Body Arts Laboratoryreport

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今朝も二歳児は親がいくら起こしても起きないのに、放っておくと唐突に七時過ぎに起きてきた。「なんかほしい」と言う。親が何か飲むか訊ねると、「なんかのまない、おかしたべたいの」と言って泣きそうな顔をした。これでも今日は比較的機嫌がいいほうで、それは昨夜少し一緒に外を歩いたからかもしれない。パンを食べてそのあとお菓子にしようかと提案したらあっさりと「うん」と言って、えへへ、えへへと笑った。パンを食べてくれた。順調。とはいえ、このあとも保育園に行くまでには越えなければならない関門がいくつかあって、たとえば着替えなのだが、子供はとにかく着替えたくなくて、代わりにスマホでYouTubeを見たいと言い出すから、親はそれは着替えたあとねと伝えるけれど、「いやや」と拒否して押し問答になる。ここは本当に力比べで、どちらが押し通るかは日によって変わり、今日はやはり比較的機嫌が良かったために親に譲ってくれて無事に着替えた。ここで親は子供をひとしきり褒めるのだけれど、それはどうしても打算的というか、思い通りに誘導しようという魂胆が見えるからどうにも尻の座りが悪くて、しかし子供にとってもせっかくがんばったことに褒美がなければやった甲斐がないだろうから、きちんと褒めて遣わす必要はあり、そういう綱引きのなかでなんとなく朝の支度が仕上がっていく。いや、仕上がらないまま出発する日もあるのだが。

先日、来年度から行く予定の幼稚園の手続きに一緒に行って、面接を受けた。面接といっても簡単なもので事務的な説明会を兼ねているのだけれど、ここは丁寧に一組ずつ相手をしてくれるような、効率でものを考えていなさそうな不器用さが端々に垣間見える幼稚園で、それが好ましい。園児用の椅子が三脚、机の前に並べてあって、それは親には小さすぎ、二歳児にはまだ大きかった。エプロン姿の若い先生が、それではテストをします、と言い、お名前は、と子供に訊いた。子供はもともと半分立つように椅子に座っていたのがもう完全にお尻が椅子を離れていて、私の脚にくっついてもじもじとして黙っている。室内にはけっこう大きめの音量で童謡が流れていて、そのときはあわてんぼうのサンタクロースだ、と思っていたら、よく聞いたら「わすれんぼうのサンタクロース」という曲でびっくりして、このことをあとで妻に教えてあげようとか、世の中は知らないことがたくさんあるなあとか、ハロウィンが終わるともうクリスマスソングよねえとか思いながら私は無言で子供の返事を待つ面接官を見ていたのだけれど、どれくらい経ってか、先生がうなずいて、傍の小さな色画用紙を取り出し、サインペンできゅきゅっと子供の名前を書き、合格でーす、来年から待ってるねーと、「にゅうえんきょかしょう」と書かれたカードをくれた。「テスト」に全く答えられなかったことを完全にスルーしたことに驚いて、え、0点なのに? とここで言ったらおもしろいかと思ったけど我慢して、とりあえずアハハと笑って、子供と喜びを分かち合った。子供はまだもじもじしながらもなんだか笑っていて、ちょっとはずかしそうに親の顔を見ていた。ついでにお菓子までもらって、帰り道、「くるまのなかでたべよっか」と言ったり、駐車場に停まっている猫型の幼稚園バスを見て「みてみてねこバスだよ」と指をさしたりして調子を取り戻していた。

公園のベンチに座ってそんなことを思い出していた。11月、近所の焼き鳥屋で早めの昼ごはんを食べたあとで、天気はよく、日が当たると暖かい。このベンチはなぜか足元の土がすりへって窪んでいて、深く腰掛けると私の身長だとギリギリ足が浮く。だから人気がなくて気兼ねなく座っていられる。平日の半分は小さな手提げに本を数冊と原稿用紙とコピー用紙を入れ、サインペンを一本持って出かける。私は精神科医なのだけれど、今はうつ病を患ったためにこれくらい暇をもらっている。この公園は昼休みの時間になると周辺の働き者たちが左右に通り過ぎて各々お昼をとりに行き交うパブリックな広場になり、夕方になると別の働き者たちが犬を連れてすれ違うルートになる。私は緑のパンツにグレーの千鳥格子のカーディガンを着て黄色のニット帽を被って座っている。向こうの通りをたまにバスが通って、紺の短いジョグパンツに薄黄色のTシャツの女性がバスに乗ろうと走っていて、私はさすがに11月にその格好は寒くないかなと思ったのだけれど、まあすごく暑がりな人なのかもしれないと思って見ていた。そうしたら突然背後でがさがさっと音がして、振り返ろうとしたらもう左の視界の端に妙齢のおばさまが立っていてびくっとした。草を分ける足音で驚いた瞬間にすでに視界に侵入されていたことでさらに驚いたかたちで、こういうのが一番こわい。おばさまは臙脂色のブルゾンを着て、木を見ていた。そのあとも木を見に歩いていったので、木を見に来た人なのだと思った。

