佐多達枝|1
Interviewer|山崎広太
1.
創作バレエと青年バレエグループ
― 愛知芸術文化センターでの「アーツ・チャレンジ 2009——新進アーティストの発見 inあいち」舞踊部門の2008年10月の選考で、佐多先生に初めてお会いしまして、コメントを聞いた時に、振付における並々ならぬ強い意志を感じました。是非インタビューでお話をうかがいたいと思いました。振付に対する考え方や今までの苦労などをお聞きできたらと思っています。まず、バレエを始めたきっかけは何ですか?
父親のいわゆる方針というのかしら、幼稚園に行かせたくなかったらしいです。その頃の幼稚園で、早いうちから躾されるのは良くないということだったようです。その代わりに、これからは女の人も職業を身につけるだろうと、踊りをやっていれば、幼稚園の先生に一番なりやすいから役立つんじゃないかと、踊りを習わされたんです。私は一生懸命通ったらしいですね。自分自身の記憶でも、お稽古に行くのが好きで好きでしょうがなかった感じが残っています。それからずっと続いています。馬鹿の一つ覚えです。
―僕はバレエを井上博文先生に習ったのですが、井上先生も、東勇作さんのお弟子さんでした。佐多先生も?
まだ幼稚園の時に、家が近かったので、高田せい子さんのもとに少し通っていました。その後、これも父親の方針で、エリアナ・パブロバさんに習いに行っていたら、先生が病死なさって、また父にいろいろ考えがあって、東勇作さんのところへ行きました。
―東先生は、どのような方だったんですか?
非常に芸術家肌の人じゃないかな。とてもシャイな方でしたね。でも私が踊りを好きなのを、とっても解ってくれて可愛がってくれました。
―事情が解らず、このように聞くのは失礼かもしれないのですが、お父様は、お金持ちだったんですか?
いえいえ、いわゆるプロレタリア運動に関わった家ですから。
―バレエを始めて、ずっとダンサーでいらしたのですか?
当時、あまり公演の機会は無く、舞台に出たくてしょうがない感じがありました。その頃、東京バレエ団で小牧正英さんや、いろいろな方と合同で《白鳥の湖》をやりましたね。そういうものに一回目くらいはもちろん参加していましたが、東先生は芸術家肌の方なもので、小牧さんなんかの強さに、駄目で抜けたりして。そういうところにいたし、私はまだ小さかったから、背も小っちゃいし、舞台も出られない。そうしたら、親が蘆原英了さんに相談に行って、松山樹子さんのところが、松尾明美さんと一緒に地方をいろいろ回っているから、そこで舞台経験をしたほうがいいんじゃないかと言われて、名古屋の紡績工場をぐるっと回ったりしました。
―紡績工場?
紡績工場の講堂っていうのかな。そういう場所を舞台に、小品や《ジゼル》の2幕だけとか、簡単なものを演っていました。その後、服部・島田バレエ団で、14 名が脱退する事件がありました。そこに私の友人もいたので、私も誘われたというか、行きたいと、15名で青年バレエグループを作ったんです。そこは、要するに自分たちで作品を創って、自分たちの舞台を作ろうというグループで、生意気にも、その辺りから創り始めたという感じです。
―何歳くらいの時から作品を創られていたのですか?
松山樹子さんのところに通っていた時に、発表会で、自分のところは自分で創りなさいと言われたのが最初です。発表会は普通、誰か先生が創ってその中で踊りますけど、生意気だったのか、言うことを聞きそうにもないタイプに見えたのかな? 発表会で、子供ですから、子供なりの作品——《浦島太郎物語》とかがあって、その中の小品がありますよね。そこの部分を自分で創った。それと、青年バレエグループができる前に、服部・島田バレエ団脱退組の一人と一緒にパドデュを創ったりしました。
―創作バレエ?
全て。
―創作バレエは時代的には、すでに浸透していたのですか?
いいえ。脱退が新聞ダネになったぐらいですから、時代的には、前の世代に対して、若気のいたりにしろ反抗するとか、そういう空気があったんです。60年安保よりも、もうちょっと前ですけど。小牧バレエ団からも、脱退事件がありましたしね。
―それは何か新しいものを作ろうという運動だったのですね。
時代とこっちの年代とが重なったんだと思います。それが幸せだったのか、運が良かったのかどうか解りませんけど。
―それは古典バレエに対して、私達は新しい何かを創りだすんだということですか?
古典バレエに対してというよりも、その時代の空気からも、自分たちから発する作品を創ろうという感じでしたね。
―そこから佐多先生以外の振付家も出られたんですか?
そうですね。ただ、ここまで残っているのは、余りいませんけどね(笑)。
2.
