パフォーミングアートにおけるキュレーションをめぐる対話|5
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セッション3.
社会へのアクティビティについて――実践としての個々の活動とその思想
コミュニティ・インディビジュアル・ディビジュアル 1
印牧:手塚さんがアジアの民俗芸能のリサーチ「アジア・インタラクティブ・リサーチ」[*1]を各地で行なっていることと、ご自身の創作との関連をお聞かせください。
手塚:民俗芸能を実際にやってみたり、行なっている人に関わることで、その人たちの体と自分の体に隔たりを感じました。その人たちの存在は、「individual」=「個人」というシステムの中で生きているのではなく、一つの空気、共有された一つの体であるような、個々人を切り分ける線がないようだと。実際に自分が行くと、「何者なのか」と最初はとても警戒する。そして、内側の人間として受け入れるためにお酒を一緒に飲む。まず先に何かを共有しようと働きかけてくる。そうでないと、何も始まらないと感じているかのように。芸を習う段階になると、最初は皆が固かった。ひとつの体にはなり得ない体たちが混在しているような。例えば、4人でひとつの舞を舞う際、異質な体が4体あるといった状態で、その状況がなかなか変わっていきませんでした。振りは合っているが、この断絶は一体何だという状態でした。かといって、私たちはindividual=個人として生きているとは言い切れない。しかし、ひとつの体であるかのような一体感を二度と回復しえない、いわばどっちでもない空虚さを感じました。
つまり、芸能を共有することによって、その人たちが土地・芸能に位置づけられていくのだと感じたのです。それゆえに、その人たちは誇りをもって生きている。しかし、もしも芸能を失ってしまったら、ただ貧しい村ということになるのでしょうか? 芸能を失った場合に、土地とその人たちは切り分けられてしまうのだろうかと考えると、今の私たちの状況――何かから切り離されているが、個人としてきちんと立てている訳ではない――になるのではないだろうかと思うととても悲しいです。
individualとは何かが気になり、語源を調べると、「それ以上分けることができない」個体、個物とありました。「dividual」という言葉はないのですが、芸能をしてきた土地の人たちの体とは、dividualな体のあり方だったのだろうかと想像しました。体ひとつで切り分けられるわけではなく、その人の中にも様々な要素があり、またそれは、先祖や未来の子孫も含むようなものなのかもしれません。また、自分を他に切り分けるときに他人が浸食してくることも含めて、それをdividualな体と呼ぶことができるのだろうか。あるいは、現在の私たちも実はそういう(dividualな)感覚を持ち、同時に個人という感覚も持ち合わせていて、その相互間を行ったり来たりしているのでしょうか……。
山崎:自分は振付家としてアフリカの現地の人とよく仕事をするのですが、やはり民俗舞踊は基本的にコミュニティと生活に密着しているから、絶対的になくならないと感じます。手塚さんのリサーチのなかで、日本の民俗舞踊とご自身の感覚との共通項の発見はあったのでしょうか。例えば自分は日本舞踊に、記憶を喚起させるものを感じたから学んでいたような気がします。そこに自分のアイデンティティを探せると思うから、能や日本舞踊を学んだのです。民俗舞踊に自分のルーツといえる身体を見出せるからこそ、融合できる可能性があるのではないでしょうか。そこの共通項がなければ、何も始まらないように思う。
手塚:自分が何者かを考えたとき、日本における近代化とは何であったのか、そこに疑問をもちました。大まかな一般的認識としては、黒船がやってきて、日本は開国した。その際にアメリカ含む他国との条約が生まれる。当時、仏教的なものは相当抑圧され、芸能に警察の規制が入った。そうした過程を経てきたことに今の自分のルーツを見出そうとしたとき、自分が何者なのかわからなくなる。どういう服を着たら自分にとってリアリティがあるのかということを含め、家・食べ物も然り。そんな中でダンスを考えた時、欧米の歴史の文脈のようなものの延長線上に、現在の自分がいると錯覚しがちだけれど、それはどうなんだろう?
