踊らないダンス? 山崎広太インタビュー|1
Text|今井彩乃
舞踊におけるテクニックをめぐって
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まえがき
山崎広太
「踊らないダンス」ということについて、跡見学園女子大学の今井彩乃さんから卒業論文のためのインタビューのメールを頂き、長年ダンスに関わっているものにとって真摯に受け止めなければいけないと思いました。僕にとって「踊らないダンス」は究極のことであり、ダンスを始めた当初から既に僕の中にはありました。そんなわけで、時々、地下鉄の中で、誰にも気がつかれないようにと「踊らないダンス」をしています。しかし、それが舞台に長い時間にわたっての上演ができる程には至っていません。それは人が死ぬことに近い程、究極に近いということであり、その中には多くの層が同時に介在する崇高な行為なのではないかと想像します。もしくは、全くの空なのかもしれません。
踊らないダンス作品に関して言えば、僕はそれでも踊っていると確信します。例えば、マギー・マラン Maguy Marinの動くダンスがほとんどない作品に関しても、彼女は相当優秀なダンサーを使って、そのような作品を作ります。どんなにムーブメントのない作品でも優秀で熟練したダンサーでなければ、いい作品にならないと感じるからです。例えば、足の開脚が180度開くダンサーと、90度しか開かない素人のダンサーで、シンプルで同じ動きをしたとして、そこには何らかの違いがあると思うからです。もしくは素人のダンサーでも時間を長くかけること。作品を作ることは大変時間のかかることで、シンプルな動きだけでも、コレオグラファーと長く密な時間を持つことによって作品が良くなります。
僕は最近の日本の状況はあまりよく知りませんが、確かにニューヨークでも5、6年程前から、トラジャル・ハレル Trajal Harrellなどの作家による踊ることをほとんどしない作品が話題になっていました。トラジャルの場合は、ダンス作品が映像、舞台美術と一体となり、ダンスの枠を拡張させる目的だったようにも感じました。コンセプト重視で、それを遂行するのみの作品は、確かに作品としてしっかり提示される傾向ですが、ダンスの本質とは何なのか、を思うと単純には頷けません。そうした流れの中で時代は変わり続けています。
一方、何でも踊ればいいっていうものでもなく、適当に踊っていいのかという問いの方が重要だと思います。僕はずっとムーブメントの開発とそのオリジナリティを重視してきたコレオグラファーです。その自分でさえ、作品を創ることにおいて、この問いの方が絶えずのしかかってきます。単純に、欧米の誰かのムーブメントを真似して作品を創り、それで欧米で作品上演はできるわけがありません。もしくは、需要があるからといってジャポニズムを前面に出せばよいというものでもありません。しっかりと個人、インディビジュアルに根付いた作品を提示しなければいけないと思います。ちょっと余談になってしまいましたが……是非インタビューを読んで頂けたら幸いです。
[やまざき・こうた|振付家・ダンサー、Body Arts Laboratoryディレクター]
インタビュー
Q1.
(今井)現在、桜井圭介氏が企画者である「吾妻橋ダンスクロッシング」が毎年開催されています。私は今年初めて観に行きました。そこには私が今まで観てきたダンスというものはなく、「これがダンスなの?」と思えてしまう作品ばかりでした。会場は非常に盛り上がっていましたが、私の頭の中は「?」でいっぱいでした。山崎さんのような技術をお持ちのダンサーは、同じ「ダンス」というくくりの中でこのような表現が盛り上がっていることに対し、違和感をお持ちなのではないかな、と勝手に推測したのですが、こうした私の疑問は単純すぎるのでしょうか。調べてみたところ、2000年代のコンテンポラリーダンスでは、ダンステクニックを前面に出さない素人的なダンスが注目を集めたのだそうです。たとえば、2005年には、先ほどあげた桜井圭介氏がダンステクニックとグルーヴィーであることは違うと主張し、むしろ素人のダンスに可能性を見出すようなことを述べて、注目されたようです。
以下は東京都写真美術館『恋よりどきどき――コンテンポラリーダンスの感覚』展図録(2005)に、ニブロール論として掲載された「「ダンス」という「コドモ身体」」からの引用です。
社会生活における身体の使用法、例えば「歩行」は、最短で目的地へ到達するために、効率よく重心移動が行われる必要があるので、背筋を伸ばして規則正しく左右の足を交互に前に出していく。これがダンスと違うのは「楽しくない」という点なので、歩行をダンスにして楽しもうと思ったら、要はまっすぐに歩かなければいいわけだ。歩行の側から見れば、ダンスのあらゆるステップは「行きつ戻りつ」し「脇道に逸れてばかり」いる、いわば(子供の)「道草」のようなもの、ということになる。身体を本来の目的(生存・生活の円滑なる遂行)やその為の正しい使用法に則って用いるのではなく、間違った使い方で「オモチャ」にすること。それが「ダンス」ではなかったか。
[中略]
「ダンサー」というものは、子供の頃からの厳しい訓練のおかげで、バランス・キープとか重心移動が、どうやっても「ウマく」出来てしまう身体になってしまっている。コケようとしても、無意識にバランスが取れてしまう。そこで(これまたかつてのポスト・モダンダンスがやってることだが)、ダンサーに比べて「制御の行き届いていない身体」である非ダンサー(俳優など)を積極的に起用するわけだ。
[中略]
かくして、これまで長きにわたって「ダンス」に付きまとってきた「身体=主体の制御」という強迫観念と完全に手を切り、晴れて「アウト・オブ・コントロール」がダンス的身体の根本原理だと気付いたからには、ダンスの領野はみるみる拓かれていくだろう。ズッコケ=ダンス、突っ張らかり=ダンス、挙動り=ダンス、多動(ADHD)=ダンス、どもり=ダンス、チック=ダンス、夜尿=ダンス、×××=ダンス……
この頃に比べると、ダンステクニックを用いた振付が見直されているようです。また、乗越たかおさんのような批評家も日本では安易な素人的振付が多すぎると批判しています。私自身、この卒論では、バレエやモダンダンスのトレーニングに基づいたテクニックがコンテンポラリーダンスにおいてどんな意味を持つのかについて考えたいと思っています。しかし、桜井氏が投げかけた「アウト・オブ・コントロールこそが日常の運動と異なるダンスの根本原理だ」という考え方にも説得力を感じてしまいます。こうした問題をふまえて、「テクニックで踊らない系」に対して、率直にどうお感じになるのか、また山崎さんがダンステクニックについてどのように考えていらっしゃるのかをお聞かせ下さい。
A.
