Body Arts Laboratoryinterview

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批評と記録――『ダンスワーク』

―何故ダンスに関わることになったのでしょうか? また最初に衝撃を受けた作品は?

私が最初に衝撃を受けた舞踊作品は、土方巽の《禁色》です。当時私は、社会人演劇団に所属していました。ある日新宿の風月堂で大学の教師に出会ったら、これ面白いから行きなさいとチラシをくれた。土方の名前は知りませんでしたが、三保敬太郎さん目当てに行きました。《禁色》を見てしまったら、いままでやっていた演劇を捨てました。モリエールとか、アシャールです。とにかく、演劇をよそうと。かといって、私が土方舞踏を習って、舞踏のダンサーになることはまったく考えなかった。自分で何ができるのかなと思ったときに、これを記録しておくことが後世の役に立つのではないかと。それで、雑誌『ダンスワーク』を出すことになります。(『ダンスワーク』を見ながら)土方さんの特集は売り切れちゃって。それから大野一雄さん、笠井叡さんアスベスト館の特集も組みました。そういうかたちで記録をしていったんです。まあこれは売れませんから、一冊出すごとに何十万円か赤字になりましたけど、公演すれば赤字になりますね。だから私は、これを出すことで公演していると思っている。しかし本当に買わないね、ダンスの人は本を(笑)。……というのが私のダンスに関わった体験であり、やり方。編集の技術は中学の頃から大学まで新聞部で研かれていましたから……。

―昔から、六さんは才女と周りから言われていて、実は、実際何をしていらしたのか知らないのですが、ダンスに関わる以前は何をされていたのでしょうか?

大学では造形学専攻です。卒業後はインテリアデザイナーとして広告代理店に就職して――《禁色》を見たのはその広告代理店にいたときだと思います――、その後、縁があって電通で働いて、シチズン、そしてHOYAというレンズメーカーに転職したわけです。転職は給料がいい方へいい方へと……。私には広告業が駄目で、合わなかった。電通では、企画書を書く技術を仕込まれたのですが、どうも当時の広告は当たってなんぼという、あまり科学的でない業界でした。私は東芝の担当だったのですが、あまり科学的根拠のない企画書をたくさん書いて、採用されると電通が儲かるという仕組みのなかで仕事をしていたので、好きになれなかった。シチズン、HOYAでは商品企画、販売促進、マーケティングをしていました。HOYAでは12年間働いていました。その間、ボーナスを貰うとこの『ダンスワーク』を作っていた(笑)。会社を退職してからは建築の設計士として働いていました。ダンスをやりたくて、それでも金にはならないだろうと在職中に資格を取っていました。

―それと同時に、土方さん以外のモダンダンスの方々の公演もよくご覧なっていたと思うのですが。

媒体というのは不思議なもので、よしんば売れなくても媒体であるということは、業界内で認められるという社会性を持つことになります。現代芸術は、批評と記録、この二つがなければ成立しないと思います。遊びとか趣味の段階であれば別です。あるいは教会のように、完全なるスポンサーシップをとって宗教画の制作という目的を達成していく、そういう環境も別です。しかし切磋琢磨して作品を競うという状況の中では、批評される、記録されるということは、結果に文句を言いつつもその業界の一員として認められたと考える。単なる発表会ではないことの証みたいなものが皆さん欲しかったと思います。ですから、すぐに舞踊団から招待状をいただいて、少しずつ広がっていった。媒体として需要があったということです。だから、突然私がダンスワークを提示したわけですが、皆さん非常にびっくりしたみたいです。舞踊批評家協会の歴代の方々でも、書く場所がなかった。それで大御所にも書いていただけました。ただ、私が一番困ったのは原稿料です。これはまったく持ち出しで私のボーナスで作っているので、原稿料を400字に対して500円の設定をしたんですよ。原稿料を払いたい。だけどたくさんは払えない。ところが、こんな金じゃ書けないって、おっしゃる方がいました。それが原因で連載がストップしたこともあります。

―知らなかったです。

5,000円くれって言うんです。それは無理。その方は新聞社の社員ですから、500円は不当な評価だと思われたのでしょう。当時ボランティアって感覚はなかったですから。ですから、だんだん書き手が交代していった。若手の山田真理さんや和田肇さん、それから照明家の澤玲郁子さん、そうした方々が500円で書いてくださったんです。種村季弘さんにもお願いしたんですよ。500円なんですけど、と。そうしたら、いらないよと、本当にこれ出すの大変だろと言ってくださった。だから本当にありがたかったですね。種村さんには何回か書いていただいた。『ダンスワーク』に関しては、そういう協力者が出たので、かなり支えられてやってきましたね。ただ私が会社を辞めたのが1975年。それ以降はボーナスを注ぎ込むことができなくなった。まあそれでもやりたいのでやっていたら、あっと言う間に印刷屋に借金が膨らんで、ちょっとお休みをせざるをえなかった。現在では印刷方法が変わったから、昔の三分の一位の費用で済んでいる。だからぼちぼち、またやろうと。それで休んで借金返して、また復活してまた借金返してやっています(笑)。
私はいま某業界紙に書いていますけど、ノーギャラです。それは、以前にギャラの問題で辞めてダンスの批評家がいなくなってしまった。それで、伊藤百合子さんというお亡りになった編集の方が、これじゃ駄目だというんで書いてくれないかっていうお話をいただいたのです。それでノーギャラを了解の上で書いていますから。上野さんとよく話すんだけど、たとえ1,000円でもいいから欲しいねって(笑)。わずかでも、お金が動くと何か嬉しい。

―経済状況がどうなのか知らないのですが、続けていくのは大変な作業だと思います。

大変ですね。何か志がないとできない。文化庁などに接点がある大学の先生などは何億もお金をもらって研究していますね。とても羨ましいですよ。そういう人たちが買ってくれるといいんだけど、買ってくれないですね(笑)。

―どうして、そのように閉鎖的なのでしょうか?