私は「自分の体を観察する」ということを行なっています。それを手法にすることで、自分の作品を作ることができた。観察する過程で、「自分でもよくわからないもの」が出てくる経験がある。自分の意識的ではないもの。そういうことと向きあうことも含め思考を深めたいと思った。
民俗芸能を調査する過程で、日本には山ほどの量の芸能があることを知りました。その中で自分が惹かれるのは、反中央的なもの。地域の自治的なコミュニティの中で存在している芸能です。また、歴史の中で物事に対し抵抗するようなエネルギーを含んでいるものに惹かれています。歴史には、年代と事実を照らし合わせて他人と共有するような役割があると思いますが、代表的な年代と事実の間には無数の物事がある。そして、そこに見える(ありえたかもしれない)別の可能性については、「考えない」で済まされてしまう。日本の中で教育を受けて持ってしまっていたイメージを一旦手放すという作業こそが必要に思います。これが歴史だ、これが日本だという概念をいかに解体するか。そしてそれは、非常に微細なことを集中的に観察することによって、可能なのではないかと考えています。
コミュニティ・インディビジュアル・ディビジュアル 2
――メディアとしての芸能
手塚:自分と民俗芸能との身体的な共通項については今後、より観察し続けないといけないと感じています。今すぐに共通項を見つけて、自作へという流れには至っていません。民俗舞踊のその人たちは、芸能にリアリティがあった時代は一体何に反応していたんだろうか。あるいはメデイアとして機能していたのだろうか、どのように機能していたんだろうか。当時の状況を考えると、圧倒的に飢餓(食べることに対する基本的な飢え)が前提としてある。飢えがある状況で、動物を殺してでも食べなければならない感覚のなかに、殺す行為においても動物に対する共感があったのではないか。それは芸能から推察したときに、獅子の動きなどから感じることができました。強い共感がありつつ動物を殺す。そしてそれを食べ物として自分の体に入れる。この行為の中に様々な複雑な意味が含まれている。罪悪感、弔い、呪術的行為。それが自分の体の中で生きる。私たちは、そういったこととは全く遠いところで生きています。芸能のあり方として、「反応」という意味では超えられないものがあると思いますが、そう考えたときに、私たちは一体何に反応するのだろうか? 反応する対象が、明らかに昔とは変わってしまっている。
ただそこで、「自分たちは満たされているから」とは言えない。例えば、食べることがそれほどまでの飢えの状態になくても、よくわからない飢えを感じ、決して満たされてはいない。私たちは何に対して反応したり、何に怯えたり、またその不安に対してどうしようとするのか。反応というもの自体がメディアになってしまう行為が、現在の日本においてどこに観察できるのかと考えた。ひとつ思いついたのは、「オタ芸」やコスプレです。あの行為は、何かに反応しているような気がする。しかも意識的というよりは、無自覚的に反応してしまっている。それはメディアとして機能しているのではないか?という気がします。コスプレをしてしまう、またそれを見て、自分もやりたくなってしまうという連鎖が起きる。ひとつの反応が起きていて、なおかつメディアになっているこの状況は、民俗芸能に極めて近いのではないでしょうか。
そういう意味で自分が今、無自覚に反応してしまうコードを持っていない。意識的に何かをやるしかない。自然発生するものに反応して、そしてその反応にまた反応するという現場からは、自分はとても遠くあります。反応できるメディアを再度見つけ直さなければならないのではないでしょうか。そこで、民俗芸能のリサーチの途上で「実験を作る」ということをやりました。ある民俗芸能があるとすれば、この状態は一体何なのかという問いを、そのまま実験に落とし込む。それを人前で公開すると、ただ議論することではなく、体を通したものがそこにあって、「そんなわけはない、こっちだ」という対話が生まれる。あるいは全く違うことをイメージしながらあるものを共有する。つまり、実験はメディアになるのではないかと感じたのです。リサーチしたものを自分に引き込んだり、他人と共有するのに、実験というメディアを意識的に使ってみるのは、ありなのではないかと。
手塚夏子
武藤:山崎さんが言う共通項を探すことと、手塚さんのみえなくなっている原理について思考することは、区別できると感じます。共通性を探すと、どうしてもアイデンティティの話になってしまう。個人的には根本にある原理を引っ張りだすというよりは、みえなくなっているものを見るということに興味があります。
ダンスボックスの「神戸‐アジアコンテンポラリーダンスフェスティバル」が、とても興味深いことを行なっています。ダンスボックスが大阪から神戸に移ったときに、よそ者なので町の住民が何をやっているのか、どんなダンスを行なっているのかを調査したところ、歴史の中で移民が来たり、様々なコミュニティとダンスが混在していることがわかったんですね。劇場の外で行なわれているダンスと、劇場の中でやられているコンテンポラリーダンスの間にある壁をほぐしていこうとしている。
また、東京で在日朝鮮人の人がダンスをやり、コミュニティを持っていることを聞き、何度か見に行った。そこで驚いたのは、公の告知が一切されていないこと。コミュニティの中では情報が流通しているが、会場のホールのスケジュールにすら書いていない。隠蔽されているわけで、でもこれも確かに東京という都市の一部である。東京はアートの中だけで話が完結してしまって、土台にある生活や社会との関わりが感じられない。根にあるものを見ずにアートに依ってしまうと、できた作物だけをもってきていることになってしまう。
山崎:僕自身は、コミュニティのかたちは複数あるべきだと思っていまして、そうした強いコミュニティが東京で生まれることはないのでしょうか。地方ではあると思うのですが。そのコミュニティが支え合うのではないかと僕は思います。
武藤:神戸を見ていると、異質なコミュニティ同士があるから、コミュニティができているという印象を受ける。異質な人同士が、お互い異質だと認識して行動しているとコミュニティができてくるのではないかと思います。
手塚:例えば、沖縄のコミュニティがあって、自分たちはそこに位置づけられていないといけないと思う。その位置づけようとすることとコミュニティの成立が関係していると思う。一方、地方から都市に出る人は、コミュニティからむしろ遠ざかりたい思いから都市にいる人が多いのではないか。タイのアーティストとindividual/dividualの話をしたときに、「individualとは、要するに自由ということではないか?」と言っていました。そうだと思います。自由になりたい、自分を新しい可能性に開き、別の位置づけ方を求めたい。むしろ地域の中で自分を位置づけたくない。そして、ダンスなどで新たな関わりができると、そこでも“この場で自分を位置づけたい”という欲求が生まれる。そういう意味で、自由になりたいとはいえ、自分を位置づけないと不安という思いはある。
関東の藤野という地域のお囃子をやらせてもらった経験があります。現地の人たちはずっとやってきたので、ごく自然なコミュニティでした。そのとき自分は、コミュニティという言葉を使って、その場所で何かをやろうと思っていたのですが、コミュニティが成り立っている場所で、ことさらにその言葉を使う行為がとてもバカらしく思えた。アーティスト自身がindividualな存在であったりするから、そこには矛盾があるのかもしれない。
手塚夏子(左)
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