Body Arts Laboratoryreport

contents

more

山崎広太《ウェンウェアダンス》レビュー

Photo
Naoyuki Sakai

 地下鉄で向かうときから、ダンスは始まっていた。
 
 ダンスは、行為者のみならず、観衆を観衆たらしめるなにかがある、そう思う。設けられた舞台にあがる行為者を、表現者として認識することは、観衆、つまり受容する側という役割としての存在が浮かび上がることを意味する。私はその日、都営三田線の車両に揺られながら、私という存在が、乗客であると同時に、舞台の観衆になる人として変化してゆくことを感じた。何も私自身の色やかたちに変化があるわけではない。好物だって変わらないだろう。それでも、なにかが厳然と変わりゆくことの心地よさを覚えていた。変わることは、スイッチのオンかオフのような即時的によるものではない。ゆるやかにグラデーションのように移り変わってゆく。地下鉄に乗っていたため、このことは視覚的には意識することはできなかったものの、地上を走る電車に揺られて車窓を観ていたら、よりよく解っただろう。
 
 こうして私が書きとめているものは、当日の時系列を追いながら、書いている今という時と混在してゆく。あるいはこれは、詩を起こしている状況と同じであるかもしれない。私は暗闇のなかを手探り探し出すように、自身に起きたなにかを、生理的現象を、あるいはもっとシンプルに感動を、どの言葉にして置くことが良いのか、悩み始めている。
 
 詩集を舞踏の舞台にしてもらったことがあった。『ダンスする食う寝る』という詩集を、遊舞舎という新進気鋭の舞踏ユニットによって舞台化してもらったのだった。詩集を上梓したときには、舞踏と結びつく考えはまったくなかった。ダンス、という言葉を詩集の題の一部に置きながら、舞踏と接続すること、いや、接続できることに思いが至らなかった。遊舞舎と打ち合わせ、舞台化することが決まり、あの災禍によって悔しくも順延し、という年越しの時を経て、私はもうこの一連の時の流れこそが、既に流れ続けてゆく詩のように思えた。私は今、こうして書きながら、そして詩というものが書くことによって成立すると解っていながら、それでも書くという行為に悩み、迷い、躊躇があることをはっきりと示したい。
 
 私は、過去に遊舞舎の舞台を観て、これは言葉だと思った。肉体的なパフォーマンスによって彩られる、非言語の芸術である舞踏を、私は言葉によって描かれているものであるのだと感じた。眼前で繰り出されるものが詩であるのか、ないのか、それは解らなかったし、どうでも良いことだった。ただ、ときに雄弁で、ときに冗長で、ときに無口な、人間の言葉そのものを観た。
 
 であるから、今回Whenever Wherever Festival 2025に誘ってもらい、ダンス作品のレビューを書くということになったとき、まず考えたのは言葉が現れるのか、私の内に立ち上がるのかということだった。
 
 私は会場のリーブラホールへ行くまで、いくつかの取るに足らないことを考えていた。それは、私の記憶を引き出し、今を問いかけてくるものだった。三田の駅を出て大学まで向かうときに食べたオムライスの頂上にかかるケチャップの鮮やかな赤、奇蹟的に区画整理されていない商店街の端にあるカラオケ屋まで高校の部活の帰りに行った際の古びたエレベーターの金属音、田町駅をいつもと異なる出口から出て東京に二軒しかないという箔押し専門の印刷所に卒業論文の原本を持って行った帰りのモノレールの軌道の錆の濃淡。私は不思議だった、私にはダンスをする肉体的なスキルはもとよりないけれど、この一つ一つの記憶には、確かに身体動作をともなう感情の揺れがあり、衝動的に腕を千切れんばかりに振る必然性にいつも動かされてきたということが。

 私が観た《ウェンウェアダンス》は、どこからはじまったのか、解らなかった。それがよかった。そもそもステージがない。小学校の体育館をやや小ぶりにしたほどだろうか、この空間の壁際にパイプ椅子をぐるりと囲んで並べ観衆は座り、椅子に囲まれた残りの空間に出演者がしずしずと入ってゆく。いわゆるどこまでがアクターズゾーンで、どこからが観衆の場であるかが厳密な区切りはなく、判然としない。もしかしたらダンサーと思われるこのパフォーマンスをするであろう幾人の中に、予期し得ない人物が突如混ざっていても、私には判断がつかない。ダンサーたちは準備運動をはじめた。私は「準備運動をしている」という台本に依るものなのか、これからのパフォーマンスのために為される準備運動なのか、解らない。それがよかった。やがてスクリーンに新橋駅前広場にて踊り出すダンサーたちの映像が流れ出した。私の眼前には、準備運動をするダンサーたちがおり、スクリーンにはダンスを表現するダンサーの映像が流れている。この差異はなんだろう、この奇妙なものはなんだろうと考えた。本番と練習、実演と訓練、という単純な分け方はできないように思えた。
 
