Body Arts Laboratoryinterview

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Whenever Wherever Festival 2018「そかいはしゃくち」の開催に先駆けた関連企画として、フェスに関わる人たちへのインタビューを行なっていきます。
第一弾は、フェスの主宰者である山崎広太。キュレーターである福留麻里が聞き手として、同じくキュレーターであるaokid立会いのもと、時差を超えてのウェブインタビューを行いました。フェスを立ち上げた経緯や、ニューヨークでのダンス活動、東京のこと、ダンスの持つ可能性のことなど、ロングインタビューです!


ニューヨークとムーブメント・リサーチ

―ニューヨークは今、何年めくらいですか?

2002年だから、もう15年ですかね。早いですね、あっという間だったかな。

―ニューヨークに行くきっかけや、なぜニューヨークだったのかについて聞いていいですか?

きっかけはいろいろあって話すと長くなるのでやめときますけど、一番は、セネガルのカンパニー、ジャントビーの芸術監督であるジャンメイ・アコギーが自身の作品に舞踏を取り入れたい、舞踏のアーティストと仕事をしたいということで、その作品が、ルワンダの迫害がテーマだったんですよ。日本人はそう思ってないかもしれないんだけど、海外で舞踏というのは、第二次世界大戦によって出来上がったものであり、舞踏は死に直面しているアートとして捉えられていると思うのです。そのためにリサーチに来ていたんですよ。それは2000年頃だったんですけど、そのリサーチで僕が選ばれて。で、そのプロジェクトのために、日本とセネガルをダイレクトに交流することもできるんだけれども、それよりもっと黒人がどういう形成で文化が成り立っているのか、ということに興味があったんですね。それで、ニューヨークがいいんじゃないかと思っていて。

それ以前にも、アメリカで公演を何度もしていて、もしかしたら、ここで生活できるんじゃないか、というのが勝手に僕の中であったんですね。それで、ここに来たという感じです。当初、寂しかった。誰も僕のこと知らないし。クラスに、10代、20代の子達と40の親父が一緒に受けているなんて、想像できます? でも支えてくれたのは、まだ日本でのプロジェクトがあったからなんです。

では実際にニューヨークでそのことについて調べたりしたんですか?

調べたりはしないけど、奴隷からの黒人社会の形成ってあるじゃないですか、誰もがここにいれば無意識的にわかります。時々、黒人って優遇されているな〜と感じることもあります。でも重要なのは、アメリカで育った黒人と、ネイティブな黒人は根本的に違ってるから、そこは面白いですね。

―広太さんが一緒に作品を作ったのは、ネイティブの黒人の方たちだったってことなんですか?

そうですね。例えばセネガルだったら、国立の舞踊団、アフリカンダンスの舞踊団があるけれども、その人たちではなく、そこに入れない人たち。もっともっとネイティブな。セネガルは、フランス語なんだけど、フランス語も話せない人たちもいて。英語はもちろん話せないし。

―知らなかった!その話ももっと聞きたい……。でもちょっとフェスに話を戻しますね。そのような経緯で2002年にニューヨークに行って、生活、ダンス活動をするようになって、そこからウェン・ウェア・フェスに結びつくようなきっかけはどういうことがあるんですか?

2000年を過ぎた頃に、例えばジョン・ジャスパーだったり、女性だけのグループAntsメンバーだったり、アーティストが主体的にオーガニゼーションを作ったり、スタジオを設けてアーティストに提供するような傾向がニューヨークにあったんですよ。そのことに、そうなんだ、とか思って。アーティストが、アーティストのためのオーガニゼーションを作って、アーティストのために供給することができるんだと思って。それと結構暇なんですよ。それから少しずつ東京でのオーガニゼーションのことを考えるようになったのです。

―ニューヨークに住んでいる広太さんが東京で展開しようと思ったことにはどんな理由があるのですか?

現在僕はダウンタウンダンスのコミュニティに関わっています。そこにムーブメント・リサーチというダンスのオーガニゼーションがあります。昨日もミーティングだったのです。アーティスト・イン・レジデンスに選ばれて、2年間のプログラムで1年目は100時間のスタジオ使用と5,000ドルとジャドソンでのショーイング200ドル。2年目は50時間のスタジオ使用がフリーと500ドルとジャドソンでのショーイング200ドルそれと夏と冬に行われる集中ワークショップもフリーです。

このプログラムで一番重要なのは、1か月ごとに1回みんなでミーティングが行われます。そこには、ムーブメント・リサーチスタッフ、インターン、そして選ばれた7人くらいのアーティストが同席して、ワークショップなどを行いそれぞれの考えをシェアします。ただでさえ友人がいないニューヨークで、このようなプログラムに関わることによって、何かそこでのアイデンティティを感じています。それは人との関係が広がり、それぞれの発動によって積極的にまたは継続的に参加しようと思う意思が芽生えます。東京で、このようなアーティスト同士のコミュニティ・ベースのプログラムを提供する必要性を感じたからです。ムーブメント・リサーチはそれ以外でもマガジンの発行はもとより、多くのプログラムが組まれ、アーティストが積極的に参加して、多くの公演やイベントに参加しています。日本にこのようなプログラムはあるでしょうか?

