Body Arts Laboratoryinterview

2.

ダンスと生活

― この前、鈴木ユキオ君とも話したのですが、1990年代は僕や伊藤キムさんが大きい劇場で公演していた。それに若い人たちが触発されたこともあったと思います。しかし今は、大きい劇場で公演するアーティストは少なくなり、若い人は小さいプロジェクトでの活動が多いように感じます。若いアーティストに伝えたいことはありますか?

自分もまだ若いですが(笑)。ダンスに限ったことではないのですが、みんな大人しく優等生だと思います。僕は会社勤めをしているので、ダンス関係ではない若い連中と接する機会も多いのですが、すごく保守的で、いままで敷かれたレールを踏み外さないように進むことが若い人の価値観になっていると感じます。ダンスにおいても同じように感じています。もちろんいいダンサーはいるし、いい作品も出てきていると思いますが、「これはいかがなものか」というものがないように思います。もっと道を踏み外してほしいですね。

―僕は、それぞれに独自なシステムなりルールなりを発見する方法を探らせる、コンポジション・クラスなどの、振付家を育てるためのダンス環境の設定を考えています。
それと、直感ですが、2、3年前から時代が変わった印象なんです。若い人たちの間に小さいコミュニティがたくさん生まれ、それに自由に交わることができているのではないかと思います。それで、観客はわざわざ一極集中の劇場に足を運ぶこともなくなるし、またアーティストは、ダンス専用の劇場もないし、わざわざ公演打つのもかったるいし、お金も使っちゃうし、自分の満足もそうしたコミュニティへの関わりによって成り立っていくのかな、と。あくまで想像ですが、 BALもそういう状況に向きあい、活性化していきたいです。

ゆるい連鎖ですね。それから、僕は仕事しながら創作している。それはとても重要なことです。僕はダンスで食うという価値観を外してしまったのですね。仕事は仕事として、それも責任のある仕事をやりたいと思ったんです。

―社会に対して。

自分自身もそうだし、仕事に誇りを持ちたい。人はそれぞれやっていることに誇りを持てないといけないと思っています。自分は特にプライドが高いのかもしれませんが。アルバイトしながら活動していたとして、バイトは仮の姿で、アートやダンスは本当の自分という価値観があるとしたら、そのような価値観が、現実社会とアートやダンスを乖離させているのだと思います。本来ならば、それらは繋がることで、直結していいはずです。その関係を覆い隠してしまうのは、現実とアートの距離を自分たち自身が広げてしまっていると感じます。

―僕は、たまにパタンナーとか衣装の仕事をするのですが、すっごく楽しいです。大橋さんは楽しいですか?

あまり楽しくはないですが、コンピュータの仕事は、向いているといえば向いていると思います(笑)。今の仕事は管理職なので、人の面倒をみるとかが主な仕事になっていますが、それはそれで大変です(笑)。しかし、この経験は作品にも生かされていると思っています。

―新作を創るには、長い時間をかけてじっくり捏ねる必要があると思っています。毎日ダンスするわけではないので、一方で社会的な仕事をしなければいけない。

僕自身は、そういう人生を歩もうと決めたのです。できるだけ長いスパンで継続的にやっていくという。経済的なことや、仕事のことを、ダンサー同士あまり公に共有できていないと感じます。偉そうな言い方になるかも知れませんが、僕みたいなアーティストのモデルもあっていいと、今やっている人、これからやろうする人にも伝えたい。
僕のカンパニーに今いるダンサーたちは、正社員で仕事をしている人もいますし、子供を育てている人もいます。ダンサーとして生きていきたいという人もいます。そのようにそれぞれの関わり方が違っても、できるだけ長いスパンで、作品だけでなく、人生として関わっていきたい。そういう人と作品を創っていきたいと思います。

―僕は今、熊本の新人アーティスト、竹之下亮君の作品に関わっているのですが、彼は老人介護の仕事をすることで、身体と向き合える時間が多く、同時に自分のダンスに取り組んでいるケースもあります。

ひらく会議

―《帝国、エアリアル》のチラシになっているフリーペーパーを見ると、ダンス以外の評論家を巻き込んだ内容です。この意図は何でしょうか?

