Body Arts Laboratory

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 すでに決定的なことだった、いつのまにかそうだった。少しずつ。少しずつ伸びつづけていたせいで、気づいたときにはこうだった。いきている、いきているらしく妙に艶を帯びた髪の毛は、髪は、わたしの髪はもつからまりながら、わたしの肩を、背中を通り越し、すっかり腰をも過ぎて足首を柔らかくかすめ、その先が地面にふれるのも時間の問題であるように思われる。なぜだろう、たしかに美容院の予約は怠っていた。とにかく忙しなく、身だしなみに気を遣う いとまがないようだった。もう随分長いあいだまともに化粧をしておらず、わざわざ鏡をのぞきこみもしなかった。とにかく時間がないといつも思う。時間がないとなにかが薄くなり、薄い身体でいつもぼうっと仕事をしている。なにかを人質にとられたみたいに文字を書く。外で用事があるときもぎりぎりまで眠りこみ、あわてて飛び起き出かけるので自分がなにを着ているのかわからない。寒い日であれば上着を。埃をかぶった分厚い上着を。できることなら襟巻きを。声が嗄れればのど飴を。気を付けていたのはそれくらい。いつも同じスニーカーを履いている。同じ胃薬を飲んでいる。同じ耳飾りをつけている。同じめがねをかけている。めがねにはすぐに埃がつく。頰と唇の皮がすぐむける。たしかに、髪をくしけずることは滅多になかった。濡れたまま風に吹かれるのも気にしなかった。濡れ髪につめたい外気。冷えこんだ外気が頭皮に、頭皮にきりきりと染みこんでも構わない。いつしか乾くのはわかっているし、寒さにはめっぽう強いほう。どんなに病が流行っても、わたしは決して風邪を引かず、冷えとは無縁の手足がある。いくら奪われても、しかと体温は保たれている。でもだからといって。そうはいってもここまでなにも、まるで勘付かないということがあるものか。くしけずることこそなかったけれど、髪はいつもひとつに結わいていた。そのたびにふれていたはずだと思う。たびたび結わいた。結わいていた。おかしなことは特になかった。太くて丈夫な、いくらでも代えの効くヘアゴムを、通販サイトでまとめ買いすることにしていた。結び目がゆるんだときにはいつでも、いちど いて、力をこめて結び直していたはずだった。眠るときには髪を解き、起きるときには髪を結わいて。何度も無意識に結び直した。結び直すたびに少しずつ重みを増し、少しずつ縺れ、縺れ、ふくらんでいたに違いない、このくろぐろとした毛髪。そのことがわからなかった。

 もうひとりいる。もうひとりが、わたしが、後頭部から這い出している。頭皮から。ほそく、少しずつ、ごくゆっくりと時間をかけて。ゆるやかだから気づかなかった。気づかないのが悪いのだろう。蛋白質。うごめいている。音を立てずに。ヘアゴムが見当たらない。どこにもない。結わえることができずに、耳の周りにまとわりつく。額にも。頰にも。首にもまとわりつくのだった。結わえないまま放っていると、いっそうふくらむ。縺れる。ヘアゴムならば、部屋のどこかに落ちている。落ちているのだろうと思う。デスクのうえに、書類のしたに、ポケットに、知らないうちに手首にかかっていることもある。或いはベッドのしたに、すなわち床に。埃にまみれて、床に。床に髪がふれていた。いまや床にふれていた。毛先はいたみ赤らんでいる。何年も前のカラーリングのために毛先は色褪せあわい光を帯びている。色褪せた先端が吞みこんでいる。吞みこまれたのはヘアゴム、床のヘアゴムを吞みこんでいる、ヘアゴムと床の埃を。吞みこんだのがわかった。歩いた。マントの裾を曳いて歩くみたいに、髪を曳いて部屋をあるいた。あるいは髪に曳かれて部屋をあるいた。髪に曳かれた。髪に憑かれた。くろぐろと頭のうしろから這い出して、そのままわたしに憑いている。わたしをうしろから抱いている。肩がる。かなり 凝っている。こんなに重たいのだから凝るだろう、こんなふうにしがみつかれてしまっては。しがみつかれるので肩が凝る。ぴったりとしがみついている。影法師ならば重くないのに。だれの影。はじめのうちは怖くなかった。だれにだって頭髪はあるもので、伸びすぎることも珍しくない。ただなんとなく、後回しにしてしまっただけ。美容院にいくたび、多いですねと言われることにも慣れている。子どもの頃からそうだった。たいしたことではないと思う。伸び過ぎてしまうことそのものは。頭を這い出て、そのまま背中へ。頭から流れ出て、抱きつく。わたしの背中に抱きついている。分裂かもしれないと思う。分裂。ぶんれつ、そう考えれば合点がいく。分裂なのかもしれない、そう思っているあいだにまた重みを増していた。肩と背中が痛むなか、わたしは櫛を探した。櫛もいくつかあるはずだった、ホテルに行くたびなんとなく持ち帰る、プラスチックのでいいから欲しかった。けれども櫛は、どの櫛も、ひとつのこらず吞みこまれてしまったらしい。そう気づいた。手ぐしでもよい、手ぐしでよいから梳かしたほうがよいと思う。ひどく縺れている、縺れをどうにかしたほうがよい。

