坂田有妃子|寺田未来|1
Interviewer|山崎広太
―山崎広太です。寺田さんと会うのは初めてです。よろしくお願いします。僕たちはいま、Body Arts Laboratoryという新しいダンスのオーガニゼーションを作ろうとしています。そこでまず、アーティストが何を考えているかを知ることが、ダンスの状況の活性化へと繋がるのではないかと思い、インタビューしております。
90年代、僕が東京で活動していた頃は、海外に行き、そこで情報を得て、自分の方向を見出そうとしていました。そのときでさえ、日本におけるダンスの情報が少なかった。現在はわかりません。僕の印象だと、アーティスト同士親しいんだけど、ダンスの話を真面目にしない、それと同時に仲良しなんだけど孤立しているような感じです。情報がないのではなくて、情報を知るシステムがあまりないのではないかと。これから作品を創ろうとしている坂田さん、寺田さんに、現在の状況などをお聞きしたいと思いました。坂田さんに、ダンスをはじめたきっかけは何ですか?
ダンスと言葉
坂田 もともと美術をやっていました。人体デッサンなどをするなかで、いろんな体の動かし方があると思い、それからです。体に興味があった。誰かの舞台を見て、感銘を受けてダンスをはじめたわけではないです。自分も体を動かしたらどうなるんだろうと、ダンス教室に通いはじめた。
―指輪ホテルに入ったのは、その後ですか?
坂田 ダンス教室に、たまたま羊屋白玉さんも習っていました。彼女と洋服を交換したのがきっかけです。友達同士で何か一緒にやらない~?と誘われた。
―寺田さんは?
寺田 私はもともと芝居をやっていて、ダンスをやるつもりはありませんでした。芝居の養成所のカリキュラムにダンスが入っていて、その先生のダンスの生き方に興味を覚えて、養成所を辞めても、その先生のダンス教室に通っていました。先生は、言葉のない演劇のようにダンスを取り入れてくださったので、踊ることではなくて、言葉のない表現に興味を引かれていった。それからは、芝居とダンスを並行してやっていくことになりました。有妃ちゃんとも指輪ホテルの関係で知り合いました。芝居、ダンスいずれをするにしても、それが演劇であるかダンスであるかは関係なく、同じ台の上に乗っている感じです。
―言葉が入って来るんですか?
寺田 ガンガン入れちゃいます。
―セリフは誰が創るのですか?
寺田 ほとんど私です。
―僕はだいたいニューヨークにいるのですが、ダンスよりも芝居の方が元気がある感じです。指輪ホテルの魅力とは何ですか?
坂田 いろいろな場所で公演することです。私が入ったとき、クラブなどでもパフォーマンスをしていました。劇のように、特定の場所で公演しているわけではなく、割とゲリラ的にクラブでやっていました。羊屋さんは音楽に特に、こだわる人です。もともと声楽とピアノをやっていたようです。その当時から、小さいオーケストラみたいな形態でびっくりしました。どんな小さいところでも、音楽の人とのオリジナルで羊屋さんが脚本を作りました。それも何だかよくわからない話で、本当に謎です。タイトルと内容が合っていない?と感じたことはあります。羊屋さんが考える世界は新鮮で魅力的でしたけど。
―タイトルから先に作らないといけないから。
寺田 ニューヨークでは、芝居とダンスは近いものではないんですか?
