これは確かに、ダサカッコワルイ・ダンスだわ|1
Text|郡司ペギオ幸夫
1. 遭遇
ある日、日本画家の中村恭子[*1]氏から「ダサカッコワルイ・ダンス」というものがあるらしいことを聞きました。許されるものは「ダサカッコイイ」までで、それを突き破って「カッコワルイ」まではみ出すことなど、通常、誰も考えないでしょう。ところが中村氏は、「郡司さんはそもそもダサカッコワルイのでは」と言い、共に「ダサカッコワルイ」を標榜する[*2]までになりましたが、翻って、洗練されたダンスの世界に、「ダサカッコワルイ」など存在するのだろうか。怪訝に思ってネットで調べると、「ダサカッコワルイ・ダンス」のサイトが現れ、公演の予定が現れました。しかも、ダンスが郡司ペギオ幸夫の『やってくる』[*3]に触発された旨、記されているではありませんか。そのサイトには、主催者である山崎広太氏の動画もついていて、手足をチグハグに動かしながらも洗練された、不思議な動きが提示されています。
私は、ダンスの世界を何も知りません。私の研究室で博士の学位を取り、今はアメリカ在住の箕浦舞[*4]氏は、お兄さんである箕浦慧[*5]氏がロシアでバレエダンサーの経歴を持ち、現在は京都芸術センターに属しながら、モダン・ダンスの活動をされているとのことでした。そのことがあってメールで聞いてみると、すぐ返信が届き、演者はみんな有名どころとの記述と共に、兄の言葉として以下が記されていました:
キュレーターであり、映像に映ってる山崎広太さんは、日本でいま最も取り上げられているダンサーの一人で、キレキレ。できないことを装うこともできる。あと、島地さん[*6]もそうだね。舞台芸術のシーンで成功している、強いキャリアを持つエリートだと思うよ。だから上手な人が下手を装うプログラムに見える、ダサカワみたいな媚びを売る路線と、モダンアートの抜け道的な未だ発見されていない踊り、その両方を超える、新しい文脈が見つかるといいと思う。
なるほど、これは凄そうだ。なんとしても行かねばなるまい。卒論が押している時期でしたし、こういったイベントに参加するのも初めてでしたが、ネットで一日券を買って、その日を待っていました。
その前に、少しだけ、いわば私のそれ以前の、「ダサカッコワルイ・ダンス」について簡単に触れておこうと思います。
2. 異界からやってくる
神戸の震災はもう27年も前ですが、私はその地震を、神戸の中心部、三宮にあった公務員住宅で経験しました。それがNHK庁舎のすぐ裏にあったと言えば、当時繰り返し流されたNHK庁舎内の映像を覚えている方は、その揺れの凄まじさを容易に想像できるでしょう。宿直で寝ていた職員が宇宙遊泳のように飛び、全ての棚が倒れていく様を写した防犯カメラの映像は、その地での震度7を強烈に印象付けるものでした。それと同じことが、私の宿舎でも起こっていたのです。築50年以上の公務員住宅は、とても持ち堪えそうになく、4階にいた私は確実に崩れると思っていました。あぁ、このまま崩れて瓦礫の中で死ぬのか。普段から死ぬのが怖い私は、妙に冷静にそう思っていました。
神戸の震災で特徴的だったのは、被害が局所的だったことです。神戸市街の至るところは、世界の終わりのような惨状でしたが、臨時バスを乗り継いで大阪の北の中心部、梅田まで出ると(私鉄の特急なら25分でした)、そこには普段と変わらない雑踏と日常がありました。私は稀に梅田にまで出ることがありましたが、梅田駅地下街の広場のような場所で、「あっ」と声を出すような光景を目にしました。上下灰色の作業服を着込み、黄色いヘルメットを被って長靴を履いた初老の男性が、台のようなものを持って走り回っていたのです。周囲は家路につくサラリーマンが、縦横に闊歩していました。そこで、5メートルほど一直線に走っては台を置き、その上にのっては、つま先立ちの勢いで声を張り上げる。「みなさん、大変なことになっています。神戸では大変なことになっているのです」、こう叫んで、台を降り、また台を持って別の方向へ5メートルほど走り、台に登って同じことを叫ぶのです。「大変です。神戸は大変なんです」。何とかしなければ、という切迫感だけは伝わるものの、具体的に何を訴えたいのか、まるでわからない。しかし、その人は、私がずっと眺めている間中、その行為を繰り返していました。走る、台を置く、乗る、叫ぶ、走る、台を置く、乗る、叫ぶ、…。広場で展開されるアルゴリズム化されたような、しかし逸脱し続けてもいる無限の反復は、有機的に統合されようとしながら統合されず、何かを強く訴えながら、同時に何も示していない。私にとって、それは、「ダサカッコワルイ・ダンス」だったのです。
