Body Arts Laboratoryinterview

「即興と反復」について

即興と反復
vol.4
米澤一平
長沼航
2023
©︎田中洋二

——俳優の長沼航さんとの共同企画で、2022年から2024年6月現在までに5回行っている「即興と反復」では、即興のパフォーマンスの後に、オブザーバーとともにそれを振り返るトークを行うセットを繰り返します。言葉についてのこれまでのお話とも関連すると思うのですが、このアイデアについてお聞かせください。

「即興と反復」については、基本的に長沼さんの発想ですね。各回のテーマやステイトメント、ゲストは全部彼が担当して考えています。彼と共演したときに、やりたいことを聞いてそれをサポートしている流れです。パフォーマンスの企画についてもそうですが、誰しもやりたいことがあっても、どうやっていいかわからなかったり、失敗するのが怖いというのがある。自分が企画をやって楽しめるようになるまでには時間がかかる。何年も何回もやってようやくそうなってきます。企画、つまり、外枠からつくっていくということを、技術がないからできないのは勿体ないと思うので、僕の場合はそれを一緒にやっていきたい。

僕の視点からすると、即興やセッションというだけで打ち立てるこの枠組みは、結構大変だと思いました(笑)。僕が藝術総合茶房喫茶茶会記でやっていた企画「In The Zone」もDouble Tallでも、実は「即興やります」と謳っていない。お客さんに見せることが目的ではなく、演者同士の対話を、その場から生まれでる言葉や身体や出来事を、一緒に体感しませんか?ということでやっていました。そして、僕の場合は、即興を40分や60分など、長いスパンでおこなうことで、最初わからなかったことが長くいることで馴染んでくる。それが、「即興と反復」は1回1回が区切られるというのがあります。

僕が「即興と反復」で捉えているのは、全部パフォーマンスにすることです。演劇やコントのような感覚に近い。お客さんに言葉でどういう情報を与えてインストール・インプットしたら、どういう思考をするかみたいな考え方で、「即興と反復」をやっています。オブザーバーがこれをどういう言葉にするのかな?という、オブザーバーに対する投げかけとして、パフォーマンスの最初の一手があります。オブザーバーがそれを言葉にすることで、さらにその場にどういうリアクションが起こるのか……という構造があります。

——オブザーバーがパフォーマンスの外側、外部に位置するわけではなくて、オブザーバーが記述する言葉もパフォーマンスの中に語彙として取り込まれて、蓄積され、素材の一部として展開されるサイクルがあるのですね。

そうです。それから自分が意識しているのは、バランスがいいとも違うけれど、どうやったら全員が活きる状態になるかということです。全体のいま起こっていることをトータルで捉えた上で、時間を使うことを考える。あとは、毎回そうかもしれないのですが、時間制限がオチをつけづらくしていると感じます。時間制限があることで、必ずしもパフォーマー全員が、自分がオチをつけなくてもいいという可能性がある中で、「即興と反復」では、オチをつくらないことが普段の自分の即興とは異なります。

僕の場合は、40分、50分やったとして多少時間が延びても、やりっぱなしは嫌だなというのがあって。ただ何でもありで、何でもいいから即興をやればいいのではなくて、さっき言った、繰り返されることもすべてパフォーマンスになるという、ある種の演劇的な構造も意識して把握しながら、終わりの時間にどう向き合ってパフォーマンスするかが大事だと思います。

イドバタ即興学

——2024年4月にはじまった「イドバタ即興学」は、米澤さんが聞き手となって、複数のパフォーマンスの表現者がそれぞれ「即興」をどのように意識し臨んでいるかを、対談から探るトークの形態や、参加者の相互批評を伴う即興のワークショップ&ショーイングのかたちでも「勉強会かつ実践の場」として開催されています。「「イドバタ即興学」は学問ではありません」と書かれていますが、この取り組みについてお聞かせください。

即興の良さとは、その場にあることが、そのままパフォーマンスになることだと思っています。何かを再現するんだったら作品をつくったほうがいいし、打ち合わせをした方がいい。つまり、即興とは、インスタントにやる作品ではないと考えています。たとえばそうした、今まで言葉にしてこなかった、即興で考えてきたことの自分の蓄積を、言葉にして発信したいと思いました。それでまずnoteを書きはじめました。

「イドバタ即興学」は、自分が言っていることが正しいということではなくて、人がどういうことを考えているのかを聞いたり話したりしながら、自分のなかの考えをまとめられるようにするための機会として実践しています。即興についてだけではなくて、自分が何を表現しているのか、何をパフォーマンスで大事にしているんだろうということについて、自分の中で即興学をつくっていくためにはじめたら良いんだろうなと、声を出すということをやってみています。 

結構、知り合いではない人がこの機会に参加してくれている印象です。いまの自身の活動について悩んでいるというか、話したい人が参加者に多いと感じています。僕もいろいろなジャンルや世代の人とパフォーマンスをしてきて、実感をベースにした確かな言葉を人と交わすこと、人と話すことで、自分の思考が広がっていくことが、やはりありました。

