Body Arts Laboratorycritique

contents

more

photo
Tomo Saito

動けない私の前に広がるのは畑だ。
畑へでて、身体をたがやしたい。種をうめたい。舞踊をそだてたい。
竹棒をたよりに、畑へ出た。
幻想を追う私がいる。
―ケイタケイ

まず、いきなり言い訳をさせて頂く。私、JOUは、評論家ではない。23才にてダンスの道に迷い込んで以来、未だに試行錯誤中の一ダンサーであり、混沌としたまま模索中の一振付家である。ダンスを始めて21年になるが、その3分の1を海外で、様々な試みを通過しながら、過ごした。輝かしいプロではなく、ダンスをする一市民として。そのような、同業者の末席を汚す者の個人的なつぶやきとして、これからの文章をご笑読頂ければ幸いであります。

舞台奥から、ケイさんが、そろりと出て来た。背は、さして大きくはない。むしろ、かわいらしい体型である。白い衣装からむき出しの足は、ほっそりしている。もっしゃりと黒い髪。その様子だけで、舞台の空気が、期待と興味に変わる。舞踏がまだ浸透していない70年代のNYで、こうした彼女の日本的な個性は、賞賛をもって受け入れられたに違いない。

作品にはドラマツルグが存在し、群舞シーンは、ダンスワークショップの延長のごとく、ケイさんの合図によって動きが展開されてゆく。
例えば緊張と弛緩の合図だけで、十分に面白く見えるのは、魔法使いのようにしてリードしているケイさんの存在の魅力も大きい。男性二人のデュエット中、少し離れたケイさんが一人、ロープを端から端まで手繰っては戻ししている。無心の童女のようであり、老女のようであり。チャーミング。「この人は独舞で、1時間位余裕で観客を魅せられる、優れた演者なんだろうな」と、思う。
舞台を見ながら、世代の違うダンサー達と、こうして作品を作る作業やワークショップができることの幸せを、ふと思った。何十年間も、世界的にダンスをしている彼女から学べるダンサー達の幸せと、全てではないにしろ、自分の世界を伝えられる人間や場所や機会があるという彼女の幸せと。

農家にいる鶏を想定した動きの場面や、沢山の白い風船での植え付けの数え唄の場面などは、リズミカルで、明解な群舞の振付けの強度を感じた。「このダンサー達の一体何人が、実際の鶏小屋や畑仕事を体験しているだろう?」と、時代や住環境の変化へと、思いは遠く飛ぶ。

終盤、ケイさんの魔法力が消えてゆき、戦いに負けた彼女が手足を縛られて、連れ去られ、終わりとなる。個人的には、その終息への推移の部分を追いきれず、終わってしまった感がある。ドラマ的に、ケイさんがいる時といなくなった時、彼らの中に何か変化が起きることを、いつの間にかどこかで期待していたからかもしれない。

「オックスフォードの舞踊事典には、ケイタケイの名前が載っている」(『wonderland』参照)というケイ。1967年にNYに渡り、69年《LIGHT, Part 1》にてNYデビュー。92年帰国後も、96年まで31 Partを世界各地で上演(『CoRich舞台芸術!』参照)。2010年、最新作Part 32を発表した。
ケイタケイ公式サイトhttp://www2.gol.com/users/keitakei

[じょう|振付家・ダンサー、Odorujou名義でプロデュース]


ケイタケイ’s ムービングアース・オリエントスフィア
《LIGHT, Part 7 “Diary of the field―創作畑の日記”》

ケイタケイLIGHTシリーズ 1969←→2010
初演:1974年、ニューヨーク インターナショナルハウス・オーデトリアム
日本初演:2009年、東京

演出・振付:ケイタケイ
美術・舞台監督:河内連太、音楽:迫彰一郎、照明デザイン:清水義幸(カフンタ)、衣装:ケイタケイ、制作:斎藤朋
出演:石田知生、大塚麻紀、奥本聡、角隆司、川原田瑞子、木室陽一、響子、吉岡紗矢、ラズ・ブレザー、ケイタケイ

東京公演:2010年5月18日 スタジオ・ムービングアース
白鷹公演:5月23日 山形県白鷹町文化交流センターAYu:M(あゆーむ)
山形公演:5月24日 山形テルサ・アプローズ

主催:ケイタケイ’s ムービングアース・オリエントスフィア
白鷹共催:白鷹町教育委員会、白鷹町文化交流センター事業企画委員会

【動画】白鷹公演より


協力:ケイタケイ’s ムービングアース・オリエントスフィア、斎藤朋