Whenever Wherever Festival 2019

未来talkしませんか?

話は本題に戻り、僕が考えるアイデアの例としては、雑多で分裂気味ですが、以下です。

・リベラルアーツ系教育に関して

世界的に見て、日本の大学において、身体芸術の教育の取り込みが著しく遅れていることは、自明のことですが、リベラルアーツの教育のあり方を考えていくことは身体芸術の未来に大きく影響すると思っています。アメリカではリベラルアーツを実践するおびただしい数のほぼ全大学に身体芸術のコースが設けられていますが、何も、将来ダンスアーティストになりたい人だけがコースを受講するわけではなく、まさに身体を通した思考を培う場として建築、哲学、考古学、美術、生物学など多様な興味を持つ学生が受講できるようになっています。もちろん、そこから、プロフェッショナルのダンサーや振付家、アーティストも生まれていきます。性急に、日本の教育を変えることは、ほぼ不可能だと思いますが、そのような思想の延長で、せめてダンスアーティストがどのようにダンス作品と関わり、またどのような生活をして生きているのかを他のジャンルのアーティストに知ってもらう機会を持ち、またそれぞれがシェアするプログラムを開催したらどうかと思っています。アート系に限らず、スポーツ、経済、サービス関係の方々、学生などに参加していただくことが理想です。何故ダンスアーティストは貧乏なのにも関わらず、その道に生きることを決め活動しているのか?表面的なところからダンスを把握するのではなく、もっとダンスの魅了する部分を知ってもらうことです。その逆もありです。そのようなリアリティや、モチベーション、インスピレーションの部分における共有は互いにとって、とても有意義なことなのではないでしょうか?また、それが新しい出会いや、次のプロジェクトに結びつくのではないでしょうか。

・衣食住に関して

普段、生活をしていく上で、至る所にダンス、振付の可能性が存在しています。例えば、カフェ、スーパー、オフィス、サービス業など。ダンスや振付をもっと広定義で捉えると、全てが踊りの可能性につながります。振付の定義を捉え直すだけでも、デザインや政治、あらゆることが振付の思考とつながっていきます。また、社会における歪みのケア、や教育においても、ダンスが重要な役割を担えるでしょう。少し、余談ですが、例えば、日本のCMには他国で例を見ないほど、現在、ダンスが取り入れられています。ここで、いわゆる一般的な、見慣れた可愛い、かっこいい、コミカルなダンスだけでなく、よりユニークで実験的な振付がもっと入る余地があるかも?もし、コミュニティーが何らかの形で社会に認知され、主張できる立場にあれば、未知なる価値を提供するアーティストを発掘して紹介することもできるかもしれません。

・パブリックスペースに関して

僕は、現在、Becoming an invisible Cityという劇場と都市を縦断するパフォーマンス・プロジェクトを立ち上げ継続して展開していこうと思っています。内のパブリックスペースである劇場と、外のパブリックスペースである都市をつなぐ、非常に可能性のあるプロジェクトだと思っています。例えばですが、具体的に言えば、Tokyo Tokyo FESTIVALに、身体とダンスを通して都市にフォーカスしたプロジェクトということで申請し、多くのダンスアーティスト、や他ジャンルのアーティストを巻き込んで、市民創造文化活動支援として、東京の至る所で同時多発的にプロジェクトが行われるように発展することも可能だと思います。しかし実現までには、かなり周到なパブリックとの関係を吟味し構築する必要があります。この会議の終了後、実現可能かどうか考えます。  

・プラットフォーム化することについて

これは、欧米的なスタイルに少なからず近くなるかもしれませんが、プラットフォーム的な役割を果たすオーガニゼーションが、そろそろ立ち上がる必要を感じています。今までは制作会社などの中間組織の役割はどちらかというと、それぞれのアーティストの公演をサポートすることでしたが、プラットフォームとしてのオーガニゼーションは、複数の中間組織の方々の豊富な知識、経験を結集させ、舞台公演を中心に、そのオーガニゼーションの運営、管理、アドバタイジング、パブリシティー、新しいプロジェクトの発掘、アーティストのアウトリーチ(地域や他分野コミュニティーとの交換)の促しなどを、積極的に実践していきます。これは既存の、バレエ、モダン、舞踏などの総括団体や協会とは違い、よりオープンな機構で、一般の方々や社会とのコミュニケーションや、ダンスの浸透も目的としています。この会議を今回開催したことの背景には、文化庁からのコンテンポラリーダンスへの助成金が大幅にカットされたことも一因にあります。実際のところ、東京のほとんどの劇場は設備がいいです。協働できるスペースや劇場があるのであれば、例えば、そこが(固定でなく、シーズン毎にスペースが移動もあり?)日本のコンテンポラリーダンスの殿堂のような場所にする。シーズン毎に、アーティストがコミッション(新作制作依頼と費用)をもらって契約し、毎年、4-5作のコンテンポラリーダンス作品を上演する。また、そのようなプログラムに対して、コミュニティーが形成されていれば、協力的にサポートすることができる。だから、皆さん、他のアーティストの新作公演は、できるだけ、絶対に見ないといけません。アーティスト自身がなかなか他のダンス公演を観に行かないのに、一般の観客の皆さんに、是非、ダンス公演を観に来てください、というのはいかがなものでしょうか?そして、批評的な視点を持つことも重要です。個人を超えたより大きな文化の形成は、やはり、まず、個々のアーティストがそのような意識を持つことから始まるのではないでしょうか。
そして、このようなプログラムでは、劇場やプラットフォームとしてのオーガニゼーションが、制作やパブリシティを担当するので、アーティストはそのようなことに気を取られることなく、作品創作に集中できます。そして海外のプレゼンターなどに、この劇場で精鋭的なダンスを見ることができる場所として認知されれば、国際的な窓口や仲介の場としても機能するでしょう。また、そのプラットホーム的なオーガニゼーションが実施するプロジェクトとして、新人振付家を中堅振付家がキュレーションしてショーケースを行ったりアドバイスセッションを行うプログラム(ニューヨークのDance Theater Workshop [現New York Live Arts] 創設のフレッシュトラックを参考に)や、定期的に無料(任意でドネーション有り)で誰でも観覧できる実験ダンスのワークインプログレスのショーケースを、野外劇場などオープンなパブリックスペースで行う(ニューヨークのMovement Researchが実施しているジャドソンチャーチでの月曜定期ショーケース参考)プログラム、あるいは、至る所に、散在しているダンススタジオや、大学と提携したアーティストレジデンシーなど、多くのプログラムがあります。もしこれが実現されることになったら、お互い批評的な目を持ちながらアーティストと中間組織が一体となって、活動を行うことになります。キュレーター的視点、運営の視点、を誰もが学んでいかなければならないことにもなります。まさに、環境、システムを自分たちで整えていくのです。しかしこれは少なからず文化庁の助成金を助成されることが必要不可欠です。独創的なプロジェクトが多く立ち上がっていけば、企業などの協賛も自ずと付いていくことも可能なのではないかと思っています。

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Photo: Photo:Body Arts Laboratory

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