Body Arts Laboratoryinterview

ダンス批評とグルーヴ

―ダンスと直接的に、自分が発する者として関わったのは批評ですか?

いや、最初は音楽だね。もうこれみんな記憶の彼方だと思うけど、舞踏舎VAVのダンサーといくつかの公演を音楽で関わったのが最初。高校3年生のとき。

―え!!高校生で!? なんでそういうことになるんだろう……凄いですね。ちょっと話は逸れますけど、その時は何をしたんですか?

音楽はピアノと電気オルガンとおもちゃのピアノと、4チャンネルのオープンリールを買って多重録音して。大学1、2年生くらいまで関わってたかな。

―へー。それと同時に、桜井さんはバレエを見たり、色々見たり、寺山修司にハマったりしてたんですね。その次に何か展開とかはあったんですか?

大学4年生の時、原宿のピテカントロプスのバイトに行ったんだよね。桑原茂一にあこがれて(笑)それで卒業後もそのままピテカンの企画室に勤めることになって。そしたら半年で潰れちゃったけど。

―ピテカンってクラブですよね?

そう日本最初のクラブ。ただし届け出してないので踊れなかったけど。

―やっぱりいつも桜井さんは、両極端にいるんですね。バレエとクラブ。

その頃はニューウエイヴ音楽が盛り上がってた時代で、大学の時にバンドやってて。バンドデビューしたくて。色々な人に出会って、色々なこと教えてもらいながら、うろちょろしてたんだよね。よく考えたら、バンド中心だよね、ダンスとかじゃなくて。その頃は、インディーズとかなくて、デビューって言ったら、メジャーだから、そのハードルは高かったわけだけど。

―でもそんな中でも、ダンスは見てたんですか?

うん。バレエと舞踏だけで、それ以外は見なかった。あ、1回現代舞踊を観に行った。

―それはどうでしたか?

恥ずかしかった。ナルシスティックに感じて。その後、84年に、国立劇場でブレーメン・タンツテアターをみた。ピナ・バウシュよりも先に来たんだよね。ピナ・バウシュとラインヒルト・ホフマンとスザンネ・リンケが新表現主義の三羽ガラスって言って、最初に来たのが、そのラインヒルト・ホフマンのブレーメン・タンツテアターだった。

―それは?どうでした?

ものすごく良かった。新しいダンスっていう感じで。バレエでも舞踏でもモダンダンスでもなくて。要するに後にコンテンポラリーダンスと呼ばれるようになるダンスの最初期ですね。あとは、その頃面白かったのは、MOMIXとか、トワイラ・サープとか、アメリカのいわゆる「ポスト・ポスト・モダン・ダンス」。

―その後いろいろ来るんですよね日本に。それをガンガン観ていく感じですか?

そうだね、もうちょっと後だけど、ピナ・バウシュ、フォーサイス。

―それで、自分のダンスの見方っていうのが出来ていったんですか?

「自分の見方」かー。えーと、たぶんそれは、「西麻布ダンス教室」に書いてあるけど、「グルーヴ」ってことが一番大事で。きっかけとしては、ダンスについての本を書き下ろしで出すってなった時に、今まで書いて来たことを使ってるんだけど、どういう構造でこの本を書くかってことを考えた時に出て来た。

―なるほど、自分の見方をさらに客観的にしていかなきゃいけないってなった時に浮かび上がって来たのが、「グルーヴ」だったってことか。

そうだね。自分が好きなものは、どういうものかっていうね。

―その本を出す前も、桜井さんは、ダンスについての発言を結構してたってことですか?

ダンス批評は書いてたよ。「STUDIO VOICE」と「美術手帖」と「BRUTUS」と「流行通信」とか。最初は、ローラン・プティのインタビューをしたいって「BRUTUS」に話を持っていって。ロング・インタビューを書いた。それが最初で85年頃。それから書くようになった。「美術手帖」は最初は音楽時評を書いてて、90年前後に、そのままスライドしてダンス時評を書くようになった。國吉(和子)さんと半々で。國吉さんは舞踏についてが主で俺は舞踏じゃないもので。「美術手帖」の最初は「美香&ダンサーズ」について書いた。そんな感じで、90年ちょっと前くらいから、色々な媒体に書いてた。

―今聞いていた話だと、急にわっと盛り上がってる感じがあって、それってきっと、時代的なことがあるってことなんですかね。

そうそう。ダンスが今きてるっていうかね。80年代の半ばから。ドイツの新表現主義の人たちと、フランスのヌーベルダンスの人たちと、アメリカのポスト・ポストモダンダンスの人たちが来てから。

―じゃあこの時の桜井さんは、ダンスに対してノリノリだった感じですか?

