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顔の記憶

私にはいわゆる「得意なこと」が一つだけある。人の顔を覚えることだ。それが我ながら非常に上手くできる。そもそも覚える以前の、顔を認知できるスピードも他と比べてだいぶ早いらしい。だからか街でよく思いがけず知人とばったり会う。そのほとんどは、真正面から出会うのではなくて、私がその顔を見つける。声をかけることもあるが声をかけないことの方が多い。きっと向こうは私を覚えていないだろう、の確信があるからだ。

この得意技は才能でもなんでもなくて、実は訓練のたまものである。30年ほど前、電車通学を始めた中学生の頃、つまりそれは初めて日常的に街を一人で移動する経験であったが、その道中の電車やバスで見かける他人の顔をすぐに忘れてしまうことが不思議でならなかった。そこで、どれくらい人の顔を覚えてられるかのまずは実験を始めた。パッと見た顔を数十秒後に思い浮かべると、あらら、もうすぐに忘れている。忘れたくても忘れられない顔もあるのに、街であった人たちの顔は覚えていたくてもどうしても覚えられない。なぜなのだろう。どうしても覚えていたいと考え始めた私は、まるでテストのための暗記をするが如く、ノートにその人の特徴を記すようにまでなった。確か、はじめは下手な似顔絵らしきを描いていたように記憶している。しかし、やがてそんな顔についての描写はあまり役に立たず、例えばどんな風にカバンを持っていたかとか、読んでいた本はなんというタイトルなのか、さらにはその顔の背景にどんな風景が広がっていたのか、そんなメモ書きの方が顔を思い出すのに有用だと気づいた。その記録があれば、人の顔の記憶は幾分か長く持続するようになっていった。しかし、寝てしまえば、記録を見返さない限り記憶が蘇ることはなかった。そこでもう一工夫することにした。この人がもしも私のお母さんだったら、とか、恋人だったら、とか身の回りの人間関係に当てはめて、顔に付随する物語を考え始めたのだ。他愛のない想像は、やがてこの人がもし私を殺しに来たら、などの物々しい夢想へと変容していった。しかし、これが功を奏し、俗っぽい物語に助けられて、異様な数の人間の顔を長時間覚えていられるようになった。驚くべきは30年も経った今でも、あの時覚えた顔のいくつかを覚えていることだ。覚えるために自分で編み出した物語はとうの昔に忘れてしまって、顔だけが残った。

今でも覚えているだいぶ昔にすれ違っただけの人たちの顔。30年も記憶し続けたそれらの顔は、彼らの顔でありながら、もはや私のものであるかのように思えてくる。いや、そもそも彼らの顔は彼らの所有物だったことなどあるのだろうか。

都市を漂う身体

1940年代から1950年代にかけてアメリカで製作されていた犯罪映画群でフランスの映画批評家ニーノ・フランクによってフィルム・ノワールと名付けられたジャンルがある。ノワールとはフランス語で「黒」を意味する。その名が示唆するように、暗く非情なタッチの作品が多いフィルム・ノワールは、第二次世界大戦、あるいは戦後の冷戦が激しさを増し、不安感で充満しているような世相のなか、それとは別にアメリカ各地で急激な都市化が進んでいたことを背景に誕生した。ノワール映画の主人公はほとんどが探偵である。とは言っても、ノワール映画の探偵たちは、アガサ・クリスティのポアロのように、事件があったら登場し、解決したら去っていくような存在ではない。チャンドラーのフィリップ・マーロウ、あるいはハメットのマイク・ハマーのように探偵はいつだって気付かぬまま犯罪に巻き込まれ、犯罪空間と距離をとることができずにその渦中でもがいている。この頃、都市化と対になってアメリカ各地で進んでいたのがモータリゼーションである。なるほど、ノワール映画にはバスや鉄道といった公共交通機関はほとんど出てこない。この時期、自家用車が爆発的に普及したからで、探偵たちは都市を移動する時にはいつだって自家用車を使う。街、というパブリックな空間を車という極々プライベートな空間に身を置きながら移動するのである。隣人が誰だか分からないという都市の匿名性のもと、居住空間は極限にまでプライベート化されていた。そうして分断されてしまった都市のありとあらゆるプライベートな空間は、探偵がその身体を移動させることで、ようやく何かしらつながっていく。そして日常的な生活空間と犯罪空間の境目はだんだんと消えていき、曖昧な都市空間として立ち上がってくるのだ。かつての私の眼差しは、これに近かったのかもしれない、とふと思う。振り返れば、私の顔への執着は、都市の風景を総体として捉えられない苛立ちと比例していたように思う。夕方の忙しない商店街の精肉店で買った熱すぎるコロッケ、喫茶店でのんびりと流れる流行歌、駅の広告板のポスターを剥がした後の画鋲の穴の手触り。断片は、どうしたって断片でしかないのに、自分の身体を使って移動しながら、そこを通り抜ける顔を記憶に刻むことでそれらをつなぎ合わせ、都市に対峙しようとしていたのだろうか。

