Body Arts Laboratoryinterview

3.

振付の条件

―パートナーの河内昭和さんは、ご主人ですか? 僕も妻がいて、彼女も振付をしています。パートナーとのリレーションシップは、何故上手くいっているのでしょうか?

えーと、何も言わせない。

―言わせない(笑)?

自分がやりたいことをやる。でも家の中で一緒にいるわけですから、全部こうやってたら、家出しなくっちゃいけなくなるから、話は聞きますけど。心の中では、捨てているのは捨ててる、受け入れているのは受け入れてる。

―ご主人も、かなり寛容ですか?

そうですね。何が寛容かというと、私がやりたいと思うことを認めてくれている。それがありがたいことです。

―もう長年。

そうですね。結婚した当時は、一か月持たないだろうと言われたんです。両方とも強いし。

―お互い、バレエで。

服部・島田バレエ団。

― 僕なんかは、作品を創っている時、自分で勝手に興奮して、時間がたってもう一度客観的に見直すと、たいしたことなかったりして……。そういう時間を費やしながら、振り付けることの喜び、そしてセット、音楽、ムーブメントがマッチした時の、作品が完成する瞬間の喜びなどをお聞きできたらと思っています。

同じですよ。ダンサーが、私がこうして欲しいと思うことを、それ以上に良くとってくれて、またスタッフが「やってあげている」のではなくて、自分たちのこととして、一緒に作品に参加してくれることは嬉しいですね。それはダンサー、スタッフから嫌われちゃったら、どうしようもないですものね~(笑)。

―振付において重要なことはどういうことですか?

言い方はおかしいけれど、やはり、自分がこうやりたいと、自分に思わせる。それがなかったらどうしようもない。自分がやりたいと思ったならば、今度それを散漫にならないで、どんどん掘り下げていく。まず自分を狭いところに入れ込んでいくことをしないと、見えてこない。

―狭いところに入れ込むことを、もっと具体的に。

悩むでもいいし、不安がるでもいい。たとえば、その音楽だと思ったら一生懸命聞くし、その作品を創るための必要な条件を、ぎゅっと自分の中に押し込んでいく。作品の創り方、振付家のタイプもさまざまだと思いますが、私の場合はとにかく、自分だけしかできないものはどういうものかと、自分を追い込んでいく。あの人がああいうの創った、あの人のあれ良かったと思ったら、もう駄目です。やっぱり、人のいいものに憧れていたら創れない。まあ、嫉妬はしますよ。

―他の方の作品もご覧になるのですか?

私、すっごく観に行くの。

―そうですか。自作で踊ったダンサーが出演されている作品とか?

それもあるけど、観るのが好きなの。だから、こうやって一日劇場にいるのが平気なんですよ。

―すごく好奇心が旺盛なんですね。

最初からこの中にいるから、それしかないんですよ。

― 僕は大体、肉体の維持はバレエなんですけど、自分の振付では、バレエのパを使うことは極力なくすようにしています――昔は使用していたのですが。そうすることで、自分のオリジナルなムーブメントを探求できるかなと思うのです。その辺り、バレエのエッセンスに対して、どのようにお考えでしょうか?

バレエのレッスンをすることから入っていますから、それは否応なく身体に入っていると思います。けれども、こういうものを創ろうと思った時に、じゃあ、それに必要な動きはどういう感じかなと探る。それには、音楽が密接に関わってきます。

―クラッシック音楽だと、構成がしっかりしています。クラシック音楽を使う場合、全体から作品を俯瞰して創っていきますか? 作品によって、音楽との関係はいろいろあると思うのですが。

この曲がいいと思って触発されて、音楽に自分のこうしようと思うものを合体させて、音をいじらないで創る場合もあります。または、台本を創って、それに合わせて場面ごとにいろいろな音を挿入して――音楽家は怒るでしょうけど――切り刻んでいくかたちで創っていく。最近は、そういうケースが多いですね。振付師によっては、音楽家に対して失礼だから、ストーリーを付けようが付けまいが、音を丸ごと抱え込んで創るものだという考え方もあって、それは正しいと思います。ただ、私は無節操な人間なので、結構あっちゃこっちゃと音を選んでいます。ここに入れて、ここを止めてと、いろいろいじくっている。

―いろいろな解釈があっていいと思います。ストーリーは、ご主人が創られるのですか?

