Body Arts Laboratoryinterview

目に見える形を真似する

例えば、大野さんが花を持つときに、右肩が凄く上がっているんです。でもここが詰まっているわけではなくて、肩甲骨を入れながら、鎖骨を上げる。

―確かに(笑)。凄く、細かいですね。そっくりですね。

そういうところが一個ずつ解ってくる。あとは、室伏(鴻)さんのワークショップを受けて、例えば、重心を右足に移したときに左足がちょっと浮いて、左足と地面の間に薄い空気の皮膜ができるような、そんな感じで足を出すんだということを、なるほどな~と思いながら入れたり。揮発するような、ホッてなって蒸発していくような感じがどうすれば出るのか解らないけれども、何とかこなして。それから、指がこう、目がこう、首がこうなって、鎖骨が上がったり、骨盤がこう入って、体重が移ってみたいな、技術的な発見もありつつ、さっき言った問いも自分のなかで沸き上がってきて、それでシーンを並べていった。でもやっぱり、大野一雄の神髄というか、一番イヨッ!っていうのは、タンゴなのかなと。タンゴで凄く盛り上がることはあるから持ってきたんですけど、あんまりコピーしていないですね。厳密にコピーはできなくて。

―そこは何となく、そんな感じがしました。ただ、第一部のどこにいくか解らない感じが、大野一雄の身体が神秘的で印象に残って。第二部のほうは、どちらかと言うと、隆夫さんの自身が少し出ていたように感じました。

タンゴに関して、90分という作品のなかでポンッて変える、変化という意味では狙いがあった。でも、顔も見えないし、厳密にコピーできない。で、ミサ曲のところは、割と忠実にコピーして、タンゴの方は、何となくバーンと自分で、川口隆夫のほうに。

参照したビデオは《ラ・アルヘンチーナ頌》《わたしのお母さん》《死海》その3作品の初演ビデオなんです。《死海》はちょっと違うんだけど、初演に近いものを参照していて。その公演は土方さんが、演出構成に入っている。

―ですよね(笑)。土方さんが入ってるところ、すっごく面白かったです。

割と土方さんが舞台脇にいて、まだ先生、動いちゃ駄目!我慢して!って言ってやってたんだって。ということは、大野と土方のコラボレーションだったわけです。その後、再演していくんだけど、土方さんが死んじゃうと、わりと大野さんて自由になっていく。そこではなくて、土方とのコラボレーションで引き止められていた、手綱が付いている部分を意識的にピックアップした。これで間違いないと思って。何か親潮と黒潮がバーンッて混ざってぶつかって、そこで豊かなものができるでしょ。

―能もそうなんでしょうけど、最初に築いた人の真似から入って時代の流れとともに形成されていく感じがあって、それが逆に伝統なのかなとも感じた。もしかしたら最初に築いた人は嘘で、それを真似ることによって真実になることもあるのかもしれない? それと自分自身が、大野一雄になったことについて、自分をある程度、客体化することができると思うのですが、その辺、何かありますか? 大野一雄になった瞬間と自分との間の関係と言いますか。

5歩歩くのも、1歩目2歩目は、ポンポンと歩いて、3歩目でちょっとルルベ入って、4歩目は完全にルルベで、5歩目はベタッと着いて、6歩目は重心を押して、それからよろよろして、グッーと上がって落ち着いてみたいなのをやっているので。そのときに何歩目で手が上がって、何歩目でずれて上がって、上を向いて下を向いて、ずっとカウントというか。そうやっていくので、あんまり考えなしで、ふうって出ていくことはない。すごく不自由にやっていくところが、特に前半は面白い。ただそうやっていくなかで、骨で動くときに筋肉は使わずにって言うあたりの感覚は、もしかしたらここかもね、みたいに実感するときはある。もう一つは、あの2時間近くをやっていて、特に最後の15分くらいのタンゴのところとか、あれだけ動くと今までは完全に足の皮が破れてた。皮が剥けるじゃないですか、親指のこの辺とか。今回は破れなかったんですよ。ということは身体が引き上がっているってことなんだろうなと。

―想像以上に速い印象でした。80歳くらいでやっていたのですね。軽いですよね、大野さん。

もしかしたら、そういう奮闘を経て形を真似していくなかで、身体がググッて引き上がっていくことがあったのかもしれないとは思う。写真で見ても、今までにありえないルルベでバーンッて身体が引き上がっているんですよね。そういうショットが幾つかあって、自分でもビックリしている。そういうことを得ている気はします。

