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Whenever Wherever Festival 2021
Mapping Aroundness──〈らへん〉の地図

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Rick Yamakawa

〈待機塔〉で何が起きていたのか?
──仮設的な場での未だ存在していない何かの共有へ向けて

青山・表参道のスパイラルホールでの開催を本体とした「Whenever Wherever Festival(以下WWFes)2021 Mapping Aroundness──〈らへん〉の地図」。会期中、サテライト会場に位置付けられた「7days 巣鴨店」で展開された3日間のプログラムについて。現場を通して観察できたのは、制作協力という立場でフェスティバルへの理解も頼りなく携わった自分だけであったとのことでレポートの依頼を受けた。

「7days 巣鴨店」の3日間、〈待機塔〉と名付けられたこの空間の目的や主体は終始希薄だったように思う。「巣鴨地蔵通り商店街の貸店舗」の利用は、思うに青山の出来事を相対化する「周縁」の意味に向けられた主催者の意識というよりは、スパイラルホールで行われるイベントの輪郭線にボカしを入れるための余白、あるいは「巣鴨で何かが行われているらしい」という微妙な意識の拡散作用をフェスティバル本体の空間(中心)に及ぼし続ける概念装置のようなものだったんじゃないだろうか。

渡辺好博他《よしさん
巣鴨駐在室@7days》

1日目の12月24日に行われた、渡辺好博さんによる「よしさん巣鴨駐在室」を除いては、フェスティバルの(すなわちアートの)オーディエンスを対象としたプログラムであり、基本的には青山における取り組みの延長にあるような内容であった。そのことからもわかるように、この試みは特段に地域に入る/関わるということが意識されておらず、むしろフェスティバルの吹きだまりのような感も否めない。また、実際の現場のあり方としては、地所の観光地的性格や流動性もあって、商店街の側から見ればおそらく日常性の振れ幅に収まる風景であったろうと思う。各キュレーターは実施環境が及ぼす影響に対して受動的な構えをとっていたにせよ、プログラム単位では自己完結的な構成を成していた。

このように書いてしまうと微妙なサイトスペシフィック・アートという感じだがそうではない。この「7days 巣鴨店」をフェスティバルの中に位置付ける試みは、主催者の企図からも離れてスパイラルホールとの影響関係を絶妙に保ちながら、会期中カーペットの小さなほころびのような違和感であり続けた。そしてフェスティバルが終わった今も残るその微妙な違和が想像の手がかりとして存在感を残しているように思える。それを上手く説明することが出来ないし、現場に立ち会ったとは言え観察者という自覚もないままに漠然とその場にいた自分のレポートが、それを補完するとは到底思えないのだけれども、とりあえず記録として書き進めてみたいと思う。


12月24日[金]

よしさん巣鴨駐在室@7days

駐在:渡辺好博、都田かほ、松本奈々子、宮脇有紀、山野邉明香
キュレーター:山崎広太

渡辺好博他《よしさん
巣鴨駐在室@7days》

とげぬき地蔵尊に日々訪れる参拝者。数多の参拝者を相手にするとげぬき地蔵さんもさぞかし大変であろうから「とげぬき」のお手伝いをしましょう、という、ちょんまげ姿がトレードマークのよしさん(渡辺好博)による慈善心溢れる取り組み「よしさん巣鴨駐在室@7days」

1.よしさんの帯同者/参加者となるBICの出演者(ダンサー)が集合。よしさんが用意した衣装や布地を組み合わせて無手勝流の和装に変身。
2.参加者が大判画用紙に協働して描き上げる創作地蔵絵図を作成。室内に掲示。
3.とげぬき地蔵尊の参拝に出発。
4.参拝を終えて7daysに戻り宴会。※この時点でよしさんはバニーガールに衣装替え

当日はおおまかにこのような流れで進行。そしてこの一連のプロセスのなかに商店街の通行人の方々から「心に刺さった棘」を伺うという取り組みがなされる。7daysの室内にいてもよしさんのチョンマゲに吸い寄せられるようにして10分くらいに一度は誰かが寄ってくる。それを笑顔で迎え入れるよしさん。年齢的にはやはり年配の方が多く、話される内容はここが痛いあそこが悪いといったご年配ならではの愚痴話から、終らない自慢話、かなりディープな身の上話、イベントの出演者を探しているという相談まであって多種多彩。

