山川陸|1
Interviewer|福留麻里
Whenever Wherever Festival 2018「そかいはしゃくち」で、木内俊克さんと共に空間デザインを手がけた山川陸さんのインタビューです。建築家ならではのパフォーマンスへの視点やその移り変わりも興味深く、今回のBUoYの空間デザインへと地続きになるお話が伺えました。
空間のレッスン
―最初に自己紹介的に山川さんがどういう活動をこれまでしてきたのかを聞かせてください。
仕事は建築設計をメインに3本立てで動いていて、一つは、自分名義での設計事務所を、もう一つは大学の仕事で、研究室の先生について助手をしていて、もう一つは、古い木造のリノベーションを主にやっているNPOで、それは設計事務所というよりは地主さんとか不動産会社の人とかと仕組みを作りながら仕事をする、というものです。芸大の建築科を卒業して建築事務所で3年働いて独立した、という感じです。
―大学では主に何をやっているんですか?
僕がついているのが、藤村龍至先生で、ニュータウンでの研究活動を行っています。ニュータウンというのは、ある時期人が一斉に住み始めたので人口分布が偏っていて、昔若年世帯が入ったニュータウンは軒並み高齢化しているんですね。今「高齢過疎」って言われている地方とかよりもはるかに高齢化率の高いニュータウンが実は関東にたくさんあるっていうのがあって。そういう老人ばっかりの街で公共施設とかはどうしたらいいのか、自分たちで集会所を運営するにはどうしたらいいか、補助金頼みとかではなくて、ちゃんと稼げるようになるにはどうしたらいいかとか、これから日本全国で発生するであろう問題をニュータウンで先取りして建物も含めてどう対処できるのかっていうのを研究したり実験してます。
NPOの方もそういう問題に近いところを扱っていて、戦後すぐにわーっと作られた古い木造が今一斉に老朽化していて、そこに建築家はどうアプローチできるのか試みています。一斉にできてしまったものにどう対処できるのかっていうその仕組みとかを作ろうとしている点で、問題としてつながってている、それぞれの活動を自分のプロジェクトにも接続しようと思って、山川の実家でもある三重県の熊野市━そこは典型的な高齢化している土地で、世界遺産があるから観光客は来るけれど、宿泊施設とかはないので、バスツアーが20分滞在してすぐに発車してっていうのが日々ものすごい人数で繰り返されているっていう土地です━そこで何ができるとか何をするかっていうのを、まだ具体的に動いているわけではないけれど、自分なりに複数の活動をフィードバックして行く場所として、今はリサーチをしているところです。
―建築っていうと、新しいものを建てるという勝手なイメージがあるんですけど、今聞いていると、もともとあるものをどう活かすか、という感じですか?
奈良とか京都とかの古いお寺とかが、たまたま何百年か残ってるけど、基本はそういうサイクルでは、街場の建物は残らないという文化圏なので、定期的に建て替える必要は絶対あるんですけど、闇雲に建て替えずに、例えば10年後に建て替えるとして、残りの10年間を今の建物でどうやったら、次の建て替えの時にうまい使い方をできるようになるかみんなで考えるというか。僕は最近は、そういうリノベーションとかを、レッスンとして扱えないかって考えていて。要は新築で新しい挑戦っていうとちょっとバクチになるけれど、リノベーションで10年後に取り壊しが決まってるってなると、新しいことに挑戦したり、冒険したりもできる。もちろんそこには、いつ起こるかわからない地震とか日本特有のリスクもあるんですけど、そういう実験が、古いストック活用だとできる。
―面白い。そもそも建築の方向に興味がいったのはどういうことなんですか?