娘が小学3年生の頃、私と二人で、阪急電車・三宮駅の、ホームを歩いているときのことでした。30代後半ぐらいの男性が、右手で作った拳を、ピノキオのように伸びた鼻をあたかも握っているように、鼻の頭に当て、弾むように歩いていました。目は、不安げな楽しげな、複雑な憂いを湛えています。突然、彼は握った拳を、まるでトロンボーンのスライド管を動かすように、前後に動かしながら、「テテーテテ」と叫んだのです。思わず見惚れていると、また「テテーテテ」。不可視の鼻を伸縮させるようにスライドさせては、「テテーテテ」。何度もこれを繰り返す彼は、私がハッと気づいたときには人混みに紛れ、どこかに消え去っていました。妖精にでもあったのだろうか。顔を紅潮させた娘が、「お父さん、今日は得したな。いいもの見たな」と言いました。それは、9歳の子供にも、「ダサカッコワルイ・ダンス」だったのです。
通勤電車は、最寄りの三宮駅から始発に乗れました。ある日のこと、乗り込んだ車両には誰もおらず、発車までの間、一瞬意識が飛んでいると、前の座席には、太った大柄なおじいさんが、いつの間にか座っていました。足を開き気味で、何か笑みを浮かべながらこちらを見ています。無言のまま、こちらを見ろといった表情を浮かべ、胸ポケットから5センチ四方の紙片を取り出しました。それをこちらに向け、額の辺りにかざすと、右手で紙片を指差し、見るように促してきます。そこには「雲」と書いてある。こちらも無言のまま頷き、「はぁ、見てます、見てます」といった感じの動きで応じました。おじいさんは左手で「雲」を額に掲げながら、右手で、空中から何かをつまむような仕草をし始めました。何もない空中から何かを取っては、それを、種でも撒くように周囲に散らしていく。綿花を摘むように取って集めては、流れるような所作で、撒いていく。空中から水分を集め、雨を降らせている仕草にも見えました。私は前のめりになりながら、一つ一つの動作に頷き、見ていることを全身でアピールしていました。ほどなくすると、おじいさんは、「儀式」を終了し、まだ発車しない列車から降りて行きました。いったい何だったのか。何かの神様がやってきたような、そんな感覚を覚えましたが、おじいさんの一連の動作は、まさに「ダサカッコワルイ・ダンス」だったのです。
そう、このおじいさんに限りません。ここにあげた、ダサカッコワルイ・ダンスは、皆、異界から迷い込んできた者に、実現されているかのようでした。ところが異界は、私にも接続していたのです。やはり始発の車両で、ドア付近の椅子に腰掛け、発車を待っていた時のことです。おばさんが私に、聞いてきました。「この列車は、向こうの方に行きますか」。向こうの方、変なことを聞く人だと思いながら、私は、列車の進行方向を訊ねているのかと思い、列車の前方を指差して、「この列車は、こちらに行きます」と言いました。するとおばさんは、聞き取れなかったのか、また同じように、「この列車は、向こうの方に行きますか」と繰り返してきました。何か仕草が曖昧で声が小さかかったのかと思い、私は、両腕を肘で直角に曲げ、両の手で車両の進行方向を指差し、「いえ、この列車は、向こうの方じゃなくて、こっち。こっちに行くのです」と、やや声を大きく張って言いました。折角教えたのにもかかわらず、おばさんは怪訝な表情を浮かべ列車から降りて行きました。気づくと、周囲に座っていた他の乗客も、席を移動し、私の周囲はエアポケットのように広がっていました。その後、かなり経ってから、阪急の路線に、武庫之荘(むこのそう)という駅があることを知り、この一件をすぐさま思い出しました。そうか、おばさんは、「この列車は武庫之荘に行きますか」と聞いていたのだ。私は、意図することなく、ダサカッコワルイ・ダンスを踊ってしまったようでした。