いえ、息子。息子に台本を書いてもらうようになって、時間的にもだし、いろいろ広がった感じはあります。もちろん、それには、息子が、私がどういう立場であるか知っていることもあるし、また、こうだああだと言い合いながら台本を創ることができる。

―台本があることによって、どういうふうにやりやすくなったのか、もう少し具体的にお聞きできますか?……あっ、大きい作品ができることですね!

一晩もののね。そうなんです。

―他にありますか?

息子が若いということで、こっちが助けてもらっていることがある。やっぱり作品創るのは、歳とっちゃダメですね。年齢の問題ではなくて。

―たえずリフレッシュすることが必要ですか。

そうですね。

―では、一つの作品を公演すると、また次の作品のビジョンは必然的に出てくるのですか?

私はそんなに湧いてくるという人間ではないんです。普段は、まるで空っぽです。その代わり、空っぽな分、いろいろな人の作品を観たいし、それは踊りの世界でだけじゃなく、刺激を受けたい。

―作品を創るまでの準備期間は長いんですか?

台本とやり取りするところから入れれば、半年近くは掛かりますね。ダンサーに振付をするのは、一晩ものだと短くて2か月、長くて3か月かな。それはダンサーの集まり具合によってですけどね。

―2、3か月のリハーサル期間の、一週間のスケジュールはどんな感じですか?

大体、土日はダンサーが来ないので、月曜日から金曜日ですね。

―昼間の時間帯。

そうですね。

4.

これからの振付に向けて

―これからの振付家、ダンサーに、何か伝えたいことはありますか?

さっきも言ったように、この世の中に自分しかいないと思うことじゃないかな。創りたいと思ったら、とくかく自分というものを大事に、追い込んでいくこと。

―今回のアーツ・チャレンジ、審査員として僕の初めての試みだったのですけれども、何か感想はありますか?

若い人の作品を観ることができて楽しかったです。それと、いろいろな方向から作品を創るという意味で、こちらの世界が広がるというのかな。

―次の新しいプロジェクトは何ですか?

この歳になったら、新しいことよりも、自分が創る作品を、いかにまだ創れるかな、まだ創れるかなと先へ延ばしたいと思うことだけですね。

―振付は体をそんなに動かさないですけれども、思考という意味においては、年齢を重ねるに従い、少し緩やかになるのですか?

自分で思うよりもそういうもので、感覚もだんだん弱ってくるでしょう。そう思いたくないですよ。

―それは実際に、実感するのですか?

体力的には、特にここ2年ぐらいすごくありますね。何時間ものリハーサルを、毎日はちょっと無理ですね。一晩で疲れがとれないんです。出来上がってからは、毎日でもいいですけど。歳とっていいことないですよ。

―僕もどうなるか解りませんが、年齢を重ねても、脳は全然衰えないみたいですよ。ここ最近インタビューした方々は、歳を重ねるに従って、どんどん元気になっている印象です。

衰えないと言っても認知症っていうのがあるじゃない。もうあれに掛かってきてるんじゃないかな? 大体、記憶力がない質なんですよ。小さい時の学校の勉強を思い出してもそうですけど、それだけ苦労しますね。

―僕もそうです。特に振付は、一瞬にして、忘れたことを蘇えらせることができると便利なんですがね。自分が創ったムーブメントは、どんどん忘れていきます。

忘れちゃう。だから、もう一回やるとなるとビデオがなかったら全然駄目です。バレエ団なら、そこに加わったダンサーが覚えていてくれる。私の場合は、皆バラバラだから、本当に、ビデオができたことでどれだけ助かったことか。

―振付を続けている理由は何ですか?

赤ん坊がおしゃぶりをすると、ずっと離さないじゃない。あれなんだと思うんです(笑)。

―今年はバッハやりますよね。

バッハのヨハネ[*1]。わ~大変!

