Body Arts Laboratoryinterview

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舞踏━内側から発動すること

―ニューヨークに十何年いたっていうのは、その方が活動しやすかったりメリットがあったんでしょうか?

やっぱりモダンダンスが築かれた歴史的な場所だから、そこで自分なりの新しいダンスを提示したいっていう挑戦はある、いつも。あと、同時にニューヨークと日本を見れることですね。この浮ついている逃走感覚、気持ちいいです。でも生活できなくなったらすぐ帰りますけど。

―舞踏ができたのは日本じゃないですか。

舞踏とか関係なく、また多分僕がニューヨークでの生活がなかったとしても、ずっと東京で活動していたとしても、何か自分のスタイルというものを見出していたと思うんです。もしずっと東京にいたら十数年前には確立していたとは思うのです。それが、この前のプレミアで何か自身のスタイルが少し見えてきた感じがしています。でもニューヨークで多くのことを学ぶことができた。嬉しい。

―それはそう思うに至ったきっかけがあったんですか?

やっぱりずっと土方巽ってものを追求したいと思ってたわけ。それで、今思う重要なことは、舞踏っていうのは、舞踏をやることが最終的な目的になっちゃうと面白くなくて、一度人が通過するためには、すごくいいダンスのジャンルだな、と今回、(「darkness odyssey」を制作してみて)思った。

―それはもうちょっと具体的にいうとどういうことですか?どういう時にそう思ったんですか?

やっぱり、外国人が持っていないことが一つあります。日本人が持っているソマティックな、つまり内側から何か発動するっていうこと。これってアメリカ人はほとんど持ってないというより、ちょっと違う。なおかつアメリカ人がこれを通過するっていうことがとても重要だし、日本人はそれを持っていると想像する。つまり、舞踏が持っていることだと思うんですよね。だから舞踏が体系化して、白塗りとかステレオタイプ的な舞踏をやるってこともいいかもですが、通過する一つのものとしては、すごく豊かな色々なものがある気がします。可能性が。教育の面からも見て。土方さんも実はそのつもりだったんじゃないかと思いますけどね?舞踏を超えた何か?

―見た目がインパクトがあるから、そっちが受け取れられてしまうけど、表現の元にあるものとしてはそういうことなのかもしれないですね。面白いですね。

あと、欧米人が考えているインターナル、内側から発動することと、日本人が発動することって違うかもしれないですね。そこはもうちょっと研究してもいいかもしれないですね。ヨーロッパって身体に歴史があるじゃないですか?アメリカは歴史がなくてそういうことももう少しリサーチしたいですね。誰かやって!60年代ばっかり追いかけないで。

―なるほど。

同時に共存すること

あと、もう一つ、ドゥルーズじゃないけど、becoming、生成変化、私たちがこの土壌で変化するということについて考えてます。例えば、黒人がいたりアジア人がいたりヨーロッパの人がいたりする中で、私たちが変化する手段を探すことが重要な気がする。あなたはアフリカ人ですよね、あなたはアジア人ですよ、分けて、その違う関係のダイナミズムを作るのではなく。次のプロジェクトは、それぞれのパフォーマーの肉体が超特化しているから、アフリカ、舞踏、ポストモダン……もう一度、全てをフラットにして、そこから、共存するところから、その先で何が出てくるかってことが重要な気がする。やっぱりアーティストが自分のエゴではなくて、同じフラットなところから、何かが、発動すること。そこから立ち上がるもの、違うものが出てくるといいなって思いますよね。2001年、建築の伊東豊雄さんとのコラボレーション「cholon」のプログラムで言っていましたね。人々の関係を暈(ぼか)すことから始まるんだと。英語だとblurryです。

―自分のアイデンティティ、例えば、自分は何人であるというようなことにもう一度焦点を当てて、それを起点に作品を作るというような流れが、近年あるような気がするんですけど、それを全てフラットにするっていうのは、次の段階って感じもして面白いですね。

それぞれが、どういう風に同時にこの場で共存するかってことが重要だと思う。そういえば、今回のフェスのテーマも同時に共存するってことだから、ちょうどいいですね!僕の今年のテーマは、生成変化、becomingです!