―大野先生になることの必然性は、隆夫さんのなかであったのですか? 主体を不安定な状況に置くことに挑戦することは重要だと思うんです。自分が消えるというか。真似ることによって、異物になると言ってもいいですが。

大野一雄が亡くなって3年経つ、今の東京の社会の雰囲気が、大野一雄という人、存在、業績、残したものをどう受け取っているのか、どういうイメージを抱いているのかに疑問はあったというか……。どんなものを読んでも、見ても、魂の踊りとか、非常に人格者で、皆が泣いて、という聖人のような感じ。それが物凄く大きくなって、伝説化している。そうすると近づきにくくなるじゃないですか。きっと祭り上げられておしまいみたいな感じがあって、とってもいい人、神々しい、ありがたい感じのイメージが。

でも、ブレイクする前の大野さんが考えていたことは、解らないじゃないですか。戦争のこととか。いい人なのか、悪い人なのか解らない。いろいろな話を聞くと、とんでもない人だとか言う人はいっぱいいるし。考えると、もっと怖い人と言うと変だけど、もう少し破壊的な何かを含んでいたのではないか。祭り上げる、尊敬しすぎる感覚は、とっぱらいたかった。資本主義ってイメージの世界だから、消費させるためにはイメージが必要で、そういう意味では、大野一雄のイメージはすごい消費されていたと思わないでもない。それに対して何かできるかなと。もちろん弟子ではないし、舞踏家でもないし、舞台を観たこともない。その意味では、ドーンとやれた。

―観たことがあったら、お弟子さんだったら、できないですよね。

特に最近の、亡くなる数年前の、皆魂に触れて泣き出してたような大野さん。そこをまったく外すことは、いわゆるタブー、禁じられていること、触れちゃいけないことに対して、手をつっこまれちゃ駄目だって思われるかもしれない、特に日本では。

舞踏の二つの側面

―とても難しいと思うんですが、隆夫さんにとって舞踏って何ですか? ここは土方さんが、さんざん通ったところで、それ故、敢えてここ(中野テレプシコールの隣の「つつみ」)を今回インタビューの場所に選んだんですけど。

インタビューが行なわれた
中野テルプシコール近くの
和食店「つつみ」

二つのかけ離れたようなイメージが舞踏にはあって。内面的な、内面の探求みたいなことは好きじゃないんだけど、そういう側面はある。

―日本人って、それが自然と備わっているようにも感じるんです。アメリカだと全て、外側から固める、構築していくので。

それは解らない。そういう言葉で言っちゃうと。舞踏に限らず、日本で内面の精神性とかって、いろんなところで言われてきたじゃないですか。学校、社会。それって神道の教育みたいなものと凄く結びついて、嫌なんです。思いません? 学校がそうだと思う。学校で式典があると、日の丸が舞台の奥にあってさ、上ると必ずお辞儀して、とっても霊験灼かなものにひれ伏してみたいな。そういう精神性、内面、根性含めて日本の文化の一つのあり方が、僕にはとっても窮屈で嫌なんですね。嘘だと思うんです。それに騙されちゃいけないと思う。そういうところを舞踏にも思わなくはないというか。

大野一雄のビデオを見ても、内的じゃないですか。身体のなかに何かが起きているというような。僕はだから、内的なものを精神的なものとしてのイメージだけで捉えてやっていこうとするのは、ちょっとそれはゴメンナサイ、みたいな。

もう一つは、土方や、笠井(叡)さんの踊りもそうだと思うんですが、大野さんて、とにかく鍋釜ひっつかんで、ガンガン打ち鳴らしながら、ワーッて踊ったみたいなことを聞くのね。ことあるごとに踊り始めちゃう。その空気をひっつかんで立ち上がって踊り出していく、天照大神の岩戸の前で踊ったようなイメージがあるんですけど。そういうマツリというか、ハレの感覚。

それと土方の勢いみたいなのもあったと思うんです。パフォーマーとしてのエネルギー。舞踏って、とってもシアトリカルだと思う。衣装も派手だし、演出もあって、バロック的だと思うんです。ドラマチックだし。そこはすごく好きで、舞踏にはそういう二つのことがあると思う。