閉じられた物語への抵抗

多くのフィルム・ノワールで、主人公の探偵はファム・ファタールに騙され、翻弄され、やがて身を滅ぼしていくという顛末が描かれる。ファム・ファタールは直訳して「運命の女」であるが、ノワール作品におけるファム・ファタールの登場は、映画史のなかで女性の描き方がガラリと変わった瞬間でもあった。特に、第二次世界大戦中、男たちが戦争に駆り出され、街から消えると、男たちが担っていた仕事を、はじめはしょうがなく女たちが代わりにこなしていった。そして、戦争が終わって男たちが帰ってくると、あれまぁ、自分たちの席に女たちがいて、なんの問題もなく仕事をこなしているではないか!こうした労働力としての女性への対抗意識、もしくは恐怖が、フィルム・ノワールにおけるファム・ファタールという新たな女性像を誕生させたようだ。自らの意思で、自らの道を切り開こうとする「運命の女」たち。捕まえようとしてもスルリと手からこぼれるように逃げ出してしまう。感情的で脆弱だと思っていたら、冷静に策略を張り巡らされている。守るべき存在と信じていたら、欺かれ、陥れられる始末。ファム・ファタールは、それまでの男性の所有物としての女性から独立した個人への脱却を実に鮮烈に宣言したのだった。ファム・ファタールは、探偵が謎を解いて、物語に終止符を打つのをひたすら阻止するような存在とも言える。探偵を犯罪に巻き込み、傍観する立場から当事者へと転じさせ、果ては犯罪者に仕立て上げる。そして、物語は振り出しに戻り、また語られることが可能となる。いくつもあるノワール作品の、それぞれ個別の物語を忘れてしまっても、それらの作品群に登場したそれぞれのファム・ファタールと、彼女たちが生きた街のぼんやりとした輪郭が残り続けている。フィルム・ノワールはその大半がロサンジェルスを舞台にしているが、とうの昔にヒューマンスケールを超えたこの街の全容は描かれようともしていなかったのに、最後に思い出すのは街の匂いのようなもの、あるいは、そこに吹く風の肌触りのようなもの。私が顔を覚えるために編み出した多くの物語も、このようなものだったのではないかと思いいたる。そう、物語が消えてしまっても、なおそこに存在している所有者から手放されたかのような顔の数々。

ファサードは誰のもの?

