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第二の旅 東京

私のニューヨークへの旅から数か月後の2014年秋、今度は作品のほうがニューヨークを旅立ち、日本へと到着した。そして厳正なる審査をいくつか通過して、この年のうちに作品《ノンサイト(デス・ヴァレー南、ルート127号上、リッグスとシルヴァー・レイクの間で採取された白亜)》(以下、《ノンサイト——デス・ヴァレー》)は、ついに私の勤務する美術館に収蔵されることになった。


ロバート・スミッソン(1938-1973)
《ノンサイト(デス・ヴァレー南、ルート127号上、リッグスとシルヴァー・レイクの間で採取された白亜)》1968年
彩色されたスティール製容器、白亜; グラファイト、ゼラチン・シルバー・ プリント、地図
容器:10.16×92.71×29.21cm;
地図:51.7×43.1cm
東京国立近代美術館所蔵


1968年、スミッソンは〈ノンサイト〉作品のもくろみ、およびその鑑賞経験を「旅=移動」という観点から以下のように説明している。

《ノン・サイト(室内アースワーク)》は、3次元の論理的像(ピクチャー)であり、それは抽象的である、しかしそれは現実のN.J.のサイト(パインバレン平原)を表象(リプレゼント)する。あるサイトがそれと似ていないもう一つのサイトを再現できる——それ故、ノン・サイトなのだ——のは、この3次元のメタファーによってである。このサイトの言語を理解するということは、シンタックスの構成体と、観念の複合体の間のメタファーを、前者を絵画(ピクチャー)のようには見えない3次元の像(ピクチャー)として機能させつつ、理解するということである。「表出的アート」は論理の問題を避ける。それ故、それは本当の意味では抽象ではない。論理的な直観が、自然的、現実主義的表出内容なしに、完全に「新たなメタファーの感覚」において現れ出ることができるのだ。パインバレンにおける〈実際のサイト〉と、〈ノン・サイト〉それ自体の間には、メタフォリックな意味作用の空間が存在する。この空間の「旅行」が、広大なメタファーであるということかもしれない。二つのサイトの間に存在するすべてが、自然な意味と現実主義的な想定を欠いた、物理的でメタフォリカルな素材となり得るだろう。〈ノン・サイト〉のサイトへ行こうとすると、人は架空の旅行へ出かけることになると仮定してみよう。この「旅行」は発明され、創案された人為的なものとなる、それ故、それは〈ノン・サイト〉からサイトへのノン・トリップ(非旅行)と呼べるかもしれない。(ロバート・スミッソン「ノンサイトの暫定的理論」[Robert Smithson, “A Provisional Theory of Non-Sites,” in Jack Flam ed., Robert Smithson: The Collected Writings (Berkeley: University of California Press, 1996), p.364.])翻訳は、小西信之「ロバート・スミッソン:結晶構造からノン・サイトへ」『愛知県立芸術大学紀要』No.49、2020年、81-82頁。

ここで重要なのは、物理的なサイトの断片(《ノンサイト——デス・ヴァレー》の場合は白亜)が屋外から屋内へと移動し、容器に収容されること、ノンサイトとは「抽象」であること、そして鑑賞者のノンサイトからサイトへの旅=移動はメタファーであり、架空である、とされていることだ。美術館という屋内に留まりながら為される、ノンサイトとサイトの間での旅とはどのような様態の移動だろうか。以下は、2017年にコレクション展内で《ノンサイト——デス・ヴァレー》を展示した際に制作した印刷物へ寄せたテクストで、ノンサイト作品が美術館で鑑賞される際の旅=移動の経験を想定して書かれたものである。