何か作る仕事をしたいっていうのはあって。もともとは、機械工学とかロボット工学だったんですけど。小学生の頃とか。
―あー、その頃からもうそうだったんだ。
今にして思うとエンジニアになりたかったというよりは、モチベーションはデザイナーだった。もともと漫画とかアニメとか好きだったから、そういうのに出てくるロボット的なものに憧れて。それが高校生の時に、塾の学生講師に、大学の建築学科の人がいて。それで数学とかでやっているようなこと、何の役に立つのかわからないけど面白い数学が、図学とか美学の中で関係してるっていうのを聞いて、建築が面白いんじゃないかと思い始めました。
―今のお話を聞くと、環境にどう折り合うか、というか、今現在世界がどうなっているかとか、環境がどうなっているかとかとの折り合い地点みたいなイメージなんだなと思ったんですけど。
建築の体験と時間
多分、そのレッスンみたいなことがデザイン上の興味として僕の中で重要で。2年生の時に、芸大の音楽環境創造科っていうところのパフォーミングアーツをやっている人たちと、一軒家をリノベーションして、そこで24時間のパフォーマンスのイベントを打つっていうのを一回やったことがあって、それが面白かったので、翌年ドリフターズ・サマースクールに参加しました。
―その面白かったっていうのは、イベントを行うことがってことがですか?
今振り返るとそのパフォーマンス自体が面白かったかどうかはわからないんですけれど、半年くらいかけて建築以外の学生と一緒に議論して作るっていうことが面白くて。それでレッスンの話に戻ると、例えばある舞台美術があって、パフォーマーがそこに関与するとそれまで見えていたことと違う意味が生まれる、意味が転換する瞬間が面白いと思って。実際ドリフターズで設計した空間とか演出は最初と最後でまったく同じレイアウトに舞台美術が戻るんだけど、途中で起きるいくつかの出来事、パフォーマーと空間の関係によって、最初とは違う意味合いに空間が見えるということを起こす仕組みを作る。それが面白いとその当時は思っていて。
ただその後、設計事務所で実際に建物を作ることとかをやっていく中で、少し興味が変わってきたのが、演劇とかダンスの場合は、空間の中で、“先生”のように目の前でパフォーマンスしてる人がやって見せてくれることで、空間や物の見え方が変わるっていうスイッチが作動するんだけど、そういう人がいなくても、意味に気づいたり、変化に気づくきっかけを作れないかということです。最近、役者のいない演劇とかって銘打つものもありますけれど、要は人を介さずにそのスイッチを押すことはできないか?という興味です。もの自体がきっかけにもなるし、自分自身の意味を変えてみせるような。
だから今回(ウェン・ウェア・フェス)も、パフォーマーや出てくる人たちによって空間が違って見えるっていうこともあるとは思うんだけれども、一方でただその空間を見てるだけでも何かに気づくきっかけみたいなものは埋め込みたいという、それが僕のいう、「レッスン」っていう話で、空間を読んだりとか、ものの意味を読んだりとか、何かが変わるってことに気づく視点を持つためのレッスンというか。建築にはそういう機能というか力もあるなとも思っていて。そういう視点を持てると、例えばそこらへんを歩いているだけでも、見えているものにツッコミを入れ続けれるし、色々な発見があって、そのことで広がる世界もあると思うから。
―その先生がいないっていう時に、パッと最初に聞いた時は、それを受け取る側もいないことを想像したんですけど、でもその空間を説明とか関わって何かを見せてくれる人はいないけど、そこを訪れたり、外側から入ってくる人はいる上で、見え方が変わるっていうことなんですかね。
そうですね。
―それってなんか時間と関係ある感じしますね。
時間のことは空間を考える上でいつもありますね。
―その「変化」とか変わるっていうことには、その前後が必要っていう感じがするというか。