パブリックスペースでのパフォーマンス・アクション

In The Zone
vol.12
米澤一平
平松麻
2017
©︎bozzo

——「イドバタ即興学」以外の実践で、現在発見しつつあることなどがあれば、お教えください。

四谷三丁目の喫茶茶会記で、4年間(2017-2020年)一つの空間で企画をやったことが全部僕のベースになっています。その後も喫茶茶会記でやってきたことの派生・応用というか、別の空間になったときにも、空間ごとに企画を考えるということをずっとやっています。その場所がなくなってどうしようかなというときに、2か月後に新日本橋のDouble Tall Art & Espresso Barにたまたま出会って、始めて2年と4か月くらいで閉店になり、ちょうどその2か月前くらいにノボリトリートとの出会いがあります。ほかにも、お寺や古民家、野毛のCabaret Cafeうっふでの「サーカスBar 野毛うっふsession」など、さまざま企画をおこなっていますが、自分のなかでは、喫茶茶会記、Double Tall、ノボリトリートが大きな流れとしてあります。

ノボリトリートでめちゃくちゃ良かったことは、野外であんなに堂々とパフォーマンスをやれたことです。基本的にパフォーマンスを見る人は、僕らをめがけて来ているんですよね。野毛のCabaret Cafeうっふの場合は、野毛という飲み屋街に来た、まったく僕らのパフォーマンスを知らない人が見るということがあります。ノボリトリートもまさにそうで、僕らを全然知らない、そこに住んでる人たちが目撃して、お客さんにおもしろいなと思ってもらえること、街にこうしたパフォーマンスなどのアートがその場にインストールされるということが大事だと思いました。他の街の野外の空間でもできたらいいですね。

ある会場ではなくて街だから、ジャンルも関係ないし、雑多に歩いている人たちがいる状況がある。リアルに初対面で何かを一緒にガチャガチャやっている時間が、ナチュラルにあるみたいな状態が、演者同士でもできたのがすごく良かったです。それでも自分の中では、この人はこういうタイプの動きをするだろうなという、チームビルディングみたいなキュレーションはしていました。

タップダンサーであるということ

自分がタップダンサーなので、「枠」が存在しないのはいいことだと思っています。たとえば、映像だったらその枠組みでの表現になると思うのですが、世の中の企画を見渡したときに、タップダンサーである自分の位置を、それこそ社会の中のマイノリティーのようなかたちとして感じたんですね。タップダンサーってアートの世界にいないなと思ったんです。だから自分で企画をやるしかないと思ったし、参加してくれる人も、裸一貫じゃないけれど、自分の肩書きや経歴に対してフラットにかかわってくれていると感じます。

——米澤さんにとってタップダンサーであるとは、改めてどういうことでしょうか?

自分が表現をスタートしたのがタップダンスですし、タイミングもよく、活躍する人に早い段階で出会って舞台に出させていただいて、強烈なところにいたのは事実です。ただタップをやりながら、自分がいいなと思う本とか映画に接したり、コンテンポラリーダンスの舞台を見たり、ワークショップや共演で知り合った、いろいろな人の表現に触れて、タップの解像度が上がったということがありました。そのときに、それまで表現の幅が狭いような気がしていたのですが、タップって結構おもしろいことをやっているなと思ったんです。

タップは歩いたら音が出るし、ポップな表現とも言えて、複雑な内面のことなどをやらなくても、タップをやっていることにしかならないというか、普通にバーッとやってしまえば「すごいな!」ということになる。僕はどちらかと言えば、もっと表現のことをやりたかった。そこで、いろいろな人と対話していく中で、タップでもこういう表現ができるなということが、だんだんわかってきて、違うことをやっているように見えるかもしれないけれど、僕の中では何をやってもタップで、それを多分応用しているんだと思います。

野球で言えば、ピッチャーがいいボールを投げるとか、バッターがいいボールを打つのが一番重要というときに、それに近いのは、タップでは、いい音を出すことなんです。この場所のこの空間のこの床に、身体で音を響かせることを、自分の声と言う人もいる。僕はあくまで、それは床の声を引き出していると思っています。僕が床に触れることで、その声を引き出すという関係を、タップのなかで取っている。僕が一人でタップしていたとしても、床と対話していることになる。それは僕なりのインタビューです。それは自分のパフォーマンスのセッションや企画にも通じていると思います。

2024.6.23/下北沢にて


©︎伊藤俊介

米澤一平Ippei Yonezawa
タップダンサー・場作り

1989年、東京生まれ。未知の状況に慄く生物の本能やそこから生まれる生命エネルギーに興味があり、非劇場空間をパフォーマンスの舞台としながら毎回異なる表現者と即興/セッション企画を行う。これまでジャズ喫茶、ギャラリー、古民家、寺、ストリート、商業施設等様々なパブリック空間をパフォーマンスによって異化していくようなアクションを主催プロジェクトとする。10年間で500以上の場作りをする。
https://note.com/ichi_yone/