室伏鴻|4
Interviewer|山崎広太
Ko & Edge Co.
―Ko & Edgeというカンパニーを作った動機は?
あれは偶さかだよ。JADEインターナショナル・ダンス・フェスティバルの最初の年は、大野先生と笠井さん、元藤さんと大野慶人さんのプログラムで、舞踏を入れていた。JADEの次の年に、土方メモリアルという企画は継続するから何かやりませんかという話を、魁文舎の花光潤子さんからもらったの。私は《Edge》が終わった後でしょ。そのときに、日本の若い人で面白い人がいたからね。
―林貞之君?
林君は、最後に入った。目黒大路君と鈴木ユキオ君をメキシコに呼んだの。それでもう一人欲しいということで、林君が決まった。2003年の暮れぐらいじゃないかな。
―それはカンパニー?
カンパニーというよりもユニット。私のソロばっかりやっていてもつまらないから、そういうのをやりたいなと思ったわけ。若い連中との接触面もあってもいいなと。それが《美貌の青空》だよね。
―なぜ、土方さんの言葉を使うんですか?
土方メモリアルに因んで……。「犬の静脈……」はグループっぽい作品のイメージではないから、自分でやるのに取っておこうかなと(笑)。「美貌の青空」、いいタイトルだしさ。
―著作権は大丈夫なんですか?
オマージュであること。そのときに真鍮板を使うアイデアも出した。男三人が真鍮板を運んできて、叩きつける、担いでたおれる、私に真鍮板が上から一枚落ちてきて踊るステージだったんですよ。
―《肉体の叛乱》は直接には関係ないですか? もしくは、もっと昔の土方さんの、黒い頭巾を被った男たちの裸体がバッと動く感じですか?
そういう感じではなかった。真鍮板=物質との関わりで、どういうふうに動くかなと。初演のときが一番面白かったよね。今、よくなっているんですよ、Ko & Edgeは。《DEAD 1(デッド・ワン)》という、銀塗りにして、逆立ちする作品があります。暗闇にジミ・ヘンドリックスの「パープル・へイズ」が響いてね(笑)。
―肛門が一番上になっている状態の。
最初「吾妻橋ダンスクロッシング」でやったんだよ。そのときは、私も出ていたの。「踊りに行くぜ!!」でも公演した。この前、アメリカのジェイコブズ・ピロー・ダンス・フェスティバルでやったよ。すごくよくなったよ。ジェイコブズのディレクターは泣いてました。
―エラ・バフですよね。
そうそう。それからニューヨークのジャパン・ソサエティで《DEAD 1》ではないものをやった。メンバーの林が辞めたので、岩渕貞太が加わって、痙攣だけの作品をやった。それもよかったですよ。いま3人に力があると思います。正月に行って帰ってきましたよ。
ソロ活動
―今の室伏さんのソロ活動はどうでしょうか?
室伏さん、新しいソロやりなさいよ!と追い込まれないといけない。でも、私の場合は踊るたびに作品がどんどん動いてゆきますね。いつのまにか同じ作品が別物のようになっている。いつも外が作品の内部に風穴をあけているように踊りが成立する。内側の外が作品の外部をよびよせる。そういう意味でも突然即興的な場に立たされるのは好きですね。
―いつも踊っているのは、ほとんど同じ作品――《Edge》と《Quick Silver》ですか?
そうだよ。
―『NYタイムズ』で、いい評価を得たと思うのですが。2、3行だけですが、センスがいいみたいな。それについてはどうですか?
いつの? そんなの読んでないよ。照明をクリシャ・ピプリッツがやっているんだけど、照明はとても洗練されてるよ。でもシンプル。
―《DEAD 1》と《Quick Silver》は似ているんですか?
似てないことはない。いわゆる……どう言ったらいいんだろう。自分の踊りがどういう批評的な言語に置き換えられるのか興味があるんだけど。私が踊るときと、私が振り付けしたものに、批判を受けることがあるよね。ダンサーを結構フォルムとして使っちゃっている部分もあるわけですよ。ほとんど躍らせていないでしょ。
―物体としてね。
逆立ちが縮んで声とか出す、それから起き上がってきて、倒れるだけなんだけど、それで十分見ごたえがあるんだよ。
―何分の作品ですか?