 髪にふれた、するとわたしもふれられた。ふれたこととふれられたことを同時に感じているのだった。指を入れた、すると指を入れられていた。だれの指。いったいだれの指だろう、どこに指があったのか。わからない。わたしはわたしの両手を見る。手にはただいつもの両手がある。背を覆い尽くす縺れをにぎった、するとにぎられた。引けば、引かれた。当たり前のこと。当たり前のことだというのにそれでよいのか自信がない。めまいがし、めまいではないとすぐに気づいた。わたしはひとつの椅子に座った。仕事机の椅子だった。いまや立つことすらひどくつらい。首が強く痛み、背中は板のように感じられる。重みに耐えかね、やむなく座った。目の前にノートパソコンがあり、モニター画面が急に光った。白い光。三つも並ぶペン立てに無数の筆記具がつまっている。辞書に事典。ハンガー、グミ、消しゴム。腕時計。契約書。領収書。使いさしのノート、手帳。手紙。抜き書き。テープ、付箋、ファイル。ヘッドフォン。ステンレスの定規。穴あけパンチ。用途の思い出せない資料。資料のなす山。数珠。蠟燭。ネックレス。写真。吞みこまれるとわかっていた。吞みこむのだと思っていた。坐ったのをよいことに、髪は自在に、いっそう自在に四方へ伸び始める。縺れあいながら伸び、すぐ椅子の背を絡め取り、わたしと椅子はひとつになった。椅子の背にかけられた上着も同様に。わたしは椅子を感じて椅子の背にある上着をも感じる。急になにもかも楽になる。曳きずるよりもずっと楽に、包みこみ包みこまれて、とにかく軽い心地がする。信じるほうが楽だった。ノートパソコンのなめらかな軀体、そのアルミの冷たさと、基盤に籠るほのかな熱をじかに感じた。髪の縺れはキーボードにしなだれかかり、脈絡のない文字の群れがモニターを駈け抜けてゆく。そのモニターもすぐに吞みこんだので見えなくなった。電子機器の匂いがする。書籍や資料や書類を吞みこんだけれど意味はひとつもわからない。ただ、紙の束の感触。素材、インクの匂い、ざらつき、重なり合っている感じ。文房具をつぎつぎ吞みこみ、あじわい、そして鋏に気づいた。鋏を使えばよいだけだった。はたと心づく、簡単なことのはずだったのに。まだ自由にうごく右手で、鋏をつかんだ。鋏をつかみ、 を押し当てた。どこに押し当てていたのだろう。押し当てられていた。刃の冷たさをわたしは感じた。あからさまな痛みの予兆。ステンレス。テープの糊かなにかで少し汚れ、刃は なまっている。鈍っていることに安心する。ゆっくりと、力をこめて、鋏を閉じていこうとした。ただ髪を切ろうとしているだけ。縺れを切ろうとしているだけ。諦めなさい、縺れはわたしの声を巧みに模倣し、やさしげな口調でそう言った。諦めなさい。驚くべきことではない。そう言われると思っていた。話しかけられ、同時に話しているらしい。いまさら切ろうとしても無駄でしょう。その通りだと思う、あるいははじめからわたしがそう言っていた。そんなことをしても無駄、あまりに覚悟が足りないのだから。実際のところ、手には力が入らなかった。言い返すことは難しくないはずなのに、言いたいことが思いつかない。鋏はすぐに吞みこまれた。わたしの両腕も縺れに巻かれて機能を失くした。めがねも。