―もちろん生音で。

古楽器を使って。

―衣装も重要ですね。

そうですね。私のヨハネの美味しい創り方は、音楽と踊りと楽器なんですね。私はいつも7月にリサイタルを持っているのですけど、去年はもう歳だし、しんどいし止めたんです。今年の夏は、ヨハネをやりたいから、渋々乗っちゃったんですよ。長いでしょう。バッハという、神様みたいな人でしょう(笑)。それで、日本人の血に慣れない宗教音楽でしょう。古楽器の演奏者がいて、ソリストがいて、合唱がいて、そしてダンサーがいて……ま~どうやりましょうって感じです。頭の悪い私には、ちょっと太刀打ちできないようなことを、やらなくちゃいけない。記憶力が欲しいのと、頭のいいのが欲しいのと。

―僕も、そうです。

朝目が覚めた途端に、その不安で胃が縮まっちゃう。もう始まっちゃって稽古場にいる状態だと、偉そうなことを言っていますけどね(笑)。でも、ここまで長生きさせてもらっちゃったから、感謝しなくちゃね。

―まだまだお元気で続けていけますよ。僕は昔からずっとお世話になっているのですが、樋田佳美さんは佐多先生のところにいらしたのですか?

昔からでもないね。珍しいキノコ舞踊団にいたこともあったでしょう。

―じゃあ、キノコを観たこともあるんですか(笑)?

もちろん(笑)。

―日本のコンテンポラリーダンスの振付家で、好きなタイプはいますか? もしくは厚木凡人さんは?

厚木さんは、凄いね。あの人の持っている厳しい精神性は、尊敬しますね。世代的には、私よりちょっと若いんじゃないかな? 何か、毅然としたものを持っていますよね。羨ましい。

―何度か、ご覧になられて。

そうそう、一緒に舞台に立ったことがあるの。それは東京労音か何かの舞台で、ダンサーをちょっと借りだされたって感じで、厚木凡人さんが来ていた。それで、厚木さんの肩の上に乗って、そこから降りた記憶がある。「どこにでもつかまって降りてくるんだもん、嫌だ~」って言われた(笑)。

―モダンの作品ですか? もしくはバレエ?

バレエじゃないですね。

―キノコはどんな印象ですか?

面白く観ました。楽しかった。

―偉いですね。ジャンルにとらわれず公演を観に行くことは。

あまりジャンルって考えないですね。踊りが好きだから、いろいろなものに興味を持つし、面白いものは面白いものね! 踊りで、ああいうのが嫌いというのは無いですね。モダンダンスの昔からある、手で踊っている、情緒綿々たる踊り、あれは嫌いね。もう、今はあまりないですけど、あの膝を折る走り方は、もうそろそろ無くなっていいんじゃないかな? あれ日本舞踊からなのかな? 外国人はあんな走り方しないし、モダンダンス独特だよね。

―手を振らない走り方ですか? アメリカにはあの走り方はありますね。カニングハムは違うけど、グラハムはまだ、あの走り方だったような? でも日本独特に矯正されているのかな? 確かに変ですね、宗教法人のようで(笑)。

バレエ的に走れとは言わないし、作品によっていろいろな走り方があっていいけど、あれは好きじゃないね(笑)。

―同感ですね。

今は現代舞踊協会でも、走り方にしろ、基本のスタイルのようなものは、もっと無くなってくればいいのにね。

―では、佐多先生は、現代舞踊協会、コンテンポラリーやバレエなどを融合した方がいいですか?

だって、今は皆そうじゃないですか。お互い影響し合っているし、バレエがこういうものでなくてはいけない、ということはなく、作品を創る場合には、どうあってもいいわけだから。

―僕の一つの目的は、ジャンルを超えて、アーティストにインタビューすることです。他人を知ることによって、自分のポジションも明確になると思うわけです。違う振付家とコミュニケーションをとることは大切だと思っています。佐多先生はどのようにお考えですか?