幼稚園の頃、寒くなるとやってくる石焼き芋屋さんが大好きで、荷台に何でできているのかわからないかまどをつけたリヤカーからチャルメラに乗せたおじさんの声が聞こえると、やきいも来たよ、と母親に言って、運がよければ買いに行けた。母は値段が高いとか、あのおじさんは東北出身だと思うとか言うついでに、このおじさんは冬だけ来るのだと私に教えてくれ、じゃあなおさら大事な人じゃんと当時の私は思ったのだが、とりあえずおじさんは紺のジャンパーを着てニット帽を被り、上の歯が一本抜けていた。新聞紙をきれいに折って作った袋に焼き芋を入れて渡してくれた。皮は硬いからむいて、中の黄色いところを食べた。家で友達とストⅡをしていても、焼き芋屋さんの声が聞こえると中断して買いに行こうと言った。もしかしたら幼稚園で遊んでいるときでもあの声が聞こえたら、あ、と思っていたかもしれない。冬になるとあの声がやってくるのだ。

幼稚園の園庭が小さく感じた記憶。あれは何歳のことだったか。小学生になってから一度幼稚園にお呼ばれするイベントがあって、そのときかもしれない。こんなに小さかったのかと思った。園児にとって園庭は自分の体のようなもので、目をつぶっても砂場のへり、ブランコの柵、雲梯、二股にわかれた木、手洗い場の場所がわかった。記憶というのは常に欠けがあるもので、たとえばブランコの色を訊かれても答えられないし、登り棒の数も思い出せないけれど、しかし想起しているそのあいだ私自身はそのような穴だらけの記憶に欠落を感じない。高次機能障害に半側空間無視という症状があって、視野の片側半分がまるまる無いこととして認識されてしまい、たとえば紙に横棒を書いて示し、真ん中に印をつけてみてくださいとお願いすると、左側を無視する患者さんならば右側四分の一くらいの場所に印をつける。はじめから左半分が無いことになっているので、残りの右半分だけで認識しているということなのだが、本人は全く違和感がなくて、まさしく直線の真ん中に印をつけていると感じている。また、記憶の最も直接的な現れは夢だろう。夢というのはその体験がそのときの全てであり、たとえば空を飛んでいたとして、そのときにどんな服を着ていたのか、もしくは着ていなかったのかといったことは夢の埒外というか、そんなのは夢に出てきていないのだからそもそも正解がなく、体験していないものは端的に存在しない。記憶もそういう側面があって、というか記憶というのは夢の材料なのであるから当然なのだけれど、記憶というのはそれ自体で充足している全体であって、無いものはない、つまり欠落がない。何かを想起するとき、私は、半側空間無視と同様に、体験されないものを失認している。あなたがその登り棒を初めててっぺんまで登れたとき、どんな色の靴下を履いていたの? そう訊かれたとき、私の記憶には答えがない、というよりも、私の記憶においてそのような問いが成り立たない、そのときの靴下は端的に存在しない。事実との対応関係が成立しない世界が私の記憶である。それは記憶がそれ自体でひとつの全体を成しているということで、私は何かを想起するたびにそのような全体を構成している。

