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捩子ぴじん氏のインタビューを交えて

山崎広太さんから、「新人振付家育成のためのスタジオシリーズ」[*1]のキュレーションの依頼を受けて、捩子ぴじんさんを推薦しました。彼を推薦した理由は、この機会に、思いきった実験的試みに挑んで、新しい振付けの可能性や「ダンスとは何か」という問いを含んだ、ジャンルの境界ギリギリで作品を創作してくれると思ったからです。ダンスの環境にとって、そのような問い無しに新しい可能性を切り開くことはできないと考えます。また、私がキュレーターであることを最大限生かした選択ができたと自負しています。ただ、彼自身まだ若く、作品づくりのキャリア不足という問題は感じました。つまり、自分自身の根っこを掘り下げる作業よりも様々な人からの影響をダイレクトに作品に反映させていて、ときどき盲目的になるように感じました。またダンサーとのやりとりは、基本的な人間関係に成長がないと難しい、という意味で、年相応に難しかったと思います。彼が今後自身の掘り下げを丁寧に行ないながら、ダンサーとのより良いコミュニケーションを身につけ、さらに強い作品づくりに挑んでくれれば、長い目で見て、今回の機会が生かされることになると感じます。

キュレーションの仕事で私が心がけたことは、彼が何に向かおうとしているか、つまり欲求の根源的な物事を明確にしていけるように、できるだけ対話やメールのやりとりをしたことです。最後の段階で、作家がよく陥るような軽い混乱が彼自身にもあって、様々な問いを投げたり、私が見ていて重要と思うポイントを示したり、重要と思うことでも、それを他者が見て可視化できるように、よりクッキリと作品に反映させるためにどのようなテクニックが必要かという示唆を与えたり、そういったやりとりは多々ありました。そのやりとりがあったことは、結果的に大きかったと思います。

広太さんが私と厚木凡人さんをキュレーターに選んで下さったということが、この企画にとってすばらしく切れ味の良いデザインになっていると思います。つまり時代背景や創作哲学の全く違う2人をキュレーターに選んだことによって、結果的にとてもギャップのある作品が上演されたので、そのコントラストから様々な問いを与えることができたからです。また、捩子氏にとって、アーキタンツという場が、とてもギャップのある場であったことも、そのコントラストから様々なことを考えさせられます。こういったギャップがどこまで計算されていたかは別として、結果的にとても有効な問いを与える企画となり得たと思っています。ただ、残念なのは、そういった問いを前向きに議論する場とはならなかったことで、そのための工夫は少し必要だと思います。また、キュレーターには、今回のようにギャップのある人が選ばれることを今後も望みます。そういった試みが実際に環境に響くまでには少し時間がかかると思いますが、そこをどれだけ根気良く継続できるかが、本プログラムの要であるように思っています。以下に、捩子氏との対話を少し抜粋して記しました。この全文を通して報告にかえさせていただきたく思います。

スタジオシリーズ公演


インタビュー Part 1|作品について

手塚夏子 まずはアーキタンツで上演された作品の話をしたいと思います。なぜ、ああいった形の作品になっていったのですか?

捩子ぴじん 怖いものやお化けが好きというのがあって、ある一人の人にしか見えないんだけれど、その人は怖がっていて、他の人は何を見ているか想像するしかない、みたいなことって、何かゾクゾクしますよね。そういうのがやってみたかった。で、なんかちょっと怖くなったら楽しいなって思って。

手塚 怖いのがやりたかったんですか?

捩子 そうですね。そういったことを、何かを「思い出して」話すというとっかかりを元にやってみようと思いました。例えば、今日食べて来たお昼ご飯の話を何人かの人にして、他の人はそのお昼ご飯の中身を想像して、ふーん、とか言うところからはじめて、話し続けていたら、結果的に、なんか身の回りにないものとか、お化けの話をしていた……みたいなことになったら、ちょっと面白いな、と。その人にしか分からないものをどうやって他の人が想像するか。そういうふうに発展していけたらいいのではないかと。

手塚 作品づくりに先立って、メールのやりとりをしていましたよね。私が最初に稽古を見に行った時、そのメールのやりとりを元に何か、パフォーマーにやらせていたと思うのだけれど。

捩子 他の人について聞いてみたい質問を考えて、自分もその質問に答える、というようなことをしていました。たとえば、「子どもの頃、一番記憶に残っているものは何ですか?」とか。

手塚 それぞれが、全員に別々の質問をしたのですか?

