Whenever Wherever Festival 2010

ひらく会議|振付の現在



まったくもって失脚した山崎がいた。振付家の民主化として、60年代のジャドソンの当時の民主化と、今現在の振付に対して民主化すること、つまり、作品を作るのみが振付家としての役割ではなく、もっとそれを拡張することが多いにあり、そのもの自身を民主化という言葉とジャドソンを結びつけ自分で興奮したのが、丁度、1年前の夏。あれから、創作で忙しくなり、まったくそのことに関与しなかった。そしてこのフェスの準備で忙しく、状況に対して言葉を云うことよりも、やらなければいけないことがたくさんあった。それと、昨年の「ひらく会議」が、参加者全員がポジティブに反応していた。それ故、今年もそうなるであろうと楽観視していた自分がいた。本当に停滞した会議だった。もう二度とこのようなことは繰り返したくない。もう来年のことの準備を進めたいと思う。

それは、フォーカスをしっかりして、想像するに、本来の「ひらく会議」とは違った、いろいろなジャンルの方が加わり、言葉が錯綜、横断して、そしてダンスも行われるという、仮タイトル「身体、横断会議」にしたいと思っている。

と同時に民主化、ダンスの拡張ということから必然的に、日本の現在の環境を思ってしまう。それはとても悲しい。それは助成金のことではなく、それ以前の問題である。アーツマネージメントとして、まったくもって成立していないことだ。平田オリザさんの意見書も、それに言及していない。それを0.01ミリでも良くするよに、BALは努力して行きたいと思う。

report by 山崎広太


トピックス

  • 「リレー・コレオグラフ」について
    リレー・コレオグラフにおける振付の共有とは
    作品の共有ではなく、ダンサーの身体の共有
  • 振付の拡張(民主化)
    アーティストによるオーガナイズ
    各々の活動における「振付」の範囲は?
  • inconsumableプロジェクトについて
    「創造すること」を創造する
    消費<記号化(ボードリヤール)
    資本主義のサイクルへ反省を促すこと
  • 振付家の言葉・批評
    ひらく会議
    振付家の実践
    WWFesのフィードバックから個々の実践へ
  • 作品を育てるシステム(実験)
    振付の縮小、振付の視点
    手法の試行と交換
    アウトプットの形態=WS
    上演形式への問い、ギャップ、摩擦
  • ダンサーが自身を素材として扱う構図に注目する
    振付家/ダンサー
    ダンス=主体の複数化?
  • ダンスを「社会へひらく」とは?
    ダンスを通して社会へ参加するとは
    身体を通して経済などさまざまな要素を思考することができるアートの可能性
    ダンス内ダンス
    貨幣・作品・交換

[筆記協力:岡本拓]


出演:大植真太郎、大橋可也、白井剛、手塚夏子、
富田大介、西村未奈、武藤大祐、山崎広太、山下残

2010年7月1日
森下スタジオ Bスタジオ

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Photo: Photo:Body Arts Laboratory

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