 視界はすべて奪われている。縺れがあふれてやまない。なおとめどなくあふれている。縺れが、死せる蛋白質が、くろぐろと絡まり合いふくらみながら部屋にあるものを舐め尽くしてその先端で器用にとびらを、窓をひらき、外へとこぼれて出てゆくのだった。感覚へと向かう欲望のはげしさにわたしは笑いを、もしも顔が顔のままであったとしたら笑いを漏らしていたのかもしれないと思う。わたしが笑うと黒い縺れも笑う、笑ったような感じがしている。かろやかに笑って、笑いながらふくらみながら、ひとびとが帰路に着く住宅街を波打ちながら逆走している。すれ違う人、 草臥くたびれた人の数々を吞みこんでいる。帰宅してあたたかな夕飯にありつくはずの、そのはずだったあまたのひとびと、食材の入ったビニル袋を片手に提げて歩む彼らを迷いなく閉じこめてゆく。燈を、街路樹を、きれいな庭を、薄気味悪い光をはなつクレマチスの花びらを縺れが、わたしが食べている。家々をも食べている、屋根も壁もまるでお菓子でできているように感じる。それらによって構成される部屋、部屋、部屋につぐ部屋。ピアノの音が聞こえていた。どこかの部屋から聞こえていた。近づいていく。近づいてくる。ひとつの部屋がある。だらだらと練習している不真面目な少女、子ども時代のわたしによく似ている。背が急激に伸びたために制服の丈が足りないようで、持てあまされた肉づきのわるい右脚がペダルを深く踏み過ぎていた。みずからの両手の不如意さに深く、ふかぶかと苛立っているようだった。右のペダルを踏み過ぎていた。濁っていた。まともにうごかぬ左手を置き去りにして右手が落ちるようにでたらめに駈けていた。楽器の音高がおかしいことにだれも気づきはしないから、調子はますますおかしくなる。右手はただ走っていた。踏み外した。濁っていた。右のペダルは踏まれ過ぎていた。踏まれ、駈け、踏まれ過ぎて混濁する音を、縺れた音が濫りがわしく溢れかえるその部屋を、つやつやと光るばかりの不憫な楽器を、わたしに似ている少女自身を、その部屋ごと攫ってまっくらなところへ絡め取っていく。なおも縺れがあふれてやまない。やまなかった。わたしに吸いこまれたあとも、濁った音は続いていた。わたしの内に聞こえていた。駈けていた。ゆがんだ。前にもまして音は濁った。ふくらむほどに速く駈け、わたしは、縺れたわたしは駈けるほどにいっそうふくらむ。もうなにも見えないけれどわたしのようであるわたし、わたしは吞みこまれてくるもののすべてにふれている、ふれられている。ふられている。唐突に冷たい雨がふりはじめ、濡らした。懐かしい雨がわたしを冷やした。いくら冷えても平気だった。つめたさがふれる。つめたさが表面をたたき、染み入ってゆく。つめたさは やいばにも似ていた。刃を吸いこみながらなおもわたしはふくらむのだった。冷やされ、冷えるほどに冴え渡った。震えとは無縁のからだ、はじめから死んでいたかのごとく寒さのなか平然としている。わたしはようやくわたし自身の、この縺れた輪郭を知る。雨のおかげでそれがわかった。冴え冴えとわかった。

