Body Arts Laboratoryinterview

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3.

身体と社会

I― 身体が依然ブラックボックスとして、わたしたちの認識への物質的な抵抗としてある限り、身体への関心はなくならないでしょう。そこでさらにお聞きしてみたいことは、社会的な問題への関心と表現との関係についてです。先ほど、身体を実感する瞬間は、犯罪など特別な出来事にしかないのではないかということ、そして、大橋さんの表現の関心は、身体が、ある行為に至る背景や、状況にあることをうかがいました。そうした表現は、(その出発点である)社会的表現であるとも言える犯罪など、社会においてインパクトを持つ問題に匹敵するものとしてお考えでしょうか?――すでにお話のなかでヒントが出ていることかもしれませんが。

背景という言葉を使いましたけれども、動きが起こるという条件、立ちあがっていくところの背景こそが、見せたいものです。そこから社会問題に繋がっていくと思います。繰り返しになりますが、自分自身にフォーカスして、身体を成り立たせているものは何だろうと考えたときに、結果として背景が出てくるのではないでしょうか。これまでのダンスもやはりそうでした。暗黒舞踏とか生まれたのも、そこに学生運動や社会的挫折とかいうものがあって、そこから抜け出る道としてあったのだし、アメリカのポスト・モダンダンスにしても、ベトナム戦争があり、一つの時代の終わりから、それまでの価値観から逸脱するものとして生まれた。あらゆるダンスには必ず背景があると思います。僕たちの作品も、その背景には、フリーペーパーにも書いたことですが、秋葉原の事件に象徴されるような、はっきりとよくわからない状況、背景があると思います。そこが僕は描いていきたいところです。

Y―それは身体の暗黒、闇の部分ですか?

僕には身体の闇というよりは、心の闇に聞こえます(笑)。闇から動きが立ち上がるのだと思います。僕の発想としては、ポジティヴなものより、闇というところに興味がある。僕の親は、東京で殺人事件があったりすると、うちの息子じゃなくてよかったと言っていたのですが、おそらく僕は親にとってよくわからない闇を抱えているような子供だったんでしょうね。そういう子供が、ダンスを始めることでコミュニケートすることができるようになったと思いますし、曲がりなりにも、自分の抱えている闇を作品として提示できるようになったと思っています。同じように闇を抱えている方が、こういうやり方、こういう変わり方に気づいてくれればいいなと思いますね。

I―作品を発表することが、すでに一つの社会的事実であり、それが完結して社会性を帯びる行為になるということについて、どのようにお考えでしょうか? またそうであるとすれば、なおポピュラーな社会運動とコミットすることについてお考えをお聞かせください。

確かに公演を打つということは、社会的事実であると思いますし、そのことによって、社会に対して自分たちがコミットしていることになると思います。

Y―勘違いかもしれませんが、パフォーミング・アーツにはフェスティバル的要素、祝祭的雰囲気があり、フリーペーパーの発行もそれに付随したことではないのですか?

ペーパーにしても一つの祭りだと思います。ダンスのカテゴリーであれば、いろいろな発言を導き出せるし。社会運動とはこれからも関わっていきたいですね。今起きているいろんな運動も、求められて必要だからあるのだと思う。そこに僕たちが無関心であってはいけないし、彼らにも、こういうダンスに関心を持ってほしい。こういうことができている世の中を肯定的に捉えて、これから社会を変えていこうとする人にとっても、重要なものと思われるようにしたい。そうでないと、ダンスや芸術は、大阪府でも劇場の予算を削られてしまっているように、余計なものと捉えられてしまう危険性もあると思います。

Y―僕は関心ありませんが、大橋さんが発揮する政治性についてはどう感じていますか? 自分がライターや評論家を呼んで、人々に関心を持ってもらうことについては。

政治的な運動との関わりについては、自分の中だけで起き上がったことではありません。ただ、今はそういう運動ともかかわって、自分たち自身もそこから得るものもあるし、彼らにも与えたいと思います。社会にもダンスが必要なもので、これからもっと必要とされるものにしたいと思います。

何故ダンスなのか

Y―最後に、どうしてダンスをしていますか? 最近パフォーマーとしてではなく、振付の方に重点が置かれているように思います。なぜ振付家をしていますか?

