喋りながら考えている
ダンス・パフォーマンスフェスティバル、Whenever Wherever Festivalは、アーティストが創作する環境について主題にしてきました。その一環で、2023年に開催したトーク「生活者としてのアーティスト」では、登壇者の一人としてタップダンサーの米澤一平さんにご参加いただきました。そのミーティングを経て、インタビューは、米澤さんの独自の活動のあり方について、詳しくお聞きする機会となりました。
米澤さんは、自ら企画もおこない、東京都新宿区の総合藝術茶房喫茶茶会記でのセッションをはじめ、10年間で500以上の場づくりをしてきました。さまざまなアーティストを巻き込んで継続する精力的な企画やキュレーションと、創作の手法である即興とが、わかちがたく結びついている実践について、お話をうかがいました。
また近年の、登戸駅高架下のパブリックスペースでのパフォーマンス・アクションで得た、新たな発見などについてもお聞きしています。
[五月めい|WWFes共同キュレーター]
場所にインスパイアされる
——米澤さんはタップダンサーですが、さまざまな即興形態のパフォーマンスを、2014年頃から企画されています。まずそれらの企画についてうかがいたいと思います。企画する上で、もっとも意識されていることはどのような点でしょうか?
場所、会場ですね。会場にアイデアをもらっているというか、そこに来るまでの動線だったり、会場の外の環境から影響がどうあるか、外から入って来たときに空間自体をどう感じるか……。そこまでの体験を経ながら、そこにどういうパフォーマンスを起こしたいと思うか、その想像を刺激されるような場所を選んでいる気がしますね。すべてそこに来て、入って、始まってというところまでを自分の中では考えています。また、僕の場合はソロでやるというよりは、毎回違う表現者を誘っているので、共演者の人に一緒にここでやりたいと思ってもらえるか、そういう場所をまず企画としては考えています。
——場所はどのように探すのでしょうか?
たまたま出会ってが多いです。たとえば、オーナーの方と別の場所で知り合って、こういう場所があると紹介されたり、自分が企画に呼んでいただいたときにその場所と出会ってオーナーの方と繋がったり。そういう意味では偶発的で、リサーチはあまりやっていないです。現在も、いくつか場づくりをしたい人から相談を受けています。そうしたことを自分で助成金を取ってやっていくのは、「ちゃんとしないといけない」となってしまう気がして、理想的には、自分のやっていることを理解してもらって好きにやっていい環境があれば良いと思っています。
——企画をおこなう中で、次の企画に繋がるきっかけがさらにあるのですね。
自分自身も企画をはじめる前までは、(いまも同時にそうですが)タップダンスをベースとしたパフォーマンスをやっていて、自分がパフォーマーとしてこの場でやりたいと思うような場所に、自分なりにインスパイアされているというのはありますね。自分が企画をやるときに、呼ばれた側として一緒にやりたいと思ってもらえるかというのが、すごく大事な気がしています。そうすると自然と、共演者も宣伝してくれて、僕が知らない人を連れてきてくれたりして、そこで新たな出会いがあります。
——2022年、新日本橋Double Tall Art & Espresso Barでの実現しなかった米澤さんの企画「FOOTPRINTS」vol.28で、映像作家・ダンサー・振付家の吉開菜央さんと振付家の大橋可也さんと米澤さんとの組み合わせはとりわけ新鮮に映り、驚いた記憶があります。また、2023年から2024年の企画、神奈川県川崎市の小田急線登戸駅高架下のストリートパフォーマンス「ノボリトリート」はとてもユニークですね。
ノボリトリート
ノボリトリート
米澤一平
岩渕貞太
谷本麻実
加藤律
北川結
横手ありさ
2023.8.17
©︎田中洋二
ノボリトリートは、はじまりは依頼に近いかたちでした。川崎の多摩地区の街自体を再開発中で、登戸の高架下の空間など街の中にいくつか空き地があるということでした。そうした場所を、そこに住むアーティストやコミュニティとどう利用できるかという動きがあり、僕はそのコーディネーターやアートマネージャーに知り合いがいて、いくつかある場所の中で、たとえばキッチンカーで利用されたり、仮設的なテントを建てたり、たまに哲学カフェが行われたりして、人が集まる場ができていました。その中であまり使われていなかった、一番広い高架下の空間の使い途の相談を受け、考えた末、5〜6人程度でパフォーマンスをするかたちで使うことになりました。
僕は普段は、屋内で10人いれば寂しくない、20人いれば多いかなくらいの会場をパフォーマンスに利用することが多いのですが、天井も高いこの屋外で何をしようかと考えたときに、パフォーマーをいままでよりも多めに呼ぼうと思いました。これまでの僕の企画は少人数で、1対1や3人とか多くても4人くらいでおこなうことが多くて、ミュージシャンやストリートダンス、コンテンポラリーダンスなど、ジャンルが僕との間では横断している部分はあるけれども、僕以外のアーティスト同士がクロスオーバーするようにはしていなかったんです。
そもそも自分が相手のジャンルに造詣が深いわけでもないし、僕自身が1対1で話すほうが好きというのがあるんですよ。この人の話が聞きたいなとなっても、3人、4人といる場合に、全体の話になってくる。「この人に刺さる言葉」というのが、結構人によって違うような気がしていて。この人へのこの言葉として、人と会話して深掘りしていきたいという欲求が、もともとのパフォーマンスの形態に影響しています。1対1であったり、相手同士が仲良しだったり、そうやって個人個人で繋がってきた人たちを、逆に全員初めましてにしたいと、全く違う形態に振り切れたのが、ノボリトリートです。
即興と鑑賞者の体験について
——即興にとって「初めまして」であったり、その場ごとにさまざまな条件があると思うのですが、米澤さんにとって、どのような要素が大きいとお考えでしょうか?
