Body Arts Laboratoryreport

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山崎成美
《二頭の⻩色い泉》2015
Photo: Shu Nakagawa

※以下すべて筆者作品

素材と身体の結びつきの積み重ねである制作プロセスの中で、得た経験について書きたい。モノと身ぶりが繋がることにより、非現実の環境はやってくる。

はじまり

画面に向かって何を描いたらいいか分からなくなった時期があった。そんなときは大抵、明日死ぬなら何を描いておきたいか考えるようにしている。この時は馬だった。実物大で馬を描いたりしたが、どうもしっくりこない。描写力にも問題があったのだろうが、何か、馬そのものに遭遇したような体験が欲しい。紙に馬を描かなくても、紙の断片に馬の気配を感じるような、そんな表現ができないか考えるようになった。

作ること、真似すること

羊皮紙をヒントに、まず馬の形を実物大で作った。クラフト紙を使い、牧場で触った馬の体の感触を思い出しつつ、掴んで確かめるように、撫でるように実物大で作っていく。腹の膨らみや胸幅、巨大な臀部を触りながら形を整えていく作業は、どこか馬体の手入れをしているような感覚を呼び起こした。作った紙の馬は不格好ではあったが、描くことでは満たされなかった充実感を与えてくれた。

《四つ足》2011
紙、麻紐、ハトメ、リング

馬に触れた経験があったから充実感を感じたのだろう。興味深いのは、馬に触りたいという願望を、代替行為により達成し、馬との身体の記憶を喚起されたというだけではなく、制作過程における紙の馬との身体のやりとりが、馬の手入れの経験と混じりあい、“紙の馬”をリアルに手入れしたような感覚が生じたことである。単に紙で馬の形をなぞっただけだというのに。

紙の馬が完成した後、革の出来るプロセスをなぞり解体していった。逆さにして吊るし、実物だったら血が出るだろうと、穴の空いた箇所や切り開いた部分に、色水やニスを垂らしていった。膠水もたっぷり塗布した。足を切り離して腹を開き、平たい紙に戻してみると、色水やニスが流れた跡が画面を貫く線になった。それから表面を均一にするためにヤスリがけを行った。紙に出来たシワやシミ、凹みや線を手掛かりに、模様を見出し、色を加え、具体的な馬の表面らしきものにしていった。シワは、紙の馬の血管で、筋は腱、シワの間は筋肉や艶のある肌に思えた。そして紙の断片の中に、黒やブチの馬が生まれた。

解体していくこと、描くこと、生き返ること

こうしたアプローチは、羊皮紙を注意深く眺めると見える毛穴や筋の跡にヒントを得、馬としての形がなくなり、次第に断片化していく紙に、紙の馬であったことの痕跡を残すために始めたことだった。一枚の紙が目の前にあり、その上に馬を描いていくのではなく、手にしている紙が既に馬の一部であるようなこと。断片となった紙に、既に線や徴が在るように作るべく、紙の馬の解体プロセスに「描くこと」を重ね合わせた。

実際にやってみると予想外の経験をすることになった。血の代わりに色付きの水を流し紙が潤うことは、命に水を与えることのようであったし、ゼラチンが含まれている膠水や墨を塗ることは、肉を元の体に還元するように感じた。宗教じみていることは自覚していたが、描くことと、肉体が生成されることが重なるようで興奮したことを覚えている。それは、実際の馬と接触した経験、紙の馬の制作と屠畜を模倣した解体を行ったこと、そして「描く」ことが重なり合うことによってもたらされた興奮だった。

《Hands》2012
紙、染料、ニス、
墨、でんぷん糊
400×530×22mm
Photo: Shu Nakagawa

《クララ》2013
紙、墨、染料、
油絵具、膠
656×535×130mm
Photo: Shu Nakagawa

モノと身ぶりから生まれる非現実の環境

最初はヨレヨレで個性のなかった紙の馬は、断片になりつつも、そのプロセスの中で個別な存在へと高まっていった。紙の馬は、私にとってリアルな生き物のような存在となり、その断片がつなぎ合わされ形を変えても、彼らが見え隠れしてみえる。

紙の馬という非現実が、自身の身ぶりによって次第に現実になっていく。そして彼らの断片を目にする度に、非現実は毎回現実として認識しなおされる。

人間が、求める環境を身に纏うために、別世界へのインターフェースとなる造形物を作り出す。その造形物を使って何らかの行為を行うこと。これは人間の創造的行為の一つであり、歴史の中に似たような例を多く見つけることができる。例えば、中世の昔に、狼人間であることに取り憑かれた人間が、狼の毛皮を身に纏い、脂を体に塗り、四つん這いで歩き人間に襲い掛かった事件や、神様のための家を作り、食事を捧げ祭事を行うことなど、いくらでも見つけることができる。

大事なことは、モノとパフォーマンスを行うこと。造形物を作り、或いは事物を用いてパフォーマンスを行うことは、外部に実際に非現実の環境を作り出し、視覚化するだけではなく、作った人間の中身も作り変える。モノと身体がつながることにより、非現実の環境は、私たちの身体の中で強く現実的なものとして認識され、現実の環境として見に纏うことを可能とする。求める非現実の環境への入口となるモノに触れることで、いつでもその世界に身を包むことができるようになる。この方法は、人間が自身の身体に入ったままでしか生きられない間は、非現実の環境を身に纏う方法として有効なままだろう。

ただ、誰かにとって非現実の環境を身に纏うことを可能にするモノは、そのモノとつながる経験や知識を持たない者にとっては、中途半端に解釈されるにとどまるか、意味不明な物として扱われるだろう。しかし、理解の及ばない環境の存在をうっすらと漂わせる事物として機能する。隕石のように。

《フチコマ》2013
紙、羊皮紙、ニス、
染料、麻紐
1540×273×204mm
Photo: Shu Nakagawa

《リューバ》2013
紙、木材、ニス、
染料、他
972×484×470mm
Photo: Shu Nakagawa

《Unknown》2013−2014
紙、羊皮紙、麻紐、
染料、油絵具
1290×1160×80mm
Photo: Ken Kato


山崎成美Narumi Yamasaki
造形作家
宮崎県出身、東京都在住。法学部を卒業後、武蔵野美術大学院に入る。並行し、四谷アート・ステュディウムで造形を学ぶ。2017年博士号(造形)取得。博士論文「環境としての作品:パウル・クレーの作品に見る環境の転移/転位について」。主な展覧会に「はじまるよ、びじゅつかん」おかざき乾じろ策(「ここはだれの場所?」東京都現代美術館)、「国際ペーパーフェスティバル」(ラトビア)、「博士後期課程研究発表展」(武蔵野美術大学)、「リューバ——動物を紙に移す」(Gallery Objective Correlative)など。
https://nrmymsk.wixsite.com/narumiyamasaki

*本稿は「Whenever Wherever Festival 2021 Mapping Aroundness——〈らへん〉の地図」オンラインプログラム「らへんのらへん——Around Mapping Aroundness」の一環として発表された。