Body Arts Laboratoryinterview

3.

土方巽について

―土方さんの方に話を振りたいと思います。土方さんの《バラ色ダンス》から舞踏のスタイルに至る変化はどんなものだったのでしょうか?

終戦後、土方は働き始めて、モダンダンスを習い始める。そして東京へ出て来て、あるとき、大野一雄の戦前に4回やったリサイタルの一つを見る。その踊りを見て、大野一雄に近づく。そのときに土方の習った教養としてのダンスは、江口系のドイツ風ダンス。江口はドイツにほぼ2年いたんだ。その内の1年半は、劇場を歩くことと、生活のために、日中社交ダンスを軍人、大使館の人に教えることに費やした。そして最後の半年、初めてドレスデンに行って、稽古場でヴィグマンと会う。実際に習った記憶はわずか3か月で帰って来る。観たものを適当に綴り合わせて自分のシステムを作る。それが日本の抽象舞踊の最初だった。別に抽象でも何でもないんだよ。
土方はそういうところから離れた。彼は自分のなかからものを作った。そうすると、個性、個になる。団体になっていると、例えば何とかバレエ団の何とかさんというふうにして、社会的に場所が決まってくる。それが個に立ち戻るんだよ。これが、舞踏の一番正しいこと。芸術家は複数ではありえないという、これまでもそうだし、今後もそうだろうと思う。一人でしか、ありえない。もっと遡れば、人間の存在は60億分の1だよ。そうすると身体には、第一に骨組み、それに引っ付いた筋肉があって、これは古今東西、髪の毛の色、肌の色、環境、社会生活、それだけの違いでね、全部一緒。一緒ということは、身体のなかに出来上がるもの、それは個。

土方巽 DANCE EXPERIENCEの会

土方が《禁色》を発表して、三島由紀夫とかいろいろ応援が付いた。そしていきなり、《650 EXPERIENCEの会》で自分も《禁色》の改訂版を出し、それに大野一雄が加わってきて、今度は《土方巽 DANCE EXPERIENCEの会》で彼個人のリサイタルだ。2回きりしかでてこなくて、その最後に《聖伯爵》をやった。これはサドのことで、多分、澁澤龍彦に勧められてやったんだけれど、失敗作なんだよ。珍しく土方が自分の体質の中にない、性的なところへ行かなきゃいけなかった。土方は姉が売られている。それがトラウマになって、対女性の性に関しては、どこか厳密な考えとしてあって、心理的な抵抗があった。
一番はじめに姉が出てくるのは、石井満隆のガスホールでやった作品《舞踏ジュネ》だったと思う。そのなかで真っ白のうちかけを逆さまに着るんだよ。これは、お姉さんが結婚できなかったということ。田舎は白無垢にこだわるみたいだね。村をずっと行列して歩いて、嫁入りするということらしい。その白無垢が姉には着られない。姉は神戸の花隈って旅館に売られていって、もう治らない梅毒で戻ってきて、家の隠れ間みたなところでずっと過ごしていたある日、井戸のなかに飛び込む。彼は、落ちていった姉がどんなふうに浮いたか、そんなことをどこか想像しながら立ち泳ぎを覚える。姉は彼にとって母親代わりだった。そして、本当の母親はアイヌ系なんだ。その村の農卑で、農家の息子と結びついた。家は、小学校の先生か村長さんがやるような立派な家で、父親はその家系を認められて近衛兵になって東京へ出てくる。若くして近衛兵になった男が国に帰って、威張るんだろうな、飲んだくれになるんだ。そして身を滅ぼしていって、金に困って姉を売る。その間に11人子供を産んでいる。本当は12人らしいけどね。
この《聖伯爵》の失敗が彼にとって大変なショックだった。今度《650 EXPERIENCE》から後に掲げたのは、三島に揮毫してもらった「藩儀大踏艦」。藩儀大踏艦とは、炙りものにされたものの生涯なり、表現、現れは、素晴らしい踊りの鏡であるという意味。これはお姉さんが対象なんだ。つまり、一回自分の出自、故郷に戻る、東北へ回帰することを何となく宣言するんだ。

東北回帰

そして土方は、新宿の小さい小屋で、玉野黄市を中心にして、小さい踊りをいっぱいやるんだ。その時に東北の三人娘ができる。犬に始まって、女になって、裸体の女になってというような、変化をつけた三人の踊りが、あのときから始まった。そして、その東北回帰と犠牲態を両方一緒にしたような最初の試みはハルピン派なんだ。歌舞伎を見ればわかる「寺子屋」の歌。寺子屋の義太夫は上から音が落ちて来る。武士の縁側は高い。後ろに階段がザーッと続いていって、あの上で、主君の息子=後取りの代わりに、自分の息子の首を切って差し出す。首を調べる相手方も良しと言って、知ってて持って行く。もうみんな嘘を付いている話ばかり。そこに悲劇、悲しい心情が残る。それを、帯を前にした田舎女郎の三人娘が、鶏になって高歯を履いて腰を折って、上を覗き見てバーッとひっくり返る。そして、高歯を両方に持って、カチャカチャするんだ。人の身代わりに自分の息子の首を切るという武家社会を見て、びっくりして顔を見合わせてワサワサするというシーンがちゃーんとあるんだ。もし歌舞伎を理解した観客がいたら、あの作品の、庭の前の、鶏の田舎女郎の驚きのときに、その表現が全部わかる。
それで、藩儀大踏艦の時代を過ぎて、結局、《土方巽と日本人-肉体の叛乱》になる。ここでも鶏がでてきて、それから鯉か鮒を口に食わえて走るというようなことを繰り返す。猫になる彼自身が魚を捕っていくんだろう。藩儀大踏艦も入れて《肉体の叛乱》と見ていくと、対キリストの要素が見て取れる。これは大野さんと違うところだ。大野さんは、信仰に入る。土方は信仰ではない、思想の対象者としてのキリスト。そういう過程を経て、《四季のための二十七晩》で東北回帰は完結すると。

病める舞姫

それをもとに確信をもって取り組まれたのが、『病める舞姫』のテクストで、そのなかに姉と自分との関係がずっと書いてある。姉が自殺するときに使った言葉が、「姉とは突然いなくなるものだ」。だから何でもないところで突然、井戸に飛び降りた瞬間を表す、そういう文章が書ける。踊りをやっていて、身体のなかのいろんな動きや変化、経験を全部吐き出していったら、これは言葉になるか、あるいは踊りになるか、あるいは他の媒体を使ったものになるか。それによって、自分で一生懸命作り上げた舞踊が面白くなる。一方で、身体が衰弱して不自由になっていく。それを一生懸命補うんだけど、彼の場合は一つ一つ重いものは捨てていく。何故かというと、踊りは中心軸だけで踊れるから。骨だけでいいんだよ。筋肉の機能はなくなってもかまわない。俺が風に揺れれば踊りになるというような。秋田の、ことに岩手から吹いてくる、物を全部凍らせていくような特別な風の名前がある。そういう激しい風土の結果として、彼は孤独なんだよ。身体も弱い、貧乏。文章を読んでいくと、彼は隙間に入る。空気の隙間、もちろん意志としての隙間、箪笥と箪笥の隙間。