―近くないですね。ダンスが少し低迷している感じです。
坂田 広太さんは、ときどき作品で言葉を使いますよね。
―ニューヨークで、言葉を入れた作品のカンパニー公演をしました。同じ頃、結構有名な振付家が、詩とのジョイント公演を大きいところでしたんです。『NYタイムズ』が、それにとっても批判的でした。彼女が書いたこともしかりで。もともとダンスは抽象的で、言葉は具体的です。つまり言葉とダンスの関係をクリアにしないといけないんです。僕の作品は、はっきりとした言葉を話すと、その言葉のためのダンスになり、体が負けてしまうので、少し濁した言い方にしたり、わざと散文的に言ったりしました。一方、言葉が入ることによって空間性を感じ、また、お客さんがそのように想像できる、拡張するような言葉を入れました。今、言葉とダンスでの作品は考えていないです。
坂田 でも最近、言葉を発声しながら動く作品がありますよね? マリー・シュイナールとか。
―あっそうなんだ。
坂田 昨日、観に行ったんですけど、すごく喋りながら動いているんですよ。
寺田 私もこの間の公演で、かなり具体的なことをずっとずっと喋りながら動くということをしました。それはニブロールのスタジオとディ・プラッツの「ダンスが見たい!」でやったんですけど、審査員の評価が真っ二つに分かれて、論争でもないけど、言葉を使うことに対しての論議になりました。私は、そこまで言葉と動きをつなげる可能性を考えて創ったというよりは、単純にそうしたら面白いのではないかと思ったのです。でも言葉を発声することに敏感に反応されるというか……。
―「私は、あなたを愛しています」と言えば、もうそれで完結しているから、踊る必要はなくなります。
寺田 私は逆に「私は、あなたを愛しています」ということに、疑いを持ってほしいと。
―そういう捉え方もできますね。難しいな。頭良くないと駄目ですね。
寺田 言葉をす発しながら、言葉と違う表現をしているとか。今、まだ言葉を発することを攻撃的にして、対する動きはどうなの、という段階です。それがクリアになったときに、どう見られるかに興味があります。
―言葉とダンスがイコールにならないといけない。
坂田 多分、未来ちゃんは綿密に考えているじゃない。やっぱり言葉を使うことが面白いんですよ。賛否両論でも、ここだと思ったら進めばいいし、どちらかですよね。
寺田 曖昧さが一番怖いと思っています。
―僕の場合、舞踏のような強い身体性だったら、ほとんどフィジカルに動かないけれど、身体と言葉との関係はイコールなるような気がします。将来的に、そのアプローチでシェイクスピアとかトライしたいけど、そんな時間はないかな?
寺田 鈴木ユキオ君のカンパニー、金魚に参加したときに、舞踏というものが何なのかわからなかったし、彼の持ってくるメソッドを身に染みて理解したわけではないのですが、一般の人が観てわかりづらいかもしれないと思いました。でも彼の中で曖昧さをよしとはしていなくて、逆に具体的で、ある意味すっごくエンタテイメントだった。それがアートだとしても、そこに曖昧さはないと思う。
―それは装飾的なものを剥いでいく行為ですか?
寺田 動いてしまうことに対しての疑問や、ダンスとは何?みたいなところから入ってくる。
―寺田さんは、そういう方向に対してどのように感じますか? 自分の作品は装飾的ですか? または、しっかりしたコンセプトは持っていますか?
寺田 どちらかいうと、いろいろくっつけていく方だと思う。よく情報量が多いと言われます。まだ私の中でクリアにできていないところでもある。エンタテイメント性は強いですが、ただそれだけじゃない、その先に行きたい。
―では、自分の創ったムーブメントへの疑問はありますか?
寺田 言葉は確実に強くはたらいていますが、そこにあるギャップをいつも追及したいと思っています。今、ここで喋っている事も、家に帰ったらなんかこう、もうちょっと違ったな~とか。言葉は強いけれど、それが絶対的なものではないことを提示したい。
―僕は絶対的なものだと思うけどな~(笑)。
坂田 未来ちゃんは動くように喋れるからなんだよね。私はそういうことはできない。はじめから、そういうものを捨ててる。
寺田 体を使うことで言葉とのギャップを見せたい。言葉だけなら一つの提示になってしまうけど、体と一緒にあることで、ままなっていないことや、無理してるように見えることを示したい。だから、体に現われる反応で、逆に体に反ったこともやるし、喋っていることと、全然別の動きをする。そこで言葉で言っていることは違うんじゃないかと、それがバラバラになっていく、崩壊していく感覚に気づかせる一つのツールとして使いたい。
―それは言葉を無化する方向に向かいますか?
