Whenever Wherever Festival 2011

建築と身体

初期型

高嶋晋一

生島翔


建築家、ヨコミゾマコトによる空間設定に4組のコレオグラファーが挑み、それぞれ異なるアプローチにより空間をトランスフォームさせるというコンセプト。空間には、プラスティックのパッケージを多数重ねた4つの柱と、16個の木のオブジェ。

初期型|この空間との関連性をまったく感じない作品だった。理由は、いろいろなエッセンスが入り過ぎで、何にフォーカスしていいのか理解不能なところにあると感じる。それぞれのシーンを音楽も伴って繋げるだけの構成は、日本のコンテンポラリーダンスの常套手段ではあるが、まったく通用しないことに気づく必要があると思う。

佐藤美紀|映像に映るジュリー・アン・スタンザックさんのダンスからのリアクションとしての作品。音楽は定期的に落ちるビール玉を増幅することをベースにしたもの。空間は森のようにも見え、その映像とダンス、そして空間とのリアクションはクール、ただとても抽象的。そして時々、美しい瞬間が垣間見られるのだが、持続性がなくて残念。綿密に空間、照明の計算を入れリハーサルをしたら、もっと良くなる作品になると推測する。

高嶋晋一|そのプラスティックの柱と、持ってきたペットボトルの緊張感ある関係の間で、神村恵さんの口の中に、何かを加えて、顔の一部分を肥大化したりすることによって、顔が顔に見えなくなったり、その部分が違った生き物のようにも見える。その次は携帯を取り出し、高嶋さんが階下の外での空間移動を、お互い目をつぶった状態で交信しあうもの。これも、予測できない動き、そして、他人の使命からのタスクのみでの動きは、前回の高嶋さんの作品同様、異種な身体が見える。とても良い。しかし、何故二つのシークエンスを繋げるのか、それと空間との関係に対しての関連は見えなかった。

生島翔|本人曰く、この空間を受け入れて作品を作ることは、かなり悩んだらしい。しかし、もっともダイレクトにこの空間と対峙していた。作品もコンセプチュアルで、短い時間だったが、よく練られていた。しかし、もっと身体的に魅了するアプローチがあると思うんだが。それが何なのか、僕にも解らない。でも一番好感を持てた。

生島翔さん以外、当初、予想していたコンセプトとは違う結果に終わりました。それは、この空間とは違うものを持ち出してきたことに由来します。しかし空間のトランスフォームは十分に堪能しえたように見受けました。今後、継続されるべきプログラムなのかどうか検討が必要であり、また、この教訓から、振付家、ビジュアルアーティストが建築視点から作品に挑んでもいいのではないか、ということも考慮に入れ、新たなプログラムを考えたいと思っています。

report by K.Y.


空間コンセプト:ヨコミゾマコト

初期型《Welcome To My Religion》
出演:平澤瑤、松崎淳、吉野菜々子、カワムラアツノリ

佐藤美紀《振り出しにもどる》
出演:佐藤美紀、森川弘和、ジュリー・アン・スタンザック(映像出演)
音楽:井ノ上裕二 a.k.a. Dill
映像:松尾邦彦

高嶋晋一《身と蓋》
出演:神村恵

生島翔《CMMD-@》
出演:生島翔

2011年8月6日
アサヒ・アートスクエア

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Photo: Photo:Body Arts Laboratory

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