音楽とムーブメント
―小川亜矢子先生などの作品を観ると、音楽とムーブメントの絶妙な雰囲気、タイミングやセンスの良さを感じます。どういうふうに、音との関係を紡ぎだしていくのですか? 先生の作品に出演された方から聞くと、ほとんど細かくカウントで創っていると聞きますが。
すぐ皆そんなこと言うのね(笑)。そうですね、カウントには厳しいです。一つは、私が作品を創る時には、自分のバレエ団を持っていてその人達が出るのではなくて、この人に頼みたい、この人が良いとお願いして創っていくので、男性は特に忙しいから、この時間になったらこの人がいない、入れ替わりでこの人が来たとか、もう振付の時間が滅茶苦茶なんですね。だから、その場でダンサーと創るという空気が保てないんです。要するに、こっちで用意しておいて、誰が抜けようが、来ようが、前にやったことを次にできるようにするという、つまらない動機なんです。
―そうしますと、頭の中で創るから、ある程度の準備段階が必要ですね。
それは自分でも努力しているなと思います。もちろん、ソロだとかパドデュだと、やってみないと解らないところがありますし、ソロだと一緒に時間を共有して、ああしようかこうしようかというのは楽しいですね。それを全然、否定しているわけではなくて、仕様がない結果なんです。
―僕だったら、すごいストレスですね。繰り返しますが、音楽とムーブメントの関係などをお聞かせいただけますか?
この音楽だったらこうなると、音楽によってこちらがインスピレーションを受ける場合と、こっちがこういうのしたいと言って、いい音はないかと探す場合もあるし、いろいろですね。
―大体、クラシック音楽を使いますか?
いえいえ、全然違います。ただ、前衛音楽は苦手なんです。
―抽象的でノイジーな感じですか? シェーンベルクとか?
そうそう。それと、もうちょっと後かな? シェーンベルクの《浄夜》を使ったことがありますが。
―今まで、どのくらい作品を創っていらっしゃるのですか(笑)?
すっごく創っていると思います。もう創りっぱなしですからね。自分が創ったものって、出来が悪くても、こうだと思って創ったものだから、どうであっても可愛いものでしょう。だけど結局、再演していると、もう創れないんじゃないかと言われるんですよね。
―何故ですか?
日本では、新しいものをやらないと枯渇したんじゃないか、やれなくなったんじゃないかと言われます。すっごく腹立たしいですよね。
―海外では、そんな風潮はありえませんね! 本当に腹立たしいですね。評価は結構、気にするんですか?
悪口は気にしますね(笑)。この野郎と!
―悪口、あるんですか?
ありますよ。全然、私、受け入れられていないよ。難いし、生意気じゃね。
―難解な作品もあるのですか?
もう、さんざん解り難いと言われるのはありましたね。
―バレエのパと、アントニー・チューダーみたいな心理劇的な組み合わせに対しては、どのようにお考えですか?
チューダーは、もちろん子供の《白鳥の湖》のステップとは違うけど、やはりアカデミックなバレエの古典の技法を元にして創られていると思います。それから、やはり、主題にかなった動きで流れを創るというふうになっていると思います。
―マイム的なエッセンスとバレエの抽象的なものは、どのように結びつくのでしょうか? 佐多先生はそれをどのように捉えられていますか? 古典バレエでは、ダンサーによってですけど、納得するのですが。
いわゆるマイムには、ちょっと私は否定的です。振りは説明のためにあるものじゃない。でも、たとえば走って行って止まって首振り向いたとする。これをマイムと言えばマイムかもしれないし、走ってきて誰か気になったから振り向いたという、ドラマの進行としてもありうると思います。どちらかと言うと、お話のための踊りは創りたくないし、やはり元はダンスだと思うので、ダンスの面白さを求めていきたい。創り続けていく気はあります。
―島田衣子さんとは僕も一緒に仕事をしていたのですが、佐多先生にとって、いいダンサーは、どういうタイプのダンサーですか?
まず肉体的に、機能的に優秀な人。考え方も、感覚的な意味から言っても、固執することをしない、縛られてない柔らかい頭の持ち主であること。それで、とっても勇気があって、こうだったらこうかなと自分でぶつかっていくことが出来る人が、優秀なダンサーだと思います。
―現場では、ディテールはすごく重視しますか?
そうですね。それはあると思います。
―振付される時に、一番苦労することは何ですか?
相性の悪い人を相手にする時。やはり振付することは、偉そうに振る舞うわけではないけど、どこかで自分が偉い人だという気持ちを奮いださなければいけない。お願いしますって言ったら、馬鹿にされるでしょう(笑)。自分が駄目だ駄目だと思っていて、相手に、何も出てこないの?と思われちゃったらどうしようもないですから。大体、自分が、もうコンプレックスの塊ですから、それを見せないようにしようという気が働くんです(笑)。それもあって、カウントで創って、用意しておこうという気も働くんですね。