後編|クリエーション記録《ダンスタイムカプセル》滞在制作 @芝の家|1
Text|木村玲奈
「芝の家」は、東京都港区と慶應義塾大学が共同で運営するコミュニティづくりの活動拠点です。2025年2月にイベントを実施するWhenever Wherever Festival 2025の一環として、振付家・ダンサーの木村玲奈さんが、芝の家でダンスプロジェクト《ダンスタイムカプセル》のクリエーションをおこなっています。その記録より、後編として5日間分(11月22日、11月29日、12月3日、12月6日、12月24日)をお届けします(前編はこちら)。
《ダンスタイムカプセル》は、「地域に根差し開かれたコミュニティスペースを運営する芝の家と連携し、訪れる方々(港区に暮らす方)から、いつかはなくなってしまうけれど後世に残したいと思う個人的な言葉や大切な記憶、物語を、振付家・ダンサーの木村玲奈がヒアリングし、そこから振付を考え、ダンスタイムカプセルとしてそれぞれの方へお返しする作品」。
《ダンスタイムカプセル》では、以下の公開イベントの開催します(ご参加方法の詳細は、ウェブサイトをご覧ください)。
・2025年1月18日(土)|芝の家
《ダンスタイムカプセル》お渡し会+埋める日
・2月9日(日)|リーブラホール(港区立男女平等参画センター)
《ダンスタイムカプセル》報告会
11月22日(金) 晴れ
芝の家滞在7日目
東京の冬の空の青さに驚いたことを、今でも毎冬思い出す。東京タワーと空の写真を撮った。
12:00 到着。
スタッフは、Aさん、Bちゃん。ヨガの先生はCさん。
前日に母から林檎が届いたのでお裾分けをした。
Dさんが既にいらっしゃった。病み上がりなのでヨガは参加しないとのこと。
BちゃんもCさんもDさんも、ダンスのことに興味があるようだったので、今回の《ダンスタイムカプセル》についてコンセプトや考えをお話しした。Bちゃんは2022年に日本に来たそうだが、とても日本語がうまい。けれど、私が話すダンスが想像つかないと言っていて、私もまだ見ぬ作品をどう伝えたらいいか難しかったけれど、こういう交流はとても嬉しい。どんなものが生まれるのかとても気になる、と言ってくれた。
インタビュー3人目
【Dさんにやっとインタビューすることができた】
「モノやこと 建物や風景 身体も いつかなくなってしまうから、ダンスタイムカプセルで残したい記憶などはありますか?」
生まれたのは東北、転勤族だったので、3年毎に色々移動した。関西にも居た (小さな小学校だった)。東京には高校の時にきて、そこからは港区在住。 生粋の港区女子。港区でやられているフラダンスやズンバ、ヨガなどに精力的に参加されている。
プラネタリウムが楽しかった / 楽しいことが好き / 今の人 / 麻布十番も普通のアーケードだったのにビルが建ってしまい 古いお店もなくなって悲しい / 建物がなくなった時にショックを受けた ここからこんなに広く無いのかと / 昔の渋谷へよく買い出しに行った / 太極拳もやっていた / 五島プラネタリウム 渋谷←要調査!/ プラネタリウムが好き / 気象庁のプラネタリウム(年間パスもある)←絶対行く!/ 気象庁マスコット はれるん可愛い(地下で売ってる)←買う!
プラネタリウムのどんなところが好き?