ダンスについて語る機会も決定的に少ないし、僕たちダンサーや振付家は言葉も持っていないと感じています。それは自分自身も問題だと思っているのですが、自分でももっと語りたいし、文章も書いていきたい。今はその過程で、いろんな人と関わって言葉を取りこもうとしている。いろんな人にダンスについて語ってもらう。書いてもらう。自分もそこで関わる。今は、そうした耕す機会が求められているし、作らなくてはいけない。

―ダンス環境の中で語る機会がない。違ったジャンルの人と語ることが必要です。大橋さんの試みは、今の時代状況に問うことだと思います。

僕の個人的な歴史を言うと、ダンスを始める以前は、世の中のことに関心がなかった。また自分が何をすべきかわかっていなかったと思います。最初にパフォーマンスに関わることになって、そこで自分の身体を意識するようになったし、そこで人のことも意識するようになった。さらに進んで作品を作るようになってようやく世の中のことを考えることができるようになりました(笑)。

―「ひらく会議」で、どうしてアーティストが集まる試みをはじめようとしたのか、お聞きしたいです。

自分がダンスの活動を再開したときに、自分の好きなことを、評価されようとされまいと、自分の経済的、時間的余裕のあるレベルですればいいと思っていました。そうして活動をする中で、思いがけず評価をもらって、助成金も受けたりするなかで、自分なりに周りが見えてきた。ダンサーや振付家と話す機会を持つと、皆それぞれ問題意識が高いと感じました。また僕自身、ダンスの業界に興味がなかったのですが、結果として、こういう活動ができる環境を作ってくれているのがこの業界なので、それに貢献したいとも思います。そして、それをより発展させていきたい。そこで、まずは話すことを表に出して、それぞれの問題意識を伝えることができれば、見る側の見方もまた広がるのではないかと思ったんですね。

―どの角度から照らし合わせても、ダンスをとりまく環境には問題がありすぎで、それを少しずついい方向にもっていくにはどうしたらいいかと思って、僕は行動している。さっきも話しましたが、時代が変わってきているので、それに対応した新しいプロジェクトも考えています。

身体を語る

― 昨日の、四谷アート・ステュディウムのシンポジウム「生命という策略」での岡﨑乾二郎さんの発表にしても、美術関係は議論が進んでいます。ダンスの領域でも、シンポジウムなど批評という現場を、もっと真摯に構築する評論家が出てきてもいいと思います。このシンポジウムでも、基本的に90%は身体を問題にしているのです。なぜダンスの批評家が身体を問題にしないのか。他のジャンルが語っているのに、ダンスの批評家は問題ではないかと。大橋さんは、そういうシンポジウムはやった方がいいと思いますよね。

どんどんやらないといけないと思います。身体は誰もが関心をもっており、我々が専門家ですから、自分たちが主体的にやらなければいけないと思います。そうでないと奪い取られてしまう。身体が、言葉だけで語られて流通してしまうことに危惧しないといけない。やはり身体を動かして作品を創っている人の言葉がないと、ただ身体という観念的なものになってしまう。だんだん身体そのものから離れていってしまう。

―難しいことですが……。

僕たちが、もっとコミットしないといけない。

― ダンサーから見た身体の言葉を提示しないといけないですよね。絶対的なものとして。そして、美術関係など他ジャンルの人ともっと融合する必要があると思います。ましてや、自分の作品に対して言語化する必要もある。なぜなら、言語化することにより、作品を創る上でのセオリーや、きっかけが、言葉によってクリアになるからです。抽象的に何かムーブメントを創って、盛り上がるようなダンスを創りましたでは全然駄目で。ただダンスのほとんどに言えるのは、たとえばアフリカ人が持っている、根っからあるルーツの喜びみたいなものがありますよね。ダンスだけしか持ち得ない、身体のクレイジーなもの。すべてのものがクリアになるのではなく、わけのわかないものが身体にあって、そこにいかに言語で対峙していくかだと思うんです。クリアなものと、えも言えぬ身体の不可解なものが結びつかない。不可解なものを、言葉など何か媒体を通すことによって探っていきたい。

最終的には語ることができないものが、僕たちのやっていることだと思います。それがダンスの本質だと思う。ただそのために語らないと、そこの語れないことも霧散してしまう。逆に、語られきってしまう。そのためにも、自分たちが、語る場を作ることが必要だと思います。