その話はまさに木内さんとかとも定期的にしていて。僕とか木内さんは、コンペとか、何回か一緒に作品を作ったりしているチームで、「オブジェクトディスコ」っていうのをやっていて。僕らがいいって感じるものってなんだろうって考えた時に、「前後の時間を感じるものっていいよね」という話になって。何がそうで何がそうでないかっていうのは難しいんですけど、なんとなくみんな感覚は共有していて、例えば建築の雑誌とか見ながら、「これは時間が凍結されてる感じがするよね」とか。そういうものと比較して「前後に何かが起きそうっていう予感が含まれているものはいいよね。」と言っていて。それをどうすれば作れるっていうのは、具体的にはまだできていないんだけど。
「オブジェクトディスコ」を初めて中野で、実際の街の中で設計プロジェクトとしてみんなでやった時は、前後を作る方法として、見たことのある物とか、色とか、素材とかをその一角に使うことをしてみた。それは茅葺の農家がたくさんある街で、茅を使った物体があるというような分かりやすいことではないわけです。雑多な街ですごくたくさんの全然違う人たち全員にそのきっかけを提供するとすごく沢山の気づくヒントを用意しないといけなくて、例えば30個くらいのヒントを用意してもある人が気づくのは一つだけかもしれない。でも、一つひっかかるには30個くらいヒントがないと引っかからない、とも言える。なのでパッと見すごくとりとめが無い、色々なものの寄せ集めには見えて、それはこじつけみたいな理由も含め、中野や公園とか、そういう場所でよく見られる色とか形とかでできていて。中にはもはや、黄色であるという理由だけでそこにあるものもあったりします。黄色なんて至る所にあるし、だけど、誰かにとっては、50m手前にあった看板の黄色と、そこの黄色がつながるかもしれない。そういうことに期待しているんですね。
―面白いですね。少しずれてしまうのですが、七里圭さんにインタビューした時に、「映画はどこにあるのか」っていつも考えている、パフォーマンス公演をした時も映画を作るつもりでやっていたと言っていて、もう少し詳しくいうと、自分は「モンタージュ」を映画だと思ってると。それこそ、脈絡のない前後のつながり、が接続された時に、映画に触れた感覚になると言っていて、今の話を聞いていて、繋がるなと思いました。
映画と建築はどこか親和性がありますよね。鈴木清順の映画が、僕は好きなんですけど、めちゃくちゃな編集をする人って言われることもあるんですね。セオリー的には多分ダメなんですよ、繋ぎ方とか音声が前後で連続していなかったりとか、だけどそこにどうしてもシークエンスが見出せてしまう、ある意味鑑賞者を信頼した作りになっているというか。であるからこそ生まれる、ダイナミズムのようなもので。映画の中のタイムラインというより、2時間映画を観ている観客側のタイムラインが考えられている。どっちの時間を考えるかというか。
話を戻すと、空間を体験するっていうのは、編集がその時点では入らないというか、ズルっと続いていて、すごく連続的な体験なんですね。難しいのは、例えば美術館とかで順路が設計されていると、体験としては連続するしスムーズな作り方なんですけど、合わせ過ぎるとトンネルみたいになっちゃって意外と面白くなくて。だから、カットアップされる部分とか予感だけが提示されるとか、自分の過去の経験となぜか結びついて見えてしまうみたいなことが結構大事な気がします。
―今聞いていて、例えば、段差があったら飛び越えなきゃいけないから、そこで意識が変わって、その角度でしか見えないところに視点が移る、みたいなことを想像しました。木内さんと話ししていても山川さんと話していても、建築って、人を動かすというか、どういう風に振る舞わせるかを、設定してくるから、面白そうだなーと思いました。今回のウェン・ウェア・フェスでやり取りをしていても、人の振る舞いを規定してくるから、ものはいいようではあるけれど、ダンスに近いというか、関係してるなーと思いました。
なんとなく考えているのは、一回規制はしたいんだけど、その後は散り散りに拡散したいというか、そこで得た視点とかによって、後戻りできない身体にする。僕は建築を専門分野にしたのも、自分の作ったものを経験する延べ人数が一番多いかなと思ったのがあって。複製芸術では無いもので、長期間に渡って延べ人数が作用するもの作りだなと。建物は、建築のある一つのアウトプットに過ぎないので、図形とか模型とか、雑誌に載った、形の違うアウトプットも含めて、いろいろな場所に息長く登場する可能性があってそれは面白いかな、と思ったんです。