Body Arts Laboratoryinterview

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1.

舞踏前夜

―ダンスの批評家になるきっかけは何だったのでしょうか?

初めてダンスにかかわったのは新聞の記者になってから。

―『デイリースポーツ』?

その前の『神戸新聞』で、東京支社で芸能関係のクラブみたいのに入っていた。映画と音楽と美術と演劇と舞踊だよ(笑)。あとはレビューショウだとか、走り回っていたよ。
戦後から、日記を書きだす。大急ぎでね、頭の中で動いているものを全部、文章にするんだ。そうすると、今ここにあることとまったく違うことがその次に始まるわけ。決して、小説に書かれているように、事が起こってきて終わりになるというような時間じゃないってことを知ったのがその頃。これが将来、踊りを見る時間の計量に、とても関係ある。まっすぐ事が書かれていくようなはずはない。もっと言えば、時間が束になっているようなところで、その束のまんまで移動していって、光のあたるある部分が、また時間を作っているような、そんな感じも受けたことがある。それに空間という舞台が加わってくる。それが簡単に割り切れない。それが新聞記者になって舞踊や芸能に関わりながら、一番強く感じた舞踊の魅力だった。最初は全部肯定するしかない勉強の期間。
それと舞踊批評家は、私から10歳年上までいないんだよ。戦争で皆、消えていった。戦争直後、お国のためにやる公演なら別だけど、舞踊なんかほとんどやらなかった。皆、慰問に外地に出て巡演する。今その弟子たちによって連なっているモダンダンスのその世代の人たちは、ほとんどが亡くなっている。石井漠、高田せい子、石井みどり……。
厚木凡人は戦後、石井みどりのところに入っていく。そこで一番はじめにやったのが民族舞踊で、キャラバンをおくんだよ。舞踏が出てくるまでは、お嬢さん芸だね。舞台に現れてくる題材は、深刻な問題でもなんでもない、全部作り話。桜と一緒に踊るとか、冬の雪の上に咲いている梅一輪だとかね、そんなものばっかりだよ(笑)。あとはショパン(笑)。群舞で、長いドレスを着て。その中で、津田信敏、江口哉也、邦正美、この辺りが前衛と言われた。

―どういう意味で前衛なのでしょうか?

例えば今日のこの展覧会(BankART 1929での「朝倉摂展」)でも「アバンギャルド少女」という題名を使っている。その時代を少し先取りする、時代の主流から横にそれる、なおかつ、人々に注目されるような、要するに舞踊の範囲のなかに入っている人。その辺を前衛と称していたんじゃないかな。ただ、津田信敏は、まったく自分の方法をたてて普通の流れから離れて、それを前衛と称していた。高田せい子や、アメリカに行った伊藤道郎、そういう人たちは別に前衛でもなんでもない。外国から帰って来ると目新しいことをやるわけ(笑)。それで進歩的だと言われる。それからバレエが、本当によちよちだった。大きなバレエ団といったら貝谷バレエ。小牧(正英)がでて、ロシアを持ち込んで、外国から持ってきたメソッドをやって、随分変わった。あの人は我が強くて、日本の人々と肌合いが違って、どうしても上手く合わない。でも商売的に上手い、形ができるうえでの才能を持っている。それで、東宝と結びついて、第一回目の東京バレエ団ができて、初めて《白鳥の湖》だとかを見せた。そういう組織が東宝から放された後で、一般的にも、知名度が高い小牧バレエ団に、皆ザーッと集まったよ。スターダンサーズをつくった太刀川留璃子は、小牧バレエ団の出身。世の中そんなんで、本当に何もできていない、まだドロがいっぱいで、ところどころ硬いところがあるというような感じかな。
そういう時代に、土方(巽)が出てきた。土方は、秋田工業出身で、戦争中に修身して勤めた鉄工所の溶鉱炉が爆発するんだよ。それで背中に火傷を負って、そういう仕事から離れて、江口哉也さんのお弟子さんで、産婆さんの娘である増村克子に踊りを習い始めるんだ。そこでのダンスについては、『美貌の青空』の中に書いてあって、ドイツ舞踊は硬い!僕は、硬いものは嫌だ、と。

2.

大野一雄について

[大野一雄舞踏研究所の溝端俊夫さんが登場]

大野さんが死んでから、俺の頭はぐちゃぐちゃ(笑)。これを整理しないと普通の仕事ができない。《長谷寺に舞う 2000》のフィルムの後半はいいぞ。

溝端(以下M) 観ました。

よかったというのはね、ことに晩年、華やかに美しく踊り通してきた大野さん――ここに少し間違いというか、誤差があるような気がしている。例えば、プレスリー。僕はプレスリーと聞くと、どうしたって悲しい気分になる。ところが大野さんの踊りを観ていると、プレスリーで生き生きとしてくるんだよ。メロディーや言葉というよりも、プレスリーの身体の持っている音質が暗いんだよ、たぶんね。それを大野さんは、ぱっと明るく取っちゃっているような気がしてならない。明るいものの回路なんだよ。猛烈にでっかい音でプレスリーを流して、さっき言ったような誤差があると、バーッと派手になる。フィルムに写っている大野さんの姿は、灰でできた足のような感じ。それで、踏みつけが弱いと感じて、上半身がさっと下を見る瞬間が、すごくいい。支えることと、そうなっている事実を、顔の角度がきちっと認める。ああいうところにいくんだよ。これが踊り手の最後のいわゆる名人芸か。
もう一ついいのは、2001年の新宿パークタワーホール。大野さんが指差す。あれがいい理由は、椅子に座ってもう動かないと思われている大野さんの足が動くんだよ。足が後ろに引けて、前に出て、手が上がる。左手だろう?

