中心メンバーの方がいらっしゃいますよね。目立っている男の方とか。

北島 そう。彼は高校生なの。ご当地盆踊りの難しそうな振り付けはみんな彼が振り付け。

福留 えー!そうなんですね!

北島 昔の踊りを発掘しても「振り帳」っていって、振り付けカードがついてないものがあるのよ。そういうものは新たに、振りをつけるわけ。それのほとんどを、彼が担っているの。彼は、日本舞踊を3歳からやっていて、港区の天才少年っていわれてるの、港区の中では有名よ。佐藤匠。やっと18になりました。あの子の踊りはうまい。

福留 でも本当に色々な曲がありますよね。ZARDの「負けないで」とかびっくりしました。

北島 あれは、また別の子が振り付けたんだけど、港区のシティハーフマラソン用に作ったの。シティハーフマラソンは、御成門の交差点で朝8時から3時間以上踊りっぱなし。マラソンは8時半からなんだけど、寒いし踊ろうよって言って8時に集合した時から踊り始めるの。御成門の交差点は、マラソンコースでいうと、ランナーは3回通るのよ。私たちはその間、ずーーっと踊ってるの。マラソンの応援がしたいとお願いしたら港区から「場所どこがいい?」って言われて、「御成門の交差点がいい」って言って。

福留 マラソンで踊るっていうのは醍醐味みたいなものはあるんですか?

北島 私自身、実はランナーで、最近はロードより山ばっかり走ってるんだけど、東京マラソンとかに出た時に、沿道の応援が後押しするのよ、残り10kmとかは。うわ、足痛い、とか、ちょっと厳しいってなっても、実際に、「負けないで」とかサンプラザ中野の「ランナー」とかああいうのがちょうど、30kmとか過ぎたあたりからかかって、それで頑張れる、みたいなものがあって。

福留 へー!いろいろな活動が、北島さんにとっても切実な理由と結びついて成り立ってるんですね。さっきお話しされていた、「核となる人がいるから成り立つ」っていうことが、なんとなくわかる気がしました。

北島 そう、核がいないとダメだよね。そして、核は1人じゃだめ、1人じゃできない。

福留 そういう核の仲間たちのみなさんとは、どうやってつながっていったんですか?

北島 盆踊りの会場とかで。みればわかるっていうか、「あ、またいるな」とかね。声かけあったりしながら、「次どこ行くの?」とかって話したりしながら。夏になると色々な場所で盆踊りをやってるから。

福留 コソ練部でも、東京盆踊り情報の情報を見て来ましたっていう方がいました。盆踊りの練習会をはしごするのよ、と言ってる方とか。

北島 はしごの怖さは、どこかの会場で踊って別会場にいくと、どこに行っても東京音頭ばっかりだった。みたいなことがあるのよ。だから上手にそこは組み立てたり、知ってそうな人に聞いたりしないとダメなの。だから盆踊りの人たちは結構顔見知りが多いかな。

福留 盆踊りコミュニティみたいなものがあるんですね。

北島 そうなの。

福留 最初町内でやっていたところから……。

北島 町会の盆踊りとは別の盆踊りの会ができて、港区の埋もれている古いご当地盆踊り曲を掘り起こして保存継承ってことで踊るようになって。それをコツコツ毎年積み重ねていて、いわゆる持ち出しがすごく多い中でやってきていたら、色々な流れで港区と共同開催の盆踊り大会になったの。それで、私たちは、作業所の方とか、障害の方とか、高齢の方、そういう方とも一緒にやりたい、巻き込みたい、実際に巻き込んでいってるというのがあって、おいでよおいでよ、って声をかけると、盆踊り大会に来てくれるのね。何かやりたい、外国人も、高齢者も、障害者もこどももみんな巻き込みたいって思っても、実際に巻き込めるものって少ないじゃないですか。ましてや、そこから派生して、発災時の共助・協助、共同に助け合えるというところに繋げられるのって、他にないって区の人からも言われて。

福留 発災時の共助っていうのは、確かにそうですよね、目から鱗でした。

北島 だって、いつ自分がどこにいる時に、地震だってくるかわからないじゃない。その時に、その地域の広域避難場所に行って知らない人ばっかりだったらちょっと不安じゃない?それは子供だけじゃなくて大人だって同じように不安。だったらみんなで盆踊りに行って、顔見知りになってれば、「あのおばちゃん、盆踊りにいたおばちゃんだ」とかってなっていったら、色々なことが違ってくる。

福留 なるほど。本当にそうですね。

盆踊りの歌詞、港区の暮らし

北島 あと今年度(2019年度)やろうとしているのが、「歌詞ブック」を作ろうとしています。盆踊りの歌詞の本。それはものによっちゃ、言葉が今の言葉じゃないので、何言ってるんだかわからないのもあるの。詩吟みたいだったり。だから現代語訳も必要だし。それと、その歌が生まれた背景も歴史の記録としていれられたらいいと思っていて。港区のまさに伝統、芸術かどうかはわからないけど、庶民の大衆文化。どんなに高級な、なんとかダンスか知らないけど、私たちは、もっと庶民レベルで、庶民の暮らしを残していきたい。そこなんです。発災時の共助も完全に「暮らし」。庶民の暮らし。そこが大事かな、と思うわけです。
もうひとつ作ったのが、麻布に特化したんだけど、麻布の坂を羅列した踊りを作ったの。「麻布坂径小唄」。本当は、港区の坂で作りたかったんだけど、坂が多すぎて10曲くらいできる量になっちゃって。麻布だって、全部で坂が120いくつあって、これは入りきらないってなって、3割くらいカットしたかな。でもそうやって残していけるじゃない?坂道の名前も。