───光
───宇宙を見ていられる
身体を動かすことが好き / 踊るのを見るのも好きだけど踊るのがやっぱり好き / このひとたちのおかげで生きていける / 日々楽しかったなと思う / 周りからあたたかいものをもらっている
Dさんはふんわりと柔らかい優しい雰囲気をまとっている。なんとなく私の母の雰囲気と被るところがあり勝手に重ねてしまうことをご本人にお伝えした。
ここまでテキストをまとめて気づいたが、Dさんの口からダイレクトに残したいものの返答は無かったけれど、私は何かを受けとった感覚があった。
私、Dさんのためにプラネタリウムのような宇宙や星を感じられるダンス作品をつくってきます!と大きな口を叩いてしまった。有言実行するしかない。1月18日の午後にダンスを見せたい (もしくは一緒に踊りたいから) 芝の家に来て欲しいと伝えた。手帳を出してメモしてくださっていた。来てくださるといいな。もしその日Dさんが来なくても、私はDさんのためにダンスタイムカプセルをつくる。
Dさんに会うのは四度目だろうか。
やっとお話がきけて嬉しい。
親の介護の話になった。私は一人っ子で両親を青森に残して出てきている。両親は東京では暮らしたくないと言っていて、できれば青森にいられるだけいたいのだそう。親が心配だし今後どうしたらいいものか悩んでいることを話すと、ヨガの先生 Cさんが「なった時に考えればいい!その時考えればいい!」と言ってくださり、なんだかさっぱりする。Cさんも故郷から上京されている。都会の人は優しいという話になった。東京に出てきて思ったのは、選択肢の多さは人に自由と余裕を与えるということ。家族は残してきたけれど、私は東京に出てきたことを後悔していない。でもそんな自分の選択を、一方でとても寂しく、悲しく思っている。
Dさんの言葉をお借りすると、両親や家族の理解、寂しさ、何かを諦めてもダンスと生きると決めたこと、ほかにもたくさんあるけれど、ギュッとまとめて言えば、いろんなこと、まわりの人のおかげで生きていけている。そしてダンスから、ダンスを介して、あたたかいものをもらってきた / もらっている。だから自分も、ダンスや誰かの / 何かの ために働きたいと思う。
13:00
ヨガが始まるのでDさん帰宅。
椅子などをよけてスペースを作る。電気はつけずに自然光。見たことない初めての芝の家の感じだ。Cさん(先生)の後ろは縁側に面した大きな窓で道ゆく人が見える。それも良い感じ。
Eくんがやってきたが、14:00までヨガだということでまた出ていった。
女性が2人、男性が1人やってきた。あとはBちゃん、私、Aさんの6人が参加。
私は普段週1でヨガをやっているが、場所も先生も一緒に受ける人も違うとまた全く違う気持ちで、新鮮な感覚だった。
途中Fさんが差し入れを持って入ってきて、後ろのテーブルに何かを置いてまた出ていった。最後らへんにEくんがやってきて、入口のイスに座ってヨガが終わるのを待っていた。道行く人はなんとなくヨガの様子をチラ見したり覗いていったりする。そんな全部の感じが良かった。
14:15
ヨガ終了。椅子などの配置を戻す。
Fさんもやってきた。
みんなで話しながら編み物タイム。
スタッフAさんが、私がインタビューしたことで聞けたDさんのお話があって良かった、と言ってくれた。本当にプラネタリウム好きなんだ〜!と。渋谷にあった五島プラネタリウムの話になる。Aさんも学校の遠足的なもので行ったらしい。調べてみたら2001年まで今のヒカリエの場所にあった東急文化会館の8階にあったとのこと。正式名称は、天文博物館五島プラネタリウム。東急文化会館は坂倉準三の建築だったらしい。行ってみたかった。。。
Aさんが芝のはらっぱで採れた柿と、差し入れた林檎を切ってくれて、みんなでいただく。林檎は王林だった。柿は甘く、自然の濃い味がした。「はらっぱの背の高い高いお花が咲いていましたね!」とAさんに言ったら、皇帝ダリアだと教えてくれた。調べたら花言葉は “優雅”。“優雅” を調べたら、【やさしくてみやびやかなこと。あくせくする必要がなく、ゆったりすること。】だそうだ。そんな感じに自分もいつかなりたい。
久しぶりにかぎ針編みをした。楽しい。コースターを編んだ。芝の家で使ってもらえたら嬉しい。編み物していたら Bちゃんから、「港区で思い出深いところはある?そこに自分なりの名前をつけてほしい」と言われたので、私にとっての港区の思い出深いところは、今まさに思い出をつくっている芝の家かな〜とお伝えした。新しい名前は「いつまでもある場所」と名付けた。物理的には芝の家もいつかは無くなるかもしれない、でもここで今過ごしている人たちや過去に過ごした人の中で、在り続けると思うから。
男性がやってきて、Bちゃんの知り合いらしい。奥のテーブルに座った。
小学生のGちゃんは今日も一番乗りでやってきた。
