笹本晃|1
Interviewer|西村未奈・山崎広太
performance still
from "Strange Attractors"
Courtesy of Artist and
Take Ninagawa
ニューヨークに来る前後
西村未奈(以下MN)―ニューヨーク(NY)に来る前に日本ではどういうことに興味を持って勉強していたのでしょうか? 例えば、パフォーマンス、ダンス、美術の勉強をしていたのか……。それから、NYに来た経緯と目的と、来た後でどのような環境で生活をしていたのでしょうか? NYに来る前後ですね。
私は、日本で高校中退として出たので。
MN―え~?
それで、奨学金をもらってアトランティック・カレッジ(United World College of the Atlantic)ってところに行ったのね。それが英国のウェールズにあったわけよ。16歳で2年間国際学校に行って、それが物凄くカルチャーショックだったんだけど、と同時に究極的な状態になったっていうの? 何をやっても大丈夫、世界皆友達みたいな?
MN―(笑)
……という方向にいって、その後一回日本に帰ったのだけれど、結局大学どうしようかなと思ったときに、凄く勉強したかった。アメリカのリベラルアーツ(教養学部)の大学が良いって噂を聞いて、そこの奨学金を取って、サポートしてもらうということで、ほぼ何の意志もなく(笑)行けるところにって感じで、ウェスリアン大学(Wesleyan University)に行ったんですよ。そのときは数学をやろうと思っていて、ま~美術とかも凄く好きだったけど、他にも心理学とかいろんなことを勉強したかったのね。だけどウェスリアンに行って、ダンス専攻があると聞いて、そんなもんでいいのかと(笑)思って、何か試しにやっているうちに、はまっちゃったんだろうね。
MN―そういうこともあるんだね~。
ダンススクールではなくて、それこそダンサーじゃない人でもどんどん振付やりましょうっていう、アメリカ・ポストモダンな教育だったから、あんまりフォーマル・バックグラウンドがなくても受け入れてくれた。自由にやってた感じですよね。美術にも興味があったから、彫刻やって音楽やって、いろいろなものがミックスされて、大学の卒論は何か彫刻とダンスの間みたいなことをやって、結局シアターと画廊と両方でやったのかな?――結構、自由にできたところ。で、基本は勉強が好きだったから座学の方もやってて、あんまりダンス一筋っていう感じじゃなかった。多分ダンスにもうちょっとはまり始めたのは、卒業してNYに来たときかな。一年間あるじゃない、ビザが。
MN―はいはい、OPT(職業を探す期間に与えられるビザ)みたいな。
そうそう。その間に図書館で司書の仕事をしながら、いろいろな人のところで踊ったり、ま~バックステージやったりとか、最終的に自分の大学時代の友達と作品を作ることが一番の目的だったのかな。それが楽しくて。NYに来たきっかけは、ただ単に行こうという話だったんだけど、卒業した仲間が結構いたから。
MN―いいですね。
楽しくやってたって感じ(笑)。
MN―数学っていうのが、凄くいい。数学者っぽいですよね、ちょっと。
でもあんまりそこは押していないんだけどね。大学レベルのことやっていないから、あんまり数学って言えないんだけど、そういうのが好きだった。
MN―何かメイクセンスですね。
performance still
from "Centripetal Run"
photo:
Chocolate Factory Theater
Courtesy of Artist
インスタレーション/パフォーマンス――ラストミニッツ、ラストミニッツ。
MN―この間のチョコレート・ファクトリーの作品《Centripetal Run》(2012)は、インスタレーションのようでもあり、ダンス作品を見ているようでもあったのですが。ちょっと変な質問なんですけど、晃さんの中でこれはダンスなんだよな~って意識する瞬間があるのか?または、ビジュアルアート、ダンス、パフォーマンスなど区分に対する意識はあまりしていないとか? 例えば晃さんにとって、ビジュアルアートとは、ダンスとはという自分なりの定義があったら教えてください。
基本的に私は“インスタレーション・スラッシュ・パフォーマンス”を作っていて、作っている最中は両方やっているつもりで、in betweenだけど、プロダクション・ピリオドになったら、結構行く場所を意識するのね。アートワールドとアートは全然違う。
MN―?
