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岩渕貞太
《夜のハダカ》「ダンス
テレポーテーション」より
2020|13分16秒

「ダンステレポーテーション」展
~時空を超える振付、
浮遊する言葉と身体~
(主催・企画制作:
Dance Base Yokohama)

夜のハダカ

岩渕貞太

苔は日中の雨でイキイキと緑に発光しています。
声は湿った空気に振動を滑らかにされて浮遊。

足裏に危うさを吸い取りながらよちよちと歩く。
足の裏から侵入してくる夜。

昼の光に隠された場所に誘われる、ここは夜だけに現れる場所。
昼の苔、夜の苔。
昼の土、夜の土。
昼の肌か、夜の肌か。

ハダカ。

肌色は何色?
ベージュ?シロ?キイロ?チャイロ?クロ?
絵の具の色を全て合わせればクロ、光を合わせればシロ。
動物や昆虫と肌の色の話をするのも面白いかもしれない。
カレラ/カノジョらの肌は透けていたりヌメヌメと光ったりする。
ところで日本のトカゲとメキシコのトカゲは何語で話すのだろうか。

一度だけメキシコに行ったことがある。
セノーテに向かう舗装されていない長い一本道で
大量の黄色い羽の蝶に囲まれたことがある。
呼吸が苦しくなるようにむっと密集した美しい蝶たち。
どこから来たのか。どこへ行くのか。
セノーテに着いた頃には埋め尽くしていた蝶たちの羽ばたきもヤミ、
むせるような美しさから解き放たれてほっと一息つく。
肺にはキイロの鱗粉が貼りついている。
肺の中で踊る蝶たち。

六月のメキシコ。六月の日本。
汗なんだか涙なんだかわからなくなる暑さ。
夏の準備が整う前にやってくる暑さ。
六月は毎年やってくる、気の早い夏として。
 
 
六月の太陽は私には少しエモーショナル過ぎる。
 
 
夜にひっそりと光る肌を持って侵入してやろう。
夜の湿った光や木々や苔が発する小さな声が肌に侵入してくるところを
光る肌でひっくり返してやろうという小さな抵抗、という遊び。


綴る言葉

山崎広太

苔の上を歩いています。
歩く姿は昔のノイズの入った白黒映画で、止まったりリピートしたり、繰り返されている歩き方。少し猫背。
苔はヌルヌルとし始め、その湿気はどこか南のメキシコの田舎を彷彿とさせます。
そこにはヌルヌルトカゲもいるのです。
メキシコには何故かメキシコでずっと育っているのに、メキシコにしかいないアジア人がいるような気がしてならないのです。
そのアジア人には独特な何かアジアンヌルヌルがあるように思っています。
先住民と西洋人が共存しているメキシコ。そこに絶対欠かせないヌルヌルアジア人が、その間に良いバランスをとっているように感じています。そしてそこはヌルヌルアジアン人のことを全て受け入れようとしているという風に感じています。室伏さんが、ここは第二の故郷だと言ったことを思い出します。どうしても僕にはこのヌルヌル感が「器官なき身体」的イメージを彷彿とさせてしまうのです。とても自由であり、なにか変な生き物のようにも感じています。

カナダからメキシコまでの長い道のりを旅する蝶々のこと知っていますか。
何故、そんな長い旅をするのでしょうか。
飛ぶ姿には、すぐにでも朽ちそうでいて、ずっと旅をし続ける真の強さと美しさがあるのです。蝶がたどり着いた地の自然は独特な皮膜地帯と言えるもので、絶対に、そこにしかないものがあるのです。
この蝶たちが、わざわざ命をかけて長い道のりを渡ってくる理由は、少しわかるような気がするのです。生命維持に絶対必要なヌルヌルなのです。

2ヶ月近くいなくて帰ってきたら風景が紅葉とともに一変してた。風景に身体が貼られている。彼女が優しすぎる居心地の悪さのような、そして少しの喜びもあって。一生、この風景から逃れることができなくなってしまった。
そこの風が隣にいる友達として重力を意識するとき、一匹の鳥が窓辺の椅子の上で口をすぼめているように思える。私が引き起こし生まれた風は微粒子となって、いろいろなところに分散される。彼女の長いブラウスから流れる微粒子の風は、それぞれの場所の温度を少しずつ変えていく。