福留 すごくいいですね。アフガニスタンのダンスを東京タワーで見た時に、大使館の方と、日本人でアフガニスタンダンスを踊っている方がいらして、日本人の方にお話を聞いたら、まず最初に、アフガニスタンの音楽に出会って、すごくいい!と思って踊りに入っていったらしいんですよね。でも、アフガニスタンっていう国の名前だけ聞くと、ニュースでみる、大変な国、というようなイメージをその方自身持っていたけれど、踊りを通じて、実際に国を訪れたり、音楽とか生活を知って、当たり前だけど、普通に食べて、笑ってっていう生活を見て行く中で、全然印象が変わっていったそうなんです。その感動があったので、踊ることで、色々な人にそういうことを知ってもらいたいと思ったそうなんですね。それを聞いて、それって、踊りの持つ大きな可能性の一つだよな、と思って。
そういうことを色々な踊りの方々、地域の先輩それぞれに、発信してもらったら、踊りの背景とともに、共通点が見えて来たり、東京の中のこの場所だから、地域だから、ということにもつながるのかな、と思いました。でも、防災のことっていうのは、私は思い至らなかったんですけれど、究極的に地域のことですよね。

北島 そう。常にそういうことをみんなが考えながら、地域で暮らしていかなければいけないと思うの。

福留 その意識っていうのは、地域に長く携わったり、お子さんを育てる中で、培われたんですか?

北島 学校が本来発信するし、町会も発信する。だから町会には入って欲しいし、少なくとも町会の掲示板は見た方がいいよ、って思う。

福留 そうか、その意識、東京に暮らしていると薄いかもしれないですね。自分も含めて。

北島 そんなのよ。昔は回覧板が回って来て、っていうのが普通にあったけどね。

福留 私も子供のころありました。

北島 町は特に、昔から住んでいる人が多くて、私が20年前くらいに越して来た時も、当時の盆踊りのトップの方が家の裏に住んでて、声をかけてくれたの、「ねえねえ町会入りなさい」って。そこから始まっていったの。私も今は、近所の人とかに「町会入ってね」って言って。めんどくさがる人もいるけど、母子家庭の人なんかは結構入ってくれるかな。何かあった時に助けてくれる大人がほしいって。

福留 たしかに、でも東京でそんなに強い地域のつながり、珍しくないですか?

北島 そう言われることは結構ある、霞町って独特じゃない?って。でも、このあたりは割とそう。六本木とか、ミッドタウンの前とか、そんな感じ。町会同士の繋がりも、このあたりはある。

福留 港区とか、六本木っていう表面的なイメージとちょっと違いますね。

北島 この界隈でいうと、やっぱり町会同士、特に婦人部と婦人部の繋がりは盆踊り。代々、霞町の人が他の町会に教えに行くっているのがあったので、今も私たちは、教えに行ったり、音頭とらせてもらってる。六本木ヒルズの夏祭りが、8月の終わりの週末にあるんだけど、そこで櫓の上で踊ったり。赤坂アークヒルズの盆踊りも練習会や曲決めから関わってるし。

福留 なるほどー。そういうときって、地域の方がいらっしゃるんですか?

北島 もちろん地域の人たちだけじゃないし、海外の人たちも。

福留 へー。練習会も色々な方がいらっしゃいますよね。すごく真面目そうで、ぱっと見、踊りっていうイメージとは遠いような厳格そうな紳士の方とか。もしも、電車とか職場で会ったらちょっと怖いって思うかもしれないけど、踊っているのを見ると、無表情だけど楽しそうで、曲と曲の合間に、「いやーこれはちょっと難しいな」とか呟いたりしてらして、そういうのがとてもいいなー、と思って。

北島 そう、あの方はたしか、遠くからいらしてる。東京だけじゃなくて、埼玉とか、藤沢とか、色々な場所からいらしてる方もいる。

福留 かなりご高齢の方もいらして、盆踊りって年齢問わず踊れるよなーと、改めて思いますね。

北島 霞町で一番のご高齢は、85歳。

福留 途中で掛け声をかける着物の女性もパワフルですよね。

北島 彼女はアメリカ帰りで、今は浅草でかっぽれをやってるの。彼女はご当地の仲間に引っ張り込んだ。あの掛け声にほれて。

福留 あの掛け声いいですよね!こちらの気持ちもぐっと高まって。踊りもいろいろですよね、じゃんけんやる踊りとかもあって面白かったです。

北島 東北音頭ね。あれは、もともと3番くらいまでの歌詞があって、東北大震災のあとで、震災復興の歌詞を募集して、それがくっついて、最後にじゃんけんぽんっていうのが入ってるの。