「ノンサイト——デス・ヴァレー」

2014年、東京国立近代美術館はロバート・スミッソン(1938–1973)が1968年に制作した《ノンサイト(デス・ヴァレー南、ルート127号上、リッグスとシルヴァー・レイクの間で採取された白亜)》を収蔵した。1967年から69年にかけてスミッソンが制作した〈ノンサイト〉シリーズのうちの1点である。69年のドワン・ギャラリーでの第3回個展でその全貌を現した〈ノンサイト〉は、65年の本格的デビューから73年の死まで、スミッソンの10年弱のキャリアのちょうど中ほどに位置づけられる作品群である。そして「屋内のアースワーク」[*1]「三次元の地図」[*2]「抽象的な容器」[*3]と自ら呼んだこの〈ノンサイト〉は、スミッソンのそれ以前、以後の思考双方が、断片化しながら流れ込んでくる一つの「リミット」を形成する。
〈ノンサイト〉の制作にあたりスミッソンはまず、石切場、砂漠、山岳、工業地帯(屋外)などを旅し、鉱物を採取する(そこが「サイト(場所)」となる)。そしてその鉱物を木や金属製の「容器」に収め、地図や写真、テクストと組み合わせてギャラリーや美術館(屋内)に展示した(この複合体を、スミッソンは「ノンサイト非-場所」と呼んだ)。
スミッソンは1969年後半に制作された「容器」を持たない数点についても「ノンサイト」のタイトルを付したり、「ノンサイト」という概念から言及していたりするが、本印刷物は、箱状の「容器」を持つ「狭義」の〈ノンサイト〉、すなわち《パイン・バレンズ)》(1967/68年)から《ジプサム―ベントン》(1968年)までの14点の一覧化を目的として作成された。
一覧表から《デス・ヴァレー》の構成要素を見てみよう。まず象牙色に彩色されたジグザグ型の鋼鉄製容器。容器の中に収容されているのは「白亜紀(Cretaceous Period)」の由来にもなった鉱物、白亜(チョーク)である。この白亜がデス・ヴァレー(死の谷)近くで採取されたことは、スミッソンの「サイト選択」の意図と、そこに読み込んだ考古学的時間を考える上で示唆的である。白亜紀の終わり(K/Pg境界)、地球では生物の大絶滅が生じ、特に直前のジュラ紀より繁栄を見せた恐竜はほぼ全滅した。そしてこの絶滅は、(スミッソンにとって極めて重要な)ユカタン半島付近に落下した直径約10kmの巨大隕石が引き起こした気候変動によるものだとされている。地図の緯度と経度によるグリッド構造からの切り出しをおもわせるその形状の効果も相まって、《デス・ヴァレー》は、白亜紀の「死の谷」を表象するジオラマのようにも見えてくる。
《デス・ヴァレー》の容器はその特徴的な形状とともに、10.2×92.7×29.2cmというサイズの小ささに特徴がある。この作品の初出はドワンでの第3回個展とされるが、展示写真(リンク先の「Box 3, Folder 22」内の写真no.11をご覧いただきたい)に写る他の〈ノンサイト〉と比べると、その小ささは際立っている。〈ノンサイト〉において、収容される内容物のサイズと容器のサイズは必ずしも比例しない。このサイズ決定には別の説明が必要だ。
実は《デス・ヴァレー》は当初、より大きなサイズで作る構想があったが、何らかの理由で取りやめたという(確かに、事前に用意されたであろう個展の販売リストでは約1.5倍のサイズで表記されている)。これは、時間的に間に合わなかった、というような消極的理由ではないはずだ。それを裏付けるのは、《デス・ヴァレー》には同タイトル、同形状、同サイズの作品が計3点存在するという事実だ。より大きなサイズの完成作を作るのではなく、同じものを三つ作る、というスミッソンの「マルティプリシティ(複数性)」の選択は、いかなる意図によるのだろうか。