それと昨年暮れに、バルシニコフ・アーツ・センターでのプレミア公演をしました。1か月前のテクニカルな面での打ち合わせで、僕の要望として、友人がいないから誰も来ないと思って、とにかく客席を減らしたいと要望をしました。数週間が経ち、ソールドアウトになったのです。結局、客席は減らしませんでした。多くのアーティストが見にきてくれて、ダンスが支えられている歴史、土壌を感じました。 このことはダンスコミュニティが支え、波及している結果ではないかと思ったのです。私たち仲間、アーティストがコミュニティを作って発動すること。アーティストが、アーティスト活性化のためのプログラム、またアーティスト以外にでも、一般の人々へ向けてプログラムを発案し、それに参加、交換、共有することによって、社会的に広がるものになると思うんです。何かユニークなものが生まれるようなことになるのではないかと思っていて。私たちはダンス生活のために生きているのだから、私たちが行わなければ何も始まらないと思うんです。アーティスト活動を活性化させるムーブメント・リサーチのようなオーガニゼーションを作りたいと思ったことが理由の一つです。

ウェン・ウェア・フェスを立ち上げた当初は、ムーブメント・リサーチは、まだ僕のなかではイメージのような存在でしたが、現在実際に接して、素晴らしいオーガニゼーションだということを実感しています。東京は、まだこのようなことは余りないと思うのです。でも可能性はあると思うんです。東京ならではのものができると、いつも思っているのですが、実現までにはまったく至っていません。フェスの持続がやっと。僕がもし、東京にずっと生活できていたら、少しは活動範囲は広がるのでしょうけど。ほとんどニューヨークなので、残念です。でも、今年、一つでもアメリカのグラントを取れなかった場合、家賃高騰で住めなくなるので、airbnbで貸しつつ、帰国を長くしますので、今後わかりません。

アーティスト・コミュニティとウェン・ウェア・フェス

―それまではどうやって活動して来たんですか?

セネガルとのプロジェクトがあったので、黒人のアーティストとかの関係での仕事が少しありました。それと、まだ日本との関係が続いていたので、日本からの海外とのプロジェクトもあって、行ったり来たりの生活でした。それから2007年にベッシー賞をとったので、自分が劇場に話を持ちかけて、劇場と契約して、作品が作れるようになった感じですかね。そしてジャパン・ソサエティによって、グラントのこととかも知るようになりました。今はムーブメント・リサーチとの関係があるから、さっきも言ったけれど、ニューヨークにいることのアイデンティティを感じています。

僕は、1990年代から、自分自身のやりたい放題にやっていくタイプだったんだけど。一番言いたいことを言うならば、アーティストが自分の作品を発動することにおいて、社会や外から提供されるプロジェクトに対して合わせるようになっていったり、人に受け入れられ、評価されるためにやるようになったら、それはどうなんでしょう? やはりアーティストは、未だ価値や基準が定まっていないところから何か発動することが一番重要だと思うんです。その基盤を作るために、アーティスト同士がコミュニケーションを行い、サポートし合うことにより、自分自身のインディビジュアルなもの、独自性を育む環境を作ることが一番の目的です。そのために、幾つかのコミュニティベースのプログラムを提供することで、自身の作品の強度を磨くためはもとより、将来的に独自な文化の形成のためにサポートできるオーガニゼーションになれたらと思っています。もちろん、まったく自身の活動のみの追求で他人を嫌うアーティストも尊重します。

でも日本人は、他の人に合わせることにアイデンティティを感じるから、難しいかもしれません。最近TVジャパンに入ったんです。こっちのTVと日本のTVを比較しても全く違う。とっても日本TVは優しい。でも少し頭が麻痺する感覚というか、頭が悪い方向に行く感じ。また日本の方が文化を感じるけど、それって根本的な文化の形成とは違っているのではないかと疑問に思ってしまう。全部コマーシャルにしか感じない、パフォーマンスとは真逆。教育においてもアメリカではリベラルアーツだから、それぞれ自身の独自性が絶えず問われる。そして提示したことに、多くのフィードバックが行われて、批評性、社会性が形成される。人に合わせることがよしとする日本企業の凋落はそこではないかと思います。

ニューヨークで基本的にどういう感じに日々過ごしているんですか?