アート界、業界と自分が作る芸術の中身は違うから、世に出る瞬間から初めて美術館のやり方とか、画廊のやり方、劇場のやり方だとか違いが出てくるわけじゃない。それを、箱に対してイノセントにいく気はないから意識はするけど、作っている段階では両方やる。両方とも100パーセントじゃなければ駄目って自分に課していて。
MN―なるほど。
同じ作品が劇場用になったり、画廊用になったりできてもいいと思うね。そして、それができない作品も、これはもう無理だからオブジェクトとして彫刻だけでいこうとか作品に従ってある程度は振り分けるけど、それは最終段階だからね。やっていることはあまり変わらない。
ただ今回は劇場だったから、コラボレーターを呼びやすいしミュージシャンの人を呼ぼうとか、ライティング(照明)をフルに使おうとか。わざわざ美術館のやり方を押し分けてライティング・デザイナー付けるとかが面倒くさいから(笑)、そんな他の国の美術館に連れて行くわけにはいかないし。いろいろ考えて場所によってやり方は変えるけど、作品の内容は、いつもインスタレーションの要素もダンスの要素も入っているんじゃないかな。いつもは劇場用にとは作ってなくて、むしろライティングを消してたんだけど、2年振りの劇場だったから今回は結構それを意識して、ちょっと欲張って劇場用にしてみた。
MN―なるほど~。例えば劇場という場所が与えられたときに、静的なインスタレーションを作るのとはちょっと違ってくると思うのですが、凄く緻密な時間軸があるような感じがしました。ざっくりなんですけど、どのように作品を組み立てていくのか、または時間に対しての意識があるのか、作品・作り方のプロセスについてお聞きできますか?
そう、それも場所によるよね。今回は、2週間くらいで作ったのね。一応前々から準備してた地下のインスタレーションとか、前の作品からエレメントはきているのね。そこの音を2階で使おうとか、ある程度のアイディアはあったけど、作品として時間的に何が起こるかは劇場に入ってから決めた。まったく何もない状態でいったから、特にコラボレーターがいる場合、その人たちが持ってくるものをどこに入れるかを決めないで、できたものを全部見て、その時こうしようと言う感じ。彫刻をやったサム君の、私がぶら下がっていた大きいティンバー(セットデザインのオブジェクトの一部)は、結構前から作ったのを見たことがあるのだけれど、それが劇場に来るのが月曜日、1週間前なわけよ。自分の彫刻のスロープのようなやつ、あれも作るのに2日間かかったから、もう水曜日、木曜日にやっとできた。だから本番まではものの5日間なわけよ。
MN―設計みたいなものは一応、事前に考えているんですか?
一応、作ってきたんだけど、それを建てて高さが天井とどう関わるかとか全部そこでやったから、火曜のために月曜日に仕上がったって感じよね。自分のアイディアがあっても、それは振付しないわけ。行ったときに私が何ができるかの可能性を考え、そのオブジェクトで何回か転がりたいとか、乗せたい、動かしたいとか、そういう何となくの選択肢は置いておくけど、でもあまり決めない。
MN―本番では、ちょっと即興的な要素があったのですか?
そうだね。木製の巨大ドーナツはすっごく重いから、こいつが自分の体とどう踊ってくれるか見当がつかなかった。事前に想像するのは無理だからさ、こういう箇所は即興としてとっておく。ミュージシャンのマット君もジャズの人で、凄くインプロしてくれるから、全然気にしない。皆、友達なの今回。だからラストミニッツ、ラストミニッツにして。
MN―彼らとは、どういうところで知り合ったのでしょうか?
ダンサーのアルトゥロ君は学部からずっと一緒で、マットもウェスリアンで会ったのね。あの人は大学院でミュージックやっていたのかな。数学者のパウ――プロローグの人は、ここ4年くらい親友で、ほぼ毎日一緒にコーヒーを飲んでいる(笑)。
MN―めっちゃ親友ですね。
めっちゃ親友だから概念的に近いのね(笑)。
MN―いいですね。
彫刻のサムも、彼の美的センスもわかっているし、向こうも私が何をやりたいかもわかっている。私がスタジオで斜面のついた壁を作っていたときに遊びにきてくれて。仕上げていないけど、木は全部切ってあったから、そのパーツができているわけよ。この寸法をもとに、ちょっとでかいのを作ってくれよって言うだけで、ほぼ何か投げる感じ。で、できたものを楽しもうと。全部、楽しもう路線(笑)。
MN―サプライズみたいな。