Body Arts Laboratorycritique

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Ujin Matsuo

 神村さんは窓際に立っていた。ここは、街中の「空き地」のような一室。通りに面した壁は全面窓、外からは車の音が聴こえている。隣の部屋からはかけっぱなしのラジオの音が流れて来る。神村さんの両足の指先からくるぶしにかけての神経がぴりぴりと震えている。その姿は淡々と飄々と、この空間に生じる一瞬の裂け目の中に自分の身体ひとつで切り込もうとしている。一瞬を狙う神経を休めない。
 
 神村さんの身体がその瞬間をとらえるとき、身体、身体の輪郭線、物、聴こえてくる音たちはこの空間全体と等しく、同じ粒子の密度になっているようだ。ここにある全てがフラットな一枚の風景のように観えてくる。
 
 「その瞬間」とは、何気なく空を見上げた瞬間や何もないのになぜか振り返ってしまった瞬間のような、自分がいなくなり空っぽになっているようなとき。思わず「ああ」っていう言葉が出てくるよりも一瞬早い、その瞬間。その感覚に近いだろうか。神村さんはきっとその感覚を日常の中でとても繊細に感じている人。神村さんは自分の内側に何の気もない、何気ないニュートラルな状態であることで、その瞬間、すうっと空間と一体になっていく。同時に、その自分の体を観ているもうひとつの意識がある。そのような身体の在り方だと感じた。 

 神村さんがときおり「ハイッ」と言うと、傍らの椅子にずっと座っている捩子ぴじんさんが、紙に、何かを書き留める(それは「ハイッ」と言ったときの神村さんの位置と時間を記録していたのだという)。二人のやりとりが繰り返される度に、空間と一体に観えていた体はどこか遠いところからこちらへ戻ってくるようで、“その瞬間って、あるけどずっとは続かないよね“と、観ているこちらが茶化されているような、ある種の気分や情緒に居着かない神村さんの絶妙な醒め方を思わせ、ユーモラスだ。その一方で私はふと、消えていくからこそ強く残される確かな瞬間のあることを感じていた。
 
 神村さんの踊りはとてもシンプルだ。彼女の神経が空間に生じる一瞬をとらえた時だけに反応していくような無駄のなさで側転する。静止する。手や脚が伸びる、また戻る。その動きを見ているうちに、神村さんの身体と空間とが別々のものではないように観えるのはなぜなのだろう。
 
 からだの内側にも広がる空間を想像してみる。踊り手のからだと外側の空間とが一体に観えるとき、内側には何が起こっているだろう。そしてそこに、自分のからだに起こる出来事を観ている、もうひとつの意識がある。からだ、からだの内と外、そして意識のこの関係性は、時には内と外のズレ、独特の間を生じながら、「その瞬間」に向かっていく。踊り手のからだがその瞬間をとらえたとき、空間の中でからだを他から分けている輪郭線さえもが同じ粒子になって広がる一枚の風景に観えるのは、自分のからだが内側にも外側にも感じうる全てをあるがままに観ている、もうひとつの意識の体験ではないだろうか。
 
 内側にも外側にも同じように広がっている空間があるならば、一歩、また一歩と、内面を豊かに深めていくことは、踊り手が舞台上で孕む空間がより豊かに広がっていくことだと私は思う。自らの深淵を識りながら、浅瀬に立って水平線を眺めてみる。自分が水平線の向こうに消えていくかのように。そして、また、何事もなかったように歩き出す。それは何気ない日常の一コマかもしれない。だがそのとき、消えていくからこそ確かに残される瞬間は、より鮮烈になっていくのだろう。

[おおくら・まやこ|舞踏家、天狼星堂メンバー]


《訪問者(5月)》

振付:神村恵
出演:神村恵、捩子ぴじん

2010年5月28日・29日
小金井アートスポット シャトー2F
「空き地 vol.1」(出演:神村恵、捩子ぴじん、井手実、手塚夏子、梅田哲也)にて