まだありました。ベルギーの国際会議に参加した帰り道、地下鉄のチケット売り場付近で、母親に連れられた小さな姉妹と目が合いました。姉は幼稚園児ぐらい、妹はまだベビーカーに乗っておしゃぶりを咥えていました。なぜそんな動きをしたかは覚えていないのですが、姉妹に何か見せてやろうかと、変わった動きをしてしまいました。両方の二の腕を体の側面に押しつけたまま、肘から下だけを、激しくパタパタと体の前方に曲げ伸ばしたのです。掌は腹部に打ち付けられ、パタパタと明るい音を地下街に響かせました。すると、姉妹は、大きく目を見開き、こちらをガン見したのです。姉のほうは、仁王立ちして、歓喜の表情のまま凍りつき、全身で興奮を発していました。おしゃぶりの妹の方も、これ以上開かないくらい目を大きく見開き、ガン見していました。その二人にとって私の動きは、「ダサカッコワルイ・ダンス」だったに違いありません。
- 日本画家で現在、九州大学大学院藝術工学研究院所属。ホームページは、http://www.kyokonakamura.jp/. 代表的な単著論文はNakamura, K. 2021. De-creation in Japanese painting: Materialization of thoroughly passive attitude. Philosophies 2021, 6 (2), 35; https://doi.org/10.3390/philosophies6020035.Back
- ダサカッコワルイの精神は、中村恭子・郡司ペギオ幸夫, 2018.『TANKURI:創造性を撃つ』(水声社)および、郡司ペギオ幸夫, 2019.『天然知能:意識の向こう側』(講談社選書メチエ)に実現される。郡司は2019年、大喜利AIを開催した株式会社わたしは代表、竹之内大輔氏らとダサカッコワルイを標榜したダサカッコワルイ祭りを開催する。参加者は、プロレスラーのスーパー・ササダンゴ・マシン、漫画家の宮川サトシ、作家のダ・ヴィンチ・恐山、神戸大学の建築学者・長坂一郎、博報堂のクリエイターで当時の雑誌『広告』編集長・木原龍太郎、郡司に竹之内氏だった。https://watashiha.wixsite.com/dasa-kakko-waruiBack
- 郡司ペギオ幸夫, 2020.『やってくる』(医学書院).Back
- 博士論文は自閉スペクトラム症(ASD)者に心の落ち着きを与える効果があると言われる、体を板に挟んで締め付ける締め付け機を用いた実験に関するもの。論文としてMinoura M, Tani, I, Ishii T & Gunji Y-P. 2019. Observing the Transformation of Bodily Self-consciousness in the Squeeze machine Experiment. Journal of Visualized Experiment; https://www.jove.com/video/59263 DOI: doi:10.3791/59263. とMinoura, M., Tani, I., Ishii, T., Gunji, Y-P. 2020. Squeezed and released self: Using a squeeze machine to degrade the peri-personal space (PPS) boundary. Psychology of Consciousness: Theory, Research, and Practice; https://doi.apa.org/fulltext/2020-22819-001.html. を挙げておく。Back
- 名古屋音楽大学のHPの紹介が詳しい。https://www.meion.ac.jp/ teacher/%E7%AE%95%E6%B5%A6%E3%80%80%E6%85%A7/
Back - 島地保武。「ダサカッコワルイ・ダンス」公演に出演予定だったが、怪我のため出演中止となった。[編集者註]Back