Body Arts Laboratoryinterview

左:aokid
右上:福留麻里
右下:山崎広太

インターメディア

―ニューヨークだとダンスはどういう立ち位置なんですか?文化の中で。

基本的にアップタウンとダウンタウンとわかれていて、ダウンタウンは、実験的なダンスで、アップタウンはバレエだったり、ミュージカルだったり、モダンダンスだったりですね。僕自身は、ダウンタウンに属しているという感じですね。アップタウンは、さっきも言ったように、大劇場とか、ミュージカル、エンターテイメント、コマーシャルとか。ダウンタウンは、それぞれが独自なものを持って活動していて、そういうものを持っていないと生きていけない感じ。それをみんながサポートする感じですね。でも基本は、ニューヨークは、美術だったり、音楽だったり、それぞれのジャンルがかなり確立しています。日本だったらビジュアルアーティストとダンサーが何か一緒にやったり、結構自由にやる機会は多く持てるかもしれない。でもそういうのがほとんど無く、ダンスはダンスとして確立している。音楽は違うかも? そこが一番の違いかもしれない。

―そこでの交流はほぼないんですか?

あんまりないですよね。多分、それは金銭的なことが関係している。僕もグラントのためにはネームバリューのあるアーティストを選んだりする。報酬がとても高い。しかも劇場と契約して数年かけて作品を作るので、お金がもっとかかる。ダンスは一番文化的に経済的に低く、他のジャンルはダンスよりは遥かに高いので、作品としてのコラボレーションは少ないかもしれません。作品ではないことでの交流は、たくさんあるかもしれません。どうなんでしょうね、例えばニューヨーク・シティバレエが建築家とやったりコラボレーションしているけど、成功しているとは思わない。カンニングハムは全て抽象なので、逆にどんなアーティストともコラボレーションできる。人それぞれですね。日本は、新作を持っていく過程が早くて、日本人同士で緩やかな関係だから、もっと違った、アーティストの関係っていうのができるかもしれないですよね。全然違うかもしれないけど、ニューヨークの1960年代がそうだったように、その頃は色々融合していたから。ジャドソンを中心に実験的なことが多岐に渡って行われていたように感じる。

―えー交流が少ないのは意外! 広太さんが最初にニューヨークに行った2000年ごろも、すでにわかれてたんですか?

もうすでに確立してた。融合がないですよね。

―私とかは、ニューヨークっていうと60年代の、交流が盛んだった頃への憧れとかイメージが強いんです。もう一度東京のことに戻りますが、普段広太さんはニューヨークにいて、こちらに年に1回くるような距離感じゃないですか。あんまり日本のダンスをみたりはしていないんじゃないかと思うんですけど、そういう距離の中で、日本とか東京とか、どう見えていますか?

そうですね、1か月とか長くて数か月とかいたけど、あんまりダンスみてないんですよね、日本のダンスがわからない。行きたいなと思いつつ、そういうジレンマというか。繰り返しますけど、ウェン・ウェア・フェスをやりつつも、アーティストのためのリサーチとかインタビューももう随分やってない。

例えば、この春に村社祐太朗さんの作品を見て、自分なりのフィードバックだったり、そういう機会がもっと多くなるといいですよね、自分自身が。例えば、こういう関係の中で、aokidくんが個展をやっているとしたら行くっていうような関係が増えていく。そういう私たちの仲間みたいなものを築いていくことが重要かなと思いますね。キュレーター制にすれば、4人が関わるわけだから、関係が増えてくるっていうのはありますよね。そこが重要なんじゃないかな。

―ニューヨークだとそういうことが多かったりするんですか?