―生成変化、ちょっと難しいけど、そうですね(笑)。またちょっと戻りますけど、日本のことで何か気になることってありますか?ダンスのことでも、たまに帰ってきてびっくりすることでも。

あんまり接してないからわからないけど、やっぱり日本人は器用だな、動ける人がいっぱいいるよねって思った。体型が立体的な体型を持ってなく扁平だから、あまり目立たないってことになるかもだけど、テクニックは、みんな持っていると思います。去年、新長田のDance Boxや、井上バレエ団で作品を作って、それぞれ、いいテクニックはあるけれど、どのようにコレオグラファーが、それぞれの良さを作品にしていくのかっていうのを探っていたかもしれない。日本でのダンスの基準って、いいダンサーであるかないかだったりするから。それってよくないと思う。

―それって、さっき話していた、ニューヨークにいると、日本は何かの「基準」や周りに合わせる傾向を感じるというのと関係あるんですかね。

あるかもしれないね。ニューヨークは独立して存在しないとやっていけない感じがある。ニューヨークはそれぞれにインディビジュアルに存在していて、自分が作品の中で、振付に対してクリアじゃなかったらどんどん言ってくるし、だから私はこうするんだってことになる、そういうことが普通に行われているから。

―交わされる言葉がすごくダイレクトな感じなんですね。

そうですね。

―最後に、さっき、パブリックスペースでの話をしていた時の、ダンスが持っているかもしれない可能性っていうようなことが、私はずっと気になっているのですが、時々、日本に来る中で、ダンスのことに関わらず、街の中で人がいる感じとか、話してる感じとかに何か思うことはありますか?

勝手な自分のビジョンですが、ジェスチャーするってことが、もっと頻繁に行われるといいと思うんですよね。人々の中で。

―面白いですね。

一度、挑戦したんですよ。これ誰にも言ってないんだけど、去年、KAATで白井晃さんと話をする機会があったんですよ。それで、「よし!この機会だから、ダンスしながら話そう」と思ったんですよ。

―いいですねー。

トークの前に、白井さんにそれを言っちゃうと向こうも構えてしまうだろうから、何も言わずに、やっちゃったんですよ。多分お客さんのほとんど僕の言っていることを理解しなかったと思うんです。多分白井さんも。その時に発見したのは、自分の身体を見つめジェスチャーすると、出て来る言葉がどんどん記号化するんです。この感覚は初めてだったので、実に面白かったです。つまりここで言葉と身体の対決が同時に行われているんです。僕は大満足なのですが、頭の悪い変態人に見えたと思う。

でもそれの基本は、自分が英語が喋れないっていうこともあって。人って、行動とか色々なものから察知し理解しようとするじゃないですか。そういうこともあるんですよね。だから、そういう、動きと言葉の関わりも、色々な人の間でやってほしいですね。

―フェスでも、そういうことがあるといいですね。あと、それに限らず色々な交流があるといいですね。例えば、広太さんとaokidくんのダンスバトルとかも、やってほしいですね。私企画しようかな。

いいですね。機会があれば。

―色々話がとっちらかりましたが、今日はありがとうございました!

[2018.1.4]


山崎広太Kota Yamazaki
振付家/パフォーマー。2001年までrosy Coを主宰し、建築家の伊東豊雄他、コラボレーション作品を多数制作。NYにも拠点を移しKota Yamazaki/Fluid hug-hug主宰。04年セネガルのカンパニー芸術監督のジャンメイ・アコギーとの共同振付「Fagaala」で07年ニューヨーク・ダンスパフォーマンス・アワード(ベッシー賞)、13年FCA受賞。16年NYFAフェローシップ受賞。18年グッゲンハイム・フェローシップ受賞。ベニントン大学、サラローレンス大学ゲスト講師。Body Arts Laboratoryディレクター。

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