ここで、《デス・ヴァレー》を構成するもう一つの要素を見てみよう。カリフォルニア州ベイカーの地図(「アメリカ地質調査所 United States Geological Survey」発行|51.7×43.1 cm|スケール 1:62500|1956年版)である。ドワンの個展の展示写真に写るのは、ひと組の容器と白亜のみであり、容器と地図は個展以後(事後的)にセット化されたと考えられる。〈ノンサイト〉において、容器とセット化される地図、写真、テクストは、容器に対して解説を与える一種のキャプション、註として機能する。確かに、「デス・ヴァレー南、ルート127号上、リッグスとシルヴァー・レイクの間で採取された白亜」という書き込みを伴った地図は、「三次元の地図」としての「容器=ノンサイト」を解説するようにも見える。しかしここには、それ以上のものがある。地図の上に糊付けされた2枚の写真、である。1枚は「大地に転がる白亜の塊り」を写したもの。地面に対して垂直の角度で撮られたこの写真が示すのは、写真もまた、切り出された白亜が収容される矩形の容器=ノンサイトである、ということだ。
2枚目の写真は、1枚目とは対照的に「彼方の消失点へと収斂していく遠近法的な道路」の光景を写しだす。写真の横には「《ダブル・ノンサイト―カリフォルニア州・ネヴァダ州》で用いられた「溶岩のサイト」へと向かう砂利道」という手書きのキャプションが付されている。別の〈ノンサイト〉(地図の外部)へと我々を誘う記述である。スミッソンは、カリフォルニア州・ネヴァダ州での〈ノンサイト〉制作の旅(1968年7月頭から8月頭まで)のなかから、《ダブル・ノンサイト》と《デス・ヴァレー》のサイト選択を抽出し、4×10枚の写真で構成した《スナップ・ショットの註》を制作している。そして「サイト選択」という旅=移動の時間的継起を示すこの40枚の写真のシークエンスの内に、我々は《デス・ヴァレー》の地図に貼られた写真に写ったものと、まさに同一の「白亜の塊り」が収容された1枚を発見する。旅=移動において二つの「作品」がセット化していくようなこの事態において(ドワンの個展において《デス・ヴァレー》と《ダブル・ノンサイト》は隣合わせに配置されている)、再び、別の「マルティプリシティ」に出会うのだ。
現在、一つの容器と一つの地図のセットとしてある《デス・ヴァレー》は、以上のように、いくつもの潜在的な「マルティプリシティ」を抱えている。スミッソンは写真、地図、雑誌といったマルティプルな媒体に一貫して関心を寄せた。1972年に発表したテクスト「スパイラル・ジェッティ」の註におけるリスト「サイトとノンサイトの弁証法」で、スミッソンはサイトに周縁(edge)、多(many)という特徴を、対してノンサイトに中心(center)、一(one)という特徴を与えている[*4]。《デス・ヴァレー》の容器や写真、そして地図が切り出す「マルティプル」とは、サイト(多)とノンサイト(一)が収束し、そこで摩擦を起こすような「リミット(境界=極限)」として、両者の間に差し込まれた領域なのではないか[*5]。サイトとノンサイトがこの「マルティプル」というリミットに収束していくとき、サイト(多)の交換不可能性とノンサイト(一)の交換可能性とが新たに問題化されることとなる。スミッソンは《デス・ヴァレー》以外の〈ノンサイト〉という容器のなかで、「マルティプル」の可能性をさらに探求することはなかったが、この試みがもう一つの「マルティプルな容器」、すなわち「映画」としての《スパイラル・ジェッティ》の可能性を用意したのではないだろうか。

初出:『ロバート・スミッソンの作品一覧|「プラスティック展」(1965年)から「ノンサイト展」(1969年)まで』(東京国立近代美術館、2017年)

  1. 《パイン・バレンズ》の「地図」(1967年)に付されたキャプションに、“A NONSITE (an indoor earthwork)”との表記がある。Back
  2. “The Symposium,” in Nita Jager ed., exh.cat., Earth Art (Ithaca, NY: Andrew Dickson White Museum of Art, Cornell University, 1970), n/p.Back
  3. Robert Smithson, “A Sedimentation of the Mind: Earth Projects,” in Artforum (New York) 7, no. 1 (September 1968): pp. 44–50 (p.50).Back
  4. Smithson, “The Spiral Jetty,” in Gyorgy Kpes ed., Arts of the Environment (New York: George Braziller, 1972), pp. 222–232 (p.231).Back
  5. サイトの「多」とノンサイトの「一」の間に差し込まれる「マルティプル」に触れた論考として、以下を参照のこと。上崎千・森大志郎「“出版物=印刷された問題(printed matter)”:ロバート・スミッソンの眺望」『アイデア』No.320、2007年1月、49-66頁(63頁)。Back