そこはあまり自覚的なところではなくて、結果として、これが自分にとって必要だということであり、生きることなんだなと、思うようになっています。もともとパフォーマンスを始めたのは、ワークショップに参加したことがきっかけでした。そこでの記憶が僕の出発点です。そのとき、身体を使って何か人に伝えるっていうことが、自分がやるべきことなのではないかと、一つの啓示と言ったらいいか、天からの声があったのだと思います。自分は選ばれたのだと、勝手に思ったのです。だから今もそれを続けている。僕自身今は踊ったりしませんが、率直に言ってダンス、踊ることは好きです。ダンスは楽しいものだと思います。僕の作品を見て、楽しさが伝わるか微妙かもしれませんが(笑)、その楽しさは決して忘れちゃいけないし、伝えていきたいですね。

Y/I―ありがとうございました。

[2009.1.26/門前仲町にて]

構成=山崎広太[Y]/印牧雅子[I]


大橋可也おおはし・かくや

振付家。大橋可也&ダンサーズ主宰/芸術監督。1967年、山口県生まれ。横浜国立大学経営学部卒業。89-90年、イメージフォーラム付属映像研究所にて映像制作を学ぶ。91年、カナダヴァンクーバーにてパフォーマンス活動をはじめる。92-94年、陸上自衛隊第302保安中隊(特別儀仗隊)に在籍。 93-97年、和栗由紀夫+好善社の活動に舞踏手として参加し、土方巽直系の舞踏振付法を学ぶ。99年、大橋可也&ダンサーズ結成、振付作品の発表を開始。2000年バニョレ国際振付賞ヨコハマプラットフォームにて出演者が全裸であるという理由で非公開審査となる。その後活動を休止し、03年に再開。平日はシステム開発の業務に携わりながら、創作活動を続けている。

http://dancehardcore.com


インタビュー後記

1990 年代初め、僕がまったくモダンダンスも習ったことがなく、バニョレを入賞したのみで、どういうふうに生徒に教えるかもわからないまま、アスベスト館でずっと教えていた(故元藤さんには、とてもお世話になりました)。そのときに、大橋君は僕のクラスに参加していた。自衛隊出身で、サイクリングを乗り回し、着ているものはいつもスポーティーなストレッチ素材のみでツルツルした感じ。どこでどういうふうに舞踏と結びつくのかと理解できなかった。でもクラスの中では、皆ととっても溶け合い、楽しんでいる印象だった。私事ですが、当時、まったく教えることができない僕の駄目教師っぷりに対し、生徒がもっともサポーティブな時期だった。皆と一緒に、歩んでいった雰囲気だった。皆、どうしていることだろう?

大橋君は、和栗さんのところに行き、それからもずっと踊りを続けていると噂は聞きつつ、今に至っている過程にとても興味があった。そして、ほとんど初めてに近く、彼の作品を新国立劇場で観ることができた。

僕は、演技的なことや、暴力的なこと、人を虐めたりするのは、あまり好きではなかったけど、作品は身体の存在を厳然と提示していた。日本で、積極的に作品を発表してる振付家のなかで、このような堂々たる手法で、舞台に身体を存在させた人は最近いなかったように思う。嬉しかった。そこに大橋ワールドを見出したのである。勇気ある行為だと思う。今の日本のダンスの現状においては、とても頼もしいことだ。

その作品性と関係なく、社会的背景を持ち出すこと、また、そこに焦点をあてて他ジャンルの評論家を取り込むことは、僕には関連性を見出すことはできないけど。これも大橋君の政治性だと思う。政治は祭りごと、どんなことが起こっても許すことができる。そのように考えれば、僕は舞台公演という祭りごとに、いろいろな方を取りこんでフェスティバル化することは必然であり、世の中が活性化することに繋がると思う。喧嘩が起きたっていいじゃないか。そして振付家、ダンサーは、自分の身体論を、他ジャンルの批評家、科学者、文学者、美術家よりも、もっと抜きんでて、語らないといけない。誰もが身体こそブラックホールだと言っているのだから。間違って言ったっていいじゃないか。挑戦すること、そのような土壌を作り出すことが未来に結びつくことだと思っている。大橋君はサラリーマンとの二重生活ゆえ、助成が無くなれば、必然的に、公演数は少なくなると思う。でもその分、じっくりと作品を磨くこともできると思う。これからの人たち、そして大橋君に期待します。(山崎広太)

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