やっぱり劇場に行くと、ほとんどの人がアーティストだったりするから、やっぱり見にいくことになるんだよね、高いなー、とか言いながら。高いって言っても20とか25ドルくらいだけど。

パブリックスペースとダンス

―少し話が変わりますが、そのようにウェン・ウェア・フェスはアーティストが主体的に、外側から与えられたものじゃなく、発信していくことが大事って言っているのですが、去年、広太さんが、(ウェン・ウェア・フェスとは別の試みとして)街に出ていくプロジェクトのことを提案してたじゃないですか。それは、ウェン・ウェア・フェスのことと、何か繋がりはありますか? 街でのプロジェクトって、アーティストとアクセスするっていうこととはちょっと違うじゃないですか? もう少し広くて、街の、風景の中、例えば電車の中とかにいる閉じた身体に対して、ダンスがもつ可能性というようなことを広太さんは言っていて。そういうこともウェンウェア・フェスに盛り込めないかな、とちょっと思ったりしているんです。そこのところも聞きたいなと思ったりしていて。

それはパブリックスペースでのダンスプロジェクトです。ウェン・ウェア・フェスで、渋谷駅界隈などで「透明なサイトスペシフィックダンス」という企画を行ってきました。多くの情報や通行人に溢れる路上で、見世物として祝祭的なダンスパフォーマンスをするのではなく、風景と同化しつつも、違う志向を持って存在する身体を都市に共存させるという試みです。パフォーマーと都市の風景が映画のように一体化する瞬間があります。それをもとにいろいろな場所で行なおうとする構想でした。

そのプロジェクトも含めて、基本的に自分が動く時って、「これがこうだからこうなる、だから絶対的なものだ」ってあんまりなくて、意外と無理やり感で立ち上げようってところはありますよね。結構、勇気が必要です。でも多分、いままで結構経験を踏まえているので大丈夫でしょう。そこにいく動機には、自分の中で自分のダンスの稽古が意外と地下鉄とか電車の中だったりとか。例えば街の風景見ていると、建築がどんどん壁とかがなくなっていって、ほとんど住居がどんどんガラスだけになっていくような感じ、結構ニューヨークはみんなそう。それがニューヨークなのかもしれない。意外とパブリックと繋がっている。例えば、あるオープンクラスのダンススタジオの下の階が普通にABTだったりする。多分それは無意識的に、私たちがパブリックに対してもっとオープンになるべきだと発してるんじゃないかと思って。

100年後の人類の未来を考えると、パブリックスペースを、如何に共有することができるかってことが、普通に行われるんじゃないかと思うんです。人々が共存する場での可能性ですね。現在の都市は、コミュニティを持たない人同士が通り過ぎることが多いと思うんです。そこに立ち止まって、いろいろな風景を見ていると、多くのことを感じることができる。そこで全くコミュニティを持たなくても、自分で共有し楽しむことができるのではないかと。それが一般的に認識された時に、確実に人類は変わるだろうと確信しているのです。ただこれが観光とかに利用されると、真逆になってしまう。消費されない、私たちだけの見えないネットワークの形成です。だからとても慎重! ダンスアーティストとして無意識的に人類が少しずつ変わっていくことを見つめている感じですか。

―なるほど。去年、そのプロジェクトのアイデアを、広太さんが書いて送ってくれた時に(助成金に応募する関係で、落ちましたが(笑))、ひそかにすごく感動したんです。例えば満員電車で、みんなしかめっ面して、キューっと緊張してるけど、もしかしたらもっとふにゃふにゃしていてもいいかもしれないじゃん、みたいな、そういうことが、社会の中で色々なことが変わっていく、ダンスがもつ可能性なのかもしれない、というか。

あと基本的に、ダンスやっている人はみんなそうかもしれないんですけど、意外とパブリックなスペースで、「今、僕踊ってるんだけど、大丈夫かなー」みたいなことないですか?自分が振付を考えてる時とか。

―あー。確かにそのことにすごく集中してる時とか、そういうことあるかもしれないですね。

あと僕の場合は、ランニングも重要になってますね。

―よく走ってるんですね。

そうですね。

―aokidくんもよく走ってるそうですね。そういえば。

ランニングっていうのは、自分が3歳とか4歳くらいにやった行為をそのままやってるような感じがしていて。それは大人が忘れたものをもう一度、取り戻すっていうことができるような気がしているんですよね。それってすごく必要じゃないかなって気がしていて。

あと、かなり自信がありつつまだやってないんだけど、子供へのダンスの教育っていうのもやってみたいんですよね。ランニングを経由して。面倒くさいからやらないかもしれないけどね。でも相当貧乏になったらやります。

―えーやってくださいよ! ランニングを経由して?ってどういうことですか?

