Body Arts Laboratoryinterview

3.

コミュニティとしてのダンス

―Body Arts Laboratoryの広太さんの企画にも現われていますが、創作のプロセスを重視することについて、さらに聞かせてください。

インドネシア、アメリカ、日本の振付家が、それぞれの国に1か月ずつ滞在する「トライアングル・アーツ・プロジェクト」(1997年)で、ダンサーたちのなかに融合することができなかったんですね。失敗したわけです。そういうことがあり、自分のカンパニーRosy co.も、自分が振り付けることだけではなく、いろいろなアーティストが自由に出入りできる場所をベースに求めていたのですが、それもうまくいきませんでした。いまから思うと、ずっとBALのような組織を昔から無意識的に求めていたんですね。そういう組織学を知らなかった。今度ニューヨークに渡ってみると、アーティスト同士が非常にサポーティブな雰囲気があり、また、みんな1年、2年のスパンで作品を作っている。人とコネクトすることの大切さを強く意識するようになりました。創作においては、自分が作っているものがいいのか悪いのか(だいたいにおいて不安ですが)、フィードバックを通すことで次のステップに進むことが確実です。ダンサーや振付家など他人の視点を入れて、時間をかけて創作するようにしています。
日本には、振付家自身のバックグラウンドを発見させ、開拓するシステム、土壌がないように思えます。真似事だけなら仕方がないですよね。あるムーブメントを作ったとして、それはどこからきているのか、根っこは何なのかを自分自身で問い、言語化することが必要です。

―私の「道場破り」[*1]という企画でも、さらに遡及して、そう思うところの根っこを問うようなことをしています。人によっては非常に苦痛な作業ですよ。それは無意識を意識化することにともなう苦痛です。とくに日本人は苦手な作業である気がします。日本人のメンタリティには、意識していない部分をとても大事にしつつ、そのことは語らない性質があると思います。かつての日本人は、その意識していないものを共有するものとして、文化を持っていた。それが機能しているとはいいがたいいまは、「意識する」ことが、ある程度必要だと感じています。

それ以前に、日本のアーティストは基本的に悩んでいないんじゃないかな? 現状にたいして満足しているというか……。アーティスト同士も仲良しだし。
僕がBALで行なおうとしているアーティストへのインタビュー[*2]では、それぞれが抱えている問題点をいかに社会的な言語として発表するかが主題のひとつにあります。

―ダンスを見る観客についてはどうですか? 日本では観客がすごく固定化しているように感じます。

ニューヨークでは、ムーブメント・リサーチというオーガニゼーションが、ジャドソン・チャーチで行なう無料のショーイングが毎週月曜日にあって、すごくいいんですよ。だいたい15分以内の作品を、3 人か4人のアーティストが発表します。そこは安定して200人くらいのお客さんがきます。アーティストには、たしか150ドルが支払われます。日本でもパブリックなスペースで無料の公演ができるといいですね。

[2008.12.9/吉祥寺にて]

構成=印牧雅子


photo
kikuko usuyama

山崎広太|Kota Yamazaki

振付家、ダンサー。ベニントン大学ゲスト講師、コロンビア大学非常勤教授。1989年CNDCアンジェに招聘され、ダニエル・ラリューと共同制作。94年バニョレ国際振付賞受賞。2007年NYダンス・パフォーマンスアワード・ベッシー賞受賞。08年より社会におけるアーティストのためのオーガニゼーション BodyArts Laboratoryメンバー。Kota Yamazaki Fluid hug-hugは、よりグローバルな視点でダンスを捉えようという山崎の意向のもと、02年に設立されたダンスカンパニー。プロジェクトごとに、日本、アメリカはもとより、ヨーロッパ、アジア、アフリカなど、出身地も様々なダンサーたちをキャストとして選んでいる。他ジャンルや、異文化のアーティストとの共同制作にも意欲的に取り組み、融合的かつ、先鋭的な作品を提示しつづけている。主な作品=《Chinoise Flower》《Cholon》(伊東豊雄とのコラボレーション)、《Fagaala》 (ジャンメイ・アコギーとの共同振付)、《Rise:Rose》《Chamisa 4℃》など。

http://kotayamazaki.com/


手塚夏子|Natsuko Tezuka

振付家、ダンサー。1996年ソロ活動をはじめる。2001年、生きた自分の体を素材とし、実験を試みる作品《私的解剖実験》が誕生。02年、《私的解剖実験-2》がトヨタコレオグラフィーアワードにノミネートされ、同年7月に上演。03年《私的解剖実験-4》を発表。日常生活での人と人の関係から生まれる微細な体の動きを模写するという、従来とは異なる振付のアプローチを試みる。05年、ニューヨークJapan Societyの企画にて《私的解剖実験-2》を上演。06年「オーストラリア-日本ダンスエクスチェンジ2006」に参加。07年《プライベート トレース》を発表、ドイツ・ポーランドで再演。03年以来、知的障碍者、一般の方々、ダンサー、俳優、音楽家などを対象にしたワークショップを行なっている。

http://natsukote-info.blogspot.com/


編集後記

インタビューが行なわれたのは、手塚さんが、お住まいのある藤野でのワークショップを数日前に終え、山崎さんがシンガポールでの滞在制作より帰国後のことでした。そしてこのインタビューは、手塚さんの提案から実現しました。手塚さんが継続して刊行する、振付家/ダンサーへのインタビュー『面接画報』のために収録を申し込まれたのです。そこで、ダンス・アーティストのためのオーガニゼーション、Body Arts Laboratory(BAL)で始動するインタビューシリーズの第一弾としても、そのメンバーであるお二人のインタビューを、BALヴァージョンとして掲載することになりました。

山崎さんと手塚さんとの出会いは、STスポットのコンペティション「ラボ#20」に、山崎さんがキュレーター、手塚さんがスタッフとしてかかわった2002年に遡ります。それから2008年、山崎さんが企画した「新人振付家育成のためのスタジオシリーズ」にかかわるキュレーター候補として挙げられたのが手塚さんでした。この進行中のプログラムは、キャリアのある振付家(キュレーター)が新人振付家を選出し、新人振付家が、リハーサル時間(場所)と制作費を与えられ、オープンリハーサルなどを経て公演を行なうものです。創作プロセスに重点を置くこうした企画の動機については、パート2および3に詳しく書かれていますが、創作システムから公演形態を導き出すこと、または、創作システムへの反省的な構築を促すことが特徴的に思えました。この企画は後に、創作者主導のオーガニゼーションBALが発信するプログラムとして位置づけられることになります。

手塚さんは、そのオリジナルな試み「道場破り」でも、言葉によって振付に迫っていきます。インタビューでも、その徹底した態度が発揮されているように感じました。手塚さんにとって言葉は、振付の重要なアプローチのひとつに数えられるのではないでしょうか。一方、山崎さんは、言葉によるイメージから動きを展開させる舞踏をバックグラウンドのひとつに持っています。この二人の接点は、さまざまな技法のミクスチャー/分裂状態に対してポジティヴであることだけではなく、舞踏にもあるのではないかと、かねてから抱いていた興味の一端が、パート2で紐解かれていくようでした。(印牧雅子)

  1. 道場破りBack手塚夏子が、自分以外のダンサーとともに「踊っているときの状態はどのようなものか」という問いを基本に彼らの手法を言語化した後、その手法を実践する試み(これまでの参加者:1期|福留麻里、スズキクリ、有田美香子、Corrie Befort、Abe”M”ARIA、2期|中村公美、捩子ぴじん、黒沢美香)。
  2. インタビューは当サイトにて随時公開される。Back