M いや、両方とも。

右手は曖昧に上がるんだよ。ところが左手は一点を指差すんだ。あの手が上がっていくのは、足が動いたせいだよ。そうすると、すーっと線が出て、エネルギーをどんどん上げていって、極点にまでいくからね。ごく普通にポピュラーな意味でいいというのだったら、《愛と夢》。あれは完全な定番だね。他のは、即興が何か取って来て、瞬間的にはいいものをいっぱい出すんだけど、それが持続してずーっと流れになっていかない。舞台でのある意味での束縛からいつも抜け出していく――これが大野さんの即興だ。でもその流れ、時間を支える空間がないんだよ。

M 空間がない?

その辺がどうも、大野さんの一番の問題だね。そして、もう一つは、大野さんの生涯にあった戦争だ。戦地に7年間いて、あんなに朗らかに帰って来れるか。たしかNHKの『限りなき浮遊』のインタビューで、夕方、暗くなる寸前に捕虜を逃がして、それを後ろから打たせたというような話がでてくるんだけど……。そのどうしようもなく生きて来たことと踊りとの間の結びつきが、懐疑じゃないけれど、ちょっと違うんだな。だから、あるとき、気がついたら自分で作った衣装による踊りが向こうにあって、そこに生の彼の身体が入っていくような感じだな。ところが、僕が考えていた舞踏は、身体があって、外から入って来るいろいろなものを一回受容して、身体のなかでそれが醸成される、あるいは固定される、物質化されることを経て、身体から、ぼっと落ちていくようなものだ。女性が出産するような過程が踊りのなかにあるかないか。その辺を僕は舞踏と言いたい。何故なら、生きるために踊る、あるいは、踊ることによって生きていく、そういう関連が、もし身体に即して考えられるとしたら、とても正確に人々に伝えることができるんじゃないかな。『現代詩手帖』の特集号でも皆、褒めている。大野一雄を素晴らしいダンサーに描き直す。それに対して、実際の人生派、そういう人たちが他にもすでにいるんだよ。大野一雄は彼らには何の影響も及ばさなかったというような関係ができているね。

M その舞踏の人生派の人たちは誰?

いわゆる暗黒舞踏の人たち。何でだろうと思うぐらいに、貧困人の出身ばっかりだな。非常に生活が苦しいとか、韓国系、アイヌ系だとか、民族系の圧迫された人たちが暗殺された。大野一雄に対して敵視はしていない。僕は大野一雄にも、なんで陰がもっと付かないんだ、そればかり思って追っかけていた。どっちに偏ってもいいんだけど、必ず自分の属しているところから反対の人たちの方向を、どっかで意識していないと。大金持ちの贅沢なものが芸術の反面にある。要するに一銭も稼がないで、好き勝手なことをやる贅沢に変わるわけなんだけどもね。それを特に階級的な考えでなくて、他者と自分との関係として、自分が属さない人たちのことをどっかで考える。これは良心のようなものなんだよ。あるいは、一本の中心軸のようなもので、反対なものがないと軸は立たない。芸術家は仕事としてはできない。自分でそこに賭けていって、人々に自分の内実を見せる。それは同時に内実の作り方が上手ければ、腕の伸びも美しいだろう。その辺が、大野さんは、頑固なところがあるんだよ。

―以前の大野さんが手を差し出す、美しい身体の形を聞いたことがあるのですが。

それはテクニックの問題で、自分でいっぱい即興をやって探す。当たったら、またそれをやるような積み重ねはいっぱいある。むしろ、歳を取っていくと、踊りが膨んだり狭んだりしながら、だんだんその人の、例えば40才、50才、そういうときの節目みたいなものを掴む。それを地盤にして10年間とにかく続けていって、そしてどこかで次の節目を作っていくような、そういう踊りが展開されるといいんだがね……。難しい理論を展開するなんてことは、踊りに関して僕はできないだろうね。ただ、踊りの中心にあるのは身体なんだ。生きている実相として身体はいろいろに歳を取っていく。腰が曲がったり、こんな微妙な変化を、踊りの発展、進展、屈折ということと向き合って考える。身体のなかは、すごいデータに満ちている。政治があるだろう、経済、社会、芸術があるだろう、要するに文化だね。一方で、性がある、食があるだろう。こんなようなものが影響してくる。それが勝手に育っていくと思ったら間違い。森の樹木だって、ちゃんと人が森の下草を刈って、風通しを良くして、いろいろな手入れをして育ててる。そういう小さい作業が本当に続いていくのは、樹と人との関係。踊りだって同じだよ。

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