嬉しいことに暇なんです。英語関係で、僕の妻の未奈にサポートされています。毎朝5時起きスターバックス凄いです!感謝!やっぱりやっているのは作品のことくらいですかね。それと料理。

―いいですねー。ところで、ウェン・ウェア・フェス、今は2年止まってますけど、それまで2009年から年1回続いてるじゃないですか。その都度東京に帰って来てウェン・ウェア・フェスをやって、っていうのは、広太さんの中でどういうモチベーションなんでしょうか?

ウェン・ウェア・フェスを継続するうちに「山崎広太のフェスティバル」というような風潮になって。全く真逆のことが目的だったので、ショックでした。根本的にそういうことを全く思っていなかったので、やる気をなくしてしまったというか。ということで、じゃあキュレーター制にするのはどうか、ということになって。僕とか印牧さんが、どうしたらいいかねって決めていくんじゃない方法ということで。そうなって、今回が2回目ですよね。だから、キュレーターになった人たちは大変だと思うけれど、僕は嬉しいですね。

自分はそういうことをやっているのにも関わらず、ほとんどこっちで生活しているから、日本のことがどんどん分からなくなっていってしまう。そういうジレンマというか、モチベーションが徐々に少なくなっているのが現在かもしれないです。今回、福留さんが積極的に関わってくれていて、僕も何か動きたい衝動に繋がり、この感覚ですね。この他人が動くことによって自分も動くという、このもっとも原初的な感覚を多くのアーティストが共有するといいな〜と思います。

―キュレーター制になる前の段階では、どうでしたか?

そうだね、色々なプロジェクトを自分で立ち上げたり作ったりするのは結構面白かったんですよね。

―それで、実際にやってみて、アーティストが自主的に、みたいに思っていたことに対して、やってみてどうでしたか?

うーんやっぱり、自分自身の反省として、受け入れられなかったり、思っていたこととちょっと違ったりすると、逆にそれに対する反発が生まれるけれど、でもそれって基本的には、自分が当初思っていた考えではない。あらゆるものを受け入れて、そこからのフィードバックがすごく重要だったのに、自分自身がある種の基準を担ってしまっているような、狭い世界になってしまっているような反省もあります。そういう苦い経験もある、やっぱり。でも今は違います。

―でも今もやっぱりウェン・ウェア・フェスそのものは、広太さんありきだと私は思いますけどね。

いや。もうそろそろ、抜けたい気持ちもあるし、もしニューヨークでのサバイバルができなくなった場合、日本に帰って逆にもっと積極的に関わりたい気持ちはあります。

―ぜひ。広太さんありき、と私が言ったのは、例えば今回キュレーターになっている人たち、私も含めて、もともとある基準にどっぷり従ってというよりは、割と自由に好きなことをやっている人たちが多いと思うんですよね。だから、もしこれがなくても何かはやるだろうな、って気はして。でもウェン・ウェア・フェスに関しては、広太さんの呼びかけとか、広太さんが思ったことに引っ張られて、やろうってなってる。それで、ダンスっていう意味でいうと私は、あとaokidくんもそうかはわからないけれど、日本の外から東京を見るっていう視点があることで、もう一度自分たちのことも考え直したいというのもあるから。だから、変な意味で中心になるってことではなくて、やっぱりここに集まっている理由として、広太さんがいるから、ってことがあると思うんですよね。集まるってそういうふうに理由があったりする、という感じはしてて。そうじゃなかったら、集まらなかったかもしれないというか。

そうですか……。僕も、日本にいつ帰るかわからない状態ですけれども、やっぱりムーブメント・リサーチでもディレクターやオーガナイズする人は、そのアーティストが共有する場には顔を出してアドバイスとかフィードバックすることは絶対必要ですよね。しかしアーティストへの強要は絶対行ってはならない! 若いインターンとかいるともっといいんだけど。これからの人のへの波及にも繋がる。ま〜立ち会う時間が必要だってことですね。

―そう思います。

そういう人たちが、アーティストを集めて、それぞれの考えをシェアしたりとか、作品に対して言い合ったり、海外とのエクスチェンジしたりとか、そういうことをオーガナイズする人がいつも普通にいるんですよ。

―そのオーガナイズする役割はアーティストがやってるんですか?

ディレクターのバーバラ以外、全員アーティストです。ムーブメント・リサーチはちゃんとしてるので、正規の社員として、雇われて給料をもらっている方も数人います。それとインターン。昨日も行ったら、整然と7つくらいのデスクに向かって仕事していましたね。できたら、いいな〜と、そんな場が。

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