Body Arts Laboratoryinterview

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Ricardo Ramirez Arriola

舞踏・身体の存在論・技術

先ほども触れましたが、今年ロサンゼルスで舞踏のカンファレンスをやります。UCLAのウィルアム・マロッティー(現代史・助教授)さんがメインキュレーターです。この人が、日本で1990年代に、國吉和子さんも言及していますが、「舞踏の本質主義の罠」というテーマでいくつか面白いエッセイを「舞踊論」に書いて、日本で大きな賞を貰っていらっしゃる。僕は、彼のエッセイをもとにして、2年程前からアメリカの若い世代に舞踏会議をやりましょうと構想していて、つい最近お金が集まってゴーすることになり、麿さんや日本のダンス研究者を呼びましょうと。
アメリカの舞踏のパイオニアと称される人は、ほとんど1990年代に日本に来て勉強したんです。つまり、既に様式化された1970年代後半の土方巽のスタイルや伝説化した大野さんを持ち帰って、アメリカに広めた人達です。ということは、1950年後半から60年代にかけての舞踏の、非常に実験的で失敗ばっかりで、馬鹿なこともいっぱいやった、そういう戦後の前衛運動の素材を見ていないんですね。だから裏の現場を再考した方がいい。そのようなことがきちっと話せる日本の舞踏・ダンス・演劇の批評家、研究者がこのカンファレンスで自由に討議してほしい。何故なら、アメリカのパイオニアの人達が育てた若い世代が凄く台頭していますから、直接オリジナルはどうだったのかってことに触れられる。
僕はこのカンファレンスでワークショップをしたいんですね。「舞踏のワークショップとは何をすることなのか」を、具体的に討論したいんです。つまり、舞踏の哲学的なことはさておいて、もっとプラクティカルに、舞踏とは何をすることなのか?具体的にこういうことをするのが舞踏のワークショップだと思いますと言ったときに、何でそうなの?という議論になるわけです。例えば桂勘のダンス公演を舞踏と呼ぶのかな?で、どんなワークショップが其の背後にあるのかな? 20年前のイスラエルでの経験の延長線上です。

―僕は、アメリカの大学で教えるときに、舞踏をスタイルとして教えることにとても違和感があった。舞踏を一つの方向として捉えられることが嫌だった。舞踏の、あるエッセンス、キーワードを与え、そこから生徒に発展させていくコンポジションクラスになる傾向が強いです。そこからの発見も非常にある。セネガルにいたときに、イギリスの大きいワークショップのディレクターが来ていて、桂勘さんのワークショップが良かったと言っていました。

僕はインドネシアで勉強させられた。でも本当に噛み砕いて、噛み砕いて、わかりやすくしないと自分もわからない。そういうトレーニングを受けましたからね。やはり明確にするのは自分のためにも大事なことだと思います。
おそらく非常に身体性の違う人達を使って作品を作った場合、今は舞踏もコンテンポラリーも割と一緒でしょ。例えば伊藤キムさんは、コンテンポラリーダンサーを使って舞踏ですと堂々と言っている。彼には彼なりの舞踏のコンセプトがある。僕は大野慶人さんに、あんまり舞踏、舞踏と言い過ぎるな(笑)と怒られたことがあったから、本当はもう別に舞踏にこだわっていない。でも舞踏の持っている大事な遺産があるわけですね。
やはり舞踏は土方巽のラインにおける未完の「肉体のシュールレアリズム・身体の存在論」(2003年「舞踏家土方巽抄」岡本太郎美術館での展覧会)でしょう。舞踏が新しいアートとして世の中に注目を集めた大きな理由は、舞台上に名付け得ぬものを存在させようとしている行為。つまり、そこに不確かなもの、あえて言えば舞台上にUFOを置くみたいな。それは、何か訳がわからないし、表現のしようがないんだけれども、アブストラクトでもないし、退屈でもない。何故か胸騒ぎが起こる、見てしまう。人によっては感動したり涙流したりしてしまう――別に悲しいからだけではないんだけれど――ということが起こる。名付け得ぬものが舞台上に出現した場合は、何か変ですね、でも若し面白ければ、理由はよくわからないけれどそれを長く見続けていると、観客は、自分の身体の記憶みたいなものが総動員されて、夢を共有するという事が起こりがちなんです。これは舞踏だけの問題ではないですが。つまり観客にとっては、舞台のダンサーが何か表現するからこれを見てくれというものに対して、それを押し付けられる窮屈さではなくて、自分が進んで自由に想像できる、その存在に対して自分の秘密にしていたもの、忘れていたものを投影することができる舞台芸術としてある。
従ってワークショップも、訳のわからないものを舞台上に提出するために、どんな稽古をしたらいいのか、あるいはどんなアイデアがあればいいのかに尽きると思います。それは僕だけじゃなくて、いろんな人がやっているんです。ただし、それを明確に意識してやっているかどうかは別です。石橋回蔵君(故人)が土方巽と芦川羊子を招いて、「舞踏行脚」と称したものを1985年、土方が亡くなる前年に関西でやってもらったときに、明確に思いました。
このことは、和栗由紀夫さんや小林嵯峨さん三上賀代さんともディスカッションしたいと思ってるんです。舞踏譜を開示する意味ですね。土方アーカイブの慶應義塾大学アートセンターの森下隆さんが、舞踏譜をもう一度再生しようとされています。その流れとしてはいいのですが、型に押されて土方巽の罠に陥ってしまう危険もある。土方巽を「世阿弥」にしてはいけない。そういう意味では、広太さんが、これから将来やろうとしていることは意味のあること。

―僕はテクニックとして捉えたい。まだ実践していないので、何とも言えませんが。

僕は思うんですが、全てはテクニックです。私が浅草の「天地劇」で南原宏治さんから教えられたのは、全てがテクニックに還元されないと伝承ができない。感動させるのもテクニックだと仰ってました。精神的な哲学的な話ではなくて、やはり技術。それをどういうふうに教えることができるか。まあ、人に教えると自分はもっと学ぶ。その辺が中堅(笑)と言われている我々の義務のような。この舞踏会議は、毎年継続して、どこかアメリカの大学でやりたいと思っています。