25 分くらい。テンション高いし。滑稽だし、ちょっと残酷。今回の新作の方が、踊りっぽいところがあるけど、ほとんど痙攣です。私のソロでは体が一つ。それには、マテリアルを使うとツアーするのが面倒臭いという理由もあるんだよね。だけど、体の面白さというものもあるわけだから、体だけでテンションをもって作品ができる。だから、ミニマリズムという言い方がいいかもしれないけど、ほとんど装飾物を排して、そして踊り的じゃないと。
―でもバタンと転んだり、喋ったりするんじゃないですか?
倒れることは多いけどな。倒れるの上手くなったよ、Ko & Edgeは。
―今後、年を取るにつれ、体は変わってきますよね。作品は変わりますか?
それはあるでしょう。だけど、今まさに今じゃない。次の作品じゃないかな。
―まだ結構、ガツ~ンといく方向ですよね。
そうかな? ガツーンという沈黙(サイレンス)(笑)。微妙な感じだよね。《Quick Silver》は50分くらいあるけど、そのなかのある要素が膨らんでくるんだろうね。また最後には倒れこみかな。
―倒れるのは、膝曲げないで倒れるんですよね?
いろいろな倒れこみ方で、《Quick Silver》は、倒れこんでいる途中で終わるんだよ。
―女性ダンサーを使う可能性はないんですか?
やりたいんだけど。この前、STスポットの「ラボ#20」のキュレーターをやったでしょ。選択したのは全部女性だったんですよ。
―どんな印象でしたか? コンテンポラリーの方が多いとは思いますが。
室伏がキュレーターということで来ている人が半分くらいいて、傾向が出てくるね。でも舞踏そのもののような人は来なかった。最後に3組アワードを出したんだけど、全体の評判もその辺だったんじゃないかな。女の人とやってもいいな~と思うよね。でも、企画者が忙しいでしょ。私の場合、自然でゆったりとした時間なんだよ。広太の意見を聞きたいよ。ダンス状況をどうしたいの?
―それは膨大なものがあります。アーティスト活動はニューヨーク中心で、日本ではオーガニゼーションを立ち上げていきたいと思っています。後者は、アーティスト活動と違って、明確なことです。
室伏鴻舞踏論
私なんか、もうちょっとしか活動できないでしょ。どういうふうに身をおけばいいのかな~と。あまり悩まないというか……。
―年金はあるんですか?
そんなのないよ。たとえば《Quick Silver》にしたって、40歳くらいまでで済んでいるような踊りだよね。三島ではないけど、45歳で、もうそれ以上踊っているのは醜いものだよと思ってもいたんですよ。知らないうちにこういう歳だ。そのギャップは凄くある。アーティスティックに、どういう踊りを追い込んでいくかということを話せばいいのかな?
―聞きたいです。
自分でも聞きたいよ。新しい舞踏ということではなく、むしろ自分の身体でやってきた舞踏論をさらに研ぎ澄ますこと、室伏スタイルをもっと際立たせていくことなんだろうと思うけど。そうすると、いくつかの方向が見えているんだけど、あとは場所や時間が切り盛りできるかどうかなんですね。Ko & Edgeは昨年バリ島でも踊りましたが、もっと多様な動きがしたい。女性ダンサーという話にかぎらず、もっと遊んでもいいよねと。すると場さえあれば、いくつになっても踊りに関わっても面白いことができるかもしれないとも思う。
―そこです。旅で時々寂しかったりしつつ、この前のインパルス・タンツでは、すっごい評価されたりするわけです。ソロの活動をしていくなかでの、いい部分はどこですか? 室伏さんの孤高性みたいなもの、「ソロがかっこいいんだぜ」みたいな。
それでいいんじゃない?(笑)土方さんの話に戻すと、その存在に魅入られた。恋に落ちた感じ。その孤独性、彼の体、在り様がカッコよかった。ステージに出てきても吸い込まれるように彼を見ちゃうのは、彼の生成する孤独、切迫。そうすると、土方さんの集団プレイ=振付とか、舞踊化していったものは、ある意味で、できていないんじゃない? 土方が立つことは、もっと過剰なものだったし、作品化したときに、非常に構築的に舞踊化したものは、何だろうかと。その辺は、私は連続として考えられない。
―僕は、舞踏を考えると、日本人の風土が持っている身体の在り様が何となく見えてくることがあります。まだ実現化していないので、わかりませんが。日本人としての体の持っている形、たとえば最終的に歌舞伎や能になるような形があるとして、そこに舞踏の形としての普遍性があるように思うのです。そこで、もし自分の人生が将来続く限り、少しずつそれを追求していきたいのと同時に、さっきの素人の身体についてのアプローチと、そして、自分の続けてきたコンテンポラリーの振付の方法論を持続していきたい。それとオーガニゼーションをやっていきたいです。
たくさんあるじゃない(笑)。
― ある意味、いい加減なのかもしれない。また、ダンスにおいて、フェイクであることを確認する作業。嘘ばかりついている。嘘と言うのが自分にとって明確なんです。そうすると、自分のやっていることの意味が、もしかしたら本当のことがわかってくるというか。室伏さんは、さきほどのお話の、土方さんの舞踊化したものとは対極にあるんですか?