(山崎)僕は振付家として、90年代前半から2001年まで日本で活動したわけですが、その当時は、もちろんテクニック至上主義でした。何故なら、僕の振付作品では、バックグラウンドは違えども確実なテクニックをもったダンサーを起用し、僕が与えた複雑なムーブメントをそれぞれのダンサーはこなし、尚かつ自分のものにしていく、そして自分も方向性の違うダンサーがそれぞれ提示してくる身体の関係性で、ほとんどの作品を創っていました。そして活動の場をニューヨークに移動して以降、多くのダンス作品を見たり、ダウンタウンの(主に実験的なダンスを中心にした)コミュニティに接したり、また大学で教鞭を取るなどの経験から、身体の状態を見るという行為の重要度が必然的に自分の中で強くなっていきました。
確かに、テクニック至上主義のダンスカンパニーの公演では、ダンサーの身体も美しくバランスもよく、テクニックも申し分なく、ましてダンスすることの喜びを分かち合うことができ、そのようなダンスには素晴らしいものがあります。そして日本にもコンクールなどありますが、アメリカにも例えば、“so you think you can dance”という、ダンサーがテクニックを競うコンペティションの番組もあります。しかし、一般的に、そういうダンサーのことをコンペティション・ダンサーとこちらでは呼び、舞台芸術とは少し区別されているように思います。そして、欧米の舞踊教育は、大学などで通常のテクニッククラスはもとより、自分の身体を見るためのメソッド、教育も同時に行なわれるのが通常です。僕は個人的に、そのように身体を見る、という感覚をもっているダンサー、振付家との仕事を望みます。もちろん、振付家としては、テクニックとその両方が備わっているダンサーが理想ですが。
一方、そのようななかで振付のダイナミズムって何だろうと考えます。僕も「発する身体」という自分のプロジェクトで、全くダンス経験のない人と一緒に作品を創っています。その時に何故、僕が感動するかといいますと、何らかの踊れるテクニックが身にまとわりついてしまった、またはテクニックに頼り身体に対してごまかしているダンサーよりも、真摯に向き合おうとしている身体性は、その人にしか持ち得ないものを浮かび上がらせ、それを見た時には感動します。振付家としてダイナミズムを感じるのは、もしかしたら、徹底的なテクニックをもつ身体か、もしくは全くダンス経験のない身体か、どちらかなのかもしれませんね。「発する身体」は継続して行なっていきたいです。
「吾妻橋ダンスクロッシング」はチャンスがなく、まだ一度も見たことがありません。2000年始めは、お笑いや一芸的な風潮とともにそのようなダンスが多く生まれたようです。ダンスに対する刺激の伝達としては良かったとは思いますが、現状はどうなのでしょうか? 先程も、言いましたように、それぞれのパフォーマー、振付家が、ある必然を持って、自分の身体と向き合ったゆえの踊らないダンスは十分認めますが、軽率に、テクニックを用いて踊らなくてもよい、という風潮を伝えるだけになってしまうのだとしたら、とんでもなく間違っています。
Q2.