寺田 私は結局、ダンスや芝居を見せたいわけではなく、そこに出てくるものを見せたい。不思議に思ったのは、演劇界では「演劇とは何か」をあまり語らないことです。一つの公演を観て、「これは芝居なの?」と思ったりしないんだけど、ダンスでは「ダンスとは何か」という言葉をよく聞く。ダンスとは何かがわかって、どうなるのかということが疑問なのですが。演劇であれダンスであれ、映画であれ、提示する側の問題であって、「ダンスって何?」と声を荒げて言う必要はあるのかなと思ってしまう。
―それ故、ダンスはまだ可能性を秘めているパフォーミング・アーツだと思うし、また、羊屋さんなど、身体的アプローチからの演劇の方が面白いような気がする。
コンテンポラリーダンス
寺田 有妃ちゃんから、山崎さんからのメールを転送していただいたんですけど、そこに、日本のコンテンポラリーダンスについて、エンタテイメントとアートが混在していると書かれていました。「コンテンポラリーって何ですか」と、よく人に聞かれます。指輪ホテルもコンテンポラリーと言ってしまえばそうだけど……。
坂田 でも、指輪ホテルは、言葉の比重が強いよね。
寺田 ジャズダンス、バレエなどに分類できなかったものを総称してコンテンポラリーと言ってしまっているところがある。それが多様化し過ぎて、全然色の違うものも同じコンテンポラリーという名前でくくっている。観る人も、すごく戸惑うだろうし、やっている方も、「これコンテンポラリーです」と言ってやっているのか、単純に自分の形態としてやっていて、どこにもはまらないからコンテンポラリーと言っているのか。
―僕には、自分の中で三つくらいの方向があります。舞踏の方向性と、最近はじめたことで、ダンス経験のない素人の方を使った方向性と、自分のオリジナルなメソッドの追及があり、その三つは、まったく違うジャンルです。僕自身でさえ三つも持っているから、とっても多様ですよね。以前は、この三つが混じり合っていて、これを離したら、物事がクリアになった。
坂田 私は創るときに、二つの方向性があって、思いっきりショー的なものと……。
―それはエンタテイメント?
坂田 そこまでではどうかわからないですが。視覚的に、わかりやすい感じに。女の子のフェティッシュさを強調した作品も好きだし、作っていて面白い。でもこれはすごっくわかりやすいんですよ、見た目にも。もう一つは、衝動などの感情を掘り下げて創っていく方向。自分の中では今のところその二つに分かれています。一つのことを追い詰めるのもいいですが。
―一つのものを徹底すれば、そこから世界は広がるし、それが伝えたいものにならないですか?
坂田 この間は、女の子のディオを作り、デュオだとそのときは内面が深くなっていかなかった。ソロだと、そうなることができるかも。
―ソロだと柔軟性はあるけれど、二人だと世界観が重要になってきますよね。寺田さんは?
寺田 私はかなりエンタテイメントです。わかりやすくて、ストーリー性があって、一緒に組むのは、役者などで、ダンサーと組むことはしません。大抵、その人個人の喋っていることや表に見えていることと、内面とのギャップ、たてまえと本音みたいなものを題材にすることが多いので、それがしっくりくる。
―指輪ホテルを辞めた理由は何ですか?
坂田 もうちょっと、しっかりダンスをやりたくなったのと、時間的にも気持ち的にも両立はそのときは不可能でした。自分の中でマンネリになってきちゃった。指輪ホテルだと、何をやってもキャラクターとして許されちゃうような寛容さ。それがちょっと嬉しくもあり、嫌だった。ある意味、居心地がいいんだけど、その当時は、ちょっと疲れて離れたかったです。
―離れた結果、自分の本来の方向を見出すことはできたのですか?
坂田 今、見つけつつあって、こうじゃないかとやっとわかってきました。賢い人だったら、もっと前から選択して自分の方向にいくために、辞めていたと思うんですけど。