私にあるのは、孤独ですよ。孤児性と言ってもいい。いくら手を繋いでも人間は離れているし、その異質なものが手を繋いでいる、その繋ぎ方が非常に切実なものになるじゃないですか。手を繋いでいる、その連帯しているがずれているみたいな、そういう両義的なポジションが私は好きなんだよ(笑)。
―室伏さん、東京出身ですよね。田舎の風景は知らないでしょ?
風景というものを暗黒舞踏は意外と作ってきた。土方さんの場合、東北歌舞伎はそういうもののために身体を道具化している。それだったら役者が立つのと同じじゃないですか。芦川さんが、こうやって目くらで歩くみたいにすると、風景が成立していくみたいな。そういう風景ではないんだ、私は。風景がガッサと切断されたような風景なんだ。その孤児性、孤立した体が風景なんだよ。そういう切りとり方だったら、ある種の普遍性があるのかもしれない。それは、日本人として成立している山崎広太の、室伏鴻の断面があり、そこにベルナルドが現れたり、ボリスが現れたりしている、日本人/フランス人といいつつ、それも否定されているような、無名性に届く特異性だよね(笑)。
印牧(エディター) 「吾妻橋ダンスクロッシング」での《DEAD 1》を拝見して、ああしたショーケースのような場所で、観客を前提としていても、テンションがあり、舞台に出来事が起こっていることに驚きました。そこで、はじめに経験されたハプニングの衝撃のようなものが、やはり室伏さんにとって重要なものであるのかどうかをお聞きしたいと思いました。また、土方巽は、晩年踊ることを退いて振付家になりました。ただし、年をとってできなくなるダンスもあると思うのですが、室伏さんの場合はいかがでしょうか?
できなくなるようなダンスが成立すれば、それこそ願ったりだと思うんです。衰弱体を演技するのではなくて、衰弱そのものになっていけばいい。あなたが言ってくれたテンションって何だろうと思うよね。逆立ちは、それしかできないわけではないのだから、逆立ちという設定はフェイクだと。でも、必死でそれをやっていることが必死という名の真実で、それはある意味、出来事や事件に近いような身体なんだよ。そういうものとして、土方の孤独性を捉えている。《肉体の叛乱》でも、ショーマンシップでやっているのだけど、でも実はそこを突き抜けている。男根の、何か可笑しいんだけど、本気だという馬鹿馬鹿しさ。そういう素晴らしいものができるといいですよね。だからフェイクには、ユーモアの部分も絡んでくるのではないかと。本気になればなるほど、馬鹿じゃない?みたいな(笑)。
衰弱体
室伏鴻が決められていくことが嫌なんじゃないかな。そういう安全なものとして失われてしまうことが嫌だから、いつも行方不明みたいな場所にいた方が、自分にとってはコンディションがいい。だから舞踏のジャンルにも、コンテのジャンルにも属さない、外れた場所で成立するような身体で、むしろアンチダンス的な要素を持ったものでいたい。そういうもので、いいものは少数派で、あまり見たことないしね。
―ジェローム・ベルを見たことは?