フランス語でFaçadeファサードという建物の正面を指す言葉は、英語のfaceと同じ語源を持つもので、まさに建物の顔である。ファサードは建物に所属しているのは当然だが、しかし、同時にそれが面する街路のものでもある。そういえば、知らない街を歩いている時、ふと民家の軒先に洗濯物などが干してあるのを見ると、妙に落ち着いた気分になるものだ。人の生活の痕跡がファサードに滲み出て、無機質な建物が微笑んでくれたように感じるからだ。フリッツ・ラング監督作の映画『飾窓の女』(1944)でのファム・ファタールの登場シーンでは、人間の顔と、建物のファサードがオーバーラップし、互いを強調しながら一つの表情を作り出している。そして、この表情こそが、物語の原動力になっている。『飾窓の女』は、エドワード・ロビンソン演じる大学で犯罪心理学を教える教授が主人公のノワール映画である。主人公はすこぶる真面目な人物で、妻子が休暇の旅に出ると、一人羽を伸ばして食事に出かける。その先で建物のショーウィンドウに飾られた女性の肖像画に心奪われ、見惚れていると、ショーウィンドウに反射して、肖像画に重なるようにして、そのモデルになった当人が登場し…というところから始まるのだが、このファム・ファタールの登場シーンは、まさにファサードで起こる出来事である。ショーウィンドウというのは、記号あるいはイメージが資本の活動を介し、消費あるいは再生産されるファサードの現場である。そこに飾られた肖像画。それは二重に閉じ込められた女性がいる状況を表している。つまり、モデルとして画家に眼差され、その後、ショーウィンドウで街ゆく人たちに一方的に見られる存在であることを。このように内部に深く押し込められた女の像に、外部の生きた女の顔が反射し重なるとき、男性が見る主体であり、女性は見られる客体であるというような関係性は揺らぎ、反転していく。内と外のはざまで日々変容するファサード、そして、そこにうつされる人間の顔もまた刻々と表情を変え、外にも内にも多くの痕跡を残していく。そこでは、もはやファサードも顔も誰のものであるかという問いすらばかげているのかもしれない。そう、もちろん、それは私のものなのだから。

2021年12月2日。今年初めての雪が舞う秋田の郊外を車で走る。4車線道路から見えてくるのは、吉野家、ガソリンスタンド、ラウンドワン。ちょうどそこで信号が赤になって停止する。すぐ脇のコンビニの駐車場の片隅に灰皿が置いてあって、3人の男性がうまそうにタバコを吸っている。3人のうち2人は職場の同僚らしい。その日回った営業先の顧客が教えてくれたラーメン屋の話でもしているのかしら。その2人が話しているのを、もう1人が聞いていないようなフリをして、スマホをいじりながら、でもじっと聞いている。どこかの工事現場で働いた帰りなのだろう、普段なら缶コーヒーを飲むのに、今日はやたらに寒くて缶のコーンポタージュを飲んで身体を温めているのだろうか。と、その時信号が青になる。車を進めながら、ふと、バックミラーを見ると、助手席の若い女性がこちらを見ているのに気づいてハッとする。私の顔もまた誰か他の人のものなのだ。

顔に誘われ今日も街に出る。コロナ禍で大半をマスクに覆われた顔、そして高度に資本主義化された街のファサードは表情を見出すのが難しい。それでもまだ私に迫ってくる。いや、隠されているからこそ、さらに強く迫ってくる。以前であれば気づかなかったような、微細な目の動き、シワの痙攣、かしげた首のほんの少しの揺れ。あるいは窓際のカーテンのシミ、玄関の軒先の植物から滴り落ちる水滴、ショーウィンドウの照明の寿命寸前のチラつき。これらの極々小さな都市の断片が、私をそこにつなぎとめて離さない。


参考文献
鷲田清一『顔の現象学』講談社学術文庫、1998
M・クリスティーヌ・ボイヤー、篠儀直子訳「都市のなかの犯罪、都市の犯罪——都市アレゴリーとしてのファム・ファタール」『10+1』 No.15、INAX出版、1998

写真は筆者撮影


石山友美Tomomi Ishiyama
映画監督・秋田公立美術大学准教授
1979年生まれ。日本女子大学家政学部住居学科卒業。磯崎新アトリエ勤務を経て、フルブライト奨学生として渡米。カリフォルニア大学バークレイ校大学院、ニューヨーク市立大学大学院で建築、芸術論、社会理論を学ぶ。ニューヨーク市立大学大学院都市デザイン学研究科修士課程修了。在米中に映画制作に興味を持つようになる。監督作に『少女と夏の終わり』(2012)、『だれも知らない建築のはなし』(2015)。

*本稿は「Whenever Wherever Festival 2021 Mapping Aroundness——〈らへん〉の地図」オンラインプログラム「らへんのらへん——Around Mapping Aroundness」の一環として発表された。