Body Arts Laboratory

Whenever Wherever Festival 3年間を振り返って

山崎広太

  • 1.

2001年からニューヨークをベースに活動し、次第に日本との環境の違いを感じるようになり、日本で新たな角度からダンス・コミュニティというものを考えなくてはいけないのではないかと思い始めていました。丁度その時期に、トヨタ芸術環境KAIZENプロジェクトのことを知り、「新人振付育成のためのスタジオシリーズ」で応募しました。採用されたことを機に日本の現状をリサーチして、少しずつでも改善に向け積極的に行動を起こしたいと考え実行してきました。

NYでは、特に実験性の強いダウンタウンのダンスシーンで、多くのアーティストが作品創作することを超えて、何らかのかたちで色々なプログラムや活動に関与しています。通常の劇場で新作公演はそう頻繁にできない厳しい現状でも、公演以外のプログラムをアーティストが立ち上げ、考えやビジョンを共有することで、逆にそれぞれのアイデンティティが生まれ、ダンスシーン全体の活性化やアーティスト同士のアクティブな関係につながっていきます。もちろん、そのような活動に関与することを望まないアーティストも含めて、受け入れる器が必要です。
日本のダンスシーンでは、公演することのみが重要視される傾向にあり、そのジャッジは評論家に委ねられ、またはコンペティション、仕事の頻度の度合いにおいて振付家が有名になり、その周辺にダンサー、ファンが集まることで、活動の持続を目指すあり方に思えます。このような現状が続くならば、日本のコンテンポラリーダンスは衰退へと導かれるのではないかと懸念します。

  • 2.

このような状況の変革を考えたとき、試行錯誤を繰り返しながら、アーティスト自身が自発的に、その土壌に見合った新しいシステムのようなものを見出していくことの必要性が出てきます(システムと言うほど大げさなものでなくてもよいのです。ただし、振付家、ダンサーを温存するための既存のソサエティをモデルに築くこととは違います)。そうした運動の実現に向けて一つ言えることは、アーティスト一人一人に、社会に存在している責任の意識、ダンスと同じように、自ら切り開き他者へ還元するという意識が恐らく必要ではないでしょうか? そこから、何か新たな流れがブレイクするように想像します。

その実現に向け、アーティストが集える場の創造をサポートすること、アーティストがダンスを通してポジティブな活動ができる環境を促すことが必要だと考えます。もちろん、そのような環境づくりが即、強固な作品づくりにつながるとは限りません。孤独になることもまた、作品創作には必要でしょう。しかし、同時に新たな環境づくりを行なうことは、長期展望における日本のコンテンポラリーダンス界の存続、馴れ合いではないアートコミュニティの活性化、究極には、グローバルな視点での文化の質の向上、また、社会への還元につながると確信しています。

  • 3.

WWFesの3年間で多くのアーティストが横断し合い、新たなコミュニケーションの場を創造してきました。しかし同時に、多くのプログラムが自然派生的に実現したというよりは、僕個人の意向や興味に依っていたため、中には、必然性があっての参加ではないアーティストの方もいたかもしれません。でも、初めての試みであった故、誰かが起爆剤にならなければいけない状況であったと思います。
来年は、第2・3回でサポートを受けたアサヒ・アートスクエア・パートナーシッププロジェクトには、募集要項の方向性の相違から応募はしませんでした。これを機に、少し縮小することによって、自然派生的に、また自発的にどなたかが立ち上がるような雰囲気が生まれることを望んでおり、僕個人としては、少し引いて見てみようと思っています。

一方来春、振付家でありNYの『ムーブメント・リサーチ・ジャーナル』の編集長で、欧米で引っ張りだこのTrajal Harrellが、セゾン文化財団によるヴィジティング・フェローで来日。また、インパルスタンツ・フェスティバルなど、その先鋭的なオーガナイズなどの活動でヨーロッパで影響力のある、Mårten Spångbergの来日が予定されており、フェスティバルのミニバージョンのようなかたちで、彼らと日本人アーティストのエクスチェンジをサポートするような企画やプログラムを計画しています。 

  • 4.

余談ですが、先日ドイツで行なった公演の終了後、僕の作品に関してのフィードバックと同時に、多くの人がWWFesに興味を示していました。現在、エスタブリッシュなカンパニーを率いる振付家よりも、インディビジュアルな考えを持ったアーティストに対して興味が注がれ、またそのようなアーティストがシーンを動かしていっている実情です。既存のカンパニー振付家やシステムのマンネリ化と、グローバルにアーティスト同士のコミュニケーションが活発になっていることから、必然的にそのような状況になったのではないでしょうか。そのドイツのフェスティバルも、ディレクターは振付家や演出家など4人のアーティストが務め、運営、キュレーターに至るまでアーティストの手によって行なわれていました。アーティストはアーティストでしか知り得ない悩みや苦労を知っています。アーティストが何か状況を変えていこうとする気運が高まっていることを感じるとともに、これは、世界同時多発に起こっていることと予測されます。エスタブリッシュな劇場はともかくとして、こうしたフェスティバルが、ディレクター、プレゼンターの一存で物事を決めるのではなく、アーティスト同士のリサーチやコミュニティによって多くのことが成り立っている現状に対する認識が必要に思います。

Body Arts Laboratoryは、以上を踏まえ、世界の状況、流れを同時に見つめつつ、日本に相応しいオーガニゼーションとして精力的に活動していけたらと願っています。

[2011.12]

Photo: Ryutaro Mishima

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