ない。だけど、肉体とは滑稽なものだよな。その舞踏のなかのよさを構成したい欲望はある。それは東北歌舞伎のよさではないんじゃないか。私の中に、土方の初期へのロマンティシズムがある。《肉体の叛乱》を見る前の、伝説化した暗黒舞踏の10年かもしれませんが、《禁色》《バラ色ダンス》の辺りの時間は、私からすると観ていないものだから、余計ロマンティックにあるのかもしれない。そこでは、ダンスも、舞踏もはじまっていなかったかもしれない。ダンスがダンスとして成立する前に、すでにダンスだった。そういう方法論が、舞踏の初期にあったんじゃないか。それまでかろうじて、土方さんの写真を見たりすることはありましたが、それが、最初に土方さんの稽古場に行ったときに匂った。土方さんの佇まい、酒の飲み方からしてそうだし、要するに日常にそういうことがある人だった。そういう出会いだよね。振付家としての彼の鋭利なラディカルさは、そしてどんどんアーティスティックになっていく。
―話は変わり、山海塾はどうですか?
やはり舞踊だよね。だから、体の運び方が私とは対極にあるんじゃないですか?
―先ほど、衰弱体ということが出ましたが、それが室伏さんのダンスの方向性ですか?
そこは衰弱体の立体化みたいなことがあるんだよ。三次元か四次元か知らないけど(笑)。そのときに指針になるのは、土方さんの物との交流、恋愛みたいなことのなかで、衰弱体の一番いい時間が流れるわけ――実際人間と人間が恋愛する場合だっていいけれど。衰弱という問題は、単に土方さんが踊ったディサビリティー(不自由性/不具性)の問題だけではなくて、もっと広げることができる。たとえば、片手が動かないと、もう一方の手が可能性をアピールすることがあるわけ。それはもっと読みかえが可能で、衰弱体はすごくいいものを提出している。たとえば、ベケットの『ゴドーを待ちながら』で、待っているしか時間がないと。そうするといくら何かやっても待っている。ああいうアイデアに非常に近いんだけど、ちょっと違うというか。そこのところが面白いよね。徒労っていうの? いくら努力しても無駄ですというようなことが、人間あるじゃないですか(笑)。そういうものを体が一番知っている。それが馬鹿だね~って。それだけが偏っちゃうと、狂気なんでしょう。そういう狂ったようなものなんだ。
―ニューヨークでは、ベス・ジルという、まだ若い振付家がいて、お客さんにいろいろな解釈、意味を見出させるダンスを目指している。自分がはっきりと、あることを伝えるためのダンスではなくて、やっていることが、どういうふうにでも捉えられることが可能であるかでダンスを創っています。すっごいシンプルなんですよ。いったいこれは何だろう?と、わからないダンスです。「これを伝えるためにダンスをしている」のではなくて、裏返すというか。でも、ちょっと退屈です。とても抽象的。いずれにしろはっきり言えるのは、センスがいいんですよ。
センスがあるというのは何?
―照明など、時間の紡ぎ方が上手いんです。室伏さんの《Quick Silver》も、照明のセンスがいいですよね。空間をどのようにデザインされるのですか?
見えやすく、見にくいものにしたい。情景的になるのはいやだ。神秘的なんていうのもなんのことかわからない。いつでも死と沈黙に接していたい。
ダンスとは
―室伏さんにとってダンスとは何ですか?
それは意表をつくことだね。同時に意表をつかれること。生成するスリル。予想がつかないもの。人間の体が自分にとって驚きであり、コントロール不可能なもの、それを統制しようと思ってもしきれないものとして、成立してくる出来事、事件、そういうものです。構成的なダンス・スペクタクル、ダンスショーへのアンチテーゼだね。いかにステージで自分が驚くか。自分が驚いていない体は、お客さんは驚かないよ。そういう意味で、過剰なものの微細な交流です。
―室伏さんは、誕生日はいつですか?