―内面性に関しては検討の余地があると思うのですが。大野先生がイメージ化されたことについて、舞踏は汚ないものだとか、こんなものだよねと、いろいろカテゴリー化されるけれど、そうではない、どこにもいかない、捉えどころのないものとして提示したい気持ちが僕にはあって、多分それは土方さんが一番よく知っていたと思うんです。
舞踏家がヨーロッパにどんどん流れて消費されていくなかで、土方さんは行かなかっただろうし(85年の「舞踏懺悔録集成 Butoh Festival ’85」、その後の「舞踏白紙考」。何故このようなプログラムが打たれたのか検証したい気持ちが僕にはあります)。土方さんは、舞踏が消費されることを、かなり嫌悪してたと思うんです。晩年、セゾン劇場での公演の準備で、舞踏が白昼に晒される、消費される途中で亡くなられた。もしくは永遠に消費されるつもりではなかった、土方巽の謎。この土方さんの思考と現代を絡める必要性を感じています。そこに凄く重要なキーポイントがあり、これからの人に指針を与えてくれる予感がします。
現実的には、隆夫くんが行なっているわけですが。霞んで見えないけど、僕も何か発見するかもしれない? 体系化されない別のシステムの構築? 全てをブラックホールに吸収してしまう何かですかね? 明確であり、まったく明確でない何か? 別な形で現れる何かでしょうか?
一方で土方さんは、振付とは、絶対即興ではない必然を作らないといけないと言っているので、絶対振付しなくちゃいけない。明確な形にしなくてはいけない。形あるもので尚かつ体系化されない身体で、即興なし。即興について何かありますか。

大野さんは即興舞踏だって言っている。

―大野先生が築いた即興舞踏。その前の、モダンダンスとして体系化される以前のプレモダンに、日本人が持っている豊かなものがあるような気もしています。もしかして明治以前の身体の状況は、まったく現在と違っていたのではないかと推測もできる。能、歌舞伎の王道とは違う芸能? それを発見しなければいけないような気もしているんです。

でもね、舞踏の一面って、すごく歌舞伎から影響受けていると思う。

―隆夫さんの「病める舞姫」をテキストにした公演は、とても晴れやかな感じでした。歌舞伎の持っている晴れやかさってありますよね。

土方さんって巧みにいろいろなことを、ガンガン吸収していった。歌舞伎や能、浄瑠璃にしても劇的なものじゃないですか。すごいドラマチックなものを構造として持っている。そういうものを貪欲に取り入れたと思うし、もちろん西欧のものでさえ。《疱瘡譚》で芦川(羊子)さんたち三人娘がバタバタとして出てきたり、和栗(由紀夫)さんが男達を引っ付けて出てくるとか、あれって、バレエのコールドバレエのような構造、構成があるよね。モダンダンス的なというか。

川口隆夫
《病める舞姫をテキストにした
公演》2012
写真:神山貞次郎

―今回、《大野一雄について》を公演したわけですが、この次はこのようなことを展開することは考えているんですか?

そこが問題ですね(笑)、どうしましょうね。「病める舞姫」のテキストについてと、《大野一雄について》を、もう少しやってみないと。

―何かやって欲しいです。期待しているんですが。プロジェクトを考えるのでさえ大変な作業ですからね。

[2013.10/中野にて]

構成=山崎広太・印牧雅子


川口隆夫Takao Kawaguchi
1991年に吉福敦子らとATA DANCEを立ち上げ、ダンスを始める。1996年より「ダムタイプ」に参加するとともに、並行してソロパフォーマンスを行う。2003年以降は、領域をまたぐアーティストとのコラボレーションを柱に「ダンスでも演劇でもない、 まさにパフォーマンスとしか言いようのない(朝日新聞・石井達朗氏)」作品を発表し続けている。2008年から「自分について語る」ソロパフォーマンス《a perfect life》シリーズを展開中。また、藤本隆行(ダムタイプ)、白井剛(AbST)らと《true/本当のこと》(2007)、《Node/砂漠の老人》(2013)、香港のダンサー・振付家ディック・ウォン、映画監督今泉浩一とともに国際共同プロジェクト《Tri_K》(2010)を国内外で発表。2011-12年には、香港の劇団ズ二・イコサヘドロンの作品にゲスト出演するなど、国際的なプロジェクトへの参加も多い。2013年には《大野一雄について》を発表。大野一雄の踊りを完全コピーする大胆な振付で話題を集める。
http://www.kawaguchitakao.com