Body Arts Laboratorycritique

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Jun Kurumisawa

1.

「パラレルワールドとして存在してほしい」
終演後のロビー。プンチャック・シラット(武術)の、弧を描く動きを美しいと感じたこと、そこから、インドネシアの哲学や歴史やコンテンポラリーダンスに出会っていったこと。
彼女はこうも語る。「踊ればダンスになるとは思っていない。脆弱な身体と向き合っている。」

ダンサーは4人いた。
加えて映像と音楽と照明。
彼らはこの日(2012年3月17日)までの3週間、グンドノという名前のインドネシア人男性と彼の母の死にまつわる物語を共有しようとしてきたらしい。だが、「グンドノの物語は母子愛の物語だ」と即座に判断できてしまえるインドネシアチームと、その完成された答えを前に停止してしまうトウキョウチームの価値観の溝は深く、この物語を共有する意義があるのかさえも実は怪しくなっていたのかもしれない。いや、怪しい段階にあった、と現在は言うべきなんだろうと思う。

私たちは日々、数えきれない経験をする。
柔らかい風に揺れる葉先が、空間の異なる層に刻一刻と触れて時を開いていくのを感じられる瞬間があるけれど、人もまた、世界を構成している複数の層を通過しては命を開いてもらう。「歩く」という慣れ親しんだ動作でも、時空間のどの層に身体のどの部位が位置して居るのかを、そして、その動きのショットが流れるシーンへと仕上がるさなかに、外界と私が交わしているやりとりを、私自身が感じながら歩こうとすれば一気に「歩く」がぎこちなくなることからもわかるように、人が瞬時に受け取っている情報量は意識にはっきりと上らせ尽くすことが危険なほど、多い。彼女の言う「脆弱な身体」とは、この情報量に応えきれないもどかしい身体のことだろうと私は思う。

だから心は防衛のためかしら、経験の記憶のされ方に工夫を凝らしているが、経験は動いている。断片化された経験はふとした折りに、輪郭の強弱や多様な質感を変化させて描き直され、イメージし直され、曖昧な背景から浮かび上がってくる。
そして、この経験の質感こそが、「私」が世界を眺める際のレンズになり、ともすればひとつの質感に偏って眺めることが、私の基準(価値観)を形成してゆく。

しかし、2012年という時間は、特別扱いできる親しい「接触」の力を求めているのかもしれない、と私に感じさせたのが《To Belong》という公演だった。

2.

北村明子とマルチナス・ミロト、ふたりが対峙するとき、そこには魅力的な対戦の趣があった。
対話を偶然に任せて待つという姿勢は彼らにはない。それぞれが積極的に、相手が内心で頼りにしている動きの基準をずらそうと仕掛けあっている、そんなふうだった。

二人は、違う世界観の中に居る。

違う場所に位置している相手に、なんとかして語りかけようと、「私」は一歩、「彼/彼女」の位置している側へ足を踏み出さなければならないのだが、そのときの「私」は、自分が位置している世界観のタイムラインやイメージや構造を放棄しない。「私」が、「彼/彼女」の世界の基準(レンズ)をずらして、なんとかして平行世界にいる「彼/彼女」と眼差しの交差する接点を探しだそうと目を凝らす、その過程に、あの、葛藤と挑発と拒否と諦めを、くるくると移動していく表情が生まれるのだろう。

仮にここでは、それぞれの基準について、北村さんは、現在同じ時空間に居る生々しい相手との対話を基準として動き、一方のミロト氏は、異なる次元にいるもう一人の、物語のキャラクターに仮託したミロトやアキコ、との対話を基準に動こうとしている、と言ってしまおうと思う。ミロトは姿の見えない人形を使ってアキコに語りかけ、北村さんは北村明子のまま、ミロトに話しかけている。向き合ってはいても、二人が身を置いている世界の位相が異なっている時点で、対話は、あらかじめ困難な仕組みに阻まれている、と言えるだろう。

だから、やがて彼らチームは、異なる二つの眼差しがアクセスできる、まったく別の第三番目の位相空間を発見、いや、構築するための旅へと、必然的に繰り出す、出した、のだろう、かもしれない。

3.

「パラレルワールドとして存在してほしい」
北村さんの冒頭の言葉は、《To Belong》と題されたワーク・イン・プログレスが並べている多様な要素――異なる言語・物語・音楽・映像・照明・世代も文化も異なる身体――つまり、彼らのチームについて語ったものだ。
本来、パラレルワールド/平行世界には、決して「私」は交わることが出来ない。どこかで走っているのかもしれない異なる時空間に想いを馳せ、アクセスしようとする「仕草」があり、それへの淡い返答らしき声を「私」が現象の中に見立てるときに、気まぐれに存在を報せる。
北村さんによれば、武術であるプンチャック・シラットには、不思議とダンスよりもダンスらしくなる瞬間があるという。相手の動きを認識しているようでは既に遅く、「先を読んで先に動く」ことが大切なのだと。乱暴な切り取り方をすれば、このエゴイスティックな“妄想ムーブメント”の呼応の連鎖は、どちらが先でどちらが後だという理由と結果のルールに支えられた「現在の地点」を当事者に見失わせ、半ば強制的に、現場でまったく新しい時間の織られ方のルール(基準)を要求するのではないだろうか?
プンチャック・シラットは、第三番目以降の位相空間を、既存の他者との関わりによって生成してみせる「仕草の魔術」なのかもしれない、と私は思う。

単に、親しくひとつのイメージを目指す恊働を北村さんは求めていない。まったく異なる背景を抱えて走り抜ける「他者たち」と、誰一人(メディアも含めて)自分の時空間を放棄せずに関わること。平行世界は、往々にして既に走っている状態を表現されるが、《To Belong》では、現場で作り出され得る気配を見せていた。

現代のワヤン・クリは、影絵操者ごと舞台裏から観劇するそうだ。
ワーク・イン・プログレス《To Belong》も、ダンスの誕生に向かって走っている、二度と戻れない選択の連鎖をまるごと公開したんだろう、きっと。
ねぇ、9月、動きは無事にダンスに成りましたか?

かわむら・みゆき|アーティスト]


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Jun Kurumisawa

インドネシア×日本 国際共同制作
《To Belong(トゥービロング)》ワーク・イン・プログレス(創作過程)発表

構成・演出:北村明子
ドラマトゥルク・映像:石川慶
サウンドディレクション:森永泰弘
音楽提供:Slamet Gundono(スラマット・グンドノ)
照明・美術・テクニカルマネージメント:関口裕二(balance, inc.-Design)
出演・振付:
Martinus Miroto(マルチナス・ミロト)
Rianto(リアント)
三東瑠璃
北村明子

2012年3月15日-18日
森下スタジオ Bスタジオ

このプロジェクトは継続され、4月インドネシア・ジャカルタでの公演を経て、9月世田谷シアタートラムで公演予定。


協力:Office A/LB