6月14日。これが話題の種なんだけど、チェ・ゲバラと同じなんだよ(笑)。稽古場でゲバラ、ゲバラと呼ばれていた頃、ゲバラの誕生日なんて知らなかったの。メキシコに行ったときに、同じ誕生日のメキシコ人に言われて驚いた。若いときに知っていればさ(笑)。でもダンスは日々が革命だって思っています。
[2009.2.4/高田馬場にて]
構成=山崎広太/印牧雅子
室伏鴻|Ko Murobushi
1947 年東京生まれ。振付家・ダンサー。69年土方巽に師事。71年出羽三山で修験道研究。72年「大駱駝艦」の創立・旗揚げに参加。76年舞踏派「背火」を主宰。78年パリでの公演は、舞踏がBUTOHとして世界に認知されるきっかけとなる。86年パリ・ユネスコ本部でのKo MUROBUSHI Companyの上演以後、ヨーロッパ・中南米を中心に活動。2001年若手舞踏家とKo & Edge Co.結成、《Edge01》を発表。06年ヴェネチア・ビエンナーレ・ダンスフェスティバルに招聘され《Quick Silver》を上演。ImPulsTanz(ウィーン)、モンペリエ・ダンス・フェスティバル、National Gallery of Modern Art(ローマ)、Dance Umbrella(ロンドン)などでソロ公演多数。近年は、アンジェ国立ダンスセンター(CNDC)などで指導も行なう。
インタビュー後記
土方さんとの最後の思い出は、誰かの公演の打ち上げの後、舞踏家の大森政秀さん宅で、一緒になったときだ。僕はまた例の如く酒に潰れ、目覚めると、土方さんが僕と同じ布団に入っていた。2時間はあろうか、大きな寝言が延々と続いていた。やっぱり凄いと実感した。そのときは、もう既に癌に蝕まれていたのだと思う。その2か月後に他界した。僕の舞踏での不幸といえば、1976年の《鯨線上の奥方》を観ていないことだと思う。僕が、東京に来たのは77年。最初にアスベスト館に行った。映画で言うなら『千と千尋の神隠し』のような印象の稽古場だった。そこに猫背の土方さんが、そうっと通り過ぎたことを記憶している。花街の雰囲気が漂う、いいところだと思った。86年の土方さんの死まで、僕は僕なりに舞踏の世界に没頭していた。僕は蓑の笠で、少し農耕を意識した土俗的なダンスもしていたけど、その頃でさえ、土方さんのことは、理解できていない自分がいた。土方さんがお亡くなりになり、時代が移り変わった。89年、僕はフランスに行くことになり、まったく180度変わって、コンテンポラリーダンスの世界に突入していった。その後、自分のカンパニーで活動しているときも、マネジメントの霜村さんから、時々、土方さんの話を聞き、次第に年を取るにつれて土方さんに対しての興味が深くなり、今回室伏さんから、存分に土方さんのエピソードを聞くことができ、嬉しかった。そして、土方さんに対しての室伏さんの身体の方向性に、強い意志を感じることができた。
今回の室伏さんのインタビューで、もっとも発見したこと、もしくは僕がずっと勘違いしていたことは、舞踏の第二次世代の多くの方々が、土方さんの《肉体の叛乱》以前の、舞踏が舞踏としてのスタイルを確立する以前の身体性に憧れていたことだった。これは、すごい収穫だと思った。何故、第二次世代の方々が、世界各地にその花を咲かせることが、できたのか。つまり、それは、ダンスになる以前の身体性を追求した結果なのではないかと。土方さんのスタイルが確立し、土方さんが亡くなってからも、芦川さん、玉野さん、嵯峨さん、萌さん、和栗さんなどの舞踏を観ると、彼らの身体を通して、土方さんのスタイルが浮かび上がり、そのことに、すごく感動している自分がいる。その原初的な型のようなものを確認し、噛みしめる。批評家の故市川雅さんは、舞踏は確実に廃れて、無くなると言っていたけど、何らかのかたちで、このスタイルは存続し、後世に残るような気もする。
終始、インタビューは楽しく、息子が親父とお酒を飲む楽しさを味わうように、室伏さんからの言葉が心地良かった。土方さんの出会いから始まり、時代状況を含む舞踏の相関図が浮かび上がってきた。60年、 70年、80年と怒涛の如く、舞踏の華やかしき時代だった。舞踏第二次世代は、何と幸せな時代を過ごしたことだろうと痛感する。そして、膝を痛めブレイクダウンしてタクシードライバーから、再度復活を果たした室伏さん。今、孤高の如く二ヒルな男は、衰弱体そっちのけで木乃伊になるのかな。関係ないけど、同行した印牧さんは、会った瞬間、カッコイイ方ですね、と言っていた。室伏さん、本当に、結構、カッコイイんですよね。(山崎広太)