Body Arts Laboratory Interview vol.1(インタビュアー:手塚夏子)の中で『いまの広太さんにとって「ダンス」とは何でしょうか?目に見えるムーブメント、動きをダンスと考えますか?』という質問に、『イヴァナ・ミュラーのある作品では、ダンサーが“I imagine”などの言葉を喋り、ほとんど動かない。その言葉と、動かないフォルムを纏う身体が、物語を語るんですよ。動かないことで、身体をどのように見せるかという意味では、ピチェ・クランチェンと一緒にやったジェローム・ベルにも同じ志向を感じますね。』とお答えになっています。私もつい先日、ジェローム・ベル Jérôme Belの作品を観ました。公募で集めた人たちを舞台に上げ、作り出す作品には「ダンスとは何か」という問いを投げられたと共に教えてくれた作品であったように思いました。彼の作品は山崎さんも述べられていたように「動かない」ことが多く、最初は観客側も不安漂う空気に包まれているのですが、だんだんとその「動かない」が一つのテクニックに近いようなものとなるようで、観客はその状態を楽しむように変化していったように思いました。実際に私もそうなっていました。
そのインタビューの続きで『僕はムーブメントを中心に作品を作っていきますが、そこにいるだけ、存在するだけでダンスになることがあると思います。』とお答えになっています。この問題について、テクニックの観点からお聞かせください。動かないダンス、存在するだけでダンスになるような場合でも、ダンサーはなんらかの系統だった練習を積んだテクニックの持ち主である必要があるのでしょうか。それとも、そのようなダンスの場合には、ダンサーは素人であってもよいのでしょうか。
A.
僕にとって舞踏の稽古に理想の場所は地下鉄の中です。人々が電車に乗っている状況で、自分自身の中にインテンスで気が狂うようなシチュエーションを作り出し、それを誰にも気づかれないように稽古することです。ダンスにとってサトル(微細)な動き、ただそこに居ることがダンスの究極だと考える故の僕個人にとっての稽古方法です。
そして動かないダンスに対しては、ジェローム・ベル初め、多くの振付家によって、それぞれ考えが違うと思います。ボリス・シャルマッツ Boris Charmatやマギー・マランなど[*1]。
もっとも祝祭性のないダンスの究極として、または無名性のダンスとして、20代の頃からやっている僕の地下鉄稽古のシチュエーションを実際路上で行なう、invisible site specific(渋谷の待ち合わせ場所などで、パフォーマーは佇むだけ。誰が、パフォーマーで誰が普通に人を待っているのか一切わからない野外パフォーマンス企画)をWWFesの企画でやりました[*2]。このようなシチュエーションではダンサーも素人の人も一見変わらないと思いますが、ダンサーは人前で自分の身体を晒すということ、また自分の身体と向き合うということにおいて歴史、蓄積があります。時間をかけて取り組んできていますから、何か身体の余裕のようなものがあるのではないでしょうか? 常に自分の身体を客観視できるような。このことは、ダンスを人前で踊る行為にとって、とても重要なことを含んでいると思います。これを身体表現者としてのテクニックと呼んでよいのかもしれませんし。一方で、以前、舞踏家と一般の美大生を地下鉄に佇ませるシチュエーションを試したことがありました。そこで、その舞踏家が大変素晴らしい踊り手であったとしても、訓練され研かれた身体より、ある意味、無防備に客体化された身体の方が時として存在が浮き彫りになるという面白い現象を見ることができました。しかし、実験としては面白いですが、踊りという事を考える上でこれがどのような意味をもつかというのは、また別の議論だと思っています。
Q3.
山崎さんはクラシックバレエと舞踏を両方学んでおられます。舞踏はクラシックを完全に否定して逆転したようなテクニック(まっすぐではなく歪む、上ではなく下に)であると言えます。ご自身でも「バレエと舞踏は全く基本が異なるものなんですが、その両方をやったことが僕の特徴になっていますね。」と語られていますが、この真逆のテクニックを同時に体に宿らせることがどういうことなのかお聞かせ下さい。また、これらを両方身につけようと思った動機についても教えていただけますか?
A.
そのころ僕は何か社会に対して、管理下におかれる身体の抑圧などから生まれる衝動としての舞踏をしていました。そして感情のままに踊ることと同時に、もっと客観的に自分の身体を見つめないといけないのではないかと思うようになりました。その一番良い手段はバレエだろうと思い、クラスを受け始めました。その頃、僕の舞踏に対する考えは、舞踏の世界にどっぷり浸かりながら、如何に舞踏から遠ざかるかを目的としており、それが舞踏を拡張するという意味でいいのではないかと思っていました。しかし以前、土方さんを前に、バレエのグランアントルナンをした時があって、それはかなり反省しています。ま〜年取れば、自ずから舞踏ができるだろうと楽観的に思っていて、やっとこの年になって舞踏が近づいてきた印象です。
まさに舞踏とバレエのテクニックは真逆ですね。ただ、真逆のものを習得しようとしたという意識は全くなく、当時は、舞踏といっても自分の中に様式があるわけではなく、身体をさらけ出していく方向の踊りをしていたので。結果的にその蓄積は自分の踊りに反映されていくわけですが。ダンスでもっとも影響されたのは、故井上博文先生です。(財)井上バレエ団の創始者ですが、バレエと同時に日本舞踊とフラメンコを強制的に生徒さん達に習わせました。僕は、まったくできずに怒られ、長い時間正座させられたりしました。単純にダンスのボキャブラリーを増やすということではなく、身体を定型一辺倒にはめるのではなく、様々な踊りに露呈させる重要性を、井上先生は知っていたのではないでしょうか? そこには、ダンスの本質的なことが隠されていると思います。土方さんにしろ、森下洋子さんを振付けすることが夢だったようなことも聞いたことがあります。