 住宅街を覆い尽くしてさらにその先へ。幹線道路を行き来する無数の自動車を食べていた、回転するタイヤの動きに身を震わせた。波がからだじゅうを、縺れを伝播し波打たせ、波打っていることがすみずみまでよくわかる。信号機を、ガードレールを、歩道橋を食べ、味わい、あれはわたしの父が右のペダルを踏む車、わたしは迷いなくその車も吞んでいた。深いところに吞まれるほどにより細かに、いっそう細かにわかる、年老いるまえのわたしの父によく似た男が父のによく似た車を走らせて、後部座席で退屈しているのはまたしてもわたしによく似たような、似ているけれども先の少女よりはるかに幼い子ども、その肉づきのよい小さなからだは深刻な憂鬱とかすかな 嘔気はきけにみたされている。車体が轟々と鳴っているところにいつも刻まれる鈍重なビート、その曲が一世を風靡していることを彼女は知らず、知るよしもなく、そのあと何十年にもわたり際限なく世界中で再生されつづけることも、それを聞くたびにわずかな嘔気が再来することもいまだ知らない。右のペダルを踏むことで車が加速することも知るはずがない、知らないけれどペダルはやがて深く、ふかぶかと踏みこまれてなめらかな加速度のために彼女は軽く、眉をしかめたままのけぞっていた。わたしも急ごうとした、急がねば、車が急いでいるならば。車が走るための道路を、立体交差をいそいで吞みこみ、走り抜けるための高架を喰らいつくそうとした。夢中で食べていると再びめまいが、今度こそ気のせいではないらしい本当のめまいが訪れてその隙に絡まった。唐突にきつく絡んでいた。縺れが、わたしであるような気がした縺れがわたしの首に絡んでいるのだった。わたしはわたしに身体があることを思い出す。縺れのどこかに残存していたわたしの身体、いまや機能のない身体、だいじょうぶ、なにも気にすることはない。不安をおぼえることは億劫で、信頼に足ると思いこむのが楽だった。悪い気はしなかった。いまだ残っていることのほうが奇妙なように思われる、首が絞まるのもさほど悪いことではない、首も、そこからつづくわたしの肢体もどちらかといえば異物であって、身体を思い出さずにいられるほうがわたしにはきっとよいだろう。ただ縺れているほうがよいだろう。縺れ、ふくらみ、味わっていれば、そうして縺れていたほうが。そう、そのほうがもっとよくわかるはず。声がわたしに同意するのでわたしも同意する。そう、そうしてもっとわかる。あたりのことがよくわかる。それだからもっと力をこめるとよい、そう言われて言われた通りに、言う通り、言った通りに力をこめるとわたしの縺れはわたしの首を、鋏では決して成しえなかった軽やかさで傷つけた、そうしてわたしはふたつになった。瞬間、縺れは一すじの刃であるようだった。わたしがわたしを離れて落ちてゆくのをわたしは感じた、わたしが、彼女がわたしを落ちていた、わたしのなかを、縺れのなかを首のない肢体がまっすぐに沈んでいく。耐えがたい嘔気をおぼえた。わたしは彼女を戻さなくてはならないと思った、戻して、嘔き戻して、縺れのなかから嘔き戻してわたしだけがここにいられるように。縺れのなかに絡め取られた、絡め取っていたような気がした数限りない街中のあれこれに、人影にぶつかりながら、打撲のしるしをいくつも負いながら無痛の彼女は縺れのなかを落ちていった。そうしていつかき戻された。雨上がりの みちに嘔き出されていた。
 眼のない縺れが見下ろす先に彼女はあった、眼のない縺れは一瞥した。平べったいその肉を、首のない女を一瞥し、さらに遠くへ。縺れは遥かふくらんでいる。

このテキストは、Whenever Wherever Festival 2025におけるダンスプロジェクト《幽閉の劇場と8感のラップ》(西村未奈、梅原徹、山川陸)に応答している。この参加型パフォーマンスにおいて、参加者は東京都港区の待ち合わせ場所に単独で出向き、案内人により僅かに光を通す目隠しをされたうえで、車のなかへ誘導される。車に入ると、目隠しのうえからヘッドギアのような装置を装着される。発車後、装置から声による指示や音楽を受け取り、車の揺れ・加速度、霞む光その他を知覚し、身体感覚の変容を促される。パフォーマンスが終わるとき、車は首都高を一周している。執筆者は2025年2月6日の19時の回で本パフォーマンスを体験したうえで、そのレビューと小説を兼ねる表現としてこのテキストを制作した。


《幽閉の劇場と8感のラップ》
コンセプト:西村未奈
デザイン・デリバリー:梅原徹、西村未奈、山川陸
制作:林慶一、岩中可南子
制作協力:山下桃花

2025年2月5日・6日
東京都港区
Whenever Wherever Festival 2025

河野咲子Sakiko Kawano
作家・文筆家。小説「水溶性のダンス」にて第5回ゲンロンSF新人賞を受賞、同作はゲンロンSF文庫より刊行。SF、幻想怪奇小説、オペラ戯曲、テクスト批評、現代美術評などを執筆する。執筆のほか、朗読出演、トーク企画配信、展覧会協力など幅広く活動。旅の批評誌『LOCUST』編集部員。日本SF作家クラブ会員。