ランニングを通して、ダンスにどんどん傾倒していく感じ。

―走ってたら踊っちゃってたみたいな感じですかね。

本当にこれって子供のムーブメントだな、ってよく思う。もう60近いのに。

―確かに、広太さん子供の動きっぽいですよね。広太さんのダンス自体、子供を意識してますか?子供に見える時とおじいさんに見える時と、混ざってますよね。

僕の作品は、最近はもう老後だから。老いにフォーカスしようと思って。もう年になるとね、目的は老人。

―戻りますけど、ウェン・ウェア・フェスに期待してることってありますか?

やっぱり新しい反応、新しいプロジェクトが立ち上がると嬉しいなって思いますけど。それぞれが出会って。

―日本のダンスもわかれちゃってる感じがするっていうか、私は隅っこの隅っこっていう感じなんですけれど、色々なダンスの人にも遊びに来て欲しいな、と思ったりしてて。こういう人に来て欲しいな、とかありますか?ダンスに限らず。

やっぱり一般の人に興味を持ってもらえたら嬉しいですよね。一般の人に情報をどう伝えるってことが日本は少ないと思うから。そのために今回、みんなで案を出し合って実行しますよね。楽しみです。例えば、ニューヨークだったらニューヨーク・タイムズが取り上げてくれたりするじゃないですか。あと、評論家の人も、それぞれのtwitterとかだけじゃなくて、サイトを作って、そのサイトに色々な評論家がアクセスして何かを書くような場ができるといいよね。

―ニューヨークはそういう評論のシステムってどうなってるんですか?

今回、作品を発表して思ったんだけど、評論家の人がサイトを立ち上げてそのサイトに作品の批評を載せているっていうサイトが結構あるんだな、っていうのを結構実感して。4つくらいあった。

―へー。なるほど。

ウェン・ウェア・フェスもそういうの立ち上げたいって気持ちはあるけど、しちゃいけない。だって、アーティストの行動をサポートすることが使命なので、それをジャッジする人も巻き込むなんて、クレイジー。もうちょっとジャーナリスト方面、静かすぎる、頑張って欲しいなって思っています。ネットとか活用して。

―今回、色々なプログラムをやろうって言ってるから、そういう批評家の人とか、ダンスを言葉にする人にも何かしらの形で何人か参加してもらえたりするといいなと思ったりしていて。そういえば、今回、トラジャルさん[*1] もいらっしゃるんですね。

そうなんですよ。トラジャルは、土方巽をテーマに作品作ったりしてるから、日本での活動をしたいんじゃないかな。

―トラジャルさんはニューヨークでどういう立ち位置で活動してるんですか?

ほとんどニューヨークにいなくて、ヨーロッパの結構メジャーなフェスティバルでやってますよね。さっき、ニューヨークはそれぞれの分野が確立してわかれてるって言ったけど、美術館は、ダンスを受け入れようとしていて、トラジャルは、MoMAと契約していて、2年くらいかなりの資金と時間をもらって、それで公演したりしてるんですよ。その辺りは人脈が関係してたりしますね。アメリカは人脈が絶対不可欠。僕ないから大変。美術館は定期的に、ダンスの企画をしようとしているかもしれない。

  1. トラジャル・ハレル ニューヨーク在住のダンサー・振付家。http://betatrajal.orgBack