捩子 そうですね。

手塚 なんか、その過程が面白いと思ったんです。パフォーマー一人が前に出て喋ってる時にも、見ている人にはその話していることを書き留めたりしてもらっていましたよね。

捩子 そうですね。その書き留めたものを元に、自分がその人になったと仮定して見える物事について喋ったりしました。あと、そういった質問のひとつで、子ども時代に、一番印象に残っている人について話してくれというのをやりました。次に、その人について話しながら、思い出している情景があるんだけれども、その時に今自分が話している相手の目線から見た自分のことを、相手だと思って説明してくれ、って。次に単純に、場所が変わったと思って、その人にならなくてもいいから、そこの場所から自分を見て、自分の着ている服とか、食べているものとか、髪型とか、そういうものについて説明してくれと言いました。そのあとで、そこと、今いる時空間の間を意識が行ったり来たりしてる状態のまま話をしてくれ、というふうに展開していきました。そういう目線の移動みたいなものを面白がっていて、それはもしかしたら岡田利規さんの仕事に近い部分もあるかもしれませんね。

手塚 確かに、そういった意識の動きというのは面白いですね。身体と意識という問題に接触すると思います。そういったことを、どれだけ人の影響としてやっているのか、あるいは個人的な興味が自然と近い部分にいったのかもしれませんが、人はそれらの区別はできないものだし、なるたけ冷静に自覚的でいることは必要だとは思います。それはそれとして、そういうことをさせた時、何を求めていましたか?

捩子 一つの体の中に、その人じゃない複数の声が聞こえてきたら面白いなあと思いました。

手塚 なるほど、それは怖くて面白いですね。人のアイデンティティーに関する問いともなりえますね。

インタビュー Part 2|スタジオシリーズの環境について

捩子 スタジオシリーズ企画の広太さんのプレゼン映像を見て、すごく面白くて、これは何か参加したいなと。それで、企画に見合った内容で、スタジオを存分に使ってやろうと思っていたんだけれど、やっていくうちに自分のやりたいことが強く出てきてしまって、最終的にどういう企画であるかというより作品そのものに気持ちを投入していってしまった感じです。
また、スタジオアーキタンツで、ダンス作品をつくるという意気込みがあって、「ダンス」として説明できるものでなければダメだとも思っていました。「なんでもいい」ということでとりあえずやって、なんかダンスって呼んでもいいんじゃないですか?というものだと、ちょっとダメだと考えていたんです。でもどんどん、作品づくりにのめり込んでいって、最終的にはよく分からなくなったんです。僕なりに「ダンス」だというラインと、やっていることの距離をずっと量りながらつくっていたんですけれど。

手塚 私も似たような経験があります。しかし、そういったことは、むしろ自分の領域を凌駕する瞬間には起きるべきことだと思っています。目眩がするほど分からない場所に行ってしまうというようなことは、望んで得られるものではないし、そこに行ったということは、アーティストとしてかなり価値のあることですよね。

捩子 ただ、そうすると、スタジオをできるだけ使ってという条件が逆に足かせに感じることにもなってしまった。けれども、こういうかたちで企画を与えていただけることで、逆に自分のモチベーションを高められ、また作業のスタイルとして、どういうタイプの作家なのかということにも気づかされ、とても感謝しています。

手塚 では、どういう環境だったらスタジオをもっと利用できたと思いますか?

捩子 単純に、自分の住居に近いかどうかということと、雰囲気として自分がやっている作業のスタイルと矛盾しない場というのはあるかもしれません。アーキタンツは、バレエを基礎としたスタイルのコンテンポラリーダンスが展開している場所なので、そういうものをつくらなければいけないような錯覚というか、プレッシャーみたいなものを勝手に感じてしまい、少し胃が痛くなるような感じがしました。気が弱い人間なもので……。

手塚 そうですね、確かに、捩子さんのスタイルの作品は、このスタジオとはかなりギャップがあったと思います。けれども、私はこの公演で、そのギャップをとても面白いものとして見ました。つまりコントラストがすごくクッキリして、そのことで見えてくる「問い」というものがあった。お客さんの層も、捩子さんの作品とは全く異なるものを見るタイプのお客さん(バレエや、モダンダンスや、バレエベースのコンテンポラリーダンスなどの)が多かったように思え、そのギャップもとても良かった。また、厚木凡人さんのキュレーションだったので、もう一人の振付家の福沢里絵さんと、作品に物凄くギャップがあった。これらのギャップは、様々な問いを投げかけるし、考えさせられることなので、とてもクリエイティブだと思います。
ただ、残念なのは、それらのギャップについて、もう少し前向きに面白い議論がたくさん起こっても良かったのではないかということです。現場では捩子さんの作品について、多少感情的に、嫌悪感や違和感をぶつけられて終わってしまったように見えました。それらも自然なことではあるかもしれませんが、少し工夫をすれば、そこからでも面白い議論に展開させることはできたのではないか、と思います。

[てづか・なつこ|振付家・ダンサー、本企画キュレーター]

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