しかし、でも靴下は履いていたわけじゃない? とか、むしろ登り棒のときって靴下脱いでなかった? とか、そういう予期せぬというか想起されざるものが十全たる世界に侵入することは普通にあって、ごく普通に人間が覚醒しているとか意識的であるということは、自足している想起の世界を、最新の現実世界の情報に更新することなのだ。あるものは全てあるし、ないものはまったくない、そういう世界に、別のものが入り込むことで世界が更新される。パズルのピースがひとつあるとして、赤ちゃんはきっとそれ自体の造形を嗜むだろう。そこに隣り合うピースが現れれば、いつか赤ちゃんはそれがこのピースと相補的に連結することを知る。それはパズルのピースのあの不思議な形状が一種の欠落でもあったということの発見で、ものの見方の枠組みが外から破られて更新されることである。たとえば『菅原伝授手習鑑』の「車引」を歌舞伎で見れば、梅王丸と桜丸が憎き時平の車を襲って止めると、舞台上手から松王丸の声がかかる。声だけである。その声は外部から轟いて梅王丸と桜丸を我に返らせる。そして「待てエ、待ちやがれエ」という低音が劇場に響くとき、観客の意識はそれまでの舞台上の錦絵のような宇宙から、劇場空間という自らの身体的な居場所へと更新される。水を打ったような客席の沈黙の中に身の毛が逆立つような興奮のざわめきが生まれつつあることを感じ、壁が、天井が、迫ってくるような、あれ、歌舞伎座ってこんなに小さかったっけか? と呆気にとられたりする。そんな、宇宙の背景が震えるような、世界の地平が破れるような、そういうことが、実は、日常的に起こっている。

私の背後から現れた臙脂色のおばさまは、松王丸のように、私の充溢したぼんやり感をぶち破ってそこにいて、私は(うわああ)と声が出かけたのだけれど、公園に木を見に来ただけのおばさまに驚いて叫ぶなんて常軌を逸しているので我慢する。おばさまはなんともなく行ってしまう。おばさまは松王丸なのかというとそうではなくて、ただ木を見に歩いてきただけで、木があるなあと歩いてきたらそれが私の世界の地平をぶち破って乗り越えてしまったということに過ぎない。そういうのが普通の生活である。満ち足りた想起の世界はとても小さく、そんな世界の地平を神話のように破る現実の偶然もまたとても小さい。

公園の近くにある老夫婦のパン屋がなくなってもう一年近くになる。子供が歩きはじめた頃はまだ彼女たちは健在だったけれど、ある日「体調不良のため」と張り紙が貼られ、それから開くことはなかった。今は建物も壊され、大人が二人軽く両手を広げたくらいの間口の、小さな空き地になっている。ちょうど中央に背の高い草が生えていたので写真を撮った。こういうことはあっというまに起こる。あ、と言うときにはとっくに終わっている。いや実際にはきっと前兆があり予兆があり、持病があって予想もできていたかもしれず、そしていざ「体調不良」を身に受ける段になれば、その体験は時間の進みを一層遅くし、長く長く、ああという嘆息が、何度も何度も漏らされただろう。しかしそんな冷えかけた溶岩のような粘稠な時間も、今となっては私たちが目一杯想起する精々ああという一息の中にしかなく、やはりこういうことはあっというまに終わっている。

世界の地平が破れるような驚きが実は日常のあらゆるところに転がっていておもしろい、ということが言いたいのではなくて、本当は、生活というものが、そのような大きな出来事を、小さく小さく、ミニチュアにして日常に包み込んでいて、気がつかないように加工している。その小ささ。え、そんなに小さくできちゃうの、というつまらなさこそがおもしろい。そのようにして私たちは生きる。そのようにしてしか私たちは生きられない。普通の生活は、濃く充ち足りた世界を、いつのまにかスカスカの、スキだらけの、余白に開かれた世界に変えている。詰まらないから、さらさらと流れていく。間抜けこそが普通で、流れこそが生活である。つまらない、まぬけな日常。こんな一種の常套句で表すような普通の生活を、文字通り、マジでつまんないじゃん、と思わないままに、普通の生活はおもしろい、普通の生活は素晴らしい、普通の生活は崇高だと語ることの怠惰と言ったらないのだけれど、そんな大罪すらも、凡庸、という言葉でつまらない普通さへと回収してしまう強さが普通の生活にはある。

このように、普通の生活について語るには最低でもふた手間はかかる。


増茂悠人Yuto Masumo
1987年東京生まれ。精神科医。地方都市在住。友人の国語教師と「読みながら考える」というPodcastで読んだ本について話しあう配信をしながら、自分のうつ病や子育てについてブログを書いている。趣味は読書と歌舞伎鑑賞と料理。この調子で暮らしていきたい。
Twitter: yutomsm。Note: ytmsm

*本稿は、Whenever Wherever Festival 2023のオンラインプログラム「もうひとつの〈ら線〉でそっとつないでみる」の一環として発表されるものである。