福留 あのじゃんけんで、結構、周りの人と交流がうまれて、いいですよね。

北島 そうなのよ。あれは、東北復興のことがあって、じゃんけんもついた踊りだそうなの。じゃんけんすると、交流もうまれて、笑顔にもなるじゃない。

福留 そうだったんですね! 練習会、いろいろ楽しかったです。ずっと曲がかかってて、踊り続けていると、ちょっとトランス状態というか、クラブみたいな感じになりますよね。

踊りの原点

北島 そう、盆踊りは「青空ディスコ」だって、私はいつも言ってるの。それ言ったら、娘たちに、「ディスコ?!せめてクラブにしてくれない?」って言われちゃったけど。私、もともと徳島県人で、私の踊りのルーツは阿波踊りなんだけど、3歳から、ずっとやってたの。高円寺の阿波踊りに教えにきたりもしてたし、今も時々教えてるし。ただ、徳島の阿波踊りは、最近は観光のものになっちゃって、こんなつまんないものはない。昔は、どこででも踊って、見てるひとも、一緒になって入って。掛け声も、色々な掛け声があって。ほんとにいろいろあるの。それが、踊りの原点だって思ってるの。みんなが一緒に楽しめる。その中には、ついさっき失恋したやつもいるかもしれない、でも、今はいいじゃない、ここで踊って、いっとき忘れて、また明日につなげていくっていう。それで、そこで誰かに出会ったら、またつなげていけばいい。それが私の原点。阿波踊りの期間は、家に帰らないくらいずっとそこらへんで踊ってる。太鼓と鐘と三味線と笛のお囃子で。

福留 そうなんですね!さすが徳島!リサーチでアフリカの大使館の人も、どんな時に踊るんですか?って聞いたら「どことかじゃなくて、音楽が始まったら踊りだすよ」って言ってました。

北島 本当にそうよ。

福留 それって、本当にいいですよね。私自身は、舞台があって、客席があって、という場所でダンスを踊るっていうのがどこかで基本にはなっているので。

北島 それって「見せる」ダンスでしょ? 私たちのは「楽しい」ダンス。「楽しむ」。

福留 そうですよね、私も、劇場から出て、街とか外でダンスを踊るっていうことをしていくうちに、ダンスは「舞台」だけのものじゃない、ダンサーだけのものじゃないっていうことをどんどん思うようになっていて。「一緒に踊る」っていうところまでいけることはそんなにはないのですが、たまに踊りだすおじさんがいたりもして、その時の嬉しさっていうのがとても大きくて。その一緒にっていうのって、ひとつの理想の形だな、ということを思って。

北島 私たちも「舞台」で踊る時もあります。でも舞台って「見せる」踊りじゃないですか。それが果たして、自分が本当に楽しくやってるかっていうと、果たしてそうか?っていうのがあって。見てもらって、「よかったよー」って反応が返ってきたりもするけど。でもそこらへんで踊るのは、自分が楽しければいいじゃんっていうのがあるから。一緒にたのしくやろうよ、愉快に暮らそうよっていうことに繋がっていく。それがモットーだから。そういうことを伝えたいよね。私は、がん患者だし、夫とも早く離婚して、1人で3人の子供育てて。愉快に愉快に育ててたら、かなり変わった子供たちが育っちゃった。自由っておそろしくもあるわね(笑)。

[2019.6.7/東京都港区西麻布にて]

謝辞
本稿の掲載にあたり、放課後ダイバーシティ・ダンスにご協力いただきました。記してお礼申し上げます。


北島由記子Yukiko Kitajima
人と地域を元気にする盆踊り実行委員会主宰。西麻布霞町町会理事・婦人部長、港区観光大使。港区の、庶民の生活に根差した古いご当地盆踊り曲を発掘し、保存継承し続け、既に45曲を復活させる。また、新しくできた街の人と人の絆を深めるためのツールとして『高輪Gateway夢拍子〜二十六夜待ち〜』『竹芝絵巻―時空を超えて―』他新たに制作。盆踊りは踊りの輪に入ると踊りを通じて見知らぬ人と会話する機会が増える。ひいては地域に顔見知りが増え、発災時の共助、協助にも繋がる。盆踊りは地域の力を掘り起こす大きな原動力になる。

福留麻里Mari Fukutome
ダンサー・振付家。ダンスのはじまりや、ダンスになる手前にある可能性を探り、いくつものやりとりから生まれる感覚や考えや動きを見つめながら、様々な場や状況、人と共に踊っている。最新作は、小さな記憶や物語の宿る媒体としての10秒前後の振付を採集し、思い出し忘れ変化し続ける作品「まとまらない身体と」。2019年より、毎日をからだで遊ぶための言葉のレシピプロジェクト「ひみつのからだレシピ」(BONUS木村覚との共同企画)をスタート。2020-2021年度セゾン・フェローⅠ。2020年より山口県在住。

  1. 練習場所、開催頻度、練習曲目などは現在の活動と異なります。Back