Body Arts Laboratoryinterview

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日本のコンテンポラリーダンスとNoismでの創作活動

―今朝発表でしたね、朝日舞台芸術賞受賞とキリンダンスサポート選出[*1]、おめでとうございます。 以前僕が辻本知彦君を通して送った挨拶状(日本のコンテンポラリーダンスの現状への疑問点と、Body Arts Laboratory立ち上げについて)にすぐ反応いただき、ありがとうございました。反応をいただいた方は、ほとんどが海外で活動している日本人アーティストで、日本で活動しているアーティストからは、あまり反応がありませんでした。面白い現象だと思いました。海外で活動している人は、いったい自分が何をしなければいけないかを問い詰められる立場に置かれます。そこで自分のインディビジュアリティがなければアーティストとして生きていけないし、なおかつ日本人であることを意識せざるをえなくなり、日本の現象に対して絶えず興味があるということでしょうか? 一方、日本のアーティスト同士は仲良しなんだけど、意外と孤立しているというか、問い詰められる機会がないというか、ある種の飽和状態だと思います。

意外だな~。どうなっていくんでしょうね?

― 僕の立ち上げていくプロジェクトは、まずは不特定多数の人たち、これから活動しようとしている人たちに環境を整えていくことでもあります。その他にリサーチ活動など、もろもろあります。今後、どうなるかわかりません。プランを読んでいただいたと思いますが、いままでのダンスの体制とは違った、創作プロセスを重視したプログラムや、作品を創り続けることはどういうことなのかを問う契機となる企画を行ないたい。日本の助成システムは、公演することに重点が置かれており、公演をたくさんすればするほど活動の場が広がって、振付家として確立していく方向なんだけど、これじゃ良くないし……。と同時に、JCDNなどの小さい企画がたくさんあり、それに出て一時的にお金はゲットでき、少し知名度も増すけれど、即席で作品を創って公演することは、もしかしたら逆に自分の首を絞めているのでないか?という疑問もあります。これとは対照的に、穣さんは、十分すぎるほどのリハーサル時間を使っていると思います。何故それほどまでの恵まれた環境が必要なのか? また、日本ではじめての劇場専属ダンスカンパニーである立場として、アーティストとして、パブリック(行政や市民)との関係をどう捉えているか? 社会に対して何を伝えたいか? などをお聞きしたいと思っています。

仰るように、日本は作品至上主義で作品が評価されるのがベストだから、コンクールなどが重要になってくる。また、JCDNなどで作品を発表することが喜ばれる環境で重んじられ、期待されるのだろうけど。でも、作品って、そうそう、そんなに面白いものはできない……。

―いきなり、いいとこ、突いていますね。

そしていい作品を1本創ったから、その振付家が素晴らしいということではなくて……。自分たちは、年間2本を目標としているんだけど、行政的サポートを受けているがゆえに、ヨーロッパのベルトコンベア的な作品を創るリズム、スパンが決まってくるわけです。そうすると、創りたいから創るというよりも、創らなければいけないから創るということも出てくる。そういうことも踏まえると、20世紀を代表するアーティストたちが、100本も200本も創っているなかで、どれだけ後世に残る作品があるかといえば、そんなにない。ただ、その1本を生み出すために100本が必要だってことが重要で。そうして毎年毎年やっていくうちに、あるときふっと、いろんな状況や才能がすごくマッチしたときに、いい作品が生まれる。そう考えるから、プロデューサーの人たちは、作品を創る場所や機会をあげようと思うんだろうけど。
でも作品を創るうえで、作品を創るためではないリハーサル時間が必要です。そして、そこに身体と場所と時間だけがあるという状況が、日本のなかにはない。作品は創ってみなければわからないから、とりあえず創る機会を与えようとするけれど、そのための環境がないから、結果的に作品はそこまでいかない。奇跡的に素晴らしい作品ができたとして、たとえば、トヨタ・コレオグラフィアワードで一位をもらっても、セゾン財団の助成は何年間かで打ち切られるわけで、そうすると、サポートを受けられる振付家は、はい次の人、次の人と、新しい人に移行してしまう。JCDNに拾われたら、自分は振付家でいけると思うわけで、意外と簡単にチャンスを手にしちゃうもんだから、それを続けていくことの難しさや、自分のやっていることに疑問を感じ、本当にやりたい表現はダンスではないなということに気づけるような環境でもなく……。とりあえず皆、肯定して「ダンスやりなよー」と勧める割に、じゃあ、やっていく子たちがどこまでいけば食べていけるのか、続けていけるのか、いろいろな状況が整っていないのに、どんどんダンス人口が増えていってるのを、いま日本で感じる。

―歴史的に見て、舞踏をはじめ、社会に対してアンチな考えを持った人たちの社会へのはけ口としてアートが生まれるケースが主だったと思います。でもいまはそういう時代ではなく、この社会に生きる一般市民であることを、アーティストそれぞれが意識しないといけないと思っています。また、自分自身でさえ、自分の作品がいいのか悪いのか判断するのが難しい。自分だけで決めるのではなく、いろいろな人からのフィードバックを通して、若いアーティストが作品を練っていけるような、オープンリハーサルを行なえるシステムを作っていきたいと思っています。穣さんはデカいカンパニーなので、そのことは関係ないかもしれません。ただ僕としては、アーティストが少しでも自分の考えを、ダンスを通して社会に伝えることができるシステムが重要なのではないかと。

じゃあ、作品を創る人たちが、本当に社会に対して自分の意見や意識を持っていて、それを言うためにはダンスでしか言えないからダンスをしているのか。ただダンスが好きだからしているのか。何となく社会的なことを言わなければならないと思って言っているのか。あるいは社会的な意識や価値基準はなくて、ただ自分が言いたいことだけ言っているのか――。いろんな人達がいるとして、それをいろんなかたちでプロデュースする人たちがいるとして……。その場合、プロデューサーの、社会に対して何をしようとするのかの明確なビジョンを振付家が共有できていて、なぜやっているのかをわかっていることが重要ではないですか?