あそこの場所が少し変わったと思いませんか。しかし突然部屋のドアが開くときには全くことなった光り輝く異物が侵入してくる。私が初めてこの場所を知ったかのように。踏んでいるこの足もおぼつかないです。私の細胞さえもびっくりしている。でもときとともに違ったバリエーションとして変化していく。

いきなり太陽がそこを埋め尽くし、突然恥ずかしいほど明るい水色のトタン板を背景に立ち止まってしまいました。
実は、この水色トタン壁を四季に渡ってずっと見続けてきたのです。そこはニューヨークのブルックリンにあるブリッジパークで、サッカー場の海辺に釣り場があって、いつも向こう岸の倉庫の水色の壁に反射する太陽が僕のなかに焼き付いています。どうしてそれを意識し、そこに貞太さんを投影したくなったのか理由はわかりません。その場所は自身で意識的に作り出す郷愁のようなものかもしれません。多分、絶対必要不可欠なものが、僕のなかにはあるのです。

光は満ち溢れるように溢れ、行き場のない、輝かしい顔の表情にフォーカスしています。
光は絶えず諦めかける瞬間を窺うように煌々と顔全体、特に目を照らしています。目はすでに人間の目ではありません。
でも一瞬にして、あれは一体何だったのだろうと、光の闇は忘れたかのように逃げられるんです。
前方に逆転するビルが立ち現れます、映画のインセプションを想像しています。
全てが逆さまになって、空気の上を歩いているんです。
前方の空気中には、逆さまになっているオーシャンブルーの海があって、そこは水面から顔を出す時の水と光煌めきのようであり、それと揺れながら周りの風景が写し込まれている。
水面に顔を出そうとしているイルカにもヌルヌルがあります。
アルミニウム、ふでばこ、あっと言おうとした瞬間、GUCCIのショーウインドー、布団がぶっ飛んでいる、衛生上の告知、風に揺れているプラスティックの漂流物、ここにふさわしいと思われる、あらゆるものが周りに点滅し浮遊しています。
あなたの姿態ってなんですか?
あなたのヌルヌルって想像できますか?

初出:「ダンステレポーテーション」展~時空を超える振付、浮遊する言葉と身体~(主催・企画制作:Dance Base Yokohama)


山崎広太振付ディレクション、Dance Base Yokohama(DaBY)企画制作によるサイトスペシフィック・ダンスが新型コロナウイルスの影響により上演中止となり、その構想から転回し、場所も時間も超えたダンスの在り方を探るクリエイション・プロジェクト「ダンステレポーテーション」が2020年6月に始動しました。その創作プロセスから生まれた、全11名のダンスアーティストによる映像、写真などの作品が、DaBYアーカイブエリア及びその周辺で2020年8月7日から9月13日の期間に展示されました。

「綴る言葉」は、インタビューから受けた各ダンサーのイメージをもとに、山崎広太がつづったものです。綴る言葉を発端に「ダンステレポーテーション」で創作された岩渕貞太の映像をWWFes2021で期間限定配信するとともに、山崎が寄せた綴る言葉と、岩渕による返信を掲載します。[映像配信は終了しました]

岩渕貞太Teita Iwabuchi
振付家・ダンサー
玉川大学で演劇専攻。ダンサーとして、ニブロール・伊藤キム・山田うん等の作品に参加。2007年より2015年まで、故・室伏鴻の舞踏公演に出演。2005年より「身体の構造」「空間や音楽と身体の相互作用」に着目した創作作品を発表。横浜ダンスコレクションEX2012にて、《Hetero》(共同振付:関かおり)が在日フランス大使館賞受賞。近年は、自身のカンパニー「岩渕貞太 身体地図」として自作品を公演している。

山崎広太Kota Yamazaki
コレオグラファー
笠井叡に師事。2007年にニューヨーク・パフォーマンス・アワード(ベッシー賞)。ニューイングランド財団より2012、2015年ナショナル・ダンス・プロジェクトで助成。2013年現代芸術財団アワード、2017年ニューヨーク芸術財団フェロー、2018年グッゲンハイム・フェローの各賞を受賞。2021年、ドリスデューク財団・パフォーマンス・アーティスト・リカバリー基金より助成。ボディ・アーツ・ラボラトリー主宰。ベニントン大学専任講師。DaBYレジデンスコレオグラファー。

*本稿は「Whenever Wherever Festival 2021 Mapping Aroundness——〈らへん〉の地図」オンラインプログラム「らへんのらへん——Around Mapping Aroundness」の一環として発表された。

協力:Dance Base Yokohama