即興と言っていますが、僕はこうして人と話すのと何ら変わらないと思っていて、普段この人と学校で話しているけど、今日は海行ってみるみたいな感覚で、同じ人とでも違う環境を通すことで違う一面が見えてくると考えています。コンセプトや環境に飛び込んだときに、その人はこの場ではどうするんだろうということを僕は考えます。場所が違えば、自然と違うものが生まれると思います。
——そうした場での、鑑賞者にとっての体験については、どうお考えでしょうか?
演者は受動的でもあって、受け取って何かを持ってきてる部分がある。鑑賞者の態度って、世界に対して大前提としてすごくある気がしています。もともとモチベーションとして、自分が表現者・演者として何かをやりたいというよりは、たとえば小さい頃とかに映画を見ていても、自分がメインにならなくてもいいから、いいなと思う世界に入りたいなと思ってしまうようなところがありました。映画も舞台も客席とは隔てられているけど、少しでも近くでその世界を体験したいという想像を巡らせているというのがあって……。
自分が発信者として活動する流れのなかで、何がやりたいかと思ったときに、自分が感動したことをベースに、どう体験をつくるかが根本的にあるのかなという気がします。自分が味わってきたあの体験ってどういうふうに創作できるだろうか、自分のかたちでできるのかと。僕が主人公じゃなくてもというのは、人とパフォーマンスするときの距離感もそうで、僕はインタビュアーみたいなもので、場所もそうだし、アクションもそうですし。どういう投げかけ、与える情報が、この人の新しい一面、新しい言葉を引き出せるかみたいなところがあります。それを見られたときに、シンプルにうれしいし、僕だから聞けることがある気がする。
僕がやってきた企画は、ドリンクなどを注文できる場所が多かったので、居心地がよければ終わってそのまま、いろいろなお客さんと感想を交わすことがありました。そこで、演者としての体感と、それを言葉にされたときのギャップがあって、全然違う体験をしているなと感じたことがありました。印象に残っているのが、遅れて行って見切れている席で、この位置からあのパフォーマーの表情は見えないとなったときに、これは自分だけの体験になると。つまり、自分自身が楽しむ見方を鑑賞者自身がつくっているんですね。鑑賞者も、言葉もアクションもないけれど、能動的に頭の中はすごく動いて想像している。即興って、僕たちが代表として動いているけれども、お客さんも一緒にその場をどう楽しもうかと、いい時間を過ごしたいというポジティブな思いで来ていると思ったんですね。鑑賞者の方も、ある意味で仲間というか。
——いまのお話を聞いて、その場でしか起こり得ないという意味で、Double Tall Art & Espresso Barでのダンサー・振付家の康本雅子さんと米澤さんのセッション(「FOOTPRINTS」vol.58、2023年6月開催)を思い出しました。そのときは、野菜を切るなど日常から切り取ったような場面もあり、虚実入り混じった独特の感触がありました。
僕は、演者としても鑑賞者としても、さまざまなアーティストの方々に接して興味がある中で、実際にいろいろと話してみることが重要です。話しているだけで既にそれはパフォーマンスだと思っている部分があります。自分のなかでは、非日常的な出来事があるというよりは、みんな自分の日常があって、その日常の延長線上で、今日たまたまこういう人たちと会って、この場で感じている、そこに企画ということで一つ、ある意味で非日常のスイッチが入るというか、そういう時間を作っているに過ぎないと思っています。
それと、僕はいわゆる劇場をあまり使わないのですが、劇場では鑑賞スタイルも決まってくる。外界の情報をなるべく遮断して、ほしいものだけを舞台セットにして、それによってできる表現がもちろんあるのですが、パフォーマーは別の環境でもやりたいと思っているところがあると思います。アーティストやダンサーに、本当は別の顔があるはずだし、そういうのを引き出したいと思っています。劇場では出せないパフォーマンスができるというところを、皆楽しんでくれてると感じます。
FOOTPRINTS
vol.58
米澤一平
康本雅子
2023
©︎manimanium
言葉について
——米澤さんは聞き手として多数のインタビューもされていますが、ご自身にとって言葉とはどういうものなのでしょうか?
話を聞くのが基本的に好きなのですが、会話するときには、僕が使う言葉は、相手の想像力やその先の言葉をつくってもらうために発しています。だから割とわかりやすい言葉や、筋道を与えるような言葉の使い方が多いかもしれません。
パフォーマンスのときと同じでインタビューでも、喋りながら考えているようなところがあります。ひとまず吐き出して、自分の中で考えているのは、結論、ゴールを探すんですよ。たくさん話しながら、さっき話したことをどうやって繋げようかと考えています。