 やがて主催者が準備運動という動作を引き裂くように声で説明をはじめた。新橋駅前広場という「公」でする「私」という概念について、これからパフォーマンスを始めてゆくということについて。私は主催者の一言ずつ確かめるような言葉遣いに、安心した。いや、安心という言葉は適切ではないのかもしれない。しかしながら私は、この主催者の言葉によって、私はダンスを観に来て、ダンスをこれから観る人になるのだということを、今一度自身に刻むことができた。


Photo
Naoyuki Sakai

 ここからは、感想ではない。私が感じたことをそのまま言葉にしてゆくだけだ。
 
 コントラバスの即興がダンスと共にあった。伴奏ではなく、互いにたまたま居合わせてしまったような居心地の悪さがよかった。主催者は舞台後に、ダンスのパフォーマンスとコントラバスが一体化してしまった、もっとカオスになることを想定していたと言っていた。私もそう思った。たとえば音楽で喩えるならジャズ的なものはジャズではなく、ロック的なものはロックではない。あくまでも「的」であり、この「的」に照準を定めているのでなければ、調和された不和になってしまう。これを回避させるために、ギリギリで不調和にしてゆく必要があり、コントラバスがダンスのクライマックスに向けてある種のカタルシスを感じるほどの、情熱的な昂りを見せたなかで、ダンスはそれに追随しているように映った。けれども、追随するということを美しいと思う人は少なくないだろうし、一つの正解のようにも思える。ただ、私はこういう正解を好まないだけだった。

 私は、舞台上のある一人のダンサーが、空間を忙しなく動きながら、観客に問うた言葉が忘れられない。

「あなたはどこから来ましたか」
 
 このように、ダンサーは私の座る席の二つほど左にいた男性に問うた。

「北海道から」

「北海道? それは遠くから……」
 
 この三点リーダは余韻ではない。なにを言っているのか聞き取れなかったのだった。でもそれがよかった。
 
 私はこのやりとりだけで来てよかったと思えた。ダンサーがダンスだけではなく言葉で問うたからではなく、ましてや観客が北海道という遠方から来たと応えたからでもない。少なくともこの瞬間には、予定調和を越えたものがあったと思う。言葉によってコミュニケーションをはかる私たちが、言葉によってコミュニケーションが不在になり、それでも言葉によって他者と接続する、その瞬間が、ダンスによって介在し、確かなものとして現れていたと思えた。
 
 空席となったパイプ椅子に座るダンサー、携帯電話を取り出し通話をするダンサー、ダンサーはダンスしながらダンスそのものを問い、私はひたすらに言葉を問うことを言葉で考えていた。破壊的な、あるいは衝動的な空間は、それでも時間というあまねく与えられているものによって、残酷なほど表現として成立してゆく。成立してしまうのであった。
 
 そういえば……、このダンスの冒頭に、セリフがあったような気がするが気のせいなのかもしれない。確か、次のようなセリフだった。

「小説のなかのコーヒーの香りのような、ココアの香りのような……、」

 曖昧なものは、こうしてこの原稿を書くためのメモをしていても曖昧なままであるようだった。私は、ダンサーたちの肉体的な躍動を観て、筋肉の動き、張り、指先、手の甲、足首から、首、首から、肩まで向かう関節の、筋の、腱の、ひとつずつの動きに、名を付してゆくことを考えた。

 私はどうやら喪失感に苛まれていて、言葉にしなければならない、文にしなければならないことに、ひどく執着してしまっているようだった。肝要なことはゼロから創り出すことではなく、ここにあるようにあることを素直に差し出すだけだった。《ウェンウェアダンス》のパフォーマンスは、完成に向かわないことがよかった。それだけで私はきっと救われたのだろう。
 
 書かれているものの記憶、喩えばコーヒーの香りであったり、ココアの香りが誘発するものは、言葉になる寸前のなにかのことを示そうとしている。この寸前のなにかをダンスにできるダンサーを信じたいと思えた。いや、できるではなく、あるようにあることを探している途中なのかもしれないが、それはジャンルの差異や経験というものではなく、ひとつの決心のようなものだと思った。
 
 私は家路に就きながら、考えていた。
 
 地下鉄で帰りながら、とっくに閉幕したはずの、まだ終わらないダンスを考えていたのだった。


《ウェンウェアダンス》
出演・振付:山崎広太、モテギミユ、鶴家一仁、黒沼千春、望月寛斗、堀田千晶、リエル・フィバク

2025年2月9日
リーブラホール
Whenever Wherever Festival 2025

山﨑修平Shuhei Yamazaki
詩人、文芸評論家。目黒学園カルチャースクール講師、法政大学江戸東京研究センター客員研究員・客員講師。小説『テーゲベックのきれいな香り』。詩集『ダンスする食う寝る』、『ロックンロールは死んだらしいよ』。