そうだね。見るもの見るもの面白い。新しい表現って感じだったよね。その頃は全然芝居を見なかった。寺山修司は、死ぬ直前、84年かもう少し前くらいから観なくなって。野田秀樹も、最初の頃は何度か観たくらいで。あとは小町風伝とかね。太田省吾さんの。

―演劇にはハマらなかったんだ。

大学卒業してもほとんど演劇は観なかった。大学4年生の時にピテカンに行って、そこで宮沢章夫さんとかいとうせいこうくんに会って。ドラマンス(ドラマとパフォーマンスをくっつけた桑原茂一の造語)で照明やったりしてた。渋谷のジャンジャンでは、「シティ・ボーイズショー」をやってて、それは本当に面白くて。そこからラジカル・ガジベリビンバ・システムになって、だから「80年代演劇」って僕は、ラジカルしか観てないんだよね。

―そうか。

大学終わって、ピテカンに就職したら、半年でつぶれちゃって。それ以来どこにも就職したことないんだけれども。それで、何もすることなくなっちゃったんで、音楽また始めたんですよ。

―じゃあ、その間はダンスはどうだったんですか?

書いてはいたし、観てはいた。それが80年代の後半で、さっき言ってた盛り上がってた頃。

―なんというか、変化を知りたいんですよね。どういう流れを辿って、変化したんだろうっていう。

それは、その時々のダンスの流れに身を任せて来たわけですよ。

この踊りはどこに向かってるのか

―なるほど。それで、今はダンスはのれないってことですか。桜井さん自身が変わったってことじゃなくて。

それは、両方なんだけど。今のダンスにいい感じのものがないってことはある。それもあるけど、自分のメンタルにも問題があるのは事実。

―その桜井さんが「いい感じ」って言っている「いい感じ」の中身も変わったのかなっていうのも思って。中身なのか、視点なのか。

「いい感じ」の中身? 今、立派な踊りを見ると、「おお!」って思うよね。「いいなー」「ちゃんとやってるなー」って。ちゃんとやってないとイライラする。

―「ちゃんとやってる」「ちゃんとやってない」っていう時の「ちゃんと」っていうのは?

ちゃんとやる必要のある時に、ちゃんとやればいいんだけども。「ちゃんとやらないと成立しないダンス」ではない類のダンス、ちゃんとやらなくてもいいダンスだったら、適当に踊ってある種の面白さが出てくると思うんですけれども、今はそういうダンスがあんまり面白くない。

「コドモ身体」とか言ったじゃない。その時の「コドモ身体」のアドバンテージっていうのは、「グルーヴ」があるってことだったんだけども、「グルーヴ」がないのに「コドモ身体」とかっていうのはダメだなっていうことだよね。

―じゃあ、その基準は、桜井さんの中では変わってないんですね。「コドモ身体」っていう言葉が、表面的に捉えられちゃってる感じがするってことですかね。

ちゃんとした踊りっていうものが今、あまりないですよね。

―ちゃんとしたっていうのは、技術にのっとったということですか? 「グルーヴ」があるかないか?

「グルーヴ」は置いておいて、何をどうするのかってことを、ものすごく細かく考え抜いて踊る的なね。勢いでだけでは手に負えないテクニックとかもあるし、どのくらい自分の身体を繊細に動かしていくかっていうことに対する注意とか、繊細さみたいな感覚的なことがあまり大事にされていないように感じる。

―何が大事にされてるように感じるんですか?

わからない。ある種の、僕のあんまり好きではない粗雑さとか、大雑把さとか、適当さとかいうのが、目に付く。

―いつ頃からとかあるんですか?