また、迎える側のよしさんもチョンマゲだけで人を釣り上げるわけではなく、出会いのためのギミックがあらゆるところに仕込まれている。7daysの表にでかでかと張り出されたよしさんの営業用横断幕。巡行中、袖に仕込まれたスピーカーから再生される「水戸黄門」のテーマ、参加者の衣装(参加者が羽織ったはんてんの生地が素晴らしいと声を掛けてくる方や、自由な着こなしで素敵! と話しかけてくる方などが幾人もいた)、そして「とげぬき地蔵さんのお手伝い」というお題目などなど、どれをとっても出会いのためのフックになっていた。「みんな話をする相手を求めているんだね」と折に触れて呟くよしさんが印象的で記憶に残る。


渡辺好博他《よしさん
巣鴨駐在室@7days》


12月25日[土]

The Nature of Physical Reality:知覚と身念

企画・構成:アースラ・イーグリー
コラボレーター:瀬藤康嗣、マデリン・ベスト、北村武美
再構成/アダプテーション・キュレーター:西村未奈
出演:小川真帆、西村未奈

アースラ・イーグリー
(再構成:西村未奈)
《The Nature of Physical
Reality:知覚と身念》

「The Nature of Physical Reality:知覚と身念」はスパイラルホールで先だって実施し、環境を巣鴨に移して取り組まれたもの。キュレーターで、この一対一のセッション形式のパフォーマンスの再構成を行った西村未奈さんによれば、室外から入り込む制御外のノイズについて、スパイラルホールの控室では参加者の集中を妨げる結果になったとのこと。一方で巣鴨では、そのノイズを肯定的に捉える感想が話された。このプログラムに関しては西村さん、小川真帆さんという、出演者というよりはいわば施術者となる2人と参加者との、密室的で親密な状況の成立を重視するため、林は室外に待機。基本的には参加者とは出会わないようにしたので、実施の様子は観察できていない。その代わり、プログラム終了後に西村さんにこの「知覚と身念」を特別に施してもらった。この体験報告を実施のレポートに代えたい。ただし、正規の参加者は高齢者の歓楽街を辿って土地勘もおぼつかないままに会場に訪れ、7daysの閉じられたシャッターの一角に、茶室における「にじり口」のように設けられたカーテン付きの出入り口へと導かれるようにして参加したのだと考えると、その体験は同じものだとは到底言えないと思う。

西村さんがキュレータートークでも言及しているように、「知覚と身念」は会場に訪れた参加者へのさながら美容室での接客のような対応から始まる。予約を確認して上着と荷物を預り、他愛もない世間話をしたあとは施術(と言っていいのかわからないが)の説明が行われる。照明を段階的に調整しながら施術が始まると一転して集中を共有する無言の時間が訪れる。施術者と参加者は同じく骨伝導のヘッドフォンを装着し、パイプ椅子に座って対面に向き合う。施術中は参加者の状態の変化を肯定し自由に行動してよいことが伝えられる。施術が始まった後のしばしの沈黙のあと、西村さんはICレコーダーを自身の身体に伝わせ、その信号が音と振動によって参加者と施術者自身に届くという仕掛けである。西村さんの活動を追体験するというよりは、物理的な回路の接続がトリガーとなって体験が憑依するようでもある。憑依に拮抗する意識(身念?)を感じながら、それが一方では頭蓋骨に伝わる小気味よい触覚に解きほぐされていく。体験への没入と共に緩やかになっていく自意識が限りなく状況に融解していくと、西村さんがおもむろに立ち上がって形容しがたい身振りに取りくむ。自分の場合はフィルターのかかった体験の経緯もあったせいか、その時点で「見る」に構えが切り替わってしまったのだが、そこに至る没入の深度によっては異なる位相でこの時間が体験されたに違いないと思う。このような治癒的な交感が終了すると段階的に照明が明るくなり、フィードバックの対話が行われる。

参加者はこのプログラムへの参加に至るプロセスでどのような身体的な体験を得たのだろう。WWFesにおいては他のプログラムも同様の側面がある気がする。イベントへの参加の動線や形式はどこをとっても仮設的であり仮構的でもある。プログラムごとに仮設された環境のなかで身の置き所が不安定な参加者と同じように、プログラムの実施主体も常に作品外部の不安定な流動性に晒されている。ただし単に曖昧な宙吊りの領域を共有するだけではなく、一方では仮構性、つまりまだ存在していない何かを共有するような想像の手がかりが用意されている(それがプログラムの設えになる)。以上の妄想を前提に言えば、参加者と実施主体がともに創造的な環境の生成に有機的な状態で関わり合っているという点で、「知覚と身念」はこのフェスティバルの在り方が持つポテンシャルを代表するような現象学的な取り組みになっていたと思う。

アースラ・イーグリー
(再構成:西村未奈)
《The Nature of Physical
Reality:知覚と身念》
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上|Photo
Rick Yamakawa


12月26日[日]

最終日の26日は下のスケジュールでおわかりいただけるように、テナントが出入りするようにプログラムが入れ代わり立ち代わりする。

11:00|新聞家《弁え》

出演:中川友香、作・台の設計・キュレーター:村社祐太朗

12:00|Try Dance Meeting

参加者:Aokid、そこに参加してくれる人
キュレーター:Aokid

13:00|The embryonic sound of film──映画の胎動音

出演:七里組、監督・キュレーター:七里圭

13:30|山彦さんへ 小さくなったり大きくなったりします!