―まさしくそうです。話はずれますが、公演することが、お客さんに対して伝えるための唯一の行為ではなく、振付家が身体を通して一般の方々と共有できるプロジェクトは、ただのワークショップ以外にも、もっとたくさんあると思っています。そうしたアーティストが創るプロジェクトを、BAL主催の「ウェン・ウェア・フェスティバル」でサポートしていけたらと考えています。

インタビューを受けているのに逆に聞くんだけど、広太さんはプロジェクトのうえで、ダンサーを選びますか?

―選びますね!

選ぶということは、誰でもいいわけではないということですよね。そこに選ばれる人、選ばれない人のふるい分けがあると。またそれを選択する判断基準があるわけですね。

―自分のカンパニーのことを言うなら、いままでの場合、デコボコキャラクターのバランスが好きです。背の高いダンサーがいたなら、極力、背の低いダンサーをいれるとか、黒人のダンサーがいたなら、白人ダンサーをいれるとか、グローバルな関係でダンサーを選ぶケースも多いです。でも次の作品では、その人のキャラクターを存分に活かすというより、もっと時間をかけて、自分のスタイルを徹底してダンサーと共有していくような作品創りに励みたいと思っています。穣さんは、どうですか?

自分はまさに、「ふるい」が必要ですね。オーディションをするし、いまいる研修生たちも、全員入れるわけではないです。結局、いまのカンパニーメンバーの10人が、日本で唯一、ダンサーで公的に給料をもらっている限りにおいて、それはすごく特権的な、選ばれた人の環境です。しかし来シーズンから辞めてもらう人や、新しく入って来る人に対して言うことは、ここが全てではないと。それゆえ、自分の判断基準をはっきりさせることが重要だと思っています。その責任の取り方を考えた場合、JCDNなどが、ダンスの底辺を底上げしようとするときに、ダンスするんだったら誰でもOKというのは、ダンスをする人を増やすことが目的なのか……何なんでしょうか? ダンスといっても、スタジオダンス、発表会レベルのダンス、ストリートダンス、それとは全然別に、お金を取って観せるダンスがあります。その辺の棲み分けは、日本はすごく希薄です。

―たとえばニューヨークでは、ビッグカンパニーではなく、ダウンタウン系のカンパニーの場合、振付家は2年に1回のペースで公演します。それほど制作期間を長くとります。その間に、ダンサー、振付家はアルバイトなりしなくてはいけない。僕は、それでいいんじゃないかと思います。穣さんのようにビッグカンパニーだったら、絶えず公演数が必要ですが、作品を創るうえで、そういう地道な道のり、長いスパンは必要だと思うからです。一ついい作品を創ったら、それで未来への可能性は広がるわけです。軽はずみに、すぐ世の中にアピールしなくてもいいのではないかと思っています。

自分たちがバイトしないでやっていける環境がなぜ必要かというと、作品を量産することが目的ではなく、身体をトレーニングしなければいけないからです。Noism では、毎日10時から6時のトレーニングを、月6回の休みを入れてやっています。それだけ毎日、朝から晩までやっていると、半年に一回は、公演と呼ばれるその成果を見せる場所がないと、この活動を2年やっているだけでは皆死んじゃうんです(笑)。毎日、日が出ているほとんどの時間を自分の身体と向き合うために費やせているのか、費やせる環境があるのかどうかは、いろんな条件がかかわってきますね。

―ニューヨークに関して、ダウンタウン系のダンサーは、毎日クラスを受けるほどのテクニックはそれほど要求されない。それよりはもっとプロセスを共有する時間の長さが重要だと思います。僕のいままでの創作のプロセスは、2か月程度で、テクニックのあるダンサーを使い、振りをバーッとダンサーに与えて公演することがほとんどだったのですが、この方法には疑問が湧いてきました。同じ作品だとしても、1か月間と6か月間でできたものでは、お客さんに伝わる印象は全然違うのではないかと思うのです。

それはもう、本当にそうですね。うちは毎年2、3人ちらほらダンサーが変わるんですが、 4年間一緒に活動しているダンサーたちは、言わなくてもわかるという領域に達します。そうなったときにはじめて、一緒に新しいところにいけるわけです。結局、その作品を創るためにだけに出会うと、まずお互いを知るためにエネルギーを使って、それで公演が来ちゃって、とりあえずやったと。でもまたばらけていって別の活動をして、次会ったときは別の人になってる、みたいな。そういうことではなくて、毎日、同じ人と、同じ場所と、同じ経験をしているからこそ、集団としていける。自分ひとりじゃいけないけど、この人と、これだけ懸けたからいける領域は、必ずある。それは新潟でやっていて実感することだし、ヨーロッパでもそうです。

  1. Noism08が2008年に発表した《Nameless Hands~人形の家》が評価され、第8回朝日芸術賞舞踊賞を受賞。キリンダンスサポートにも選ばれた。Back
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