もちろん、《白鳥の湖》しか踊らない人がいてもいいわけです。歌右衛門が古典ものしかやらないのと同じでね。一方で、そうではなくこうしようと言う人がいっぱいいても構わないし、それがまた、どうあっても構わない。作品を創るには、この人は黒と言い、この人は赤と言うことがあっていいと思う。この時だから、ブルーでなくていけないってことは、決してない。それぞれ、皆、天才がでてくれば。

平山素子 (楽屋に登場)失礼します。まだ続くの?

ごめんないさい、追い出したみたいで。

平山 大丈夫ですよ。話し始めると止まらないみたいで。

―あっ、もう4時ですね。

客入り始まりましたね。

―どうも、ありがとうございました。

[2009.2.22/愛知県芸術劇場にて]

構成=山崎広太


佐多達枝Tatsue Sata

1932 年東京生まれ。振付家。O.F.C.(Choral Dance Theatre)芸術監督。高田せい子、エリアナ・パブロバ、東勇作に師事。54年から創作活動を始め、自らのプロデュース作品のほか、劇団四季などミュージカルの振付も手掛ける。作品に《満月の夜》《カルミナ ・ブラーナ》《父への手紙》《beach》《庭園》など。舞踊批評家協会賞、村松音楽舞踊振興基金邦人舞踊作品ベスト3、紫綬褒章ほか受賞多数。


インタビュー後記

昨年、「アーツ・チャレンジ2009」の選考で初めて佐多先生とお会いすることができました。90年代、僕はrosy Coというカンパニーで多岐に渡って活動していた時期に、同時代の振付家として、是非一度は佐多先生の作品を観たいと思っていました。しかし、縁がなくずっと観ることができませんでした。名古屋で選考の時の、ちょっとした会話や食事を一緒にしたときに、振付家同士が持ち得るシンパシーのようなものを感じました。そして、佐多先生の振付に対してのしっかりした言葉から強い意志を感じ、作品を一度も観たことがないにも関わらず、インタビューをお願いしました。

インタビューは、時間がなく限られたものになってしまいましたが、振付することの喜び、大変さ等をお聞きすることができ、まったく同じ悩みを痛感しました。でもこの振付家の苦労、実は、大変だけど、ある意味、誰もがやっていない自分だけの世界の構築という意味では、精神的にも、とても自分自身、興奮するもので、振付家としての使命を感じます。

話をお聞きしながら、過去のことが彷彿として来て、僕自身、日本のダンサーと、もう一度仕事をしたいと思いました。海外からのオファーも是非、器用な日本人ダンサーを使って欲しいとのこと。でも昨年の年収が50万円ではオファーも無理です。佐多先生は、お稽古場もお持ちで、ある意味、東京での創作活動は恵まれています。それにも関わらず、ダンサーの確保や、とても大変な思いをされています。では僕みたいに、稽古場を持たない振付家はいったいどうなることでしょう。コンテンポラリーダンスは、想像するに、時間と空間が存分にある、地方の芸術として開花していくのではないかと思います。

日本の新しいバレエの改革のために立ち上げた、青年バレエグループ。そこから、ずっと自分の意志を遂行し、大変な時期もあっただろうと想像されます。現在、その中で、ずっと創作活動を続けているのは佐多先生のみです。尊敬の念に値します。佐多先生が、その活動のなかでずっと長い間、創作バレエに携わってきて時代と共に闘い、強い意志で作品に向かってきたこと、それが今に至る、時代性と共にある作品におけるセンスの良さに繋がっているのだと思います。いつか古い作品のマスターピースのレパートリーも観たいです。そのような機会があることを望んでいます。良い作品は絶対に時代とともに衰退することはなく、若いダンサーは、昔の作品を踊るべきだと思います。今年のNYのジュリアード音楽院での卒業公演は、熟練した振付家の作品のみでした。日本にも、長い間活動してきた方をもっと尊重する風潮が培われることを望んでいます。そして、佐多先生の、人柄の良さ、可愛らしさに接し、本当に嬉しかったです。ずっと、創作活動を続けていけることを望んでいます。どうも、ありがとうございました。(山崎広太)

  1. 2009年7月4日・5日、すみだトリフォニーホールにて佐多達枝演出・振付による合唱舞踊劇《ヨハネ受難曲》が上演された。Back