アーティスト:よだまりえ、松丸契、高良真剣、村井祐希、濵田明李
キュレーター:Aokid

15:00|新聞家《弁え》


新聞家《弁え》
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上|Photo
Aokid
下|Photo
Natsuki Kuroda

新聞家《弁え》は、定員6名の参加者とともに所定の台本を用いた上演をする「演劇作品」(とされる)取り組み。冒頭、村社祐太朗さんにより台本の読み上げが参加者へと委嘱され、台本のセンテンスを一定に切り分けて参加者が台詞を分担する。村社さんが作成した小型で箱馬のように無骨な見た目の案外座り心地の良い椅子で車座を組んで「作品」が実施/上演される。終了後感想会が設けられる。床を少し上げる程度の小さな椅子が参加者の目線を低く交し合わせ、てきめんにインフォーマルな雰囲気を生み出している。そのせいか演劇行為としての試みは、さほど形式ばらずに成立しているという印象。そこにいる人が上演への参加を通じた体験的水準で作品について対話するという目的と方法が実直に貫通しているように見えた。村社さん達と入れ替わる形で予定されていたAokidさんの「Try Dance Meeting」は、この日、同フェスティバルの他演目の終了時間が遅れたこともあって参加者が揃わず。終了時間の間際に訪れた参加者と少しダンスにまつわる雑談を交わす。

続いて入り口のシャッターを締め切ってほぼ暗闇のなかで行われたのが「The embryonic sound of film──映画の胎動音」。「七里組の映画制作中の『音』を中継」するというもので、これもスパイラルホールで行われたプログラムのスピンオフとなる。「今ここに無く、これから現れる映画、見えない情景を想像させる」という構想に対して素直に展開される試みで、それ以上付け加えることもない。知覚を制限し「想像する」という、空間設定が及ぼす暗黙のインストラクションを参加者に課す形になる。スパイラルと巣鴨での実施を比較すると前者はプロジェクターで映し出された黒色のブランクがそれでもわずかに空間を照らし、オーディエンスは各々のスタイルで床や椅子でその時間に関わることができたのに対して、後者は移動の自由が効かないくらいにはブラックアウトした室内でスクリーンもない。前者がまだ「見る」という観客のマナーへのフィードバック回路があったのに対して、後者はただ暗闇の中で音を聞くだけであり、なんともぶっきらぼうで率直な構え。

よだまりえ、松丸契、
高良真剣、村井祐希、
濵田明李《山彦さんへ
小さくなったり大きく
なったりします!》

「山彦さんへ 小さくなったり大きくなったりします!」は、メンバーによる青山の街歩き・パフォーマンスの記憶を、参加者と親密な距離間で報告・共有していく。青山での街歩きでは、グループのメンバーそれぞれの表現上の性質に基づいた街との関りや、青山の景観を借景しパフォーマンスの舞台に見立てるなど、「やまびこ」のように街との呼応関係を築くことが試みられたという。7daysでは映像や、街歩きで使用した小道具、パフォーマンスを通じて体験の共有がなされた他、会場にキュレーターAokidさんの青山マップ(イラストレーション)を広げ、メンバーの高良真剣さんが青山散策で採取したという音が記された紙片を、参加者も交えてそれが聞こえるであろう場所を想像しながら配置していくという、第三者によって体験的な記憶を再構築していくゲーム的な試みもなされた。


よだまりえ、松丸契、
高良真剣、村井祐希、
濵田明李《山彦さんへ
小さくなったり大きく
なったりします!》
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上|Photo
Aokid


林慶一Keiichi Hayashi
制作者
1986年生まれ。2006年よりdie pratzeにスタッフとして参加。2005−2015年は自身のパフォーマンス活動を併行して行う。2012年より「ダンスがみたい!」実行委員会代表。同年、d-倉庫制作。アーツカウンシル東京 平成29年度アーツアカデミー事業調査研究員(舞踊分野)。2019年「放課後ダイバーシティ・ダンス」プロデューサー。2022年よりフリーランスで活動。

※レポート掲載のクレジットがない写真撮影は筆者による。