Body Arts Laboratoryinterview

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身体の中心軸

―30年くらい前に、合田さんから足のポイントのことを教わり、そのときは、まったくリアリティはなかったのですが、今は僕が舞踏する上で、かなりの比重を占めています。足のポイントと土方さんの関係をお聞きできますか?

土方が足の裏と言ったのは、彼が部分について一生懸命考えた60年代の半ばか、ひょっとしたら後半になって、伝統芸能の技術を作り始める、芦川羊子を作るため。彼女は日本人という感じじゃなし、ましてや、東北って感じではない。それを東北人にするために、身体の部分から押し込んでいく。僕は、身体の全部のことを考えたときに、人間は体重を持っていて、その重さに耐える足があって、足が動かないと移動できないという、単純に生理的なところから逆算している。

―それと体系的に股を割る。

もし土方と結びつけるとしたら、ガニ股だ。これは農作業だ。柔らかい土のなかに入ると、足で掴むわけ。がっと掴まないとグラグラするというようなことは聞いた気がする。僕は、それをもっと上へ上へと向かわせることを考える。身体の中心軸の問題、踝と会陰(えいん)と結んで垂直化する。それで何故、足の運動を一生懸命するかというと、踵をしっかりとつけると、後ろの筋肉が発達する。今日本のダンサーには、後ろの筋肉がない。身体が筒じゃない。筒じゃないから、真ん中に入っている意識がない。中心軸というものは、知覚できないんだよ。しかし、それに近づこうとする意志はでてくる。

―中心軸の必要性は何でしょうか?

生涯、毎日毎日、全部使われる。何故かといえば、外から受容されたものは出さないといけない。物事の判断は頭脳だけではできないんだ。頭脳から入ってくるのは学問。これが身体のなかだと、もっと有機的に働かなきゃいけない。この有機性を呼び起こす根拠、これが中心軸。歴史のことは気にならない、覚えていない、間違いもあるかもしれないけど、身体作りだけは自分で試してみたいし、人に試させたい。

―(笑)。白桃房の方々は、真っすぐ立っている印象を受けます。膝は緩んでいますが。

膝を緩めるのは一つのスタイル、あるいは技術。だんだんと緩むのも、最初には真っすぐでないと、緩まないんだ。真っすぐあると、中心軸に沿って腰は水平、肩は水平、トルーソーが真っすぐ乗かったまんまとういう形が上下しない。これを上下させることは、いろいろな意味での表現で必要。日常にも、上下して揺れている。危険に接するとか、もっと気分よく優々と歩けるとかという意味あいで。だから身体を追っかけていくと、土方は《四季のための二十七晩》か、そのちょっと前くらいから本格的に取組み始めたんじゃないかな。やっぱり芦川はきちんと中心を持っていた。「芯で踊れ」という日本的な言い方がある。芯が移動して見えると、いい踊りなんだよ。芯は縮んだり伸びたりしながら行程を作って、しかもあるところに行って、すっと流れていって、ぐうと回れば、その円がはっきりと容積として見える。たとえばこれは普通の人が走っても見えないもっと早いスピードだ、だから残影がザーッと残るはずだ。必ずしも早い動きではないのに、ゆっくり動いているときに身体のなかに早いものが見えるとか、早い動きのどこかで身体が緩んでいるとか、そういうことまでコントロールできるには、中心から計測して作り上げていかないとできない。

―それは中心軸を持つことへのテクニックですか?

ところが、物事の判断は頭だけではない。そうすると、単なるテクニックじゃなくて、もっと身体全体、総合での接触、コミュニケーションということになる。曖昧なものも受け入れなければ判断できない。そのぼわーっとした肌触りみたいなのが、正しい。例えば、手をつなぐとか、その瞬間を即興的に選びとるようなワークショップがある。ここで手を繋ぐ必然を物語らないといけない、手が出ていく時間をきっちり作らないといけない。時間を作ると、その組み合わせによっては、そこに実際的な正確な空間が現れる。

東北歌舞伎計画

―土方さんの《東北歌舞伎計画》の次は、何を狙っていたのでしょうか? また東北歌舞伎計画をする目的は、もう一度自分の方向を確認することだったのでしょうか?

例えば1985年の「舞踏フェスティバル」は、中村文昭と市川雅が実行委員で、二人が一生懸命出てくれと勧めた。そうすればフェスティバルのメインになれる。ところが、土方はもうその頃引退しているんだ。引退後、生徒が減っていって、芦川一人だけだ。そして根源のようなものは日常的。それでいきなり過去の名声だ。何年も踊っていなくて、身体が歳を取っている上に、身体の機能を弱める。そういう意味で、止めろと言った。そうしたら、僕の顔をしばらく見て、にこっと笑って、出なかった。ああいう人だから、もう一つ上を期待する。やらなければ落ちていくだけで、そんなことできないんだよ。もしやる企画があるならば、先にワークショップをやれと言って、月に一回ずつやり始めた。それで結局、最後訳がわからなくなったけど。

―でも歌舞伎計画はしっかり……。

あそこには皆しっかり出ていた。やっぱり、教えるのは迫力あるしね。言葉も上手い。歌舞伎計画の4つの作品を見ると、自然だとか、人だとか、いろいろなことがあって、《二十七晩》の緊縮版みたいな感じ。そうすると歌舞伎になるんだよ。《二十七晩》の芦川羊子の扱いなど、彼の姉への思いがありすぎる。

[2010.11/BankART Studio NYK(横浜)にて]

構成=山崎広太、印牧雅子


合田成男Nario Goda

舞踊評論家。1923年生まれ。東京大学文学部中退。1952-64年『神戸新聞デイリースポーツ』記者として勤務。59年、土方巽《禁色》公演以来、土方の生涯を通して、そのほとんどの作品を見る。65-67年、ニューヨーク滞在。『オン・ステージ新聞』他に批評多数。


協力=田辺知美

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