ロバート・スミッソンをめぐる三つの旅|3
Text|三輪健仁
第三の旅 デス・ヴァレー
2021年12月、私はカリフォルニア州、デス・ヴァレー国立公園の南部を走るルート127号を、リッグスからシルヴァー・レイクまでたどる旅の途上にいた。コロナ禍で海外への渡航が困難になって久しいなか、Googleマップを駆使したヴァーチャル・トリップである。2017年に「第二の旅」での文章「ノンサイト——デス・ヴァレー」を書く際にも行ったことなのだが、その時は近いうちにリアルにこのサイトへ赴いてみようという気持ちがあり、ヴァーチャルな経験から得られたのは「ああ、本当に見渡す限り何もない典型的なアメリカの風景だな」とか、「おそらくは1969年からほとんど変化していないのだろうな」くらいの素朴な印象でしかなかった。これは、明らかに「作品」として存在する《スパイラル・ジェッティ》へヴァーチャルに旅するのとは違っている。ルート127号を走ってみても、スミッソンが制作した「作品」は存在しない。そこは作品のマテリアルを採集した場所である(でしかない)。
リッグスからシルヴァー・レイクまでの距離はおよそ8.7マイル(14キロ)、スミッソンの行程をなぞるように、ほとんど変化のない光景に退屈しながら、カチカチとマウスをクリックし、Googleマップ上のルート127号を南下した。そして2017年と同様、残念ながらこれといった感慨もないまま終着地点のシルヴァー・レイク近くまで来た時、数年前の旅では気づかなかった光景をふと「発見」した。道の左側に目をやると、そこには、《スナップ・ショットの註》の最下段、右から二番目の写真に収まった、白亜の採集地によく似た光景があったのだ。厳密に同じ場所かは特定できない。そこに写る鉱物が白亜であると断定はできない。けれどリッグスまで戻り、窓外を注意深く観察しながら南下を繰り返してみても、そのようなエリアはそこ一か所だけだった。私は軽い興奮を覚えながら、(スミッソンの言葉に倣えば)その「地味な風景(low profile landscapes)」、あるいは崩壊のただ中に見える「エントロピックな風景(an entropic landscape)」をキャプチャ=収容した。さらに車からヘリコプターに乗り換えるように視点を空中高くに移動させて地面を眺めると、白亜のエリアのすぐ横に、人工的に区切られた矩形を発見した。その矩形の中にはさらに小さな矩形がいくつも並んでいる。地図上に示された文字は「シルヴァー・レイク墓地(Silver Lake Cemetery)」。小さな矩形は石によってフレーミングされた個々の墓であった。物質を収容することに深く関わる容器=墓が、ここにもまた存在している。
スミッソンによってスティール製の容器に収容された白亜、地図に貼り付けられた写真に収容された白亜、そして別の系列の写真群《スナップ・ショットの註》に収容された白亜…。モニターに映るGoogleストリート・ヴューの一コマをキャプチャすることで、私はスミッソンとは別の形で白亜を採集し、別の容器へと収容しかけているのだろうか? あるいは、スミッソンが白亜を採集した地をヴァーチャルに訪れた私の旅は、「ノンサイト」のスティール製容器に収容することで分化された(differentiated)白亜を、「サイト」へと送り返すことによって脱分化(de-differentiation)を促しているのだろうか? そうすることで《ノンサイト——デス・ヴァレー》の「マルティプル」な可能性の一端にわずかにでも触れかけたのだろうか? あるいはそうではなくて、これは無邪気なスミッソン・フォロワーによる、ヴァーチャルな聖地巡礼だったのかもしれない。
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締めくくりに、ノンサイトに関するスミッソンの以下の一節をもう一度引用することで、三つの旅は断片化しながら、私が2019年に赴いた石川県加賀市柴山潟への旅、そしてさらには1968年、スミッソンが妻のナンシー・ホルト、ヴァージニア・ドワン、ダン・グラハムと赴いたペンシルベニア州のバンゴール・ペン・アージルにある粘板岩(スレート)採石場への旅につながっていくだろう。
しかし芸術が芸術である以上、それは境界=限界を持つはずだ。どうすればこの「海洋的な」サイトを収容できるのだろうか? 私はノンサイトを創った。それはサイトの崩壊を物理的な方法で収容する。この容器はある意味で断片そのものであり、三次元の地図と呼ぶことができるだろう。「ゲシュタルト」や「反形式」などに訴えずとも、ノンサイトは実際に、よりはなはだしい断片化の断片として存在する。それは自らの収容の払底を収容しつつ、全体から切り離された、三次元の〈眺望(パースペクティヴ)〉である。その名残に謎などなく、終わりや始まりの痕跡もない。
三輪健仁|Kenjin Miwa
東京国立近代美術館主任研究員
主な企画(共同キュレーション含む) に「ゴードン・マッタ゠クラーク展」(2018年)、「Re: play 1972/2015―『映像表現 ’72』展、再演」(2015年)、「14 の夕べ」(2012年)など(いずれも東京国立近代美術館)。執筆に「ノンサイト―デス・ヴァレー」『ロバート・スミッソンの作品一覧|「プラスティック展」(1965年)から「ノンサイト展」(1969年)まで』(東京国立近代美術館、2017年)など。
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*本稿は「Whenever Wherever Festival 2021 Mapping Aroundness——〈らへん〉の地図」オンラインプログラム「らへんのらへん——Around Mapping Aroundness」の一環として発表された。