Bちゃんが「玲奈さんこっちこっち!」と呼ぶので奥のテーブルに行くと、やってきた男性はHさんという名前で、Bちゃんと共にご近所イノベータ養成講座に参加しているとのこと。さっきのBちゃんの質問もそれにまつわる彼らのリサーチらしい。さらに本格的に質問に答えることになって、Hさんは私の答えをパソコンに入力している。どうして芝の家に居るのかという話になり、結局ダンスの話になるので、かなり長い説明になってしまった。私のウェブサイトを見つけたHさんは、余計に興味を持ったようだった。影響を受けた人とかいるのか、という話になり、10年共に仕事をしたショーネッド・ヒューズとの《Aomori Project》の映像を見せる。Cさんも加わり、みんな目を丸くしていた。このまま1時間起き上がらないの!?と。ショーネッドはとてもインディペンデントなアーティストだった。アーティストとして生きていくことのリアルをそばで学べたこと、彼女の作品の一部になれたことは、私と私の身体の財産。
常在菌の話になる。最近友人と話した話で、それぞれの身体の周りには菌がいて、ここなんか好きだなとか、合わないな、みたいなのは、自分の菌と土地の菌との相性がある、という話だ。それでも4年くらい交わると、折り合いがついてくるらしい。そういう意味で芝の家は、いろんな人の菌がありそうで(良い意味で)、だからかスッと身体を受け止めてくれる感じがする、と伝えた。Bちゃんは、芝の家はシェアハウスみたいだと言っていた。
背を向けていたからわからなかったが、小学生チームのGちゃん、Iちゃんはコップに毛糸を巻き付けたりして何かを作っていたし、ほかにも色んな出入りがあった模様。Aさんが、「玲奈さんのお知り合いが〜」と言って誰かを連れてきたと思ったら、友人の俳優・ダンサーのJさんだった!少しだけでも寄りますと言ってくださっていたが、本当に来てくださるとは。多分この時、15:40頃。
そこからJさんも交えて、Hさん、Bちゃんのインタビューが続いた。彼らは、港区でそれぞれが思い出深い場所(今は廃れていたり、忘れられているところなど)に改めて名前をつけてもらうことで、その場所をもう一度盛り上げられないか、と考えているそう。その後も話は続き、Jさんが、私がコンセプト・振付をしているダンス作品《6steps》の説明を二人にしてくださっていて、なんとも嬉しく感じた。Jさんにとっての《6steps》が在って良かった。
あっという間に16:00を過ぎてしまい、スタッフさんは掃除を始めた。16:15までHさんはインタビューを許され、私とJさんは話を続けた。
そのあと、初めてスタッフさんの「今日の振り返り」に参加させていただくことに。ずっと参加してみたかったので嬉しい。スタッフをして感じたことやうまくいかなかったことなど、もやもやを全部出して帰るというのが、この振り返りの醍醐味なのだそう。
Aさん
今日1日の日誌をつけ終えた。
午前中は赤ちゃんとお母さんがいて編み物をしていた。電話をくれていたおばあちゃんが顔を出してくれて、顔が見れて良かった。Dさんもわざわざ欠席を伝えにきてくれたのも嬉しかった。編み物の時間がもっと欲しかった!芝の家は舞台転換みたいに時間帯や居る人によってどんどん景色が変わる。移転前の芝の家は目の前に作業場があって、舞台×舞台みたいな感じだった(脚本はない、始まる時間と終わる時間は決まってる)
Bちゃん
参加中の「ご近所イノベータ養成講座」で、芝の家のスタッフを1日やることになっていて、その日がたまたま今日だった。Cさんと色々話したことが印象に残っている←運命の話ができたのだそう。スタッフとして至らないことがたくさんあって申し訳なかった。
わたしはここまで聞いてやっと、Bちゃんが芝の家の本当のスタッフではないことに気づいた!到着した時、初めての人がいると「スタッフさんですか?」とお聞きして挨拶するので今日もそうしたのだが、私が「スタッフさんですか?」と聞いてしまったので、Bちゃんは「はい!」と答えてしまったのかもしれない。「申し訳ない〜」とお伝えする。
Cさん
「ご近所ラボ新橋」との違いについて。ヨガにもたくさんの参加があり、楽しい1日だった。
木村
Dさんと話せたこと、初の「芝ヨガ」参加で、芝の家を空間的に新しく知覚したこと、Eくんが「こんな絵も描けるんだよ!」と絵を見せてくれたことが印象的だった。Eくんの絵はたぶんガンダムのパーツだったと思う。
Jさん
短い間だったけれど、身を置いてもここが何なのかがわからなかった。また来たら変わるのかもしれないけれど、わけのわからない場所があるのはいい。すごく大事なこと。興味を持って時々参加している他の場所とも芝の家が繋がっていることがわかり、驚いたし嬉しかった。
Hさん
昨日、仕事でもプライベートでも嫌なことがあったけれど、今日はとても良い日になった。不思議なことって楽しいんだね。←名言だと思う
16:40頃 芝の家を出てJさんと田町駅へ。Jさんはこれからイベントへ行くということで、東京駅でバイバイ。電車の中でもダンスの話をした。
ひとりになって中央線に揺られながら、Bちゃんが「今日初めて会ったとは思えない」と言ってくれたことを思い出した。嬉しい限り。私は全然スピリチュアル野郎ではないけれど、現世で出会う人はずっとずっと昔にどこかで会っているかもしれない、と思うことがある。芝の家は、色んな時間軸を繋げる点 / ハブのような空間なのかもしれない。すでにここには、私が探している振付も信じるダンスもあるんだな〜、と思いながら帰路に着いた。