2010年くらいからですかね。

―去年(2017年)の年末に、SCOOL(「ダンスお悩み相談室」)で、映像を見ていったじゃないですか。桜井さんが、「これはいい」「これは良くない」って順番に。それを見て、私は「別にこういうダンスもいいじゃん」って思ったりして(例えばKENZOの映像とか)でも、「じゃあこれを見てよ」って桜井さんが、(その多くは映画でしたが、フレッド・アステアとか)見せてくれる映像を見ていると、段々、桜井さんめがねじゃないけど、踊りの中にある、滑らかさなのか、繊細さなのか、柔らかさなのかが見えてきて、「なるほど」というか、こういう風に見ていたら、色々なものが雑に見えてくるのはわかる気がする、となりました。
それで、桜井さんが使う「グルーヴ」って言ったりするのって誤解を受けやすい言葉なのかなとは思って。「グルーヴ」って言葉から人がイメージしやすいことと、実際に桜井さんが、ダンスの中に見てとっているもののその中身には結構距離があるのかもしれないな、と思ったりしました。今、ダンスに対してモチベーションとかはあるんですか?

なくはない。もっと面白がりたいなって思ってる。

―そうですよね(笑)。そのあがきですもんね。桜井さんの話を聞いてると、ダンスに期待しているからこその苦しみっていう感じがします。

そうだね。ダンスが好きだもん。

―その好きが、どう支えられて来たんだろうって思うけど、まあそんなことはわからないとは思いますけれど。

やっぱり、組体操みたいなものとか、マス・ゲームみたいなものとか、集団行動?つまりファッショなものはだめなんだよね。体育会系のものは好きじゃない。

―やらされてる感とか、その人の身体とか、その人自身に合ってなかったり、ちぐはぐなことがいいとは思えないというのは言ってましたよね。何を「ダンス」って呼んでるんですかね?

かっこいいものじゃない?(笑)

何を「かっこいい」って言ってるんですか? だって、登美丘高校のダンスを見て「かっこいい」って思っている人は沢山いるわけで、でもそれを桜井さんは「かっこいい」って思わないんですよね?「かっこいい」の中身が全く違うってことだから。

やっぱりだから、ヤンキー文化とか体育会系とかは、俺はだめだね。田舎くさいものは嫌いなんだよね。

―もうちょっと丁寧な言い方ないんですか?! なんか急に言葉が雑に……(笑)。

こういうものはかっこよくてこういうものはかっこ悪いってことが、やっぱ大事で。

―あー、それぞれの中で。

そう。死んでもこんなかっこ悪いことはしたくない、とかってことがあるっていうのが大事で。特に若者については、それがないと駄目ですよね。行動指針とか、選択の指針がないと。君自身が、そうやっているそれをいいって思ってやってるんですか?っていう。あと、上には上があるっていうようなこととか、こいつには敵わないみたいなことが無いんだなって思っちゃう。これもいいけど、これもありみたいな、横並びで考えてるのは良くない、ていうかおかしいと思うんですよ。もうほとんどダンスに関係ない、親父の若者に対する憂いだけど。

―そうですよ(笑)。でもダンスを見てるとそのことを考えちゃうってことですよね?結局横並びの思想じゃないか、みたいな?

やっぱり、心に支えとして、こうなりたいな、でもなかなかなれない、でも目指したいみたいな。瞬間瞬間もそうだし、総体として、「どういうつもりでその踊りを踊ってるんですか?」「この踊りはどこに向かってるのか」「どうしたいと思ってそうしてるのか?」っていうのがわからないと。「僕はこう思うけどどうですか?」って言われてはじめて応答できるわけで。

―あ、応答のしようがないってことですか?

何を言ってるのかわからないので、応答できない。目の前を通り過ぎていくのを、眺めてる感じになっちゃう。

―最近グッと来たダンスとかはあるんですか?そういう意味を含めて。

オフィスマウンテンですかね。

―そこには何があったんですか?

グルーヴはあるよね。言葉と身体の関係性がスリリングで、一瞬たりとも飽きないし、身体の、力のギリギリ感みたいなものがこっちにシンクロしてくるっていうか。