Body Arts Laboratory

振付家・山崎広太が文化庁海外研修について寄せた手紙 Part 1

文化庁「実演芸術家等に関する人材の育成及び活用について」への意見

私、山崎広太が日本を離れ、ニューヨークに生活の場を移してから7年、ダンス環境における様々なシステムの違いを見てきました。そこで今回、NYで、海外研修の方々を見てきた感想をお伝えできたらと思いました。これを少しでも検討していただき、今後何かに活かしていただけたらと思っております。


まず海外での生活は大変です。ダンスをすること以外に、銀行に口座を作ることもできず、その他、諸々、生活すること自体に大変な時間とエネルギーを費やします。それと言葉の問題が起こってきます。英語がスムーズに話せたら、ほとんど何も問題ないと言っても過言ではありません。ダンスすることと生活することと、二重のことをしなければいけないのです。これを考えると、生活することへの時間、労力がかからない、ダンス・フェスティバルへの研修制度があってもいいのではないか思います。

欧米では素晴らしいダンス・フェスティバルがたくさんあります。僕のあるプロジェクトに参加した韓国人ダンサーは、アメリカン・ダンス・フェスティバルに参加して、韓国の大学での4年間よりも、ここでの6週間の方が、より多くのことを学んだと言っていました。また、こうしたフェスティバルでは、いろいろな国の方々とコミュニケーションできます。私自身の経験を振り返ると、確かに、フェスティバルに参加することによって、海外のダンサーと自分とを客観的に比べることができ、それが、自己の身体の在り方の発見、ダンサーとしてのテクニックの向上につながり、ひいては、振付家としても感化されていったように思います。

ダンスの研修では、振付のための研修なのか、それともダンステクニック習得の研修なのか、それとも両方なのか、その選択によって、どこに研修すればいいのか、また研修のあり方が違ってきます。たとえば振付志望での研修は、自国以外の文化に触れ、世界のダンスの状況を知ることによって、自身のユニークでオリジナルな振付の方向性を見つけ出すことができ、それが、重要なステップとなります。テクニック志望者は、たくさんの違った種類のテクニックを習得することによって、技術の向上はもとより、ダンサーとしての視野を広げることにつながります。これは、ダンサーとして必要不可欠なことです。ダンス・フェスティバルへの参加は、これらのどの選択肢もカバーすることができます。NYにあるダンス・スタジオ以上に、多くの種類のクラスが受講でき、また一線で活躍している振付家から直にレパートリーを教わるクラスや、実際にカンパニーの公演を見る機会もあります。規模が大きく、選択肢も多いのです。

NYでの研修者各々に対して、どの研修場所が理想なのか、その決断が曖昧化されているように思います。想像するに、あまり情報がない状態で、またあまり考える余地なく、オープン・スタジオでは簡単に研修できるからという理由で、とりあえずそこに決めるという、短絡的な決断が行われている印象です。相当なる金額を国からいただいて研修を行う、最初の出発点が、このような曖昧なものでいいのか、疑問に思います。


具体的に、振付家志望者の研修に対する、私個人の感想は次のようなものです。たとえば、あるオープン・ダンス・スタジオに研修するとします。ほとんどがテクニッククラスです。確かに、ダンサー志望者にとっては、一日に3クラス程度受講する日々が、テクニック向上に役立つかもしれません。しかし振付家志望者にとって重要なことは、果たしてテクニッククラスをたくさん受けることでしょうか。確かに、プロフェッショナルな教師のテクニックに触れることは、自分のオリジナルなムーブメントを創ることにもつながります。しかし振付家にとってもっとも重要なことは、そうではありません。NYで今この時代に起きている、ダンスにおける現象を察知すること、NYのいろいろなダンスシーンに触れリサーチすることの方が、振付家にとってはより重要になってきます。したがって、振付家志望者が、オープン・ダンス・スタジオでクラスを受講するのみの生活を送ることは、非常にもったいないことだと思います。また、これはダンサー志望者も含めて、全ての研修者に言えることですが、一日に3回もクラスを受け、生活することにも時間とエネルギーを費やしての研修生活では、それで完結してしまい、その外へと視野を広げることはできにくくなります。

では、トリシャ・ブラウンやマース・カニングハムなどのカンパニーでの研修では、どうでしょうか。ここでの研修は、ほとんど、毎日、トリシャならトリシャ、カニングハムならカニングハムのテクニッククラスを受講するのみとなります。それ故、もっと違った種類のクラスを受けたいという欲望が自然と募り、お金を払ってまでも、オープンクラスや、振付家個人のワークショップを受けにいく傾向がみられます。そのカンパニーに入りたいということでないのならば、当然起きてくる、反作用だと思います。一つのテクニックを軸としつつ、他のテクニックも受講していくことは、ダンスに対しての視野を広げることにつながります。これは、ダンサー志望者にとっても、また振付家志望者にとっても、お金を使いますが、オープン・スタジオで闇雲にいろいろなクラスを受けるよりは、よいのではないかと思います。


前の話しと少し重複しますが、海外研修にとって一番重要なことは、ただクラスを受けることではないように思います。日本でも、今は、海外の教師を招いてのクラスなどが多数あるのですから、海外のダンサーの中に身をおくことで認識する自己の身体性はもとより、もっと視野をひろげ、日本に住んでいては決して認識できない、ダンス全体をグローバルに見るということに、もっと重点を置いていいのではと思います。

せっかくNYにいるのですから、日本とはまったく違うアメリカのダンスシーン、アートシーン――NYのダンスの仕組み、ここでのアーティストは何を考え何を求めて行動しているのか、何故これほどまでにNYにはダンサー、アーティストが集まるのか、貧乏なのにも関わらず何故ここで生活しているのか、強固なコミュニティが形成され、実験的ダンスシーンが行われている、ダウンタウン系とよばれるダンスと、確立されたダンスカンパニーがせめぎあう、アップタウン系とよばれるダンスのシステムの違いなど――を覗くことが重要だと思います。ただ闇雲にクラスを受け、疲れきって一日が終わる生活を繰り返す毎日では、アメリカ社会に触れることはできないのです。まして研修の方々は、お金持ち生活です。クラスと家の往復に、生活は充足、安定し、アメリカ人社会に入って何かを成し遂げる考えも起きないのです。

もっとも悪い例は、カンパニーの研修でも、オープンクラスの研修でさえ、まったく人々から注目されず、自尊心が傷つき(コンクール受賞者など、日本ではある程度注目されていた方が、急に不特定多数の一人として若い生徒に交ざってクラスを受けるのです)、また、英語の問題などから、そのコミュニティに入っていけず、孤独生活になり、アメリカに対しての痛烈な批判と嫉妬で研修を終えることです。

山崎広太[2009.3]

Photo: Ryutaro Mishima

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