やはり私の場合、大野さんのことなんて誰も知らない時代に、大野さん大野さんと引っ掻き回していたでしょ。その時代にトレンディなコンテンポラリーのベスト30とかで特集すれば、そこそこ売れると思いますよ。でもそれやって何になりますか? 今委員会を開いて、僕はこの人を推薦するってベスト30をやっても、それでは記録にはならないですよ。やっぱり、興味があった場合その人を追っかけ回して書き残すということじゃないかな。ダンスも同じだと思うんですよ――切符が売れるからこれをやる、助成金がもらえるからこれをやるとか、そういうやり方をしていったら、結果的にはなくなってしまうと思いますよ。それは目的が違うと思う。デボラ・ジョウィットが言っていました。「自分は助成金が欲しいから助成金がもらえるようなダンスを作るんだというようなことを言った人がいると。しかしそれは大間違い」だと……。「ダンスが社会にどういう役割があるのか、自分がダンスをするのはどういう意味なのか、それがきちんとしていないで作品を作っても絶対人には受け入れられない」のだと。私も同意見です。
でも『DDD』という雑誌がありますね、これに私の公演のことを松澤慶信さんが書いてくれたんですよ。そうしたら、それを見た人から何かやるんだってねって電話がかかってきた(笑)。だからやっぱり媒体での紹介は効くのね。『DDD』は全部ヒップホップになっちゃった。

―普段ニューヨークに住んでいると、ヒップホップは日常茶飯事にあるから、別に何とも思わない。

いえ、そうじゃなくて、本を売るためにはヒップホップを特集しないと売れないということ。コンテやバレエやモダンでは雑誌は売れない。やっぱりヒップホップやジャズ、あるいはミュージカルをやると本が売れていく、広告も入る、そういうことなんですよ。この間、渋谷にジュンク堂という本屋ができて行ったら、バレエとダンスの棚は2コマ、演劇は10コマ。音楽はもっとね。悔しい、やっぱり出版物が多くならないと。

―例えば『ニューヨーク・タイムズ』は公平に文化の記事を扱っていますが、日本の新聞はそういうことがないのがすごく寂しいです。民主的ではないし、有名所のみをピックアップして載せるというシステムは、いかがなものかと。そういう意味でも、六さんの仕事は尊敬します。

私、ほんの短い時期に『アエラ』にダンスのことを書いていたことがあります。そういうときも交渉が凄く大変なんですよ。他の分野だったら、いろいろな基礎知識がありますよね。映画だったら、ヴィム・ベンダースをやりたいとなったら、どういう切り口でやるんだとか、そこから話が進みます。ダンスの場合は、この人について、例えば山崎広太について記事を書きたいと言うと、山崎広太が何者なのか過去にどういうふうに評価されているのとか全部話さないとOKが出ない。要するに彼らはダンスの勉強をしていない。

―そうですよね。ジャーナリズムでありながら、ジャーナリズムそのものが欠落しているんです。誰がこの現状に対して言えるのでしょうか? また、ある意味、出版業界として革命を起こすチャンスかもしれませんが。

これが非常に大きな問題です。彼らが勉強していないという言い方もできますが、業界そのものが情報を平準に流しているかというと、そういうこともないんです。

―そうですね。

例えば、批評家協会でマンスリーや3か月間で、自分たちが見聞きしたベスト3を皆で書きまくってブログに上げる、そういうことをやってみてもいいと思うんですよね。武藤大祐さんのブログみたいなね。それに、そういう賞がない。あるいは、今月どれが良かったかって皆が投票し合ってブログに載せて、この人はこういうことがあったよ、みたいなものを発信することも、もっとできるでしょう。

―批評家ではなく、アーティスト同士が批評し合うことを今やっています[*1]

アーティスト同士が批評し合う、じゃあそれは批評家が言っているのとどこがどう違うのかということを、やっぱり上げて。そしてそれを新聞社にどんどん送るとかね。誰かが、マスコミ対策ボランティアグループを作って、それぞれの新聞社の文化欄は誰が担当してるか、その人のブログはあるのか、メールアドレスは……ということを皆で調べ上げて、情報を共有したらいいと思う。

―いいですね。

そういう情報の共有がない。私は、ささやかに持っている評論家の住所をあげるから聞きなさいって皆に言うんだけど、ダンサーが聞いてこない。それも今度はダンサーの方の怠慢だよね。

―どうして聞かないんでしょうかね? 批評が一番自分の作品を確認できる。

ダンサーでも、この人とこの人には必ず招待状を送ってくださいみたいに、もの凄く神経を尖らせて、ギャーギャー言ってくるのが、やはり見に行くと一番いい作品を作るんですよ。来てくださいね、来てくださいねってメールが何回も来るような人が、刺激的な作品を作る。だからパワーっていうのは、そういうものじゃないかな。

  1. アーティスツ・クリティークBack本サイトにて不定期掲載。https://bodyartslabo.com/critique/
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